第四回目放送

 

 駆けていた足を止める。止めれば、走っていた分だけの疲労感が身体を包む。心臓の鼓動は速く、それに合わせるかのように呼吸も速く、額からは汗が滴り落ちている。

 

 それは、紛れもなく行動した証。目的のために、自らの意志で前に進んだ証。

 

 東堂あかね(女子14番)は、乱れる息を整えながら、左腕につけていた時計を見た。現在時刻、PM05:55。もうすぐ放送の時間だ。

 

――あれから銃声は聞こえなかった……。もしかしたら、今回は誰も呼ばれないかもしれない。呼ばれないと……いいな……。

 

 それは、とても甘い考えかもしれない。それでも、そうだと信じたい。そう思えるのは、確実に同じ考えを持つ人がいると知ったからだろう。それが分かっているせいか、身体とは裏腹に気持ちはどこか落ち着いていた。

 

『まったく、あなたも須田くんも同じようなことを言うのね』

 

 分かっていたはずなのに、知っていたはずなのに、心のどこかで失念していた。須田雅人(男子9番)という相棒の存在を。彼がこんなものに乗るわけがない。あんなに真面目で、一生懸命で、優しいあの彼が、人を殺すなんてことを認めるわけがない。

 探さなくては。小山内あやめ(女子3番)の話だと、雅人はおそらく一人だ。そして、彼はあかねのことを知らない可能性が高い。あかねが同じ考えであることを知らないまま、今もきっと一人でいる。

 

――きっと小山内さんは、私に言ったようなことを須田くんにも言ってる。須田くんは真面目だから、きっとその言葉を真剣に受け止める。そしたら、絶対一人考えこんじゃって、すっごく悩んで、自分で自分を追いこんじゃう……! 早く会って、私も須田くんと同じ考えだってこと伝えなくちゃッ!!

 

 そんな気持ちから、ずっと走り続けていた。周囲に人がいないか目で確認しながら、誰かが発した物音が聞こえないか耳を澄ましながら、足をずっと動かし続けていた。けれど幸か不幸か、会いたい人に巡り会うこともなければ、やる気の人間に遭遇することもなかった。

 身体は疲れているが、まだ走り足りない気もする。しかし、この調子で移動を続けると、放送を聞き逃してしまうかもしれない。仕方なく、近くの木の根元へと腰を下ろした。

 それでも、心の準備ができているわけではない。本当は、放送など聞きたくない。誰かが死んだなどという情報など、知りたくもない。けれど、聞かないわけにはいかない。それはもう、嫌というほど理解してしまったから。

 

『はーいっ! プログラムが始まってから、まるっと一日経ちましたー! それでは、第四回目の放送を始めまーすっ!』

 

 耳に届いた声に反応するかのように、あかねは時計を見た。現在、AM06:00。もはや恒例となりつつある、定時放送が流れ始めていた。今回で四回目ということは、始まってから丸一日経ったということ。たった一日で、一体何人のクラスメイトがいなくなってしまったのだろう。

 

『あかねは、いつも元気だな……。まぁいいよ、一緒に帰ろうか。ついでに家まで送るよ』
『よし、あかね! 今日の試合も全身全力! 気合い入れていくよ!!』
『あ、おはよう……。みんな早いね』
『あ、帰りにさ、駅前のカフェで何か甘いもので食べて帰ろーよー』
『あかね、今度バスケの試合でしょ? 結香やみんなと見に行くから、頑張んなさいよ』

 

 じわりと涙がこみあげる。丸一日。時間にして、二十四時間。たったの二十四時間。その間に、たくさんのクラスメイトがいなくなってしまった。多くの命が失われてしまった。ついこの間まで、こんな現実は想像だにしていなかった。平和な日常の中で、いつまでも笑っていられると思っていた。

 

――どうして……こんなことになっちゃったんだろう……?

 

『では早速、今回の退場者を発表しまーすっ! 今回は、男子2番、五十嵐篤くーん! 女子1番、五木綾音さーんっ! 以上二名です。なので、残りは十九人となりまーすっ』

 

 放送聞きながらチェックを入れていた手の動きが、止まった。耳に入った名前の中に、まぎれもなく友人の名前があった。

 

――綾音……。嘘……。

 

『じゃ、次は禁止エリアでーす! 七時からE-5、十時からE-6、十一時からE-2となりまーすっ。んーっ、ちょっと禁止エリアが東の方へ偏ってきているかなぁー? 今回指定されたエリア周辺にいる子は、遠くの方へ移動しておいた方がいいかもねー。ま、これからまた夜がやってくるから、体力を温存しておくもありかなぁ。ま、どっちにしても油断はしちゃダメだよ! では、これで放送を終わりまーす。みんなー、落ち込んでいるかもしれないけど、あんまり考えこみすぎちゃダメだよー』

 

 何のに励ましにもならない言葉を放送の声が告げた後、ブツッと音声が切れ、シンとした沈黙が訪れていた。夜を迎えるにあたって、あまりにも相応しすぎる、暗くて重い沈黙。

 

――綾音……。なんで……?

 

 友人の一人である五木綾音(女子1番)の名前が、確かに放送で呼ばれた。しっかり者で、言いたいことははっきり言って、でも優しくて、熱くなりがちなあかねや結香を止めてくれた友達。そんな彼女の名前が、今確かに呼ばれた。

 

『文句ばっか言わないの。午前中だけなんだからいいじゃない』

 

 つき合い自体は、初めて同じクラスになった二年生のときから。園田ひかり(女子11番)から同じ部活の仲間だと聞いて、勢いのまま辻結香(女子13番)と一緒に声をかけた。最初に会ったときから鈴木香奈子(女子9番)と二人でいるところが多く、それがとても仲睦まじく見えたことは、今でもよく覚えている。

 付き合い自体、そこまで長くないのかもしれない。そこまで深い関係ではなかっただろうと言われれば、そうなのかもしれない。けれど、それでも友達だったのだ。あかねにとっては、失いたくない大切な友達だったのだ。綾音だけではない。優しい香奈子も、明るい佐伯希美(女子7番)も、あかねのことをよく分かってくれるひかりも、そしてバスケ部のチームメイトであった羽山早紀(女子15番)も、絶対に失いたくない大切な友達だったのだ。誰が一番大切かなんて、順位をつけられないくらい。

 

 もっと一緒にいたかった。たくさん話したり、どこかへ遊びに行ったりしたかった。けれど、それはもう叶わない。彼女らはもう、こちらの手の届かないところへ行ってしまったのだから。

 本当はそんなこと、受け入れたくない。けれど、否定することもできない。嘘だと思いたい気持ちは今でもある。でも、それができないことも理解している。躊躇いながら、あかねは名簿にあった綾音の名前にチェックを入れた。

 

――綾音……。見つけられなくてごめん……。死なせてごめん……。ごめん、ごめんね……!

 

 もうここにはいない友人へ、心の中で謝罪をする。そして、また勝手に涙がこぼれる。けれど、この状況に慣れてしまったのだろうか。先ほどよりも、流した量は少なく感じられた。失った痛みは、少なくなるどころか増していっているはずなのに。

 

――ああ、私、変わってしまっているのかな……?

 

 今までは、受け入れることすら困難だった。けれど、今は躊躇いながらも、すんなり受け入れてしまっている自分がいた。そして、どこか仕方がないという――諦めに似た気持ちがあることも。

 

『俺は、自分が一番怖いんだ』

 

――日向が言っていたのは、こういうことなのかな……? こんな風に変わってしまう自分を、日向は怖いと思ったのかな……?

 

 プログラムが進めば、否応なしにこの状況に慣れてしまう。人が死んでいくことがどこか当たり前になり、人を殺すことにも抵抗がなくなる。命の危機に晒されれば、我が身可愛さに刃を向けたりするのかもしれない。そうやって、自分が望まない方向へ変わっていくと、嫌でもそうなってしまうと、槙村日向(男子14番)は思ったのだろうか。

 

『今はまだいい。あかねを殺そうだなんて思わないし、プログラムが間違っているって分かる。あかねが言っていることが正しいっていうのも理解できる。けれど、これが進んで、どんどん人が死んでいったらって思うと……今みたいにはっきりいえる自信がない』

『いつか死ぬのが怖くなって、人を殺すことを躊躇わなくなったら……誰かを殺してしまうかもしれない』

 

――ねぇ、そうなの……? 日向は、何よりもそれが怖かったの……? それを、あのときから分かっていたの……? ねぇ、私、変わっちゃっている……? 今の私は、前の私とは違うのかな……?

 

 空に問いかけても、返事はない。それでも、問いかけ続けずにはいられない。現実から逃げたいからなのか、誰かに縋りつきたいからなのか。それは、あかね自身にも分かっていない。

 

――私、まだ生きている……。日向が助けてくれたおかげで、まだ生きているよ……。何にもできてないけど、たった一人だけど、大きな怪我もなく生きているよ……。でもね……

 

 こぼれる涙を、袖口でぐいっと拭う。歪んでいた視界が、少しだけ鮮明になる。それでも、心の中はどこか淀んだまま。

 

――でもね……やっぱり寂しいよ。怖いよ。辛いよ……。日向もいなくて、みんなもどんどんいなくなって、誰とも一緒にいられなくて、結香に会えたのに逃げたりして……。日向は、あかねなりに助けてあげればいいって言ってくれたけど、何にもできなくて……。ねぇ、私って、こんなに無力だったんだね……。

 

 整理がついたはずの気持ちに、また後悔という感情が流れ込む。何度考えても、あのときの日向を止める方法は分からない。もし今、同じ状況になったとしても、結果は変わらないのかもしれない。それでも、どこか戻りたいと願うのは、失う前の過去にしがみついているからだろうか。

 

――私、みんなにどれだけ助けられていたのか。今更だけど、分かっちゃったよ……。私、一人じゃ、何にもできないんだね。今までクラス委員をやれたのも、周りに人がたくさんいたのも、毎日が楽しかったのも、日向やみんなのおかげだったんだ……。一人って、こんなにも寂しくて、怖くて、辛いものなんだね……。

 

 溢れそうになる涙を拭ったはずなのに、一筋の滴がまた頬を伝った。それは、失った悲しみで流れたものではなく、不安と寂しさからくる未知の恐怖に対する涙。

 

――私、今まで一人になったことなかった……。一人って、こんなにも寂しいんだね……。こんなにも……怖いんだね……。ねぇ、私は……死ぬまでずっと一人なのかな……?

 

 心の中で、たった一人の幼馴染に問いながら、身体は立ちあがり、前へと歩き出す。今度は流れる涙を拭うことができず、視界はずっと歪んだまま。けれど、身体だけは機械のように前へと進んでいく。頭の機能は、まったくとっていいほど働かないまま。

 

――もう……頼れるのは……須田くんと、理香子だけなのかもしれない……。もし、二人ともいなくなっちゃったら……綾音やみんなと同じようにいなくなっちゃったら、私……生きていけないのかもしれない……。

 

 まだ呼ばれていない人、会いたい人の笑顔や言葉を、必死で思い出す。まだ、まだ会いたい人がいる。会わなくてはいけない人がいる。だから、今は前に進まなくてはいけない。後ろに戻れない。立ち止まっては生きていけない。前に進むしか、壊れそうになる今の自分を律する方法はない。

 

――ねぇ、お願いだから。もういなくならないで……。私を一人にしないで……! お願いだから……誰か……私を助けて……!

 

 脳裏に思い浮かぶその大切な一人が、大切な友人を二人も殺してしまったことを、このときのあかねはまだ知らない。

 

[残り19人]

next
back
中盤戦TOP

inserted by FC2 system