私の主張、あなたの戯言

 

――うぅ……痛い……。最悪だなぁ……。プログラムってだけでも最悪なのに、その上生理痛なんて……。

 

 薮内秋奈(女子17番)は、重い身体を引きずりながら、エリアD-4を移動していた。住宅街の一部が含まれているこのエリアにいるのは、見渡す限り秋奈一人。そのエリアの中を移動しながら、秋奈はあるものを探していた。プログラムが始まってからずっと探し続けているのだが、一向に見つかる気配はない。どこかの家に一つくらいはあると思ったのだが、それは甘い考えだったのかもしれない。

 

――腰も痛いし、なんか身体重いし……。景色も段々黄色くなってきた気がする……。頭はボーッとするし、歩くのもやっとだし……。今誰かに見つかったら、きっとすぐ殺されちゃうんだろうなぁ……。なんでさぁ、私ばかりこんなひどい目に遭わなくちゃいけないの……? 私、何かした? まぁ……こんな国で、そんなことを言うこと自体ナンセンスか……。

 

 もう何度目になるか分からない溜息をつく。どうしても見つからない。今の秋奈には、銃よりもナイフよりも、あるいは信用できる仲間以上に必要なもの。満身創痍と言っても大げさではないこの状態において、食糧を全て投げ出してでも欲しいもの。今こうして苦しめている元凶を取り除くことができる、唯一無二のもの。

 

――でも……一体どこにあるんだろ……。こんなに探しても見つからないなんて……。きっとこの島の人達は、生理痛とは無縁なんだろうなぁ……。常備薬として、どっかに一個くらいあってもいいんじゃないの……? まったく、気が利かないなぁ……。

 

 秋奈が探しているのは、この体調不良の元凶を黙らせられるたった一つのもの――鎮痛剤という名の特効薬。この際、種類は何でもいい。いつもは何があっても大丈夫なように持ち歩いているのだが、今回はたまたま薬を切らしてしまった。特別補講は午前中に終わるはずだから、薬は家に帰って飲めばいい。そう思っていたのだが、不運にもプログラムに選ばれてしまったことで、それは叶わなくなってしまった。おまけに、痛みはどんどん増していく。これでは、いつかは痛みが原因で気絶してしまうかもしれない。

 だからこそ、学校を出発してから、ずっと薬を探し続けている。住宅地になら、薬の一つくらい置いてあるだろうというかすかな希望を胸に、身体を引きずりながら移動してきた。幾度となく家へと入り、空き巣みたいにあらゆるところを漁ったけど、未だに目的のものは手に入らない。所々で休息を取ってはいるが、正直それも気休め程度。現に、そうしている間にも痛みはどんどん増し、段々身体の自由も利かなくなってきた。「たかが生理痛」という人間もいるだろうが、秋奈にとっては大問題なのだ。秋奈が考えるに、拳で何度も殴られているだとか、変な毒薬を盛られて腹痛に苦しんでいるだとか、そんな状態であると言っても過言ではない。要は、病人と大差ないのだ。こんな風に体調はどんどん悪くなっているというのに、状況は一向に好転しない。

 まともに動けないということは、逃げたくても逃げられないことを意味している。やる気の人間に見つかりでもしたら、おそらく何もできないまま殺されてしまうだろう。絶対に生き残りたい、というわけでもないが、おとなしく殺されたくもなかった。

 

――こんなくだらないプログラムのために、死ぬなんて嫌ッ! でも、殺すのはもっと嫌ッ! こんな国に踊らされてたまるもんかッ!!

 

 そんな秋奈には、ささやかな夢がある。それは、いつかこの国を飛び出して、異国の地へ足を踏み入れることだ。

 

 世界は広い。今いるこの国は、世界地図でいったらとても小さな島国なのだ。そんな国の中で、一生を終えたくはない。訳の分からない政策や権限で国民を縛り、なおかつこんな意味のないプログラムで殺し合いや死を強要する国など、国家として認めはしない。

 だから、もっと色んな国のことを知りたい。準鎖国制度を推進しているこの国において、他国の情報など当てにならない。それに他者からの伝達ではなく、自分の手で情報を得たい。自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の肌で感じたことだけを知りたい。そう強く思っていた。海外渡航は制限されているが、いつかは何らかの手段で実行に移すつもりだった。少なくとも、一生この国にいるつもりはなかった。

 なのに、今では海外渡航どころか、生きていられるかどうかすら怪しい状況だ。そもそも、なんでこんなものが存在するのだろう。こんなプログラムなど、秋奈にとってただの狂気的なゲームとしか思えない。画面の向こう側の話ではなく、現実の命を使った悪趣味極まりないゲーム。虚構だから許されることを、現実にしている。四月演説だがなんだか知らないが、そんなものはただの狂言としか思えなかった。命の尊厳もそうだが、何よりこの国にいいようにもてあそばれていることが我慢ならなかった。だから、プログラムに乗ってクラスメイトを殺すという選択肢は、秋奈にとっては自殺よりもあり得ないことだった。

 だからこそ、支給された武器――イサカM37“フェザーライト”には弾すら込めていない。それどころか、弾は必要ないと踏んで、どこかの民家に箱ごと置いてきたのだ。銃本体を捨ててもよかったのだが、身体を支える杖として使い勝手がよかったので、今はそうやって使っている。本来の用途とはほど遠い使い方だろうが、秋奈にとってはこれが最も有効な使い方だった。そもそも銃なんてものがあるから、戦争など起こるのだ。杖として使うくらいが丁度いい。

 

――とにかく……今は薬を探さないと……。咲ちゃんに会っても、このままじゃ迷惑かけるだけだ。葉月ちゃんは、今どうしているのかな……。まさか、こんなのに乗ったりしてないよね……?

 

 一抹の不安を抱きながら、引きずるかのように歩を進める。イサカを杖代わりにして、一歩ずつ慎重に。とにかく、今の秋奈に必要なものは薬だ。薬がなければ、立ち向かうどころか逃げることもできない。心境的に、仲間をつくることも躊躇われてしまう。プログラムをどうにかする以前の問題だ。

 

――あぁ、暗いから周りがよく見えないなぁ……。でも、あそこに見える大きな黒いものは、きっと家だ……。着いたら薬を探すだけじゃなくて、また少し休ませてもらおう……。

 

 もうすぐ休める――。そうしたら、少しは元気も出るだろう。痛みは消えないが、移動し続けるよりはマシだろう。そんな希望を抱きながら、秋奈は同じリズムで歩き続けていた。静かに、ゆっくりと、痛みで朦朧とする意識を必死で保ちながら。

 

「こんばんは、薮内さん」

 

 そんな静かな空気を切り裂くような、ひどくはっきりと響いた声。秋奈のことを呼びとめる声。その声を、とても不愉快だと思った。それは、その声の主が、秋奈がこのクラスで最も会いたくない人物のものだったからかもしれない。

 黄色に歪む景色に、待ち伏せをするかのように目の前に立っている人。無視したくても無視できない位置に、その人はいた。わざわざそこに立っているのは、秋奈が黙って去らないように意図してのものだろう。それとも、秋奈の視界に入っていなかっただけで、最初から彼女はそこにいたのだろうか。

 

「……何か用?」
「あら、せっかく久しぶりに会えましたのに、そんな素っ気ない反応をしないで下さいます?」
「別に……私を探していたわけじゃないでしょ? 小山内さん……」

 

 声の主――小山内あやめ(女子3番)は、秋奈の言葉に返答はしなかった。そして、暗闇でも分かるほどに悲しそうな表情をしている。秋奈には、その悲しさがわざとらしく思えた。そう思ってしまうほどに、あやめに対する心証は良くない。

 この国に対してどこか反抗的な思想を持っている秋奈にとって、何の疑いもなくこの国に殉じようとするあやめと江藤渚(女子2番)の存在は、理解できないものだった。どうして、この国のやることに賛同するのだろう。なぜ、非人道的なやり方を平気でする総統や軍人に、敬意を払うことができるのだろう。その疑問は、彼女らの存在を知ったときから、ずっと心の奥底で渦巻いていた。

 だからこそ、秋奈は基本的にあやめと渚のことを避けていた。出席番号は離れていたので掃除当番などで一緒になることはなかったし、グループも小野寺咲(女子4番)真田葉月(女子8番)を組んだり、そうでなくても主流派グループの余った面々と組むことが多かった。そのせいか、幸運にも日常生活の中ではグループを組むどころか、会話する機会すらほとんどなかった。

 それでも時折聞こえてくる二人の会話に、何度も嫌な思いをさせられた。「総統様のお言葉は素晴らしい」、という賛辞の言葉は日常茶飯事。それだけならまだしも、「この国に仇なす非国民は死んで当然」といった、人の尊厳をまるで無視した発言が耳に入ることも少なからずあったからだ。そのたびに表情に出るのか、そのことを知らない咲や葉月には、「秋奈、ちょっと怖い顔してるよ……」とか、「どうしたのー? いつもの秋奈ちゃんらしくないよー」と、言われていたものだ。

 

 それを、あやめが知っていたかどうかは定かではない。けれど、今の再会が秋奈にとって歓迎できないことくらいは、先ほどの発言から容易に推察できるだろう。

 

「そんなことはありませんわよ。私は、クラスの皆さんを探しているのですから。薮内さん、あなただって例外ではありませんわよ」
「何の……為に……? どうせ……プログラムのルールに乗っ取って……殺し合いでもしましょうとか……言いたいくせに……」

 

 目の前にあやめがいるせいか、先ほどよりも痛みが増したような気がする。これはきっとストレスだろう。極度の緊張状態や、自分で自覚するほどストレスを感じると、いつだって痛みは増す。秋奈の気持ちに反応するかのように。

 そんな秋奈の発言に、あやめは「まぁ」という言葉を漏らした。それは、秋奈には喜びの色を滲ませたようなものに聞こえた。まるで、話が早くて助かります――そう言いたいかのように。

 

「薮内さんは、須田くんや東堂さんと違って聡明な方なのですね。話が早くて助かりますわ。では、早速お手合わせを――」
「何言ってんの……? 誰が……やるって言った……? そんなの……やるわけ……ないでしょ……」

 

 喜びを隠しきれないあやめの言葉に、一層のストレスを感じる。そのせいか、苛立ちを隠しきれない。その気持ちが声色となって、そのままあやめの発言を遮った。

 

「……薮内さん。あなたもこのプログラムが無意味なものだと、こんなものは認めないとでもおっしゃるのですか?」
「分かってるじゃない……。その通りだよ……」
「あなたまで、そんなことをおっしゃるのですか? どうして皆さん、このプログラムの素晴らしさを分からないのです?」

 

 何を言っているのだろう。あやめの言葉を聞いて、秋奈は最初に思ったことはこうだった。まるで未知のものと遭遇しているかのような、そんな錯覚に陥った。それほどまでに理解できない。言葉の内容も、その心中も、何もかもが――

 

「素晴らしい……? どこが……? こんな無意味な命のやり取りの……どこが……?」
「……あのですね。あなたも総統様の四月演説をご存じでしょう? このプログラムは、恥知らずな帝国主義の輩から、我が国を守るために必要なことなのですよ。このプログラムで散った同志の命は、わが民族の独立に役立ち、そして彼らの魂は未来永劫この国の礎をなり生き続けるわけで――」
「そんなの……ただの戯言だよ……」

 

 あやめの言葉を遮るかのように、秋奈ははっきりとそう告げた。四月演説など知らないし、知りたくもない。あやめの言葉も、聞きたくない。できれば、今すぐ目の前から消えてほしい。そこに立っていられるだけで、苛立ってしまうのだから。

 言葉を否定されたせいか、暗闇でも分かるくらいにあやめの表情は歪んでいた。見たくないものであるはずなのに、どうして今ははっきりと見えてしまうのだろう。景色は、今だ黄色に染まっていっているというのに。

 

「戯言……? あなた、今そうおっしゃったのですか?」
「そうだよ……。もしかして、聞こえなかった……? 都合が悪いことは聞こえないところなんか……この国の偉い人みたいだね……。臭いものには蓋をして、泣き叫ぶ声は無視して、それで……自分たちにとって都合のいいことしか受け入れない……。そんなのは、我が儘な子供と一緒だよ……」
「あなた……それ本気で言っているの……?」

 

 今度は表情だけでなく、声色にも変化が訪れる。今まで聞いたことのないような、苛立ちと怒りがにじみ出たような声。ああ、これがあやめの本性か。官僚一家の令嬢という分厚い仮面に隠された、侮蔑や殺意をむき出しにした本当の姿。

 風の噂で聞いたことがある。あやめが、かつて一度だけ問題行動を起こしたことを。相手の骨を何本も折るという、信じられない暴力事件を起こしたことを。きっかけはよく知りはしないは、おそらく今のように総統のことを侮辱されたせいだろう。それだけで相手の骨を何本も折るという暴力性は、官僚一家の令嬢には似つかわしくない、ひどく残虐性を帯びた一面だ。

 

「冗談で……言えると思う……? だったら、どうするの……? 私を、殺す……?」
「……まさか。それでは意味がありませんもの」
「だから戦えって……? それを、嫌だ……って言ったら……? それに、私、今めちゃくちゃ体調悪いし……」
「それを言い訳にしようと? 体調管理を怠った、あなた自身の責任ですわよ。そこまで考慮して差し上げなくてはいけないのですか? 渚は、そんな言い訳は一言ももらしませんでしたよ!」

 

 ああ、苛立っているな。どこか他人事のように、秋奈は思った。なんて分かりやすいのだろう。そんなところは、きっと誰よりも子供だ。葉月よりも、ずっと幼い子供だ。

 いや、それより気になることがあった。それは、今しがたあやめの口から出たある人のこと。秋奈にとっては、あやめと同じくらい会いたくなかった人のこと。

 

「江藤さんが……そんなことを……? い、いつ……?」
「何をおっしゃっているのです? プログラムが始まってからに決まっているでしょう?」
「そう……。ねぇ……まさかとは思うけど……。江藤さんのこと……殺した……?」

 

 これが始まって出会ったのなら、二人の性格上、互いに穏やかに別れるはずがない。国に殉ずるというくだらない理由で、戦闘になった可能性が高い。それに渚の名前は、最初の放送で呼ばれている。出発してから六時間足らずで死んだ渚に会った人間が、そんなに多いとは思えない。あやめの行動方針から考えても、渚を殺したと推測するのが妥当だ。

 それに、以前こんなことを聞いたことがある。あまりに気分が悪いものだったので、記憶の奥底に閉まっていた――あやめのある一言。

 

『プログラムに選ばれたら、お互い正々堂々と戦いましょう』

 

「ええ、もちろんですわよ。だって、これはプログラムですもの。渚であっても、例外ではありませんわよ。それに、それは渚も望んだこと。無粋な輩からの我が国を守るために、私たちは戦ったのです」

 

 何の疑問を持たずにそんなことを言うあやめを見て、今度は吐き気がした。人を進んで殺すこと自体、とんでもない悪事であるはずなのに、クラスメイトのみならず友人までその手にかけたなんて。自分と仲良くしてくれていた、大切な友達を殺すなんて。それどころか、殺したことに罪悪感を感じるどころか、悪びれる様子もないなんて。

 どんな形であれ、互いに友人として大切にしているところだけは、嫌いではなかったのに。

 

「最……低ッ……!」

 

 身体が震える。けれど、これは寒いからとか、怖いからではない。武者震いでもない。嫌悪感だ。目の前にいるクラスメイト――いや、もう人とすら認めたくない生き物に対する、身体的拒絶反応だ。

 

「友達を殺すなんて……、最低だよ……。元々馬が合わないと思ったけど、ここまで腐った人だとは思わなかった……」
「……あなたも、須田くんと同じようなことを言うのですね。私たちがお互いに納得したことに対して、あなたに何かを言われる道理は――」
「どんな理由があっても、友達を殺していいわけがない……! 小山内さん、最低だよッ! 友達を殺すなんて、絶対に赦されない最低最悪の行為だよ!!」
「お黙りなさいッ!!」

 

 秋奈の発言がよほど癇に障ったのか、今までにない甲高い声であやめが叫ぶ。けれど、そんなことは秋奈には関係ない。絶対認めない。友達を殺していい理由なんて存在しない。たとえ互いに納得したことであっても、それは殺していい理由になどならない。だって、一緒に楽しい思い出を共有してこその、悲しい出来事を分かち合ってこその、互いに生きていてこその――友達ではないか。

 イサカを地面に落とし、真っすぐ二本の足で立って、あやめを真正面から睨む。そして、吐き捨てるかのように、大声で叫んでいた。

 

「いや、黙らない! 何度だって言ってやる! あんたは、この国の国民である以前に……人じゃない……! ただの人殺しの悪――」
「何ですって!! この非国民が!!」

 

 あやめの金切り声が聞こえたのと同時に、左肩から左腰にかけて、真っすぐ垂直に鋭い痛みがはしった。同時に生温かい液体が、秋奈の身体に降りかかる。それが自分の血であることは、考えるまでもないことだった。生理痛よりも、はるかに大きな痛み。呼吸をするたびに、ズキンという痛みは増す。切られて初めて、あやめが長い刃物らしきものを持っていることに気がついた。

 それでも、秋奈は地面に倒れなかった。叫び声一つあげなかった。痛みと嫌悪感で震える二本の足で、先ほどと同じように立っていた。

 それは多分――意地なのだろう。決してあやめに負けたくないという、決してこの国に屈したくないという、秋奈自身の意地みたいなものなのだろう。

 

「……ははっ、本当に分かりやすいね……。そうやって、自分の意見を聞き入れない者には、暴力で解決しようとする。そんなところも、この国にそっくりだね……。良かったじゃない、立派にこの国に殉じることができて……。ああ、あんたはもう……人でも何でもないか……。こんな国のために、人であることを止めたんだもんね……」
「あなたッ……! どれだけこの国のことを侮辱すれば――」
「“この国”? やだな……勘違いしないでよ……。私は、総統とこの国のシステムと、あなたを否定しているだけだよ……小山内さん……」

 

 そう言って、わざとらしくニヤリと笑う。ああ、何をやっているのだろう。こんなことをすれば、ますますあやめの怒りを買うだけではないか。どうして、わざわざ自分の寿命を縮めるようなことをしているのだろう。

 いや、本当は分かっている。分かっていた。あやめに会ったときから、生理痛で苦しんでいるときから、プログラムに放り込まれたときから、おそらく生きて帰ることはできないと。いつかは、誰かに殺されてしまうだろうと。誰も殺さないと決めている以上、ここで死ぬことは避けられないだろうと。こんな国のために死にたくないと願っていても、現実問題それは無理なのだと。

 だから、誇りだけは捨てない。どれだけ痛めつけられても、どれだけ非難されても、自分自身の考えだけは曲げない。命が消えるのなら、信念だけは貫いてみせる。心のどこかで、いつのまにかそう決意していたからだろう。

 

「……もういいですわ。あなたとこれ以上話しても無駄です。戦わないのなら、今ここで私が殺して差し上げますわ」

 

 氷のように冷たい声色。冗談ではなく本気だなと、どこか他人事のようにそう思った。

 

「……ですが、一度だけ謝罪する機会を差し上げます。先ほどの発言を全て撤回し、誠心誠意ここで頭を垂れて謝罪なさい! そうすれば、せめてもの情けに、一思いに止めを刺しましょう。どうせ、最初から戦う気がなかったのでしょう? それに、もうこの傷では満足な戦闘も、ここから逃げることもできないでしょうし」

 

 怒りを抑えているせいなのか、あやめの声色はいつもよりずっと低い。けれど、そこには隠しきれない殺意が滲み出ている。おそらく、あれだけこだわっていた戦闘実験という名目は、もう彼女の頭の中にはないのだろう。それでもすぐに殺さないのは、せめてもの慈悲のつもりなのか。それとも、これまでの批判をなかったことにしたいのか。

 いや、そんなことはどうでもいい。

 

「や……だね……」

 

 どちらにしても、秋奈の選ぶ選択肢は決まっている。脅されて撤回するくらいなら、最初から口にしたりなんかしない。批判というものは、覚悟してから口にするものだ。殺し合いという場においては、殺されるという覚悟も含めて。

 だから、おそらくこれが最期の言葉になるだろう。そう覚悟をし、秋奈は精一杯の大声で叫んだ。これから何があっても、あなたやこの国には絶対に屈しないという気持ちを、目の前のあやめにぶつけるかのように。

 

「謝る理由なんか……ないッ……! だって私は……何も間違ったことは言ってないもんッ!!」

 

 そう叫んだ瞬間、腹部に何かが差しこまれる。ズブリという気持ち悪い感覚と、先ほどよりもひどい痛みが秋奈を襲う。今度は耐えられず、そのまま仰向けに倒れる。空が映る視界には、夜に相応しい暗闇に浮かぶかのように、怒りで歪んだあやめの表情が映っていた。

 

「なら……ここで死になさいッ!! 総統様や私たちを侮辱した罪と共に! 非国民に相応しい無様な形で!!」

 

 そう言って、あやめは何度も秋奈の腹部や胸部に刀を差しこんだ。そのたびに、想像を絶するような激痛が襲う。口からは大量の血が吐き出され、身体中のいたるところが焼かれたかのようにズキズキと痛い。生理痛で苦しんでいた先ほどの痛みすら、可愛いとすら思えるほどに。

 それでも、秋奈は一度も悲鳴を上げなかった。歯をくいしばって、最期の最期まで耐え抜いた。刃物で貫かれる痛みに。肺から空気が抜ける苦痛に。呼吸のできない息苦しさに。血が喉から逆流してくる苦しみに。

 傷口からの大量出血により、全生命機能が停止してしまう、最期の瞬間まで――ずっと。

 

---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

「はぁ……はぁ……。まったく、非国民のあなたには、相応しい無様な死に様ですわね」

 

 肺や腹部に無数の穴を開け、全身を血に染め息絶えている籔内秋奈(女子17番)の無残な遺体。小山内あやめ(女子3番)は、そんな彼女を息を切らしつつ見下ろしながら、どこか満足そうにフッと笑った。

 

「総統様や私たちを侮辱したりするから、こんなことになるのですよ」

 

 血をぬぐった刀を鞘に収め、痺れる手がようやく自由になる。そのまま、秋奈が手放したイサカの方へと歩み寄る。拾い上げてはみたものの、もちろん使い方は分からない。しかし、このような有効な武器をそのまま置いていくという発想は、あやめにはなかった。

 しかし、何とも愚かな人だ。この素晴らしいプログラムを非難するとは。せっかく最後に慈悲を与えたというのに、それすら無駄にしてしまうとは。仮に優勝しても、この国に利益をもたらすような人ではなかっただろう。淘汰されるべくしてされたというべきか。

 

「弾は……入っていないようですね。せっかく慈悲深い総統様からこのように有効な武器を授かったというのに、あのような使い方しかできないとは。本当に、あなたは愚かな方ですこと」

 

 既に何も聞こえていない秋奈に向かって、冷たい侮蔑の視線を落としながらそう吐き捨てた。そして、近くに置かれていたデイバックに手をかけようとした。そのときだった。

 

「秋奈……ちゃん……?」

 

 消え入りそうなほど小さくか細い声。いつのまにか、誰かが近くに来ていたらしい。声色からして、女子だろう。既に半数を切った女子の中で、このようなタイプの人間はいただろうか。

 

――小野寺さんでしょうか……? 確か彼女は、籔内さんとは仲がよろしかったですものね。

 

 秋奈の遺体をはさんだ向こう側から、次第に見えてくるシルエット。しかしそのシルエットは、明らかに小野寺咲(女子4番)のものではなかった。あやめよりもはるかに低い背丈。暗闇でも浮かぶ、高めのツインテールの髪。よく髪型を変える辻結香(女子13番)かと一瞬思ったが、彼女は秋奈のことを下の名前ではなく、名字で呼んでいたはず。なら、もう考えられる可能性は一つしかなかった。

 

――ずいぶん……いつもと様子は違いますけど……

 

 その人は、そのまま秋奈の亡骸に歩み寄る。そして、右手に持っている何かを地面に置き、そのまましゃがみこんでいた。そのとき、夜目に慣れたあやめの目には、地面に置いたものが斧であること、そしてその人の服や皮膚に何か黒いものが付着しているのが見えた。そう分かった瞬間、あやめの口元には笑みが浮かぶ。

 

「あら、誰かと思えば真田さんではありませんか? どうやらあなたは、このプログラムに積極的に参加されているようですね」

 

 付着している黒いものは、おそらく誰かの血液。大量に浴びているということは、誰かを殺したことを示している。これまで友人である江藤渚(女子2番)以外でそういった人物に出会っていなかったあやめにとって、この出会いは大声で笑い出したいほどの僥倖だった。

 そんなあやめの言葉にも、目の前の人物――真田葉月(女子8番)は一切の反応を見せず、ただ秋奈の亡骸を揺すり続けていた。

 

女子17番 籔内秋奈 死亡

[残り16人]

next
back
中盤戦TOP

inserted by FC2 system