トモダチ

 

「秋奈ちゃん……。葉月だよ……? 返事してよ……無視しないでよぉ……」

 

 小山内あやめ(女子3番)の目の前で、既に息絶えている籔内秋奈(女子17番)の身体を揺すり続けている真田葉月(女子8番)。その行動は、あやめの目には現実に起こったことを受け入れられず、目を逸らしているようにしか見えない。あるいは、幼い子供が人目を憚らずだだをこねるかのような、そんな浅はかで幼稚な行為。

 その行為の無意味さを心の中であざ笑いながらも、あやめはまた静かに声をかけていた。

 

「そんなことをしても、死者は生き返りませんよ。それよりも、私と戦っていただけません? 元々積極的に参加されているあなたにとっては、何の問題もないでしょう?」

 

 あやめの問いかけに、葉月からの返事はなかった。無視されたという事実に不快さを覚えたが、その感情は心の中で押し殺す。

 

「真田さん。いくら呼びかけても、その人は何も応えてくれませんよ。それに、あなただって同じようなものを見てきたでしょう? その手で、同じように人を殺してきたのでしょう?」

 

 “殺した”という言葉で、初めて葉月に反応が見られた。揺すり続けていた両手を止め、少しだけ顔をこちらに向ける。そして、ポツリとこう呟いていた。

 

「殺した……?」
「そうですよ。あなただって、人を殺したのでしょう。どんなに言い訳をしたところで、服についたその返り血が何よりの証拠ですわよ」

 

 だから、私の提案を拒否する理由はないはずです。暗にそう含ませながら、あやめは静かな口調でそう告げた。そうやってわざと挑発するような言葉を選ぶのは、もちろん葉月をその気にさせるためだ。江藤渚(女子2番)との戦闘から約一日。ずっと切望していた二度目となる国家のための有意義な戦いが、ここでようやく叶いそうなのだ。なのに、むざむざ逃がすなんて、そんなもったいないことはしない。

 これはプログラム。ただ殺すだけでは意味がない。正々堂々と戦ってこそ、戦闘実験としての意味があるのだから。

 

「した……の……?」
「はい、何でしょう?」
「あなたが……秋奈ちゃんを殺したの……?」

 

 ああ、何を言っているのだろう、この人は。そんなこと、見れば分かるではないか。あやめ以外に、誰が秋奈のことを殺せるというのだろうか。それとも、まだ秋奈が死んだという事実を受け入れられないのだろうか。

 

「わざわざ聞くまでもないでしょう、そんなこと。それとも、あなたも薮内さんのように非戦を唱えるというのですか? こんなものは認めない、とでもおっしゃるのですか?」

 

 あやめの言葉に、葉月からの返答はなかった。それで、また少しだけ苛立ちを覚える。プログラムに積極的に参加していることは明らかだというのに、なぜ攻撃の一つもしないのだろうか。まさか、服についた返り血は不可抗力で殺したとか、遺体を抱きかかえた時でもついたものだとでもいうのだろうか。そうだとすれば、まったくもって期待ハズレだ。その推測に辿りついたとき、あやめの口からは大きな溜息がこぼれていた。

 

――まったく、みなさん歯ごたえがなさすぎです。渚のように立派な志をお持ちの方は、もうこのクラスにはいないのでしょうか? あぁ……でも、あのマシンガンの方なら、きっと私と勝負して下さいますわね。あと、それ以外の銃声も何度か聞こえていますし、私みたいに銃器を使わない方も一人くらいは……

 

 関係のないところに思考が及んでいる間にも、葉月は動かない。少しだけこちらに向けられた顔も、今は再び秋奈の方へと向けられている。最初に話しかけたときと同じように、ただ秋奈の遺体の傍で呆然としているだけ。後ろから軍刀で首を切れば、いとも簡単に殺せてしまうほどに無防備だ。これでは、あやめの望んだ戦闘実験は果たせない。

 まったく秋奈といい、この葉月といい、なぜプログラムという状況下でこれほどまでに甘いのだろう。東堂あかね(女子14番)にしても須田雅人(男子9番)にしても、まったく歯ごたえのない相手だった。あやめからすれば、彼らはプログラムという現実から逃げている、ただの甘ちゃんとしか思えない。積極的に参加している猛者も数多くいるというのに、どうして自分はこんな不抜けた人間にしか会えないのだろう。

 

――ああ、早くその方たちとお手合わせしたい。こんな子供のような方にかまっている時間はありませんわね。さっさとすませて、次に向かわなくては。

 

 今だ動かない葉月に視線を落とし、あやめは鞘に収めた刀を抜く。次に返答がなかったら問答無用で首を切り落とすつもりで、葉月の背後へと静かに移動する。草を踏みしめるカサカサッという音だけが、この空間に響き渡る。

 

「何を呆けているのですか? さっさとこの私と勝負して下さいません? それを拒絶されるというなら、ここで私があなたをそのまま殺して――」

 

 差し上げます――そう言おうとした瞬間だった。葉月の右手が動いたのは。横凪に、あやめの方へ向かって、身体をひねって何かを振るったのは。

 いつものあやめなら、おそらくそれを一歩後ろに下がることで避けられただろう。しかし、あかねや雅人、そして先ほど殺した秋奈という非戦を唱える人間ばかりに遭遇してしまったため、完全に油断していた。加えて、葉月のその行動はあまりに予想外であったため、何が起こったかすら理解するのに数秒かかってしまった。

 横凪に振るったものが両足に当たり、そのままの勢いで足首を切りつける。そこにある骨と肉を少しばかり削り取り、勢いよく血を噴き出させていた。同時に襲いかかる激痛に、あやめは我を忘れて悲鳴を上げていた。

 

「キャアアアア――――!!!」

 

 右手に持っていた刀を取り落とし、そのまま地面へ倒れこむ。切られた両足を押さえながら、あやめは痛みにのたうち回っていた。そうせざるを得ないほどに、切られた痛みは想像以上だったのだ。

 

「……秋奈ちゃん……殺したんだね……」

 

 痛みに苦しむあやめの傍で、葉月が小さくそう呟く。いつのまにか立ちあがっていた葉月が、冷たい視線であやめを見下ろしていた。いつもならその視線を不愉快だと思うところだろうが、今はそれよりも葉月の声色に恐れを感じていた。静かで、大人びたように少しだけ低い声色。落ち着いているかのように聞こえるのに、その言葉にははっきりとした殺意が含まれている。いつもと違う葉月の雰因気に、あやめは今まで感じたことのない恐怖を覚えた。

 明るいか暗いかといえば、明るい子で。活発かおとなしめかといえば、活発な子で。子供か大人かといえば、子供で。感情豊かかそうでないかといえば、豊かな方で――

 

――いつもと……違うッ……! こんな真田さん、私は知らないッ!!

 

 いつもと違う葉月の雰因気に、本能が警告を発する。それに従うかのように、あやめは葉月から逃げようとした。しかし、今の攻撃で足を切られているため、立ち上がることもままならない。後ずさりが精一杯であるこの状態では、どうすることもできない。今のあやめの頭の中には、いかにしてこの状況を打開するか。それだけだった。そんな精神状態の中では、もはや国のためという大義名分など無に等しかった。増してや葉月を殺そうというという気概など、頭の中から完全に消し飛んでいた。

 そう、初めて“殺される側の恐怖”をいうものを、あやめは身を持って感じていたのだ。

 

――なんで……! なんでこんな人に私がッ……!

 

『小山内さんも、真田さんも、どうしてそんな簡単に人を殺そうとするんだッ!』

 

 突然フラッシュバックした、雅人の言葉。あのときは、臆病者の戯言と思って聞き流していた。けれど今になって、ようやくあやめはその言葉の隠された意味を理解していた。

 

――まさか……! 須田くんは、私と会う前に真田さんと……?

 

 その雅人が、どのようにして葉月から逃れたか分からない。銃を持っていたから、それで威嚇でもしたのだろうか。それとも、そのときの葉月と、今の葉月は違うのだろうか。

 

『どうしてそんな簡単に人を殺そうとするんだッ!』

 

 少なくとも、葉月と対峙する状態になったことは間違いない。だからこそ、あんなことを言った。雅人にとっては信じられないであろうことを、おそらく葉月はしただろうから。あのとき雅人に殺し合いの勝負を挑んだ、あやめのように。

 あのときの雅人の言葉を、どうしてもっときちんと聞いておかなかったのか。葉月が乗っていると知っていながら、どうして完全に油断してしまったのか。こちらに攻撃することなどないと、なぜ決めつけてしまったのか。数分前の自分の愚かさに、あやめは心の底から後悔していた。

 

「なんで……秋奈ちゃんを殺したの……? 秋奈ちゃんは、私の大事な友達だったのに……。秋奈ちゃんは、私が――」

 

 その続きの言葉を耳にした途端、全身から鳥肌が立った。こちらの想像を超えたその言葉は、狂人としか思えないその発言は、あやめの恐怖心を煽るには十分すぎたのだ。

 

「私が……真っ赤に染めてあげるはずだったのにッ……!」

 

 その言葉の勢いのまま、葉月は斧を振り下ろす。斧はまた両足首に当たり、その勢いのまま脛骨をへし折り、切断しそうなほどにその刃を食いこませていた。身体が千切れそうなほどの痛み、生温かい血の感触。想像以上の激痛に、プライドも何もかもかなぐり捨てて、あやめは必死で命乞いをしていた。

 

「痛い! 痛いッ痛いッ! お願い、真田さん! もう止めてぇ!!」

 

 命だけでも助けてもらおうと、地面に這いつくばりながら懇願する。それが叶う可能性が低いだろうという冷静な思考は、もうあやめの中には存在しなかった。助けて。生きたい。こんなところで死にたくない。官僚一家のプライドも仮面もかなぐり捨てた、もはや生に対する執着だけで放たれた言葉だった。

 

「……やだね」

 

 あやめの言葉を、葉月はその一言で一蹴する。そして、再び斧を振り下ろしていた。今度はそれが下腹部に当たる。骨がきしみ、肉が裂け、大量の血が噴水のように飛び出す。意識が飛んでしまいそうなほどの激痛。もういっそのこと、このまま止めを刺してほしいとすら思う。それでも、あやめは命乞いを続ける。わずかな可能性に縋りつくかのように。

 

「嫌ぁ! お願いお願いお願い!! 私が悪かったわ!! 謝るからッ!! だから助けてッ! 許してぇ――!!」

 

 あやめの懇願を意に介さないかのように、葉月は斧を振り下ろし続ける。そのたびに、断末魔の叫び声を上げそうなほどの激痛が全身をかけめぐる。もはや、抵抗する気力も手段もない。わずかな可能性に縋りつくかのように命乞いをすることしか、今のあやめにはできなかった。

 

「お願いッ……! お願いッ……! もう……許して……」
「死んじゃえ……! 死んじゃえ……! 秋奈ちゃんの仇……! 秋奈ちゃんが苦しんだ分……! 秋奈ちゃんが痛かった分……!」

 

 その叫びも届かず、何度も何度も斧で斬りつけられる。何度斬りつけられたのか、もうあやめには分からない。次第に声を発する気力は失われ、それに合わせるかのようにどんどん身体の感覚も失われていく。なのに、なぜか痛みだけが消えてくれない。確実に近づいてくる死に怯えながら、止むことのない葉月の行為に心から恐怖を感じながら、あやめは一筋の涙を流していた。

 

――私は……こんなところで死ぬべき人間ではないのに……! プログラムで優勝して、将来は総統様のお傍で仕えるはずだったのに……! なんで……こんな人にッ……!

 

 心臓の鼓動が止まるのが先か、意識がなくなるのが先か。それはあやめ本人にも分からない。最期まで激痛が止むことはなく、そして死ぬことへの恐怖を明確に感じながら、あやめはゆっくりと生命活動を停止させていった。戦闘で負けたわけではない。誰かにこの国を将来を託したわけでもない。ただ一方的に蹂躙され、自身が見下した狂人に命を奪われるという、おそらく本人の最も望まない形で。

 

 あやめが死んだ後も、もはや誰であるかすら分からない状態になるまで、葉月は斧を振り下ろし続けた。もはやただの肉片に近い状態に変えられてしまうまで、その行為が止むことはなかった。ただ斧を振り下ろす音と、肉が潰れるような音。誰もいないその空間には、しばらくの間その無機質な音だけが響いた。

 その音が止んだ頃には、顔に降りかかった生温かいはずの血も冷えて固まっていた。けれど、そんなことは今の葉月にはどうでもよかった。

 

「秋奈ちゃん……」

 

 血で濡れた斧から、ようやく葉月は手を離す。そのまま、近くに倒れている秋奈の元へと歩み寄る。たった今までなぶり殺した相手のことなど、もはや葉月の頭には欠片も残っていなかった。目の前にある大好きな赤も、自身を彩る真っ赤な血も、それが綺麗かどうかすらも、今の葉月にはどうでもよかった。

 

「仇、取ったよ……。ねぇ、褒めて……。葉月のこと、頑張ったねって……いつもみたいに褒めてよ……! 秋奈ちゃんッ……!」

 

 目を見開いたまま死んでいる秋奈の遺体の傍らで、葉月はずっとそう呼びかけていた。その言葉に、もちろん返事は返ってこなかった。

 

女子3番 小山内あやめ 死亡

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