「はーい! 午前零時になりました! 今から五回目の放送を始めまーす!」
ああ、もうそんな時間か。そう思い、橘亜美(女子12番)は、まどろみかけていた意識を現実へと引き戻し、すぐに名簿と地図を取り出した。ほぼ無意識のうちにそんなことをしている自分に少しだけ不愉快さを覚えたけど、そんなことを考えたところで意味はない。現実問題として、放送は聞かなくてはいけないのだから。
「まずは、今回の退場者の発表でーす! 男子3番、小倉高明くーん。女子4番、小野寺咲さーん。女子17番、籔内秋奈さーん。女子3番、小山内あやめさーん。以上四名です! なので、残りは十五人となりまーす!」
呼ばれた名前を順調にチェックしていく。前回の放送に比べて、心の乱れが少ない。呼ばれた人間には悪いが、こちらとしては影響のない内容だったからだろう。
「続いて、禁止エリアの発表でーす! 一時からF-3、三時からA-4、五時からC-2となりまーす! では、寒さに気をつけて過ごして下さいね。放送を終わりまーす」
そこで、プツリと放送が途絶えた。順調に禁止エリアのチェックまで終えてから、今自分がいるエリアが入っていないか確認する。そして関係ないことを理解してから、ふと思った。今の放送は、今までの放送とは何かが違うのではないかと。
――というより、今回はやけに無駄に明るい声だったというか……無理して出していたような……
これまで明るく元気に聞こえていた声が、今回は一際声のトーンが上がったような気がした。そしてそれは、単純にテンションが高いからというより、努めてそうしているような印象が強いように感じた。もちろん、今の放送を聞いただけでは分からなかっただろう。何度も聞いているからこそ、気づくことができる。それくらい、微妙な変化だった。
――もしかして、担当官も……私たちとあまり変わらないのかもしれない……。まぁ……そんなことが分かったところで、今の私にはどうしようもないけどね……。
そこまで考えたところで、思考を中断する。首を動かし、空を仰いだ。既に暗くなった空には、たくさんの綺麗な星が瞬いている。これを綺麗だと思える精神的余裕がある以上、自分はまだ大丈夫だろう。
『綺麗だという感情を、決して忘れてはいけないよ。それは、人にしか持ちえない美しいものだからね』
これも、以前父が言っていたことだ。毎日毎日同じ仕事を続けて、それが一日の大半を占めていた父も、時折空を見ては「綺麗だなぁ」と呟いていた。その時の父の表情は、全てを受け入れる優しさに溢れているようで、亜美はその表情がとても好きだった。
だから、今こうして空を見上げる。遠く離れている父に、少しだけ近づけるような気がするから。
――私は、まだ生きている。帰れるかどうかは……正直分からないけど、まだ生きている。怪我もしてない。まだ……私は生きて帰ることができる。帰れる可能性がある。
残りは十五人。単純に考えれば、十五分の一の確率で帰ることができる。自分以外の十四人が死ねば、帰ることができる。途方もない数字ではない。不可能ではない。その気になれば持っている銃を使って、自分自身でその確率を上げることだって可能だ。
――でも、私はそれをしない。変、だよね? 帰ることだけを考えるなら、プログラムに乗るべきなのに。私は、最初からみんなを殺して回ることを考えていない。
生きてほしいと言ってくれた両親のことを思えば、人を殺してでも帰ることを考えなくてはならない。いや、そうであるべきなのだ。それでも、その選択肢を選ぶことができないのは――
――それを二人がを望んでいないって、痛いくらいに分かっているから……なのかな。
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亜美の両親は、プログラムで大切な人を失っている。父は従兄弟、母は親友。どちらも親しくしていた大切な人だったという。それを聞いたのは、私立を受験してほしいと頼まれたあの日だ。
『私たちはね、それで知ったんだよ。プログラムとは、とても怖いものだと』
両親自身は、プログラムに選ばれなかった。けれど、プログラムで身近な人を失った。それだけでも、恐怖を感じるには十分だっただろう。当時の両親がどんなことを思ったかは、正確には分からない。その心中を推し量るには、亜美はあまりにも知らないことが多すぎる。
そしてその傷を抱えたまま二人は成長し、大人になった。父は中小企業に何とか就職し、母とはそこで出会ったそうだ。いつ互いの過去を話したのか、それは亜美にも分からない。けれど、似たような傷を持つ二人が惹かれるのに、そう時間はかからなかっただろう。
最初は、結婚するつもりはなかったという。結婚すれば、いずれは子供のことを考えなくてはならない。欲しくないわけではない。ただ、怖かったのだという。その子供が成長して中学三年生になったとき、プログラムに選ばれたらどうしようと。
けれど、結果的に二人は結婚した。きっとその間、幾度となく話し合いをしただだろう、そして、並々ならぬ覚悟でその選択をしたのだろう。その証拠に、二人は結婚式を挙げなかった。幸せの絶頂というより、苦難の道を選んだと理解したからだろう。
その二年後、亜美が生まれた。生まれたあの日、父はこんなことを思ったという。
『お前が生まれた時、とても幸せだと思ったよ。これから訪れる苦難を理解していても、あの瞬間は確かに幸福を感じていたんだ。そして、何があってもお前を大人になるまで守っていこうと、お母さんと話したのだよ』
それから二人は、必死で仕事をした。いつか来る日のために、この頃からできるだけお金を貯めるようにしたという。そして、どうすればプログラムに選ばれなくてすむか。あらゆる手段を使って調べ、ようやく福岡では私立が選ばれていないことを知った。
『もちろん。それが確実ではないことは分かっている。けれど、もし本当にそうならば、賭けてみる価値はあるとね』
亜美が生まれてから五年後。その情報に偽りがないことを確認してから、両親は福岡へと移住した。知っている人は誰もいない、当ても何もない、思い切った決断だったという。
それからの暮らしは、亜美が見ても分かるくらいギリギリの生活だった。いくら共働きとはいえ、家族三人が満足に食べていくには、父も母も必死で働かなくてはならなかった。家族旅行どころか、一緒に過ごした休日も数えるくらいしかない。おそらく来たるべき時のために、できるだけ多くのお金を貯めていたのだろう。そうだとするならば、亜美が考えている以上に、肉体的にも精神的にもかなりの負担がかかっていたに違いない。それでも、二人は一度も弱音や愚痴を言わなかった。そこまで必死で働く理由を、こちらが疑問に思わせないほどに。まるでそれが、当たり前であるかのように。
そして亜美が小学六年生に上がる前、両親は全ての真実を話したのだ。
『無理にとは言わない。受験するのは、お前自身だから。ただ、私たちの気持ちだけは知っておいてもらいたいと思ったんだ。どの学校でもいい。いくつか資料をもらってきているから、自分で選びなさい。それと、いくつ受験してもいい。そのために、これまで蓄えてきたのだから』
その話を聞いてなお、受験しないなどと言えるわけがなかった。亜美は、その場で受験すると両親に告げた。
資料を見て、学校の偏差値も調べ、時にはクラスメイトの話を聞きながら、数か月の間ずっと考えていた。家からの距離、学校の偏差値、施設設備、できるだけ学費がかからないように特別な製度があるかどうかなど。亜美の通っていた寿小学校は、公立の小学校でありながら私立を受験するものも多くいたため、そういった話はいくらでも聞くことができた。また公立でありながら私立の受験対策もしていたため、わざわざ塾に行かなくても十分な傾向を知ることもできた。
そして、家から歩いて通えて、特待生の制度があり、自分の学力で特待生を維持できる青奉中学を第一候補に受験した。念のため、一つだけ滑り止めも受けた。合格するために一生懸命勉強し、体調管理にも気をつけたおかげか、二つとも合格することができた。
そして、亜美は特待生の一人として、青奉中学校へと入学することになった。もちろん、それで安心とはいえなかった。特待生から落ちないような努力、そして多忙な両親に代わって家事をこなす、受難の日々の始まりでもあったのだから。
それでも、あのときの両親の顔は、これまでの苦労が報われた時に浮かべた安堵の表情は、今でも忘れられない。
『ありがとう。これでやっと、安心して生きていける』
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大切な人がいなくなる怖さ。悲しみ。それを、両親を通して知っている。だからこそ、そうすることができない。誰かを殺せば、その誰かを大切に思う人が悲しむ。その痛みを知っているのに、それをすることができるほど非情にはなれない。そして、それは両親も望んでいない。そのために、プログラムに選ばれない方法を必死で探していたのだから。
けれど、結果的には選ばれてしまった。選ばれてしまった以上、最後の一人にならない限り、死ぬことになる。手を汚さずに帰れるほど、きっとここは甘くはない。帰るには、誰かを殺して、その確率を少しでも上げるべきだろう。
でも、できない。死ねない理由も、生きる目的も、帰る場所もあるのに、生きるための選択肢を選べない。両親が望んでいないからだけではなく、亜美自身もそうすることができないからだろう。
――私、選ぶ学校……間違えたのかな……? 特待生制度のある学校は他にもいくつかあったし、自転車を使えば家から通える学校もたくさんあった……。この学校を選ばなければ、こんなことにはならなかった……。
そんなことを考えたところで、過去は変えられない。知っていれば、もちろんここを受験などしなかっただろう。そんなことも、選ばれた今だからこそ言えること。それでも、申し訳なさと罪悪感で胸が押しつぶされそうなほどに痛い。両親の気持ちを、努力を、全て無駄にしてしまったのだから。
――それにしても、なんでだろう……。今年初めて私立が選ばれて、それがよりによってこの学校の、このクラスだったのかな……。学校からしても、かなりの損失だと思うんだけど……。なんで……学校側は受け入れてしまったんだろう……。
そんなことを考えたところで、どうにもならないことは分かっている。それに、今さら取り消すことなどできない。取り消すには、余りにも多くの命が失われてしまった。それでも、考えてしまう。現実逃避なのか、少しでも受け入れるように理由を見つけたいのか。
特進クラスというのも、いわば学校の期待を背負った者が集まったクラスだ。私立の一つのウリとして、有名進学校への合格率というものがある。佐伯希美(女子7番)や澤部淳一(男子6番)くらいになれば、県内で一番の進学校に合格することもできるだろう。亜美自身は差し置いても、特待生レベルともなれば、学校の選択肢は幅広い。将来入学してくる者への宣伝材料として、そういったことは欠かせないはずだ。現に、亜美の見ていた資料にも、そういったことは丸々二ページ使って紹介されていたのだから。
政府からの要請であるプログラムを拒否することなど、一私立校ができるはずもない。なら、青奉中学が対象校をいうのは、変えられない。そして、一組が特進クラスというのは、おそらく創立したときから決められている。プログラムに選ばれたからといって、それを変えてしまっては生徒たちに疑念を植え付けてしまう可能性がある。それができないのも無理はない。なら、特待生である自分がここにいるのは、ある意味必然なのだろう。なら、選ばれた時点で、こうなることは決まっていたのだろうか。
――そもそも……対象クラスはいつ決められるの……? 直前? それとももっと前? もしかして、私たちが三年生になる前には決まっていたり……
ふと浮かんだ疑問に自問自答していくうちに、背筋がゾクリとした。もしかしたらと、顔を覗かせた最悪の可能性。それが、亜美の心にある疑念をもたらしていた。
――もし本当にそうだとしたら……あの大幅なクラス変更も納得できる。それに、特進クラスという名目も保てるし……。でも、そしたら私たちは……。いや、私はまだいい。どちらにしても結果は同じだし。でも、今年初めて特進クラスに入った人たちは……?
そうやって考え事をしていたところ、いきなりバサバサッという鳥たちが一斉に空へと羽ばたく音が聞こえた。あまりに大きな音だったせいか、一瞬驚いてビクンッと身体が小さく跳ね上がってしまった。慌てて周囲を確認するが、誰かが来た様子はない。
――……ダメだ。今そんなこと考えてたって仕方ない。まずは、自分の身の安全を確保しなくちゃ。ちゃんと目的を果たすためにも。
誰もいないことに安堵したものの、これ以上ここにいるのは得策ではないだろう。いくら夜で見つかりにくいとはいえ、無防備に座っているわけにもいかない。寒さの問題もあるのだから、今夜はどこかの民家で休むのが良いだろう。人探しは、明るくなってからの方がいい。
――マシンガンの音は、しばらく聞こえていない。深夜はそんなにみんな動かないと思うし、やる気の人間もどうやらこの時間は休むみたい。前回でも、呼ばれたのは弓塚くんだけだったし。ここは、私も少し休ませてもらおう。
静かに立ち上がり、移動を開始する。今いるのは、C-5。どうせ東の方には行けなくなってしまったので、西の方へと移動しながら、休息できるところを探してみよう。その間に、探し人に会えるかもしれない。
まだ死なない。可能な限り、生きてみせる。生きなくてはいけない二つの理由が、私の中に存在する限りは。
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