正体不明の来訪者

 

 鳥の鳴き声すら聞こえない静寂。プログラムが行われているとは思えないほど、とても穏やかな状況だ。先ほど確認した探知機にも、自分たち以外の反応はない。このまま眠ってしまっても、何事もなくゆっくり熟睡できるではないかと錯覚してしまう。もちろん、現実問題としてそんなことができるわけがないのだが。

 ほんの少し前にあった第五回目の放送を全員で聞き、死亡者と禁止エリアを確認した後、決まっていたサイクル通りに見張りを交代した。今起きているのは、引き続き見張りをしている宮崎亮介(男子15番)と、つい先ほど交代した広坂幸治(男子13番)だ。

 

「三時間じゃ、全然寝れねぇよ……」

 

 起きてから、幸治はずっとこんな調子で文句を言っている。ここに来た当初は、普段話さない亮介たちに多少は遠慮したような態度を取っていたけど、今ではもう慣れたのか、こんな小言も言うようになった。最初こそは気遣って声をかけてはいたものの、今は完全に聞き流している。いちいち相手にしても、仕方ないと理解したからだ。

 

――俺はまだいいけど、淳一はイライラするだろうなぁ。現に、休憩から戻ってきたとき機嫌悪かったし……。

 

 今は奥で休んでいるはずの澤部淳一(男子6番)のことを思い、少しだけため息が出た。幸治を引き入れることを説得したのは、他でもない亮介だ。淳一は何も言わなかったが、申し訳ないなと思った。死なせないとは決意したものの、こういった言動はさすがに予想していなかったので。

 幸治にしても、生死のかかったこの状況において、精神的に参っているからそんなことを言ってしまうのだろう。亮介たちと違ってほぼ丸一日、たった一人で過ごしてきたのだ。こちらが考えている以上に、疲労は溜まっているはず。それを考えれば、三時間程度の睡眠で回復などできるわけがない。

 かといって、休憩を延長することは難しい。幸治との二人きりはそれなりに神経を使うので、六時間ずっと一緒はさすがに遠慮したい。それなら、一人で見張りをする方がマシだ。けれど休憩二人、見張りを一人にするわけにもいかない。幸治を引き入れることを提案したのは亮介自身だが、隣で安心して寝ていられるかと言われると難しい。そう思ってしまうくらい、彼のことをよくは知らない。それに――

 

『は、雅人? 知らねぇよ、あんな奴』

 

 あのときの幸治の発言が、亮介の不信感に拍車をかけている。須田雅人(男子9番)のような誠実で優しい人物を、“あんな奴”と軽んじるようにあっさり言ったことが。

 亮介の記憶では、雅人と幸治は友達だった。何かと忙しくしていた雅人が、合間の時間を一緒に過ごしていたのは、まぎれもなく幸治と、もう一人の友達である有馬孝太郎(男子1番)だった。そのときは三人とも楽しそうに笑っていたし、何かグループを組むときは必ず一緒だった。だから亮介は、この三人は友達なのだとずっと思っていた。いや、淳一も同じことを思っていたはずだ。『ダチである須田のこと』と、あの時確かにこう言っていたはずだから。

 友達というものは、あんなに簡単に切り捨てられるものだろうか。それとも、同じ友達というカテゴリに属していても、その中で優劣が付けられるものなのだろうか。淳一以外にはっきりとした友達がいない亮介は、その感覚を理解できそうにない。いや、友達とまでは言えなくても、割と親しかった弓塚太一(男子17番)のことだって、“あんな奴”だなんて絶対言えない。

 

「なぁ、宮崎」

 

 そんなことを考えていたら、隣の幸治が話しかけてきていた。最初に一緒に見張りをしたときは互いに沈黙したままだったので、こうして二人きりで会話をするのは、学校生活も含めて初めてだ。

 

「な、何?」
「お前さ、なんで澤部なんかと一緒にいるの?」

 

 “なんか”と言われたことに多少なりとも腹が立ったが、それを表には出さないように努め、相手の顔は見ずに返事をした。

 

「だって、淳一は友達だから……」

 

 理由を問われれば、こう答える以外にはない。そして、それ以上の理由はない。危険を顧みず、淳一はわざわざ学校に戻ってきてくれた。大した取り柄のない亮介と、ずっと一緒にいてくれている。これ以上、一体どんな理由が必要だというのだろう。

 

「あんな奴と? だって、あの澤部だぜ? いつ裏切られるか分かったもんじゃねぇじゃん」

 

 そんな亮介の気持ちを知ってか知らずか、幸治はあっさりとそんなことを言う。一瞬だけカチンときたけど、そこはグッと抑えた。ここで言い争いをしても、いいことは一つもない。

 

「それは絶対ない。大丈夫」

 

 色々言ってやりたいと思ったが、言ったところで幸治が理解してくれるとも思えないのでやめた。時間が経てば、きっと淳一の悪い印象も、少しは払拭されるだろうと思ったからだ。百聞は一見にしかず、というやつで。

 

「そうかぁ……?」

 

 亮介がそこまで断言できることが理解できないのか、心底不思議そうに幸治はそう言った。そして少しの沈黙の後、大きくため息をつき、ポツリとこう呟いていた。

 

「孝太郎……今どこにいるんだろう……」

 

 幸治の口から出たのは、彼の友人である孝太郎の名前。ここに来ることを心から願っているのか、まるで神様にお参りするかのように、真剣にそう呟いている。

 

『孝太郎は別だよ……。孝太郎だけは絶対に信じられる。孝太郎だけが、俺の友達なんだ』

 

 ここに来たとき、幸治はか細い声でそう言っていた。その言葉を聞いたとき、亮介は一種の危うさを感じていた。それは、このチームに多大な影響を及ぼしかねない、一種の懸念材料とも呼べるもの。

 

――俺に言えた立場ではないけど……、広坂は、どうにも有馬に対する執着心が強いような気がする。

 

 確かに、幸治はいつも孝太郎と一緒にいた。雅人が何かと忙しくて席を外していたときも、その二人はいつも一緒だった。そして、幸治は何においても孝太郎を通していた印象が強い。けれど、今一緒になって、幸治とこうして二人で話していて思う。孝太郎しか信用できない。友達は孝太郎だけ。それは、幸治の世界の大部分が、有馬孝太郎という存在で占められているのではないのかと。もっと言えば、幸治は彼がいないと、生きていけないとすら思っているのかもしれないと。

 今は、まだいいのかもしれない。放送で呼ばれていない以上、孝太郎が生きている可能性は高い。生きているという希望が持てれば、それを糧に自身を保てる。けれど、もし次の放送で彼の名前が呼ばれてしまったら、果たして幸治は平静を保っていられるのだろうか。

 

――俺だって、淳一が死んだときのことを考えると、吐きそうになる。広坂は、その点に関してはきっと俺以上だ。もし、知らない間に有馬が死んでしまったら、普通でいられるわけがない。

 

 そうなったら、幸治はどうなってしまうのだろう。悲しむだろうし、殺した相手を憎く思うだろう。殺した相手に復讐しようと言い出すのかもしれない。そこまではいい。ただ、もしその延長線上で混乱し、絶望し、その感情を見境なく周囲にぶつけるとしたら? その相手が、今近くにいる自分たちだとしたら? それで、もし淳一が殺されそうになったとしたら?

 

――もしそんなことになったら、最悪広坂を……

 

「宮崎? どうしたんだよ?」

 

 考え事をしていた亮介の耳に、幸治の間の抜けたような声が届く。いつのまにか、考えこんでしまっていたらしい。そして、同時に恐怖を覚えた。最悪の可能性を想定し、それをどう乗り切るかということを、何の躊躇いもなく考えてしまう自分自身に。

 

「い、いや……何でもない。ちょっと考え事」

 

 悟られないように、わざと明るい声でそう答えた。答えながらも、マズイなと思う。自然とそういう方向へ思考が向いてしまうということは、ある意味この環境に順応していることになる。この世界に反抗しているはずなのに、いつのまにか思考は染まりつつある。

 気をつけなければ。

 

――ちょっと、落ち着こう。そうだ。もう一度探知機をチェックして……

 

 深呼吸をしてから、左手に持っていた探知機を確認する。探知機には元々バックライトが付けられているせいか、暗闇でも懐中電灯に頼ることなく使うことができる。スイッチを押し、そのバックライトを点灯させ、画面を覗き込んだ。自分自身を、少しでも落ち着かせるために。

 すると――つい先ほどまでなかった、自分達以外の人間の反応があった。ここから五十メートル先の南の方角。しかも、こちらに向かっている。

 

「誰か来る……」

 

 亮介がそう呟いたことで、幸治も状況は理解できたようだ。分かりやすく、椅子から転げ落ちたらしい。派手に倒れる音がし、視線を向ければ、床に尻もちをついているような格好になっている幸治がいた。

 

「ひっ……! ど、どうしよう……」
「ま、まだこっちに来るとは限らない。でも念のため、淳一を起こしてくる。広坂、探知機見といてくれ」

 

 そう言って、淳一が休んでいる部屋へ行こうとしたが、その前に幸治が亮介の腕を掴んでいた。それも、痛いと感じるほど強く。

 

「ま、待ってくれよ……。こんな鉄串一つでここにいろっていうのかよ? せめて、俺の銃を置いて行けよ……!」

 

 そう言って、亮介の右手にある銃をもぎ取ろうとする。確かに、これは幸治に支給された武器だ。けれど、彼がここに来てからは、その銃を一度も持たせていない。見張りの時も、淳一か亮介が持っている。

 

『広坂に銃を持たせるな』

 

 幸治が休んでいる間、淳一はそう条件を出した。そして、亮介もそれを了承した。おそらく、それが淳一の最低条件だったのだろう。いつ裏切るか分からない相手に、強力な武器を持たせるわけにはいかないと。

 強力な武器が目の前にあるのに、それを使わせてもらえない。頼りない鉄串一つしかないところでの、正体不明の来訪者。不安な気持ちは分かる。けれど、ここでその約束を破るわけにはいかない。幸治をなだめるかのように、亮介はこう声をかけた。それは淳一から聞いていた、もし幸治が銃を欲しがった場合のうまいかわし方。

 

「すぐ戻ってくる。それに、下手に持っていたら却って狙われるかもしれないから、こういうときは逆に持たない方がいい」

 

 そう言葉をかけた後、返事を待たずに淳一のいる部屋に向かった。不服そうな声が聞こえたような気がしたが、それは完全に無視した。

 

「じゅ、淳一……。ごめん、誰か来る……」
「お前が謝ることじゃないだろう」

 

 休憩する部屋のドアを開けると、淳一は既に起きていた。状況を分かっているのか、特に驚いた様子もなかった。

 

「銃はお前が持っているな。広坂は?」
「探知機、見ててもらってる。俺が見た時は、相手は五十メートル先の南にいた」
「分かった」

 

 そう言って立ち上がった後、すぐに淳一は見張りの部屋へと向かった。

 

「広坂。今、相手はどのくらい近くまで来ている?」
「え、えっと……」
「見とけって言われただろ。言われたことすらできないのか、お前は」

 

 そう言って淳一は、おろおろしている幸治から探知機を取り上げ、すぐさま反応を確認していた。

 

「マズイな……。もう目と鼻の先まで来てる。逃げたら、却って人がいると教えるようなものだ」
「来てるって……! ど、どうするんだよ!」
「とりあえず、その五月蠅い口を閉じろ。脳なしが」

 

 声量こそ抑えているものの、低くて凄みのある声に怯んだのか、幸治はすぐさま両手で口を塞いでいた。

 

「もしかしたらやる気じゃないかもしれないし、有馬の可能性だってある。少し様子をみよう……亮介」
「う、うん……」
「悪いが、お前がこの中で一番銃をうまく扱えると思う。それに、俺が出るよりかは、相手も話しやすいだろう。向こうが何かアクションを起こしてきたら、とりあえずお前一人で対応してくれないか。状況次第では、俺も出る」
「わ、分かった……。二人はどこに隠れるんだ……?」
「とりあえず、休憩する部屋にいる。会話が聞こえるように、ドアを少し開けておくから」

 

 そうやって会話をしていたところに、幸治が「ちょ、ちょっと待てよ……」と割り込んできた。

 

「あ、開けておくのかよ……! それじゃ、マシンガンの奴だったときどうする――」
「五月蠅いッ……!」

 

 矢継ぎ早に文句を言おうとした幸治の胸倉を、淳一が勢いよく掴んでいた。こちらが止める間もない、一瞬の出来事だった。

 

「黙れと言ったのが聞こえなかったのか……? お前のミスでお前が死ぬのは勝手だが、俺たちまで巻き込むな……!」

 

 そう言って、引きずるような形で幸治を奥の部屋へと連れていく。自然と、亮介だけがその場に残された。

 

――とにかく、物音を立てないようにしないと……。ここに俺たちがいること、相手は気づいていないのかもしれないし……

 

 仲間を作ろうとしているなら、必ず声をかけるなりのアクションがあるはず。仮にやる気の人間だったとしても、刃物なら亮介一人で何とかなるし、銃だとしても人がいるという確証がない限りは撃ってこないだろう。そういうことを気にしない輩だったらどうしようもないが、少なくとも亮介が足止めさえしていれば、淳一たちが逃げる隙はできる。

 そんなことを考えている間にも、距離は大分縮まっていた。探知機上では、もう亮介たちの点を重なりそうなほどに近いところにいる。幸治が来たときを思い出し、亮介はゴクリと唾を呑みこんだ。

 

 コンッコンッ

 

 目の前のドアから、二回ノック音。どうやら、いきなり襲われることはないらしい。しかし相手の出方が分からないので、とりあえず黙って様子を見ることにする。

 声をかけてきたからといって、信頼できるか分からない。しかし、相手の正体は分かる。なら、自ずと次の取るべき行動も見えてくるだろう。

 

「……誰か、そこにいるんじゃないのか?」

 

 しばしの沈黙の後、声が聞こえた。そして、相手が誰かも分かった。亮介が次に取るべき行動を実行に移そうとしたとき、背後から誰かが飛び出してくる気配と、情けないくらい怯えきった大声がこの空間に響きわたっていた。

 

「こ……孝太郎ぉ!!」

 

 淳一の「おいっ! いきなり出て行くな!」という静止の声も、腕を捕まえて止めようとした亮介の手も振り切って、幸治は目の前のドアを強引にこじ開けていた。そこに置いてあったつっかい棒を、思いきりへし折るような形で。

 夜の闇に紛れるような形で、ドアの向こうに人がいた。開けた途端、幸治はこちらの断りもなく懐中電灯を点け、その相手を照らす。そこには、確かに有馬孝太郎が立っていた。眩しそうに目を細める、黒縁メガネが特徴的な人物。いつものように制服を綺麗に着こなし、そしてなぜか左の頬に大きな絆創膏を貼った、幸治の信頼するたった一人のクラスメイトが。

 

「幸治……幸治じゃないかッ!! よかった! 無事だったんだな!!」

 

 声で分かったのか。暗闇に紛れているはずの幸治の名を呼ぶ。そして、とても嬉しそうな顔で、縋りつくような形で抱きついた幸治のことを受け止めていた。

 

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