第六回目の放送

 

「はいはーい! みんな起きてますかー! 今から、第六回目の放送を始めまーす!」

 

 妙に機嫌の良さそうな大声が聞こえ、東堂あかね(女子14番)はゆっくりと足を止めた。随分長い時間移動していたような気がするが、実際は二時間ほどしか経っていないらしい。やけに乱れる呼吸を整えるために、一度だけ大きく息を吐いた。

 五木綾音(女子1番)の遺体を見つけてから、ほどなくしてその民家から離れた。しばらくはショックで動けなかったのだが、かといってずっとそこにいるのも耐えられなかったからだ。遺体に手を合わせてから、重い足を引きずるかのようにその民家を後にした。どこかの家に再び入ろうという考えはなく、当てもない移動をずっと続けていた。

 幸か不幸か、民家を出てからは誰にも会っていない。生きているクラスメイトにはもちろん、誰かの遺体にも。

 

「さてさて、まずは死亡者の発表でーす! 今回は……なんとゼロでーす! 死亡者はなし! 残りは変わらず十五人のままだよっ! いやぁ、みんな夜は休息って決めてるのかな? 規則正しい生活を送るよい子が多くて、先生は鼻が高いぞー」

 

 誰も死ななかった――。その事実が、少しだけあかねの心に火を灯した。よかった。夜の間は誰もいなくならなかった。まだ、細谷理香子(女子16番)須田雅人(男子9番)を探せる。辻結香(女子13番)を止めることだってできる。

 

――まだ、まだ希望はあるんだ。

 

「次は禁止エリアでーす! 七時からC-4、十時からH-2、十一時からD-1です。これから日も高くなるから、夜よりは動きが活発になるかな? 明るくなるから、周囲への警戒は忘れずにね! では放送を終わりまーす!!」

 

 急いで禁止エリアをメモし、今自分がいるエリアがF-4であること、そしてここは禁止エリアに関係ないことを確認する。そして、ふぅと一度だけ息を吐いた。

 

「理香子も、須田くんも、……結香もまだ生きている。もう少しだけ……もう少しだけ頑張ろう……」

 

 まだ、完全に希望が潰えたわけではない。友人もいる。信頼できる相棒もいる。禁止エリアのおかげで、探す範囲も狭くなっている。移動し続ければ、諦めなければ、必ず会えるはずだ。

 そう信じていなければ、またくじけそうになる。だから、かすかに見えた希望に縋りつくような形でもいい。それを糧に、また頑張ってみよう。諦めないでいよう。

 それで、まだここにいられるのなら。逃げずにいられるのなら。

 

「よしっ!」

 

 両手で頬をパンッと叩き、勢いよく歩き出した。一歩一歩踏みしめるかのように、しっかりとした足取りで。

 

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 そうして歩き出して一時間ほど経った頃、あかねの視界にはあるものが映っていた。次いで鼻が、何かの臭いを感知した。

 映っているのは、誰かが倒れている姿。感知しているのは、どこか嗅ぎ慣れてしまった鉄のような臭い。

 

「ま、まさか……」

 

 脳裏によぎる、最悪の可能性。違う、きっと寝ているだけだ。この臭いも、血の臭いなどではない。きっとどこかにそれらしいものがあって、それがここまで臭っているだけで――

 

「そ、そうだよ……。死んでなんかいないよ……。そ、そうだ! こんなところで寝ているなら、起こさないと……!」

 

 心の中で、おそらくその可能性はないと分かりつつ、それでも一応確認しないとという妙な義務感から歩を進める。それが、また自分自身を追い詰めるかもしれないと、心のどこかで分かっていながら。

 一歩踏み出し、両足をそろえて立ち止まる。また一歩踏み出しては、同じように立ち止まる。躊躇いつつも、そうやって移動していれば、自然とその人物に近づいていくことになる。

 

「えっ……」

 

 近づいていけば、遠目では分からなかったその人物の詳細が明らかになる。少し立ち止まって、しばしの間凝視した。肩より少し長いくらいの髪。学校指定のリボン。身長は、あかねより低いだろうか。全体的に少し華奢な印象を受ける。

 

 また一歩、近づく。遠目では分からなかったその人物の惨状が明らかになり、鉄の匂いがより一層きつく感じられた。

 

 真っ赤に染まった制服。まるで投げ捨てられたかのように、ダラリと伸ばされた細い腕。胴体には無数の穴が開いており、既に出血は止まっているせいか、傷口は完全に固まっている。これは撃たれた衝撃のせいなのか、所々千切れたかのように皮膚や肉が一部欠けていた。そして皮膚の色も、唇の色も、生前とはまったく異なる色へと変化している。その姿は、なぜかボロボロになった雑巾を思い起こさせた――まるで用済みであるかのような、あの布切れのことを。

 顔は、血で汚れている。目は、完全に見開かれている。口は、何か叫んだかのように大きく開かれている。その瞬間で時が止まったかのように、その形相はまるで崩れる気配がない。

 顔を見れば、それはよく知っている人のもので、毎日のように見ていた顔で、いつもは笑顔で彩られていた友人のもので、それが何を意味しているのか――分かっていても理解したくなくて。

 

「の、希美……?」

 

 そこに倒れていたのは、佐伯希美(女子7番)。大好きな友人の一人。どんな状況でこうなったのか、想像するに固くない。夜の間に見つけた綾音とは、まるで対象的な凄惨な遺体。

 綾音は穏やかな表情で、顔に血は一滴も付いていなくて、見る限り身体も綺麗だった。そして何より、こんな形で放り出されてなどいなかった。だからこそ、寝ているのではないかと錯覚するほどだったのだから。

 それに対して希美は、もう死んでいることどころか、誰かに殺されたことが一目で分かるほどに凄まじい状態だ。おそらくマシンガンらしきもので何度も撃たれて、すごく痛い思いをして、誰にも弔ってもらえないまま、丸一日放置されている。それが、綾音のとき以上の衝撃をあかねに与えていた。

 

「こ……こんなの……」

 

 希美の表情を見れば、彼女がどれだけ悔しい思いをしたのか。いつも笑顔で、明るくて、ムードメーカーだった彼女が、殺されたときどれだけ辛い思いをしたのか。希美の人となりを知っているあかねには、痛いくらいに理解できてしまった。

 温かい涙が、頬を伝う。今度は遺体を見た衝撃よりも、希美の無念さを思って涙が出た。こんな形で命を奪われて、こんな寒空の下に放り出されて、ずっと一人ぼっちで――

 

「こんなの……。こんなのひどすぎるよッ……!」

 

 命を奪われるだけでもひどいのに、こんな風にボロボロになるまで痛めつけるなんて、あまりにもひどすぎる。希美は、絶対にプログラムになんて乗らない。誰かを殺そうとするような子じゃない。なのにどうして、こんなひどい目に遭わなくてはいけないのか。彼女が、一体何をしたというのか。

 そのとき、どうして自分はここにいなかったのか。彼女を救うことができなかったのか。この島のどこかにはいたはずなのに、どうして生きているうちに会うことが叶わなかったのか。

 もし会えていたら、間に合っていれば、こんなことにはならなかったのに――。

 

――きっとすごい痛い思いをして……。めちゃくちゃ悔しい思いをして……。希美がこんなひどいことされていたとき……私はそこにいなくて……。何もできなくて……! 私が……希美を見つけてさえいれば……! 助けることができれば……!

 

 どれだけ後悔しても、もう希美には何もしてあげられない。時間は決して戻らず、過去を変えることはできない。どれだけ願っても、死者が生き返ることはない。それができるなら、きっとどんな代償だって払うだろう。けれどそれは、たとえ自分の命を差し出しても叶わないことなのだ。

 だから、せめて抱きしめてあげたい。こんな寒いところに放り出された希美の身体を抱きしめて、見つけられなくてゴメンね、死なせてゴメンね、こんなところに一人ぼっちにさせてゴメンねと言いたい。少しでも天国にいる希美に届くように、できる限りの思いをを込めてそうしたい。

 けれど、なぜか身体はまったく動かなかった。本能的にこれ以上近づいてはいけないと、その遺体に触れてはいけないと。意志に反して、身体は全力で拒絶している。

 

「希美……希美……」

 

 大切な友達なのに。大好きな友人なのに。どうして、そんなことすらできないんだろう。どうして――

 

「希美ぃ……」

 

 名前を呼ぶことしかできない自分。何もしてあげられない自分。そんな自分が歯がゆくて、思わず唇を噛みしめた。ほどなくして、口の中に鉄の味が広がる。生温かい血の味。唇に手を触れれば、真っ赤な液体が指に付いていた。希美の周りに大量に散らばっているものとは違う、新鮮な血液が。

 たったそれだけのことなのに、その事実が希美と自分の距離を示しているかのようで、また涙がこみ上げてくる。

 

「なんで……なんでこんなことに……」
「あかね……」

 

 前方から聞こえる、凛とした声。それは、紛れもなく自分以外の誰かが発したもの。今も生きている人間の口から、紡がれた言葉。

 顔を上げる。希美の身体を挟んだ少し向こう側に、自分と同じ制服を着た人がいた。自分とは違う青いネクタイ。キッチリ結ばれたポニーテール。綾音と似ているその髪だけど、彼女とは違ってサイドの髪が下ろされている。

 

「理香子……」

 

 そこにいるのは、探していた人。まぎれもない、大好きな友人。生きて会いたかった、大切な友達。

 ああ、良かった。ようやく会えた。ずっと会いたかった人に会えた。互いに生きている状態で会えた。今こうして私の名前を呼んでくれる、大切な友達に。名前を呼べる、大好きな友人に。

 

「理香子……。理香子……。良かった……会えてよかったよぉ……」

 

 少し離れたところに立っている理香子の姿を見て、あかねは心から嬉しく思った。そのせいか、ボロボロと涙がこぼれていた。先ほどとは違う、安堵と喜びの混じった涙が。

 その彼女が、どこか辛そうな表情をしていることには――少しも気づけないまま。

 

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