「理香子、よかったぁ……。無事で……ホントによかったよぉ……」
東堂あかね(女子14番)は、少し離れた前方にいる細谷理香子(女子16番)の顔を見ながら、心の底から安堵した。次々と人が死んでいく中、会いたかった友人に会えた。辻結香(女子13番)と違って、こうして名前を呼んでくれる。きちんと目を見て話してくれる。当たり前だったはずの些細なことが、今はとても嬉しい。
見る限り、理香子に大きな怪我はない。多少制服に血がついているが、それ以外は比較的綺麗なままだ。ややきつめの切れ長の目が、今はしっかりあかねを捉えてくれている。いつもの理香子だ。ちょっと口うるさいけど、きついことも遠慮なく言うけど、友達思いで優しい理香子のままだ。
普段と変わらない理香子の姿に安堵したあかねは、そのまま彼女の元へ駆け寄ろうとした。
「来ないで」
その刹那に発せられた、拒絶の言葉。その声色の冷たさに、条件反射のような形でピタリと足が止まる。
「えっ……? 理香子なんで……」
「どうしてなの……? どうして、いつもいつも……」
思わず口から出た疑問に、答えは返ってこない。視界に映る理香子は、何かブツブツと呟いている。
「どうして……会う人会う人みんな友達ばかりなの……? 私に対する罰ってことなの……?」
理香子の言っている意味が、あかねにはまったく分からない。罰とは――どういうことなのだろう。
「り、理香子……」
いつもと違うただならぬ理香子の様子に、あかねは恐る恐る声をかける。その声に、少々不機嫌そうにではあるが、理香子は「……何?」と返答をしてくれた。答えてくれたのに、こちらの方を向いてくれているはずなのに、今は少しも喜べないのは――なぜだろう。
「ねぇ……罰って何? どういうこと?」
先ほどの言葉が気になって、その疑問をそのまま聞いてみる。すると、理香子は、こうはっきりと口にしていた。
「あぁ……聞こえていたの……。相変わらず、耳がいいのね。あかねは」
その言葉に、なぜか言いしれぬ敵意を感じた。結香とも、小山内あやめ(女子3番)とも違う敵意を。
「ねぇ、知りたい? 罰ってどういう意味か?」
口元を歪ませながら、理香子は逆にそう聞いてきた。その表情は、笑っているように見える表情は、今まで見たことがないほどに歪んでいる。どこか壊れた感じさえする、そんな危うい笑み。
背筋がゾクリとする。明らかに、いつもの理香子とは様子が違う。普段の理香子は、こんな表情をしない。まさか、結香みたいに復讐なんてものを考えているのだろうか。誰かを殺そうと、考えてしまっているのだろうか。
けれど、あの人はまだ放送で名前を呼ばれていない。その放送は、つい一時間ほど前にあったばかりだ。それから今までの間に死んでしまって、その遺体を理香子が見つけてしまったとすれば、復讐の可能性も有り得なくはない。ただ――果たしてその確率は、一体どれくらいなのだろう?
「ねぇ、あかね。あんたはきっと……いいえ、間違いなく誰も殺していないわよね。それに、殺そうとも思っていないんでしょう?」
黙っているあかねに業を煮やしたのか、理香子が先に口を開いた。なぜかその言葉の端々に、こちらを嘲るような響きがあった。
「こんなの間違っている、クラスメイト同士で殺し合いなんてできるわけない。考えれば、必ず打開法があるはず。そう思っているんでしょう?」
その通りだったので、あかねは敢えて何も返答しなかった。その意図を理解したのか、理香子はそのまま話を続ける。
「それが、あんただもんね。平和主義で、博愛精神に満ちあふれていて、友達や周りの人を大切にする。だから、私みたいな人とも友達になってくれたんでしょ? ほっとけない性格だから」
「私みたいなって……! 私は、理香子のことそんな風に思ったこと……」
「じゃあ」
自分で自分を貶めるような理香子の発言を慌てて否定しようとしたけど、その言葉に被せるかのように、彼女はこう告げてきた。
「私が、香奈子と綾音を殺したって言ったら? あんたは私のことをどう思うの?」
あまりにも予想外で、あまりに残酷な言葉が、あかねの耳に届いていた。その言葉を認識するのにも、その内容を理解するのにも、かなりの時間を要した。それでも――信じられなかった。
「……嘘でしょ? 嘘……だよね……?」
「この状況で、嘘を言えるような人間だと思うの? 私のこと」
そう言ってこちらを見つめる目は、全身が凍り付きそうなほどに冷たい。その瞳の中に、あかねに対する殺意が見え隠れする。結香のときは違う、まっすぐで揺らがない殺意が。復讐に燃える結香とは対象的な、冷たく凍りつきそうな殺意が。
その言葉に偽りはないと、その瞬間理解した。それでも信じられなかった。信じたくなかった。
「だって……そんなことする理由……」
「理由? だって、これはプログラムよ。誰かを殺さないと、いつかはみんな死んでしまう。なら、こうするしかないでしょう?」
「それでも! それでも香奈子や綾音を殺していいわけないじゃん! なんでよ! なんでそんなことしたの?! 二人とも、理香子にとっては友達じゃなかったって言うの?!」
思わず口から出た本音に、理香子の表情が少しだけ苦しそうに歪んだ。張り付けたかのような歪んだ笑みが、少しだけ崩れる。
「……友達だったわよ。二人とも」
「じゃあ、どうして!」
「仕方ないじゃない! だって……だってこれはプログラムなのよ! 全滅しないためには、結局のところ誰かを殺すしかないじゃない! 一人は、生きて帰ることができるんだから!!」
歪んだ笑みが完全に崩れ、理香子の目からは涙がこぼれていた。理香子がこんなに泣くところを、あかねはこれまで見たことがない。こんなに感情を露わに、大声で喚く理香子の姿など、今まで一度だって見たことがない。
「私は……全員死ぬのだけは嫌……! なら、誰か一人を生き残らせたいと思って、何が悪いの! 最後の一人を選んで、そのために行動することの何がいけないの!!」
思わず吐露された理香子の本音。それを聞いた瞬間、あかねには理解できてしまった。理香子が、なぜプログラムに乗ってしまったのか。なぜ、鈴木香奈子(女子9番)と五木綾音(女子1番)を殺してしまったのか。
香奈子と綾音を殺している以上、理香子の選ぶ選択肢は一つしか考えられない。今も生きているあの人――理香子は、その人を生き残らせるためにプログラムに乗ることを選んだのだ。生き残ることのできる、たった一人の優勝者。その一人の枠に、その人を選んだのだ。だから、そうではない香奈子と綾音を殺した。
全ては、その人を優勝させるために。生きてほしい人に、これからも生き続けてもらうために。
それが分かった瞬間、あかねの目からも涙がこぼれていた。どうして、そんな辛い選択肢を選んでしまったのか。本当は理香子だって、そんなことしたくはなかったはず。人を――増してや友達を、殺したくなんてなかったはず。
「や、やめてよ……。そんなこと、あの人だって望んでいないよ……。だって、理香子が好きになった人だよ……。そんなこと望むような人じゃないって、理香子だって分かっているでしょ……」
「それでも……やるしかないの……! あの人に生きてもらうためには、あの人以外のみんなが、死ぬしかないんだから……」
「でも、それじゃ……。それじゃ、理香子も死ななくちゃいけなくなるじゃん……!」
そう。理香子の目的を達成するためには、あの人以外の全員の死が必要。その全員には、あかねだけでなく理香子自身も含まれている。つまり、あの人が優勝するためには、理香子も死ななくてはならない。生き残りの枠は、一つしかないのだから。
「私は、最初からそのつもりだから。あの人が生きて帰れるなら、私は死んだってかまわないから」
淀みない口調で、理香子はそう口にした。これまでで一番、はっきりとした口調で。これだけは決して揺らがないと、固く決意していることを証明するかのように。
「お願いよ、あかね。そこから動かないで。せめてもの情けで、できるだけ痛い思いをさせないようにするから――」
「なんでよッ!!」
苦しそうにそう告げる理香子の言葉を遮るかのように、あかねは大声で叫んでいた。それは違う。間違っている。そんなこと、あの人だって望んでいない。誰も望んでいない。理香子が少しでも考え直してくれることを願って、あかねは必死で声を張り上げていた。
「そんなことやめて! 香奈子も綾音も、あの人もそんなこと望んでない! 理香子にだって死んでほしくないって思っているよ! ねぇ、お願いだから考え直してよ!」
「もう無理なのよ! 私は、香奈子と綾音を殺した! 友達を二人も殺したの!! ううん。そこにいる希美にしても、ひかりにしても、知らない間に死んでいただけで、もし会えば同じように殺していたわ! 今さらなのよ……。今さらやめることなんてできないのよ!!」
違う。もう戻れないことなんてない。生きている限り、やり直せる。二人だって、それを望んでいる。みんなそう望んでいる。だから、そんなことしないで。誰かを、自分を、傷つけるようなことはしないで。
「そんなことない! 今からでも遅くない!! お願いだから、もうこんなことしないで! 本当は、理香子だってしたくないんでしょ? したくもないことを、無理にする必要なんてどこにもないんだよ!!」
「仕方ないのよ!! もう私には、こうするしかできないんだから!!」
そう叫び、理香子はポケットからナイフを取り出していた。鞘から抜かれれば、やけに綺麗な刃が姿を現す。おそらく、それが綾音と香奈子の命を奪ったのだろう。そして、このままいけば同じようにあかねの命を奪うのだろう。理香子の手によりナイフが身体のどこかを貫き、あかねの命を奪うのと同時にその刃が真っ赤に染まり、その血が彼女を汚してしまうのだろう。
けれど、今のあかねには自分が殺されるかもしれないという恐怖よりも、大切な友達の望まない凶行を止めることで精一杯だった。お願いだから、そんなことしないで。そのナイフで誰かを傷つけるように、自分のことを傷つけないで。あの人だって、そんなこと望んでいない。今なら、戻れるから。間に合うから。生きている限り、遅すぎるなんてことは決してないのだから。
パンッ!
大声で叫ぶ二人の声を遮るかのように、一発の銃声が轟いた。その銃声に驚いたせいか反射的に口を噤み、同時に尻もちをつくような形で地面に座り込む。理香子も驚いたせいか同じように黙り込んでいたが、その視線は銃声のした方向――あかねから見て右側へと向けられていた。
それに倣うかのように、あかねもその方向へと顔を向ける。そこには、一人のクラスメイトが立っていた。右手に今だ煙の出る銃を持ち、その銃を空に向けた状態から、こちらの方へと向きを変えながら。
あかねと同じ制服。あかねとは違う、青いネクタイ。肩につくくらいの長さの髪。理香子と似たような、切れ長でクールな目つき。その瞳からは、明確な“怒り”の感情が露わになっていた。
「何を、しているの?」
怒りのにじみ出た声で、二人から少し離れたところに立っている橘亜美(女子12番)はそう言った。
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