修羅の道を行く者

 

「そのまま、二人とも動かないで」

 

 有無を言わせない強い口調で、橘亜美(女子12番)はそう言った。その言葉に反応するかのように、東堂あかね(女子14番)は自身の身体が硬直するのを感じる。けれど、なぜか怖いとは思わなかった。それは、亜美の持っている銃があかねではなく、細谷理香子(女子16番)の方へ向けられているからなのか。それとも、彼女から明確な殺意を感じないせいなのか。正直なところ、よく分からない。

 状況的に不利だと悟ったのか、理香子も動かずじっとしていた。その視線は、銃を向けている亜美の方へと注がれている。おそらくその視界に、あかねの姿は映っていない。

 

「……何なの。橘さん」

 

 敵意むき出しの、今まで聞いたことのない冷たい声色で、理香子は亜美にそう聞いていた。亜美はその質問には答えず、静かに移動する。銃口を理香子に向けたまま、彼女から視線を決して逸らすことなく。あかねの前に立ち、壁になるような形で。そう、まるで、あかねのことを守るかのように。

 

――えっ……?

 

「東堂さん。怪我はない?」
「う、うん……」

 

 突然そんなことを聞かれたせいか、戸惑いを隠せないままそう答えた。亜美はその答えに安堵したのか、こちらを見ないまま「そう、良かった」と優しい声で呟いた後、今度は理香子のへと言葉を投げかけていた。

 

「で、これはどういうことなのかしら? 私の記憶に間違いがなければ、あなた達は友達だったはずだけど」
「……だから何? これはプログラムよ。友達とかそういうの……今は関係ないでしょ」

 

 痛いところをつかれたせいなのか、理香子はどこか不機嫌そうな声で答える。その声色には、まだ躊躇いがあるように思えた。ほんの少し。希望的観測に過ぎないかもしれないけれど。

 

「関係ない? よくもまぁ、東堂さんの前でそんなこと言えたものね」

 

 戸惑いを隠せない理香子とは対照的に、亜美の声には先ほどよりも怒りの感情が込められている。自分には向けられていないとは分かりつつ、少しだけ怖いと思ってしまった。先ほどは、そんなこと思わなかったのに。

 

「プログラムなんてもので壊れるくらい、あなたの友情は安いものだったと、そういうことなのね。東堂さんは、あなたのことを信じていたというのに」
「だから……それが何だって言うの?! だって、たった一人しか生き残れないのよ! なら、友達とかそういうの、ここでは関係ないでしょ?! 関係ないから、互いに殺しあえって、そういうことでしょ!!」

 

 動揺しているせいなのか、理香子は叫んでいた。溜め込んでいた感情を吐き出すかのように。目の前の亜美に、八つ当たりするかのように。普段の理香子からは、考えられないほどの大声で。

 

「まぁ、確かにそういうルールだけどね。だからといって、それにバカみたいに従うってわけ? そのためなら、何をしてもいいと? 傷つけても、裏切ってもいいと?」

 

 大声で叫ぶ理香子とは対照的に、亜美の声はとても落ち着いている。けれど、その言葉の中には、確かな怒りと侮蔑の感情が存在していた。感情のままに怒りをぶつける理香子とは違う、静かに燃える青い炎のような怒り。

 

「だから……だから何なのッ?! なんでそういうこと……あんたに言われなくちゃいけないのよ!! 友達もいない人に、そんな偉そうなこと言われたくはないわ! いつもいつも一人でいたあんたには!!」
「理香子ッ!!」

 

 思わず大声で、理香子のことを諌める。その言葉は、亜美に対してあまりに失礼だ。けれど、そんな理香子の暴言に、亜美が動揺や戸惑いを見せることはなかった。少なくとも、背中からは微塵も感じ取れなかった。

 

「だから……何?」

 

 淡々とした口調で、亜美はそれだけを口にした。そこには、何の感情もこもっていないように感じた。

 

「プログラムで失くすような友情なら、私はそんなものいらない。中途半端なのは、好きじゃないから」

 

 それだけを告げ、亜美は改めて銃の狙いを理香子に定めていた。それからしばらくの間、誰も言葉を発せず、にらみ合いのような状態が続く。しばしの沈黙の後、「ハッ……」という、どこか自嘲したような声が聞こえた。その主が理香子だと気づくのに、数秒を要した。

 

「……で、どうするの? その銃を撃って、ここで私を殺す? あなたにとって、私はただのクラスメイトだもんね。別に躊躇いとか、そういうのないでしょ?」
「そうね。私にとって、あなたはクラスメイトでしかないし、もはやその価値もないと思っているわ。そっちが殺す気満々なら、正当防衛にもなるしね」

 

 けれど、と付け足してから、亜美は続けてこう言っていた。

 

「私からすればそんな存在でも、東堂さんにとっては友達だろうから。だから、ここは見逃してあげる」

 

 思いもよらない言葉に、「えっ……?」という言葉が零れる。あかねのために、理香子を殺さない。それは少なからず、あかねのことを気遣ってくれているということ。ここで友達が死ぬところなど、見たくはないだろうと。たとえ正当防衛という形になったとしても、あかねが傷つくだろうと。少なくとも今の言葉からは、友達もいない冷たい人だなんて思えなかった。

 そんな亜美の言葉に、理香子からは何の返答もなかった。その表情も、亜美の背中に隠れてまったく見えない。だから今、理香子がどんな心情なのか、あかねには分からない。そこにもなぜか、言い知れぬ距離を感じた。

 

「……勝手に決めないで。あんたはどうか知らないけど、私としては、二人とも死んでもらわないと困るの」
「そう。でも、どう考えてもあなたの死ぬ確率の方が高いんじゃない? 私は銃を持ってるけど、あなたは見たところ刃物しか持ってないようだし。言っとくけど、今度殺そうとしたら、私は躊躇いなくあなたに向けて撃つわよ。頭のいいあなたなら、合理的に考えてどうするべきか分かるでしょ?」

 

 その言葉に先ほどよりも侮蔑の感情がこもっていたような気がしたのは、おそらく気のせいではないだろう。自身に向けられたわけでもないのに、亜美のことが少し怖いと思う。けれど、ここまで亜美が怒っているのは、裏切られた形になったあかねのためでもあるのだ。そう思うと、嬉しいような、悲しいような複雑な気持ちを抱いてしまう。

 こんな争いなんて、望んでいないのに。仮にも三年間同じクラスであった二人には、こんな風に敵対してほしくないのに。

 

「時には、退くことも大事だと思うわよ? このままでいても、いいことは一つもないものね。誰かやる気の人が来ないとも限らないし。あなたを撃った瞬間、違う人間に殺されるなんて私はゴメンだし」

 

 中々決断できない理香子に向かって、追い打ちをかけるかのように亜美はそう告げた。その口調は多少穏やかになっていたものの、どこか有無を言わせない威圧感のようなものを感じた。理香子がここで退かないなら、おそらく引き金を引くだろう。そう感じられるくらい、強い言葉だった。

 それが決め手になったのか、ナイフをしまいながら、渋々といった感じで理香子はこう答えていた。

 

「……確かにそうね。まだ十四人も残っているし、ここで怪我はしたくないわ。見逃してくれるなら、それに乗らない手はないわよね。合理的に考えるなら」

 

 だから、ここは退くことにするわ。という言葉に続いて理香子は、ハッキリとこう告げた。

 

「でも、次会ったときは二人とも殺すわ。それだけは、忘れないで」

 

 それだけを言い残し、ザッザッという足音が聞こえる。言いしれぬ焦燥感に駆られて、あかねは思わず立ち上がっていた。亜美の背中ごしに見える、理香子の後ろ姿。その背中に、どこか悲しさが漂っていたのは――気のせいだろうか。

 

「あかね」

 

 背中を向けたまま、理香子がポツリと名前を呼ぶ。先ほどまでとは違う、寂しそうな声で。その声に、なぜか心臓がキュッと締め付けられたような感覚を覚えた。

 

「その人の言う通りよ。私のことなんて、もう友達と思わない方がいいわ」
「理香子……」
「でも……これだけは伝えておくわ」

 

 そうして紡がれた言葉は、どこか遠くから聞こえたような気がした。

 

“友達になってくれてありがとう。おかげで、ここでの学校生活は楽しかったよ”

 

「香奈子の言葉よ。香奈子も綾音も、プログラムには乗ってなかった。香奈子は、生き残れないことを覚悟したうえで、この言葉を言うためだけにみんなのことを探してた。綾音は、香奈子やあなた達のために私と戦った。信じるかどうかは自由だけど、それだけは言っておくわ」

 

 それだけを告げ、理香子は歩き出していた。あかねや亜美から、離れる形で。誰にも頼らない茨の道を、一人で突き進むかのように。

 

――理香子……

 

 頬を伝うのは、温かい涙。結香と対峙した時とも、綾音の眠っているような遺体を見つけた時とも、希美の凄惨な遺体を見つけた時とも違う涙。説得できなかった無力さからでも、置いていかれる寂しさからでも、殺された時の痛みを思っての涙でもない。ただ――悲しい。そんな決意をしてしまった理香子のことを思うと、ただ胸が苦しい。

 

『あと一つだけ。誰もかれもは信用しない方がいい。きつい言い方になるけど、プログラムに乗る人間は確実にいる。もしかしたら、あかねの友達もそうかもしれない』

 

 これは、望んだ選択ではない。けれど、他にどうしようもなかった。誰よりも現実的で、誰よりもみんなが好きだったからこそ、選んでしまった道。罪も憎しみも、全てを一身に背負う覚悟で選んだ――修羅の道。

 

「東堂さん?」

 

 こちらを呼ぶ声で、ハッと我に帰る。気づけば、すぐ近くに亜美が立っていた。先ほどまでのような背中を向けた状態ではなく、正面から向き合うような形で。

 

「大丈夫……じゃないわよね」
「う、ううん……。大丈夫……。助けてくれて、ありがとう……」

 

 本当は大丈夫ではないけど、これ以上心配かけまいと咄嗟に嘘をついた。亜美は、あかねのことを助けてくれたのだ。感謝こそはすれ、これ以上迷惑をかけるわけにもいかない。ただ助けてくれただけで、あかねのために怒ってくれただけで、十分すぎるくらい救われたのだから。

 

「……本当は、大丈夫じゃないでしょ?」
「えっ……」
「そういう顔してるから」

 

 そう言って、亜美はスっとハンカチを差し出していた。綺麗にアイロンがかけられた、水色のハンカチを。

 

「私に全部吐き出せって言っても無理だろうけど、そういう無理はしなくていいから」
「無理……?」
「友達に殺されそうになって、友達の遺体を見て、ショックを受けないわけがないもの。あなたのような人なら、なおさらよ」

 

 労りの言葉。あかねの心中を推し量ってくれる、優しい言葉。その言葉で、また涙があふれ出していた。その涙が頬を伝うたびに、ずっと心のどこかにあった重りが溶かされていくような気がした。

 

『でも、乗らない人間もいるだろうから、そういう人たちを探して、一緒にいればいい』

 

 あかねの心中を察してくれたのか、亜美は少しだけ笑ってくれた。それは、無理をしたような笑みではなく、誰かを思う優しい笑み。どこかホッとしたかのような、安堵の笑み。

 

「とにかく、あなたに怪我がなくて良かったわ。私、東堂さんのこと探していたのよ」
「私を……?」
「まぁ、理由は後でじっくり話すわ。とりあえず、ここから離れましょう。威嚇のためとはいえ、撃ってしまったしね」

 

 そう言って、亜美はここから離れるように、理香子が歩いた方向とは正反対の方へ歩き出す。あかねは、自然とその後を追っていた。殺されるかもしれないという恐怖や、彼女を疑う気持ちは微塵も存在していない。命の恩人なのだから、疑うこと自体失礼だ。それに、こちらに用があるのなら、聞く義務がある。

 そうして数歩歩いたところで、希美のことが頭に浮かぶ。思わず足を止め、希美の遺体の方へと視線を向けていた。

 

――希美……

 

 その手を握れず、抱きしめることもできないまま別れるのは、とても申し訳ないように思えた。友達なのに、何もできないまま、こうしてただ去っていくのは、とても。

 けれど、同時にここにいることもできないと思った。亜美の言う通り、ここにやる気の人間が来るかもしれない。それに、ここにいても何もできない。その死を悲しむことはできても、いなくなってしまった希美にしてあげられることは――何一つない。

 

――ごめんね。何もできない、バカな友達でごめんね。助けられなくてごめんね。死なせてごめんね。

 

 希美の遺体から目を逸らし、亜美の後を追った。一度だけ振り返った亜美が安心したかのように微笑むのを見て、それでまた少しだけ救われたような気がした。

 

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