「交代の時間だ」
六回目の放送直後、そう言いながら澤部淳一(男子6番)が、広坂幸治(男子13番)と共にこの部屋へと入ってきた。入れ替わりで、先ほどまで横で眠っていた宮崎亮介(男子15番)が、部屋の外へ出て行く。亮介に続いて出て行こうとした淳一が、思い出したかのようにこちらの方を向いて、こう切り出していた。
「有馬、調子はどうだ?」
「あぁ、大分休めたよ。ありがとな。幸治のことも休ませてやりたいから、あと三時間はいてもいいか?」
「そうか。まぁ……それもそうだな。分かっているとは思うが、出て行くときは声かけろよ」
こちらの方を見ながら淳一はそれだけを告げ、見張りへと戻っていく。その後ろ姿を見ながら、有馬孝太郎(男子1番)は、フッと笑った。
――さて、この三時間が勝負かな。
見張りの順番の関係上、幸治と二人きりになるのはこれが初めてだ。三時間の間で、どれだけのことができるか。長いように思えるが、人一人の行動をこちらの意のままに動かすことを考えれば、決して余裕がある時間とは言えない。
全てはこの手につながる人形を、この三時間でいかにうまく操れるかにかかっているのだから。
「こ、孝太郎ぉ……」
ずっと見張りで疲れているのか。それとも、ようやく落ち着いて話せることに安堵しているのか。こちらが笑い出したくなるほど情けない声で、幸治は孝太郎の名前を呼んでいた。
「見張りお疲れさん。おかげで、けっこう休ませてもらったよ。六時間も見張りしっぱなしじゃ、幸治も疲れたろ。とりあえず休めよ。俺も、もうちょっと横になりたいし」
まずは労いの言葉と、休息の提案。それだけで幾分か疲弊しきった心は、あっさりと警戒心を解いてくれる。元々そんなものは幸治にはないだろうが、一日以上離れていただけに、多少の仕込みは必要だろう。これから幸治をどう導いていくかで、舞台の演出が大きく変わってくるのだから。
「で、でも……俺、孝太郎とちょっと話したい……。ずっと離れていたから心配だったし……。今までどうしてたのか知りたいし……」
てっきり提案を受け入れて休むかと思いきや、それよりも孝太郎と会話することの方が大事らしい。どうやら思っていたよりも、幸治のこちらに対する依存は高いようだ。普段なら鬱陶しいと思うところだろうが、今はこれを利用しない手はないだろう。元々幸治は一人で何かをするタイプではなく、いつも誰かの意見につき従うタイプだ。多少なりとも自分の意見を持っている須田雅人(男子9番)とは、ここが違う。雅人では、こうはいかないだろう。
まぁ二人とも、それなりに利用価値があるから、友達なんてものになったのだが。
「俺はいいけど……。休みたかったら、いつでも言えよ」
少しの優しさを見せて、幸治の提案を受け入れることにする。孝太郎自身は、幸治が見張りをしていた六時間の間にたっぷり休めたので、ここで三時間付き合うくらい造作もない。
「う、うん……。孝太郎は、今までどうしてた……? マシンガンの銃声もしたから、怪我とかしてないか心配で……」
「あぁ、マシンガンな。俺も撃った人間ははっきり見れてないんだが、すぐ近くだったから怖かったよ。たまたま人目のつかないところに隠れてお前を待っていたおかげで、相手に見つからなかったんだ」
“お前を待っていた”と口にすることで、こちらが相手のことを特別視していると思わせる。そうすれば相手の警戒心はさらに解かれ、かつこちらへの信頼を得やすくすることができる。本当は孝太郎自身がマシンガンを撃ったし、隠れていたなんてのも嘘だ。ただ、校門前に曽根みなみ(女子10番)と橘亜美(女子12番)がいなければ、みなみに告げた通り幸治と雅人を待つつもりではあったけれど。後々利用するために。
「そっか、見てないんだ……」
どこか残念そうに、幸治はこう呟いていた。もしかしたらマシンガンの犯人を知っているかもしれないという、淡い希望を抱いていたのかもしれない。撃った人物がはっきりすれば、多少は気も楽になるし、どう対処すればいいのかはっきりする。これは、ほとんどの人間が思っていることだろう。そういう意味では、情報はある意味武器よりも重要だ。
まぁ、その犯人。今、幸治の目の前にいる孝太郎自身なのだが。
「お前は、時間的にまだ出発していなかったんだろう? あの銃声、教室まで聞こえていたのか?」
ただ、今大切なことはそこではない。気を取り直して、話を続けることにした。
「うん。俺の前の八木までしか出ていなかった。俺が出発したのは、そのすぐ後。銃声してからの出発だったから、すごく怖かったよ……」
「だよな……。ということは、八木までを含めた九人の中に、マシンガンを持っている奴がいるんだな。俺が出たときは、誰もいないように思えたんだが……。そうか、八木までは出てたのか……」
「まさか、八木が……?」
「まぁ……その可能性もあるかな。正直八木のような奴ほど、この場合どう出るか分からないし。先に出たやつが戻ってきた可能性もあるけど」
八木秀哉(男子16番)がどのような行動に出るかは、確かに未知数だと思っている。これは、嘘ではない。何もかも嘘をつくのではなく、時折本当に思っていることを混ぜる。そうすることで、嘘がより真実味を増す。
まぁ、どう出るか分からないくらい錯乱させたのは、孝太郎自身なのだが。そういえば、秀哉の名前はまだ放送で呼ばれていない。彼は、今どうしているのだろうか。
「先に出た奴……! じゃ、じゃあ……澤部の可能性だってまだ……」
孝太郎の発言でその可能性を思い出したのか、恐る恐るという感じで幸治はそう言っていた。すぐ近くにいる人間が、あの凶行を行った犯人なのかもしれない。その恐怖心からか、幸治の身体がブルブル震えている。漫画のような分かりやすい震え方に、思わず笑いが零れそうになるが、さすがにそれは堪えた。
そろそろ仕掛ける頃合いだ。
「おい、それは澤部に対して失礼だろ」
先ほどまでの穏やかな口調を一転させ、少しキツめの語気と言葉で幸治を諌めた。こういう言い方はあまりしないので、これだけでも幸治の意表をつくのに効果的だろう。案の定、幸治は「えっ……」と驚いたまま、完全に硬直していた。
「普段ほとんど関わりのないお前を、ここまで匿ってくれた奴だぞ。それに、澤部がその気なら、とっくの昔にお前も宮崎も殺している」
断言するような強い言葉で、はっきりとそう言い切る。事実、淳一がやる気でないことは、亮介と待ち合わせたこと、ここでじっとしていること、そしてこれまで誰にも手を出していないことから明らかだ。それでも疑う幸治の思考回路は、あまりにも疑心に満ちていて冷静な判断ができていないと言わざるを得ないが、それほどまでに彼に対する疑念が存在するということなのだろう。
ただ、そういう発言をさせるよう仕向けてはいた。“あの銃声よりも先に出た人物”の中で一番に疑われるのは、性格上おそらく澤部淳一なのだから。多少なりとも彼に疑念を抱いている人間なら、真っ先に名前が挙がるのは必然だろう。
「あいつは確かにちょっと言い方キツイところもあるし、疑われてもしょうがない部分はあるが、少なくともそこまで悪い奴じゃないことは確かだよ」
幸治が何か話す隙を与えないように、少し早口で言葉を続けた。これも、別に嘘をついているわけではない。孝太郎の知り得る限り、淳一はそこまで悪い奴ではない。世間一般の倫理観をきちんと把握し、命の重さも分かっている。幸治のようにただ足を引っ張るような奴でも、見捨てたり殺していいとは思っていない。いい人ではないだろうが、この状況で非情になれる人間でもない。端的にいえば、淳一も普通の人なのだ。だからこそ、そんな彼にも弱点が存在する。
強い口調で言ったことが効いたのか、幸治は「ご、ごめん……」と涙目で謝っていた。これくらいのことで涙目になるあたり、本当に気の弱い奴だ。まぁこの状況では、そうなるのが普通だろうが。
「それにさ、俺は少しばかり期待もしているんだ。澤部なら、何とかしてくれるんじゃないかって」
疑念を抱いた相手に対して、唯一無二の友人は信頼と期待を寄せている。それだけでも、依存と独占欲が強い幸治にとっては、かなりのダメージだろう。畳み掛けるように、また少し早口で続けていく。
「頭もいいし、この状況でもけっこう冷静に物事を判断しているし。あれほど頼りになる奴は他にいないよ。正直さ、このまま一緒にいたい気持ちもあるけど、それはまぁ無理強いできないしな」
会話の中に、本当の願望をチラリと除かせる。この願望は嘘だが、今の幸治に本当かどうかなど判断できないだろう。それよりも、幸治の願望と、孝太郎が口にした願望が一致しない方が問題だ。
案の定、幸治の目が驚きで見開かれていた。まさか。信じられない。そんな心の声が、誰が見てもはっきり聞こえるくらいに。
だからきっと次に言うことは、本当はここにいたいのかという、肯定してほしくない真意の確認だろう。
「えっ……? じゃ、じゃあ孝太郎は……本当はこのままここにいたいの……?」
ほら、予想通り。泣きそうな声で、そんなことを聞いてくる。だから安心させるために、首を振りながらこう答えてやった。
「……いや。さすがにそれは、澤部が嫌だろう。あいつは、本当に信頼できる人間以外は、できるだけ一緒にいたくないみたいだし。こうして俺らを匿ってくれているのも、単なる気まぐれだろう。それに、雅人のことも心配だからさ。探しにいかないと。それに、お前が澤部たちとあまり一緒にいたくないことも分かったしな。まぁ、それが正常な判断だろうが」
あくまでここから離れるのは、“澤部が嫌がるから”、“雅人を探しにいくため”、そして“幸治が一緒にいたくないから”。孝太郎自身がそうしたいわけではないということを、暗に含ませる。幸治は猜疑心は強いし、頭の回転がいいとはいえない。しかし、決して頭の悪いやつではないはず。仮にも、三年間特進クラスに在籍しているのだ。成績だけで言ったら、一応特待生である雅人よりも幾分か上なのだから。
孝太郎の予想通り、幸治は発言の真意を読み取ったらしい。目をキョロキョロさせており、傍目から見ても明らかに困惑していた。ここから離れたい。けれど、友人は本心ではそれを望んでいない。このまま最初の予定通りに離れれば、我が儘を押し通したことになる。孝太郎の意見を無視したことになる。それが原因で、嫌われてしまうかもしれない。“離れていってしまうかもしれない”
他者に対する依存性、ここでは孝太郎に対する依存性の高い幸治にとって、孝太郎と袂を分かつことになるということは、死ぬことと同等に、いやもしかしたらそれ以上の恐怖だろう。
そうしないようにするには、相手の願望を叶えればいい。しかし、これは幸治が我慢すればいいというわけではない。先ほど告げた“淳一が嫌がる”ということが、ここでは一番の問題だ。雅人のことは、まぁ後でどうにでもなる。実際、探しに行ったからといって、確実に会える保証はないのだ。待っていた方がいいかもしれないとか、言い様はいくらでもある。
「じゃ、じゃあさ……。もう一度、澤部に話してみようよ……。ここにいさせてくれないかって……。雅人のことはさ、後で考えるとして。もしかしたら、意外とここに来たりして……」
ああ、なんと分かりやすい。こちらの予想通りの展開へと、勝手に導いてくれている。これほど容易な傀儡が、これまでいただろうか。きっとここまでの奴には、この先長く生きていてもそうお目にかかれないだろう。
「いや、でもお前が……」
「お、俺のことはいいからさ……。それに、ここ以上に安全なところはないし、俺のことを匿ってくれたし……。もしかしたら……」
幸治はこう言っているが、目は完全に泳いでいるし、躊躇っているせいか言葉尻もはっきりしない。誰が見ても、無理しているのは明らかだった。ああ、なんて愚かで馬鹿なのだろう。本当は一刻も早く離れたいと思っているのに、相手の願望を叶えるためにここに留まろうとしている。それほどまでに、孝太郎に依存しないと生きていけないというのだろうか。多少なりとも自分の意志があるのなら、一人でここから出て行けばいいだけの話なのに。
――まぁ、それじゃ面白くないんだけど。それに、幸治はこういう奴だって分かっているから、揺さぶり甲斐があるんだよな。
「気持ちはありがたいけどさ、澤部はそう簡単に意見を変えるような奴じゃないよ。いくらお前が話しても、多分無理だ」
「そ、そうだよな……」
「あっ、でも……」
一度は否定して、思い出したかのようにポツリと呟いた。聞こえるか聞こえないかの音量で。まるで、それが妙案であるかのように。
「宮崎なら……説得できるかもしれない。そしたら澤部も……」
幸治が「えっ……。今なんて……」と、聞こえたけど確認するかのような問いかけには、「いや、何でもない」と返答しておく。そして、最後にこう告げた。
「ていうか、幸治。いいかげん寝ないと体力持たないぞ。俺も、もう少し寝るわ。おやすみ」
それだけを告げ、幸治に背を向けて横になる。背後から「あっ……。うん。お、おやすみ……」と聞こえたが、心ここにあらずといった感じなのは丸わかりだった。
――仕込みはこれでいい。予定とは少しズレた気がしないでもないが、元々幸治の返答次第ってところもあったからな。後は、これがどんな風に今後に影響するのか。
今、幸治は必死で考えているだろう。どうすれば、孝太郎の願望を叶えることができるのか。そのためには、自分がすべきことは何か。嫌われないために。ずっと一緒にいるために。
それが、この後の悲劇を生み出すとも知らずに。
――考えろ、考えろ。そのために、種を蒔いてやったんだ。仮にも三年間特進クラスだったんだ。今使わなくて、その頭をいつ使う?
これからどんな舞台が演じられるか。全ては、背後の傀儡次第。考えているつもりで、全てがこちらの意のまま。どんなにあがいても、悲劇を演じることになる――哀れな人形。
結末は決まっている。こちらが楽しみにしているのは、結末に至る過程の話。
――さぁ、お前はどう踊ってくれる?
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