マッド・ピエロ

 有馬孝太郎(男子1番)はそう言うなり、そのまま持っている懐中電灯で曽根みなみ(女子10番)を照らす。そして、みなみの姿を確認したところで、そのスイッチを切っていた。

 

「あんまりつけていてもあれだしね。まぁ誰かが乗っているだなんて、あまり信じたくもないけど」

 

 孝太郎が何気なく言ったであろうその一言に、みなみは大笑いしそうになった。この有馬孝太郎という男、本気でそんなことを言っているのだろうか。だとしたら、おめでたいとしか言いようがない。今孝太郎の目の前にいるのは、正にプログラムに乗っている人間だというのに。

 みなみと孝太郎は同じ特待生ということもあって、一年生のときから同じクラスだ。といっても、みなみが孝太郎に関して知っていることといえば、それなりに仕事をこなせる人間であることや、クラス委員をやっているくせに頼りない須田雅人(男子9番)や、友情というくだらないものに依存する広坂幸治(男子13番)と親しいことくらいしかない。そんな二人に比べれば、孝太郎はまだマシな部類に入りはするが、そもそもそんな人間と仲良くすること自体たかがしれたものだ。

 

「曽根さん? 何かあったんじゃないのか? ちょっと言い争う声も聞こえたし、俺で良かったら聞くよ?」

 

 その声色は本気で心配しているようだ。殺し合いという状況では、それはあまりにもいらぬ気遣いであるし、ただのおせっかい以外の何者でもない。暗闇に紛れて、思わずフッと笑ってしまう。

 けれど、孝太郎はやる気ではないようだし、みなみのこともやる気でないと勘違いしてくれているようだ。なら、これを利用するという手もあるかもしれない。みなみの支給武器は、何の変哲もないダガーナイフだった。近距離においては役立つかもしれないが、銃も支給されているプログラムにおいて有利な武器とはいえない。できればどうにかして銃を手に入れたい。もしかしたら、孝太郎に支給された武器が銃かもしれないのだ。

 

 そこまで考えたところで、みなみは亜美に向けてしたように、か弱い女の子のような小さく震える声で話し始めていた。

 

「あ、あの……私、橘さんを待っていたの。橘さんなら信用できると思って。でも、橘さん……いきなり私を襲って……」
「え? 橘さんが?」

 

 信じられないといった口調で、孝太郎はそう口にする。それもそうだろうなと、心の中で納得した。誰かが乗っていることを信じたくないのなら、橘亜美(女子12番)が誰かを襲ったということ自体、孝太郎にとっては信じがたいことだろうから。

 

「うん……何とか切り抜けられたんだけど……。私、信じられなくて……呆然としてしまって……」
「そっか……。こんな状況だもんな……。信じられないけど……」

 

 どうやら孝太郎は、みなみの言うことを信じたようだ。亜美に関しても、普段からそんなに交流しているわけでもないので、元々乗っていないと信じる材料も存在しないだろう。けれど、仲がいいわけでもないみなみの言葉をこんなにもあっさり信じようとは、やはり孝太郎はバカだなと思った。

 

「曽根さん、怪我とかない? 襲われたんだろ?」
「う、うん。それは大丈夫……」
「そういえば、曽根さんの武器って何だったの? 上手く切り抜けられたってことは、銃か何か?」

 

 思わぬことを聞かれ、グッと言葉に詰まる。正直に話しても、別に問題があるわけではない。ナイフが支給されただけで、特に何があるわけでもないのだから。だが、亜美には何が支給されたか――それをみなみは知らないままなのだ。なぜなら、亜美に反撃されることを考慮して、武器を確認される前に襲ったのだから。知らないということを素直に告げていいものか、心の中で葛藤する。

 

 人を殺そうとするとき、手ぶらで襲う人間などほとんどいないだろうから。

 

「曽根さん? どうした?」
「う、ううん。何でもないの……」
「ん? 何か落ちてるけど。もしかして、これが曽根さんの武器?」

 

 シルエットだけで何も分からないが、孝太郎が何かを拾ったようだ。状況から考えれば、亜美との戦闘の際に落としてしまい、今も手元にない、みなみに支給されたナイフの可能性が極めて高い。一瞬それが亜美の武器だと嘘をつくことを考えたが、それだと自分の武器が何かと言われたときの言い訳が立たない。ここは正直に、自分の武器だと明かすことにした。

 

「それって……ナイフっぽい?」
「うん。なんか大きくてずっしりした感じ。え? 刃がむき出しになっているけど……」
「それ……多分私に支給されたのだと思う。橘さんとやり合っているときに、それで必死に抵抗してて……。そのときに落としたから……」
「ああ、それで刃がむき出しなんだね。鞘とかない? さすがにこの状態じゃ危ないし」

 

 ああ、と思い、左手に持ったままであった鞘を、孝太郎の声のする方角へと差し出そうとする。けれど、さすがに正確な位置までは分からない。まだ六時すぎくらいだろうが、今は冬という季節であるせいか、辺りは既に闇に溶け込んでしまっているのだ。

 

「あ、あの……これ……」
「ん、ありがとう」

 

 みなみの声で場所が分かったのか、孝太郎がすっと鞘を受け取ってくれた。そのままナイフを収めたのか、カチンという音が聞こえる。

 

「ところで、曽根さんはやる気じゃないんだよね?」
「あ、当たり前だよ! 有馬くんもなんでしょ?」
「まぁね。こんなルール、認めたくなんかないし。雅人や幸治と殺し合いなんでできないから」

 

 完全に予想通りの回答をしてくれて、みなみは内心ではくそほほえんでいた。まぁ、ここまで人のことを心配し、無防備に声をかけてくるあたり、やる気でないということは明白だったわけだが。

 

――ホントバカよね、有馬って。ここまでお人好しだと、逆に笑えるわ。でも……こんなお人好し、利用しない手はないわよね。

 

 この際だ。武器も頼りないし、ここは孝太郎と一緒に行動することにしよう。そう、孝太郎にはピエロになってもらうとしよう。自分が生き残るための、忠実で滑稽なピエロにでも――

 

「あ、あのね……。有馬くん」
「何?」
「良かったら、私と一緒に行動してくれない? 有馬くんだったら信用できるし……」

 

 いつになく低姿勢で、孝太郎に媚びてみる。けれど、みなみには勝算があった。この間抜けでお人好しな孝太郎が、自分にここまでおせっかいを焼いているのだ。今さら放っておくわけがない。

 

「え? いや、別にいいけど……。俺、この後出てくる幸治とか雅人を待っていようかと思っているから、二人にも聞いてからでいいかな? 俺の一存じゃ決められな――」
「い、嫌ッ!!」

 

 孝太郎の提案に、ほぼ反射的に拒絶の意を示していた。孝太郎と同じようなお人好しの雅人ならまだしも、孝太郎が誰かと話しただけで不機嫌な表情を見せる幸治が、みなみと行動を共にすることなど許すわけがない。それに人数が増えれば、後々殺すのに苦労するではないか。三人とも運動神経に長けているわけではないが、仮にも男子なのだ。

 

「え……? 二人のこと、信用できない? 雅人も幸治もこんなのに乗らないと思うけど……」
「ご、ごめんなさい。でも、正直怖いの……。有馬くんの友達だし、信用できるとは思うんだけど、万が一のことを考えると……ちょっと……。橘さんとあんなことがあった後だし……」

 

 なるべく孝太郎の神経を逆撫でをしないように気をつけながら、暗に孝太郎以外の人は信用できないという言葉を選んで発言する。この提案は、孝太郎と仲違いするという危険があるが、こういう形で言えば邪険にはできないはずだ。

 

「そっか……そうだよな。ごめん、無理なこと言って」
「う、ううん。私こそごめんなさい……」

 

 思ったよりもあっさりと、孝太郎はみなみを言葉を受け入れてくれた。計算通りに事が運んだことで、今度はニヤリと笑ってしまう。

 

『そういう騙しの手は、東堂さんや須田くんみたいなタイプの人間が使って効果があるの。あんたみたいに、普段から人を小馬鹿にするような人間が使っても、疑われるのが関の山ね』

 

――何よ。あんたの言うことなんか当てにならないじゃない。こうやって、有馬は私のことをあっさり信じてくれたわけだし。

 

「あ、あのね有馬くん……。お願いがあるんだけど……」
「何?」
「ここから離れない? もうそろそろ、次の八木くんが出てくるし……」
「あぁ、それでもそうだね。正直、俺も八木には会いたくないし」

 

 みなみの提案を、孝太郎はこれまたあっさりと受け入れてくれた。いくらお人好しの孝太郎でも、信じられない人間の一人や二人いるようだ。現に、孝太郎の次に出てくる八木秀哉(男子16番)は、人に責任転嫁する傾向があり、この状況下ではどう出てくるか分からない存在ではある。孝太郎の言い分も、理解できるような気がした。

 

「じゃ、行こうか。あ、ナイフは返しとくよ。曽根さんのなんだろ?」
「あ……。うん、ありがとう」

 

 礼の言葉を口にしながら、声だけを頼りに、みなみは孝太郎の元へと近づいていく。とりあえずは、しばらく孝太郎と行動を共にして、頃合いを見て裏切ることにしよう。確か担当官も言っていたが、しばらくは様子を見ておいたほうがいいのかもしれない。誰が乗るかという情報も必要だし、もしかしたら、その最中にもっと強力な武器が手に入るかもしれない。

 

 そういえば、孝太郎の武器は何だったのだろうか。そんなことを思ったとき、腹に何かを押しつけられる感触がした。

 

――え?

 

 グッと何か細いものが、みなみの腹の丁度鳩尾辺り。その力が思いのほか強く、思わずむせるような咳が出そうになる。

 

「あ、有馬くん……?」

 

 何がどうなっているのか分からず、ただ孝太郎の名前を口にする。けれど、その言葉に返事は返ってこない。夜に相応しいともいえる重苦しい沈黙が、一瞬にして周囲を包んだ。そして、冷たい風がさっと頬を撫ぜる。

 

 そしてそれが、みなみの最期の言葉となった。

 

 一瞬の沈黙の後、タタタタという小気味のよい連続した音が聞こえる。そう思った途端、何かを押しつけられた腹に、その音と同じリズムでとてつもない衝撃と、今までに感じたことのない痛みが同時にみなみを襲った。その銃声の主――VZ1スコーピオンから吐き出された多くの鉛弾は、容赦なくみなみの腹に侵入し、その内部にある臓器を一瞬にして破壊していく。暗闇に紛れて見えないが、水たまりを思わせるほどの大量の赤い血液が、地面に大きな染みを広げていた。

 

 最もみなみ自身には、そこまでのことを認識できるほどの時間はなかった。大量の鉛弾がその腹に侵入したことで意識は完全に飛んでしまい、銃声が止んで地面に倒れる頃には、全生命活動を停止させていた。

 

 どうして自分が死ぬことになったのか。そして一体何が起こったのか。それをみなみが最期まで知ることはなかった。暗闇に紛れた目の前の人物が、そのときどんな表情を浮かべていたのか。それも、既に事切れているみなみには知る由もなかった。

 

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 八木秀哉(男子16番)は、校門から飛び出した勢いのまま、必死で走り続けていた。何も考えることもできず、自分がどこに向かっているかも分からないまま、ただ足を動かし続けていた。たった今目の前で起こったこと――曽根みなみ(女子10番)が、有馬孝太郎(男子1番)にあっさりと殺された光景を――振り払うかのように。

 

 秀哉は孝太郎の次、十一番目にあの教室を出発した。どうしていいのか分からず、ただ走って学校から飛び出した。いつも自分をいじめる小倉孝明(男子3番)妹尾竜太(男子10番)は大分後の出発になるため、それまでここから離れておかなくては思った。普段からいじめてくるあの二人と一緒に行動しても、いいことなど一つもないからだ。もちろん、それを傍観していた他のクラスメイトを待つという考えも、秀哉の頭にはまったくなかった。

 校門を出ようとしたところで、誰かがいるようだと分かった。声色からして、直前に出た孝太郎と、八番目に出たみなみであるようだ。二人の間に出発したはずの橘亜美(女子12番)がいないことに疑問を覚えたが、そこまでのことを考える余裕は秀哉にはなかった。

 二言三言会話したと思った途端、いきなり銃声が轟いたからだ。銃声と共に光ったマズルラッシュにより、孝太郎がみなみを射殺したことは遠目で見てもすぐに分かった。まったく予期せぬタイミングでの銃声に、思わず悲鳴が出そうになったが、それは何とか踏みとどまった。ここで声を出したりしたら、自分も殺されてしまう。それだけは、直感的に分かっていたから。

 

 正直なところ、ただそれだけだったなら、ここまで怯えることなどなかったのかもしれない。秀哉がここまで怯えている原因は、むしろその後にあった。

 

 銃声が止んだ途端、何かがドサリと倒れるような音がした。推測すれば、それはみなみが地面に倒れた音ということになるのだろう。そしてカチャという音がした後に、再び銃声が轟いた。孝太郎がみなみに止めに刺したのだ。しかし、みなみを殺したであろう孝太郎は、その後意外な行動に出た。

 その後、近くにいた秀哉には全く手を出さずに、孝太郎はそのまま足早に立ち去っていったのだ。けれど、秀哉はその後しばらく動くことができなかった。時間的に次の広坂幸治(男子13番)が出てくると分かったところで、ようやく重い身体を動かし、急いでその場を後にしたのだ。

 走っている最中も、ずっと頭から離れなかった。それは、みなみが死んでから、孝太郎がその場を立ち去るまでのわずか一分足らずの間に起こったこと。孝太郎がその場所を後にする前に、秀哉に向けてしてきたこと。  

 

 視線をこちらに向けてきたのだ。秀哉が隠れている校門の隅の一角へと。

 

 それは、偶然かもしれない。けれど、秀哉にはそうは思えなかった。偶然にしては、それはあまりには正確なものだったし、何よりこちらに視線に向けてきたときの表情は、意図して自分に向けられたものであっただろうから。

 秀哉に向かって、孝太郎は笑ったのだ。それは普段見せているような穏やかな笑顔などではなく、この異常な状況を楽しんでいるかのようなひどく歪んだ笑み。白い歯が見え、それが三日月を思わせるほどの弧を描き、それが不自然に闇の中に浮かんでいるほどに。そう、まるでサーカスの舞台に立っている――ピエロのような不気味な笑みで。

 

 その笑みが、脳裏に焼き付いて離れない。周囲の状況に目を向けることも、誰かが潜んでいないかと考えることもできないほどに、その表情は秀哉の心を捕らえて――その思考を完全に混乱させてしまっていた。

 

女子10番 曽根みなみ 死亡

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