“仲間”

 

「もう、一日以上前の話になるのかな……」

 

 そう話の口火を切った橘亜美(女子12番)の言葉に、東堂あかね(女子14番)の身体はなぜかビクリと反応していた。それは、何か予兆のようなものを感じたからかもしれない。それも、悪い予兆のようなものを。

 

「東堂さんも聞いたかもしれないけど、昨日の夜中にマシンガンの音がしたでしょ? 実は私、あのとき割と近くにいたのよ。どこから聞こえたのか、どのくらい離れているのか、はっきり分かるくらいにはね」

 

 そう、今日ではなく昨日の夜中、確かにマシンガンの音が響いていた。プログラムが始まって、十二時間も経っていないあの頃。一人でみんなを必死に探し回っていた――あの頃。

 

「最初は怖かったけど、どうしても気になってね。少ししてから、音が聞こえた辺りまで行ってみたの。その頃には、マシンガンの人間もいないだろうと思ってね。まぁ、さっき見たから分かると思うけど、私の支給武器は銃だったから、いざとなれば何とかなるかなと」

 

 亜美はそうあっさりと言っているが、いくら気になったとはいえ、マシンガンの音が聞こえた場所に足を運ぶこと自体、かなり勇気のいることだったに違いない。彼女は確かに銃を持っているが、それはおそらくマシンガンとは違う。正直、対抗できるのかどうかすら分からない。最悪の場合、鉢合わせた瞬間殺されてしまう可能性だってあったはずだ。あかねですら分かることなのだから、亜美もそのことは理解した上でだったのだろう。

 そこで、亜美は一度言葉を切っていた。まるで言うことを躊躇うかのように、口をキュッと真一文字に結ぶ。少しの沈黙の後、意を決したかのように、はっきりとこう口にしていた。

 

「……そこでね、私は弓塚くんに会ったの。彼が、まだかろうじて生きているときに」

 

 思わぬ名前が出たことに、大きく心臓が鳴る。弓塚太一(男子17番)。その次の放送で呼ばれた、唯一のクラスメイト。太一が死ぬ前、つまりはまだ生きているときに、亜美は会うことができた。おそらく、マシンガンの人間に撃たれた状態で。彼女の言い方からして、もう助からないほど重傷だったのだろう。

 そんな彼に生きているうちに会えたことは、奇跡に近いこと。それに、いいことだ。たとえ彼が死ぬ間際だったとしても、亜美に伝言を託すことができる。おそらくそこにはいなかった、たった一人の恋人に向けての遺言も。

 

 心臓は大きく鳴り続けている。次第に呼吸も荒くなる。まるで開けてはいけないパンドラの箱に、手をかけているかのような感覚――

 

「弓塚くんを見つけた時点で、マシンガンの銃声から三十分以上経っていたから、正直かろうじて生きているって感じだった。だから、私のことも分からなかったみたいなの。私のことをね……」

 

 ドクン、と大きく心臓が鳴った。そのすぐ後に、亜美の口から次の言葉が紡がれる。その言葉で、本当に心臓が止まったかのような衝撃を受けた。

 

「辻さんだって、勘違いしてた。私を辻さんだと思って……必死でたくさんしゃべっていた」

 

 一瞬の静寂の後、ドクンと、今度こそ身体中に響きわたるような音で心臓が鳴った。遺言。死の間際に、太一が辻結香(女子13番)に伝えようとしていたもの。瀕死の状態でありながら、恋人のために必死で口にした――最期の言葉。

 

「なんて……」
「えっ?」
「弓塚くんは、なんて言ったの……? 結香に、なんて言ってたの……?」

 

 あかねの言葉に覚悟を決めたのか、亜美は一度だけゴクリと唾を飲み込んでから、その言葉を口にしていた。それは、先ほど細谷理香子(女子16番)が告げた時のように、どこか遠くから聞こえたような気がした。まるで、言った本人が直接語りかけてくるかのように。

 

『よ、良かった……。結香……無事だったんだな……。ごめんな……待って……やれなくて……』
『俺の仇討ちとか、絶対考えるな……! そんなの……しなくていいから……。 りゅ、龍一郎とか、東堂さんとか……さ、探すんだ……。それで、逃げるなり……プログラムをぶっ壊すなりして――。い、生きてくれ……』
『だ、大好き……だぞ……。今までも、これからも……俺は……お前のことが……世界で一番……大好きだぞ……』

 

 その言葉は、スッとあかねの心に入りこむ。嘘かどうかなど、考えるまでもない。亜美の言っていることは、全て真実だ。人づてに聞いただけでも分かる。これは、まぎれもなく太一が口にした言葉なのだと。

 

「……弓塚くんは、確かにそう言ったんだよね……?」
「ええ……。ちょっと、一部省いてはいるけど。でも、辻さんにだけ言いたいことは、これで全部」

 

 少し寂しそうに告げる亜美の言葉で、確信した。やはり、太一は復讐など望んでいなかった。死にゆく自分の仇討ちよりも、これからを生きる恋人のことを想った。そんなことはせずに、生きてほしいと。信頼できる人と共に、このプログラムから抜け出してほしいと。ただ、それだけを願っていた。

 大好きだから。愛しているから。だからこそ、愛する人の幸せを願った。最期の最期まで、いつもの明るくて人のことを思いやれる、彼らしく。

 

――やっぱり、そうだった……

 

 そんなこと、恋人ではないあかねにだって分かっていた。太一は、復讐を望むような人ではないと。そんなことより、結香の幸せを願う人なのだと。だって、彼は結香のことを心の底から愛していたから。見ているだけで、そのことははっきり分かるくらいだったのだから。

 

――だから、だから言ったのに……

 

 なのに、太一の想いに反することを、結香はしようとしている。復讐を考えている。マシンガンの相手を、殺そうとしている。そのために、おそらく今もその人を探し続けている。そんなこと、彼は少しも望んでいないのに。

 

――なんで、どうして……? どうして結香には伝わらないの……?

 

 考えると同時に、ポロポロと涙がこぼれる。ああ、一体これまで何度泣いただろう。そして、これからもたくさん泣くのだろう。誰かを失うたびに。誰かに傷つけられるたびに。そして――誰かが傷つけられるたびに。

 

「と、東堂さん……? どうしたの……?」

 

 あかねのただならぬ様子に、亜美が心配そうに声をかけてくれる。そうだ、ただ泣いているだけではいけない。それでは、話が進まない。亜美に大切なことを伝えるべく、あかねは泣きながら必死で言葉を紡いだ。

 

「……それを、結香に伝えるために探しているんだよね……? それで、私にも協力してほしいって、そういうことだよね?」
「えっ……? ええ……そう。東堂さんは、辻さんと一番仲がいいし、あなたの言葉なら信じてくれるかと思って。それに、私はあまりみんなに信用されるような立場じゃないみたいだしね」

 

 そうだ。一番仲が良かったはずだ。つき合いの長さだけでいえば、太一よりもずっと長いはずだった。だから、亜美があかねを頼るのも必然なのだろう。そう思ってくれるのは、とても嬉しい。

 本当なら、二つ返事で引き受けるだろう。けれど、今は無理なのだ。そのことを、はっきり伝えなければいけない。でないと、亜美に迷惑をかけてしまう。何の力にもなれない仲間など、不要なだけだ。大した武器も持っていないあかねでは、ただの足手まといになるだけなのだから。

 

「ごめんなさい……。橘さんの頼み……引き受けることはできない……」
「……私のこと、やっぱり信用できないのかな……?」
「ッ!! ち、違うの! そうじゃなくて……私……」

 

 勝手に流れる涙に、嗚咽が混ざり始める。次第に息が苦しくなるが、それでも懸命に言葉を吐き出していた。

 

「私……結香に会ってるの……! 弓塚くんが呼ばれた、あの放送の後に……!」

 

 あかねの言葉に、亜美は目を見開いていた。会っていながら、一緒にいない。そのことが、彼女からすれば意外だったのだろう。それは、あかねにとってもそうだ。会ったら、ずっと一緒にいられる。あのときまで、心の底からそう信じていたのだから。

 

「分かっていたの……。弓塚くんが、復讐を望むような人じゃないって。橘さんが聞いたようなこと、絶対思っているって……。だから、結香に一生懸命言ったの……」

 

 そんなこと間違っている。彼は、絶対に復讐なんて望んでいない。お願いだから、そんなことは止めて。殺すなんて、口にしないで。あのとき、思いつく限りの言葉で、喉が潰れるくらいの大声で、真正面から必死に結香を説得した。話し合えば、きっと結香も分かってくれる。思い留まってくれる。そう信じて、なりふりかまわずに。

 けれど、それでも彼女の気持ちが変わることはなかった。止まることも、こちらを見てくれることもなかった。

 

「でも……私の言葉、全然届かなくて……! 結香は、弓塚くんを殺した相手に、復讐してやるって……。そんなの違う……間違っているって……私……言ったのに……。でも……全然ダメで……! 止められなくて……! 私、そんな結香が怖くて……逃げたの……」

 

 殺されることが怖くて、死ぬことが怖くて、あのとき結香から逃げた。殺されないように、必死で走って。一番の友達を、その場に置き去りにしたままで。救うことも、止めることもできずに。

 

『あんたに何が分かるの?』

 

 あのとき、出来る限りのことはした。なのに、結香は少しも揺らがなかった。復讐すると、何度もあかねに宣言した。こちらの言葉は、何一つ届かなかった。

 

「だから……橘さんの役に立てない……! 私じゃ、全然ダメなの……!」

 

 ついにこらえきれなくなり、言葉も紡げないほどの嗚咽をもらしながら、ボロボロと泣いた。あのとき感じた無力さ、裏切られたような悲しみ。それらが堰を切ったかのように、溢れ出す。あのときと同じ、涙という形で。

 

『恋人もいないあんたなんかに、私の気持ちなんか分かるわけない。知ったようなこと言わないで』

 

 結香からすれば、あかねの言っていることは、ただの綺麗事だったのかもしれない。愛する人を失った悲しみを知らないあかねの言葉など、耳触りでしかなかったのかもしれない。それでも、その綺麗事を望んだのだ。親友には、そのままでいてほしかったのだ。復讐など、考えてほしくなかった。あのときも、今も、そう思っている。けれど、結香にこの気持ちは届かない。あのときも、おそらく今も。

 あのとき何もできなかった自分が、もう一度会っても同じだ。理香子のことも説得できなかった自分は、前と何も変わらない。何もできない。だから、亜美の申し出を受けることはできない。彼女の足を引っ張ってしまうだけだと、痛いくらいに分かっているから。

 

「なら、今度は私と一緒に説得しましょう」

 

 泣き続けるあかねの左肩に、そっと温かい手が置かれる。顔を上げれば、優しく微笑んだ亜美がそこにはいた。

 

「それなら、私が一人で行ってもきっと無理ね。だから、二人で一緒に説得しましょ。二人なら、とりあえずやる気じゃないって印象を与えられるし、一人よりはずっと心強いし」
「で、でも私じゃ何の役にも……」
「そんなことはないわ。それに、東堂さんがダメなら、きっと他の誰でもダメよ。なら、一人じゃなくて二人か、もしくはそれ以上じゃないと」
「でも……二人で行っても……結香が話を聞いてくれるかどうか……。あのとき、弓塚くんを殺したんじゃないかってずっと疑われて……マシンガンを持っているか聞かれて……。もしかしたら、銃を持っている人間を……弓塚くんを殺した相手だと勘違いしてしまうのかもしれない……。そうなったら、銃を持っている橘さんを殺そうとするのかもしれない……。私なんかと一緒にいたら、余計疑われるかもしれない……。それに……」

 

 そこまで言いかけて、ハッと思い出していた。今の今まで忘れていた、あのとき約束したことを。先ほどまで思い出せなかった、とても大切なこと。決して、忘れてはいけなかったこと。

 

『私、絶対みんなに伝えるから!! 加藤くんはやる気じゃないって! あのマシンガンとは何の関係もないって! そしたら、きっともう誤解されなくてすむから!!』

 

――私……加藤くんのこと……結香に言ってない……! 加藤くんがやる気じゃないって、みんなに伝えるって約束したのに……!

 

『……ありがとう。そうだね。そしたら、東堂さんと一緒に行動できるかもしれないね』

 

 あのとき、どこか寂しそうに微笑んだ彼のこと。あかねを救い、励ましてくれた恩人。どうして、今の今まで忘れていたのだろう。約束したのに。そうしないと、彼が誤解されたままだと分かっていたのに。どうして――

 

「どうしよう……! 橘さんどうしよう!!」
「えっ、何? どうしたの?」
「私、加藤くんのこと言っていない!! 加藤くんがマシンガンを持っていること、結香に言ってない! どうしよう!! 加藤くんはやる気じゃないのに! 私のこと助けてくれたのに! マシンガンを持っている加藤くんが弓塚くんを殺したって、結香が誤解してしまったら……! そしたら……加藤くんが……!」

 

 泣きわめくあかねのことを、亜美は「お、落ち着いて……!」と宥めるも、完全に混乱したあかねには、それすら耳に入っていなかった。思わず亜美の肩をつかみ、縋るように揺すりながら泣き続ける。言っている意味をきちんと説明しないといけないと、心のどこかで分かっていながら、溢れ出す言葉を抑えることはできなかった。

 

「どうしよう……! 約束したのに……! 私のせいで、加藤くんが結香に殺されてしまったら……!! 私……二人になんて言えば……! 私だって、一度は加藤くんを疑ってしまったのに、結香が会ったりしたら――」
「落ち着きなさい!!」

 

 矢継ぎ早に言葉を吐き出すあかねを、亜美が強い言葉で諌めていた。叱りつけるかのような強い物言いに、思わず口を噤む形になる。

 

「あなたの言いたいことは分かったから……。とにかく、まだ二人とも放送で名前は呼ばれていないわ。なら、今からでも遅くない。辻さんと加藤くん。この二人を探しに行きましょう。加藤くんは、プログラムには乗っていないのよね?」
「う、うん……。でも、マシンガンを持っていて……。だから、一緒に行動できないって……加藤くんが……」
「彼が遠慮したのね。分かった。なら、私もいれば、仲間になってくれるかもしれないわ。私としても、加藤くんを引き入れることには賛成よ。それにね……」

 

 あかねを落ち着かせるためなのか、それとも本当にそう推測したのか。一度言葉を切って、あかねの両肩にそっと手を置きながら、、亜美ははっきりとこう言ってくれた。

 

「加藤くんのことだから、あなたが辻さんに言えなかったこと、おそらく責めたりしないわ。この状況だもの。自分のことで精一杯って、ちゃんと分かってくれる。友達を何人も失っている東堂さんが、精神的に追い込まれていることは理解しているはず」
「で、でも……」
「ええ、それでも申し訳ないって思うんでしょ。だからこそ、今からやれることをやりましょう。生きている限り、遅いことはないわ。今度はあなたが忘れても、私がちゃんと覚えている」

 

 励ますかのような優しい口調で、こちらの目を見ながら、亜美はそう言葉をかけてくれた。真っ直ぐで嘘偽りのない――綺麗な瞳で。

 

「あなたがよければ、私が一緒にいる。だから、無理だとか思わなくていい。一人では、やれることだって限界があるわ。なら、誰かの助けを借りてもいい。私でよければ、いくらでもあなたに協力するわ」

 

 一緒にいる。助ける。協力する。亜美が今言ったこの言葉は、ずっとあかねが言っていた言葉だ。そして、これまで誰にも言われなかった言葉。

 

 ポロポロと涙が溢れ出す。ああ、きっとずっとこう言われたかった。誰かと一緒にいたくて、そして誰かに救いを求めたかった。いや、ただこうして一緒にいてくれる仲間が欲しかった。命など守ってくれなくていい。救世主でなくていい。ただ一緒にいてくれる、隣にいてくれる仲間が。

 

――ここに……いたんだ……。

 

 こんなところにいた。友人でもなく、相棒でもなく、幼馴染でもない。ただ一人のクラスメイト。これまでほとんど関わりのなかった、クラスメイト。そんな人が、私のことを見つけてくれた。探してくれていた。手を差し伸べてくれた。

 やっと、心から前を向いて歩いていけそうな気がした。

 

「あ、ありがと……。本当にありがとう……。私、頑張るから……。一生懸命、頑張るから……」
「ええ、一緒にがんばりましょ。一緒にね」

 

 亜美の優しい言葉に、またポロポロと涙がこぼれる。それは、安堵の涙。前を向いて歩くためには、きっと必要な涙。

 心に抱えていた、鉛のように重い罪悪感。誰とも一緒にいられない、孤独という名の寂しさ。何もかも一人で背負う重責。少しずつ、少しずつ、涙と共に解けていくのが分かった。

 

『時には、泣いたっていい。泣くことが、必要な時だってあるんだ』

 

 いつか誰かに言われた言葉が、遠くから聞こえたような気がした。

 

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