本当の狂人

 

 斧を持った真田葉月(女子8番)が、こちらに向かってまっすぐ走ってくる。距離を詰めたところで、地面に向かって勢いよく斧を振り下ろしていた。細谷理香子(女子16番)は、それを後ろに飛ぶことでかわす。勢いよく振り下ろされたせいか、刃先が幾分か雑草の生い茂る地面にめりこんでいた。

 

――やっぱり、そうくるのね。そうよね……あなたはそういうタイプだもんね。

 

 葉月とはクラス内どころか、部活内でもあまり会話をしたことがない。けれど、一年の時から、同じテニス部に所属していた。故に、何度か対戦したことはある。ペアを組んだことはないものの、彼女の試合を応援したこともあるし、逆に応援されたこともある。そうやって三年間、テニスというフィルターを通して彼女のことを見てきた。

 葉月はいつだって、下手な策など使ってこない。いや、当人の頭の中に、そんな概念すらないのかもしれない。単純明快。とても分かりやすい。理香子のように相手のミスを誘ったり、コートの端から端まで動かすようなものではなく、もっと単純な勝負。来たボールを打ち返す。何も考えず、ただボールを打ち返し続ける。どちらかが打ち返せなくなるまで。そう、そんな原点回帰のような勝負。

 三年間見てきたのだから、葉月の嗜好、行動パターンは、ある程度知っている。だから、葉月がこれからどんな風に戦ってくるのか。どうやって殺そうとしてくるのか。大体予想はできる。おそらく、このクラスの誰よりも。

 

 少し離れた先にいる葉月を見ながら、これからの行動を予測する。地面にめりこんだ斧を引き抜こうとするか、それとも斧を放棄し、素手か他の武器で攻撃してくるか。選択に迷えば、その分隙ができるはず。その隙を狙い、一直線に葉月の元へと駆けていく。右手に果物ナイフを持ち、急所である首もとを狙って。引き抜けないよう、足で斧を踏みつけようとしながら。

 しかし、そんな理香子の意図に気づいたのか、近づく前に葉月は一瞬にして斧を引き抜く。あまりに勢いがよかったせいか、後ろにのけぞり、そのまま背中から地面に倒れ込んでいた。そのせいか、ナイフは完全に空を切る形になる。

 

――なら、体制を立て直す前に!

 

 地面に転がっている葉月が立ち上がる前にと、その勢いのまま駆け寄り、突き刺すような形でナイフを振り下ろした。

 しかし、そのナイフは葉月ではなく地面に突き刺さる形になった。理香子の狙いに気づいた葉月が、体制を立て直すのではなく、そこから離れるように地面を横に転がっていったからだ。

 

「理香子ちゃんはさ、何でそんなに必死なの?」

 

 理香子がナイフを地面から抜く間に、葉月は立ち上がっていた。服についた土埃をパンパンと払い、冷めた声でそう言いながら。

 一瞬、その声色に違和感を覚える。しかし、今はそんなこと関係ないと思い直し、もう一度ナイフを構えた。そう、今は葉月を殺すことが先決。理香子よりも体力のある彼女相手に、長期戦は不利だ。それに、いつ誰がここに来るのか分からないのだから。

 

「まぁいいや。葉月には関係ないし」

 

 こちらの返答を待たず、葉月はそうポツリと呟いた。そして、またこちらに向かって駆けてくる。馬鹿の一つ覚えみたいだと思いながら、今度は逆に突っ込んでいく。相手の意表を突き、懐に潜り込めば、後はナイフで止めを刺せばいいだけだ。

 しかし、こちらに向かっていたと思った葉月が、思わぬところに立ち止まる。理香子が戸惑う隙も与えず、いきなり斧を投げつけてきた。あまりに予想外の行動に、走る勢いを止めることもできず、横に飛んでかわすのが精一杯だった。体制の整わないまま飛んだせいか、バランスを崩し地面に倒れてしまう。ギリギリのところで、斧は理香子の身体の左側すれすれをかすめていた。幸いにも、傷一つつけられることはなかった。

 急いで体制を立て直さなくては。そう思い、立ち上がろうとしたが、葉月に思いっきり腹を蹴られてしまう。仰向けに倒れて咳込んだところに、上から重力を感じる。見れば、葉月が馬乗りになっていた。急いで持っていたナイフを探すも、蹴られた際に手を離してしまったのか、右手の少し先のところに放り出されていた。精一杯手を伸ばすも、ギリギリのところで届かない。

 

「理香子ちゃんってさ、葉月のこと馬鹿だって思ってるでしょ?」

 

 先ほどと同じような、どこか冷めた声で答える。先ほど感じた違和感が、ここでようやくはっきりとした形を成した。

 

『理香子ちゃん、理香子ちゃん! さっきの試合すごかったね! すごくかっこよかったね!!』

 

 明るくて、いつも五月蠅いくらいテンションの高い葉月は、こんな低い声で話したりはしない。こんなに落ち着いた声で話したりはしない。少なくとも、理香子はこれまで聞いたことがない。

 

「葉月だって、それなりに考えたりするんだよ。早く終わらせて、咲ちゃん探さなくちゃいけないんだから」

 

 そう言って、葉月は理香子の首に両手をかける。思ったよりも冷たい手の感触に、鳥肌がたつのが分かった。

 

「だからさ、さっさと死んでくれる?」

 

 そう言われるのと同時に、グッと首に圧力がかかる。次第に、呼吸が苦しくなっていく。このまま、首を絞めて殺そうというのか。

 

――これは……早く引きはがさないと……! この力じゃ、すぐにでも息が止まってしまう!!

 

 首にかかる両手を引きはがそうにも、葉月の力が強すぎてビクともしない。確かに、葉月はテニス部で一番握力が強かった。握力だけでなく、あらゆる身体能力が高かった。下手な策を講じない葉月の最大の武器は、その身体能力任せの重くて早いショットだ。目で追えないことはないが、両手でしっかりとラケットを保持しつつ、力いっぱい打ち返さないと、球が後ろにすっぽぬけるか、変なところに飛んでしまう。ただのラリーでさえそんなものだから、終盤になると相手の体力が尽きる。そして、最後は相手がミスを連発して自滅してしまうのだ。

 だから、理香子は葉月にあまり勝ったことがない。策やテクニックで点を取ろうとしても、最終的には力に押し負けてしまうのだ。

 

――引き剥がせない……! まさか……絞め殺そうとするなんて……。ホラーやスプラッターが好きだから、少なくとも斧を持っている間は、それを使ってくるかと思ったのに……! あんな形で手放すなんて……!

 

 葉月の趣味や嗜好は知っていたから、てっきり斧を直接振るってくるかと思っていた。全身を染める真っ赤な血が、その何よりの証拠なのだと判断していた。迂闊だった。今の葉月は、自らの欲望を満たすことよりも、この場を一刻も早く去ることを目的としている。そのためなら、もはや手段は選んでいない。

 そして、欲より目的を優先させること自体、いつもの葉月ではない。葉月はいつだって、自分のやりたいようにやってきた。自分のしたいことを、何よりも優先させてきた。団体戦のときですら、葉月はプレッシャーを感じることなく試合をしている。それは団体戦特有の責任感を、葉月がまったく意に介していないからだ。自分が勝つかどうか、試合を楽しめるかどうか。それだけしか、彼女の頭の中にはないのだから。

 

――とにかく……早くこの状況をどうにかしないと……。このままじゃ……。このままじゃ……!

 

 しかし、思いとは裏腹に、段々意識が遠のいていく。視界が歪み、葉月の顔がもうはっきりとは見えない。息が苦しい。顔が熱い。手足が思うように動かない。何もできないまま、ここで死ぬのだろうか。そんな諦めに似た思考が、少しずつ頭の中を占め始めていた。

 

『あんたは裏切ったのよ、私たちを』

 

 五木綾音(女子1番)の声が聞こえる。理香子のことを、あざ笑うかのように。まるで、こんな最期がお似合いだというように。

 ああ、そうかもしれない。裏切り者の末路としては、これ以上に相応しいものはないだろう。いずれにせよ、いつかは死ぬつもりだった。そして、安らかに死ねると思っていなかった。相手の力量を勝手に判断して、返り討ちのような形で殺される。確かに、お似合いの最期ではないか。

 

――それに、もう友達を殺さなくてすむ……。あの人だって、まだ生きている。なら、私が死んでも……

 

『でもね、どうせ死ぬなら、せめて最後にみんなに会いたい』

 

 今度は、鈴木香奈子(女子9番)の声が聞こえる。そうだった。彼女もまた、生き残ることを目的としていなかった。みんなに会うためだけに、必死で行動していた。その願いを打ち砕いたのは――まぎれもない理香子自身だ。

 

――どうせ死ぬなら……。そう、私だって……。どうせ死ぬなら、生き残って欲しい人を選ぼうって……。

 

 ギリギリと首が絞まっていく。満足に呼吸のできない時間が、一体どれだけ続いたのだろう。けれども、どうやらまだ死んではいないらしい。ああ、死ぬのも案外大変なのかもしれない。そんなことすら、ぼんやり考え始めていた。

 

『そんなことやめて!』

 

 ハッとする。今度は、東堂あかね(女子14番)の声だ。ほんの一時間ほど前に言われた言葉。あまりに必死なあの声が、理香子の意識をほんの少しだけ現実に引き戻した。

 

『中途半端なのは、好きじゃないから』

 

 今度は、橘亜美(女子12番)の声が聞こえる。中途半端。その言葉が、やけに胸に突き刺さった。

 

『プログラムなんてもので壊れるくらい、あなたの友情は安いものだったと、そういうことなのね』

 

 先ほど浮かんだ言葉が、また繰り返される。違う。安かったわけではない。どんな高価な宝石よりも、大切だった。大切だったからこそ、選べなかった。中途半端じゃない。何と言われようと、これだけは本当だ。

 

――なのに、こんなところで死んだりしたら……それこそ中途半端じゃない!!

 

 まだ死ねない。ここで死んだりしたら、何のために香奈子と綾音を殺したのか。何のために佐伯希美(女子7番)園田ひかり(女子11番)を見捨てたのか。何のためにあかねを傷つけたのか。何のためにここにいるのか。分からなくなる。

 

 全神経を右腕に集中させ、葉月に気づかれないようにそっとポケットの中に手を入れる。そこには、あるものが入っていた。念のためにと、ナイフと共に持ち歩いていたもの。綾音から奪った鎌とは違う、直接は殺せない別のもの。

 手に、そのあるものが触れるのが分かって、そっとそれを取り出す。押すべきボタンの位置を確かめてから、反撃されないように素早く葉月の目の前に突き付けた。

 

――これでもくらえ!!

 

 ボタンに添えていた人差し指に力をこめ、それを一気に噴射させた。元々は香奈子に支給されていた、催涙スプレー。その効果は如何なく発揮され、葉月が思わず手を離したのが分かった。

 

「きゃあああああ!」

 

 その隙に、両手で思いきり葉月の身体を突き飛ばす。催涙スプレーの不意打ちに驚いたのか、葉月はあっさりと理香子から離れ、地面に倒れこんでいた。

 

「痛い痛い痛いッ!! 何これ、痛いよぉ!!」

 

 何が起こったのか理解できていないのか、葉月は痛みにのたうち回っている。その痛みに慣れてしまう前に、早く殺さなくては。呼吸が整う時間も惜しく、急いでナイフを拾い上げ、咳をしながら葉月の元へとできる限り早足で向かった。

 

――まだ、まだ死ねないッ!! 私は、まだ死んだらダメなんだ!!

 

 左手で葉月の肩を抑えつけ、躊躇なく心臓に向かってナイフを突き刺そうとする。ようやく状況を理解できたのか、葉月が手をバタバタと動かして、何とか抵抗を試みようとしていた。

 

「私は、今ここで、殺されるわけには、いかないのッ! おとなしく、死んでよッ!!」

 

 躊躇いなく、葉月の心臓に向かってナイフを突き立てようとする。催涙スプレーの効果がどれだけ続くのか分からない以上、葉月が大声をあげている以上、一刻も早く殺さなくては。まだ呼吸が満足にできないこの状態では、相手が誰であろうと勝てる可能性は低い。葉月を仕留められても、別の誰かにすぐ殺されたのでは意味がない。

 心臓に突き刺そうとしたが、思いのほか葉月の抵抗が強く、狙いは外れて右肩へとナイフが吸い込まれていった。急いでナイフを引き抜き、また心臓を狙って突き刺そうとする。とにかく、早く殺さなくては。一刻も早く。

 しかし、どこにそんな余力が残っていたのか、ナイフを持つ手を止められてしまう。見れば、理香子の右手を、葉月の両手ががっちりと掴んでいた。その手に阻まれ、ナイフを突き刺すことができない。左手は葉月の身体を押さえつけるために、肩から離すわけにはいかない。何とか自力でこの手を振りほどかなくては。そう考え、力づくで引きはがそうとした。けれど――

 

「ねぇ……葉月は、狂っている?」

 

 思わぬ言葉が聞こえ、一瞬肩を押さえる手の力が緩んでしまった。慌ててもう一度葉月を押さえつけ、ナイフを突き刺そうとした。しかし、葉月は決して掴んでいる両手を離さなかった。

 

「葉月は、やりたいことやっただけなの。末次くんを殺したのも、ひかりちゃんを殺したのも、ただ葉月がそうしたかったからやったの。それなのに、みんな葉月のこと怖がった。信じられないって目で見てた。五十嵐くんには、狂っているって言われた。どうして? みんな、やりたいことやってるでしょ? 理香子ちゃんだって、こうしたいから葉月のことを殺すんでしょ?」

 

 催涙スプレーのせいなのかボロボロ泣きながら、まるで言い訳するかのように、葉月はポツリポツリと呟く。ひかりの名が出てきたことに驚きを隠せなかったが、今大事なのはそこではないと判断し、敢えて何も言わなかった。

 

「ねぇ、葉月はおかしいの? 理香子ちゃんから見ても、葉月は狂ってるの? 同じように殺そうとしている理香子ちゃんから見ても、そうなの? ねぇ、教えてよ」

 

 時間稼ぎや、油断をさせるための虚言ではない。葉月は、本気で聞いている。そもそも、葉月はあまり嘘をつかない。いつだって、感情をさらけ出して生きている。いい意味でも、悪い意味でも。

 そんな葉月が、他人からどう思われているか気にするなんて。そんなの関係なく、自分が良ければいいという考えの持ち主だったはずなのに。もしかして、葉月の心境を変えるほどの出来事でもあったのだろうか。人格すら変えてしまうほどの、何かが。

 

「なんでだんまりなの? 理香子ちゃん、いつも言いたいことはハッキリ言うじゃん。何? 葉月に遠慮でもしてるの? どうせ殺すのに?」

 

 ああ、そうか。それは、自分にも言えることか。こんな風に本当のことを話すのを躊躇うのも、何を言っていいのか悩むのも、理香子らしくないと言えばらしくない。相手が誰であろうと、まわりくどい言い方などせずに、ストレートに言いたいことはハッキリ言う。もちろん言うべき場面や分別はつけているが、こうして悩むことは滅多にないことだ。答えはとっくに出ているというのに。

 

 だから、ハッキリと質問の答えを口にした。

 

「……ええ、あんたは狂っている」

 

 嘘ではない、本当のことを。まわりくどい言い方などせず、ストレートに。目の前にいる葉月に、はっきり聞こえるように。

 

「でも、あんたよりも、私の方がもっと狂っている」

 

 本当のこと。狂人は、葉月よりも理香子の方だという――理香子にとっての真実。

 

「私は、香奈子と綾音を殺した。友達を二人も殺したの。友達を探しているあんたより、友達を殺した私の方が狂ってる。友達のために私を殺そうとしたあんたより、自分の目的のために友達を殺した私の方が、ずっとずっと狂ってる」

 

 どんな理由があろうと、どんなに言い訳をしようとも、かつて仲良くしていた友人を殺したという事実は変わらない。赦されるなんて、もちろん思っていない。理解されることも、あってはならない。誰よりも憎まれるべき、疎まれるべき存在でなくてはならない。そうでなくては、誰も救われない。自分の目的のために友人を切り捨てた狂人。それ以外の何者でもない。

 そして友人を殺していながらも、まだ正常な思考を保っている自分は、ある意味誰よりも狂っている。おそらく友人を殺してない、友人のために泣いたであろう葉月よりも、ずっと。

 

「……ふふっ、嘘だね」

 

 理香子の言葉を聞いて、葉月は少しだけ笑っていた。いつものような天真爛漫な笑顔ではなく、先ほどのような狂気を含んだ笑顔でもなく、どこか憂いを帯びた寂しい笑顔で。口元は笑いながら、目は相変わらずボロボロと涙を流している。奇妙な表情だ。でも、先ほどよりはずっと人間らしいようにも思えた。

 

「理香子ちゃん、いっぱいいっぱい泣いたでしょ? 殺したとき、心の中でいっぱいいっぱい泣いたでしょ? 自分のためじゃないもんね。誰かを生き残らせるために、友達を殺さなくちゃいけなかったんでしょ?」

 

 その言葉に、理香子は何も言えなかった。それは、否定することができなかったから。そんなことを思ってはいけないと、そんなことを思う資格などないと、そう思っている理香子の本心を正確に突いた言葉だったから。本心だからこそ、はっきりと否定できなかった。偽れなかった。

 

「理香子ちゃん、好きな人いるんだね。その人に生きてほしいから、綾音ちゃんと香奈子ちゃんを殺したんでしょ? それで、自分もいつかは死ぬつもりなんでしょ? そっかぁ……。あのね、咲ちゃんもね、好きな人がいたんだよ。そのときの咲ちゃん、すっごくきらきらしてて、葉月はすごく羨ましかったんだぁ……。咲ちゃんは、その人のために死んだのかなぁ……」

 

 ああ、そうか。小野寺咲(女子4番)にも、好きな人がいたのか。彼女は、その人のために死んだのだろうか。その人のために死ねたのなら、彼女は幸せだったのだろうか。好きな人のために人を殺す理香子の姿は、彼女からはどう見えるのだろう。醜く見えるのだろうか、それとも美しく見えてしまうのだろうか。

 どんなに知りたいと願っていても、それは叶わない。だから、咲がどう思っているのか分からない。もしこの場に彼女がいたら、一体どんな言葉をかけてくるのか。それを、理香子が知ることは永遠にない。

 

「葉月にもそういう人がいたら、理香子ちゃんみたいに強くなれたのかなぁ……」

 

 返答は求めていない、ただの独り言だ。なのに、この声に応えてしまった。応えずにはいられなかった。なぜなら、それは正しい評価ではないのだから。

 

「……強くなんか、ないわ。私は」
「でも、葉月を殺せちゃうくらいには、強いんだよ。葉月、弱くはないもん。……ううん、やっぱり葉月は弱いのかなぁ……」

 

 ああ、諦めているのか。生きることを。ナイフを止めたのも、こうして会話をするためだけ。決して、反撃や殺すためにやったのではない。

 もしかしたら、葉月はずっと、心のどこかで死にたかったのだろうか。友達を失って、失ったものの大きさに気づいて、生きていく気力がなくなったのだろうか。自分の欲に従い、この状況を楽しむことができなくなったのだろうか。悲しさの余り、狂気に呑まれてしまったのだろうか。殺していたときとは違う、別の狂気に。

 だとしたら、葉月は誰よりも純粋だ。何も知らない、幼い子供のように。

 

「ねぇ、葉月のこと、怒らないの? ひかりちゃんを殺したのは、葉月なんだよ?」
「そんな資格、私にはないわよ。あんたが殺さなかったら、私が殺していたのかもしれないし。まぁ……あかねや結香だったら、多分すごく怒るでしょうけど」

 

 それでも、あかねや結香がここにいたら、葉月を抱きしめて一緒に泣いてくれるのだろう。これからは一緒にいようと言ってあげるのだろう。過ちを赦し、彼女に救いの手を差し伸べるのだろう。あの子らは優しいから。優しいから、きっと過ちを赦すことができる。

 

――でも、私はそこまで優しくない。

 

 左手を肩から離し、その手で葉月の手にそっと触れる。葉月は何も抵抗せず、されるがまま、ナイフを止める両手を離していた。

 

「葉月は、秋奈ちゃんや咲ちゃんのところに行けるかなぁ。また、仲良くできるかなぁ」
「その前に、怒られるわよ。あの二人は、プログラムに乗らないだろうから」
「……そうだね。でも、それでも……二人に会いたいなぁ……」

 

 そう言って、葉月はそっと目を閉じる。閉じた目尻からは、新たに一筋の涙がこぼれ落ちていた。その涙の真意を考える前に、躊躇わず、右手のナイフを葉月の心臓に突き刺していた。

 あっけなかった。ナイフは、あっさりと葉月の心臓に到達した。表情は変わらず、葉月は静かに全生命活動を停止させていた。

 

「会えるなら……まだいいわよ」

 

 眠っているかのように死んでいる葉月の表情を見ながら、理香子はポツリと呟く。もう何も聞こえていない葉月に、話しかけるかのように。

 

「私はもう……みんなには会えないから……」

 

 安らかな表情の葉月とは対象的に、理香子の表情はどこか晴れないままだった。勝者のものとは思えないほどに。

 

女子8番 真田葉月 死亡

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