「おい、三時間経ったぞ」
横になりながらうつらうつらしていた有馬孝太郎(男子1番)の意識は、澤部淳一(男子6番)の声で現実へと引き戻された。もうそんな時間か、と時計を確認する。今、丁度九時を回ったところだ。さすが、こういうところはキッチリしている。
「もうそんな時間か。じゃあ、そろそろ出るか。幸治」
さらりとそんなことを言うと、後ろの方で「えっ……?」という声が聞こえた。姿こそ見えないが、その声は広坂幸治(男子13番)のものだ。先ほどの揺さぶりが効いているのか、その声色には明らかに動揺がにじみ出ていた。
「休ませてくれてありがとな。おかげさまで、大分調子が戻ってきたよ」
「別に」
そんな幸治の変化には気づかない振りをしつつ、淳一に礼の言葉を述べる。しかし、その返答はそっけないものだった。けれど、別に驚きはしない。この対応は想定内だ。淳一はこういうとき、素直な返事をするような奴ではない。
「これまでに、何か目立った変化はなかったか?」
「あったら言ってる。別に何もない」
「だよな。じゃあ、今近くには誰もいないのか……」
「須田のことなら、放送で呼ばれていない以上どこかで生きているはずだ。そのうち見つかるだろ」
まぁそうだろうな、と会話をしながら思った。何か変化があったら、淳一の性格上必ず知らせにくるはずだ。素っ気ない態度とは裏腹に、意外と他人のことをほっとけない奴だったりする。ここ数時間で、淳一にこういった一面があることは十分に理解していた。
こうして敢えて他愛のない会話をしていると、後ろから「えっと……」とか、「その……」という声が聞こえる。声だけでも、幸治がどう話を切り出すべきか迷っている様子が窺えた。どうにかしてここに居続けるための交渉をしたいようだが、さすがに淳一に直接切り出すのは躊躇われるらしい。先ほどの会話でもそれがあまり有効な手段でないことが分かっている以上、その躊躇は当然のように思えた。
――まぁ、元々気の弱い奴だしな。仮にこれが最も有効な手段だと分かっていても、そう簡単には切り出せないだろう。けれど、このままじゃ本当にここを出て行かなきゃいけなくなる。それはちょっと困るかな。
ただ、この状況を打開する方法は簡単だ。幸治が話を切り出せる状況を作ればいい。だから、孝太郎は後ろを振り向いて、幸治に一言こう告げていた。
「幸治。悪いが、少し席を外してくれないか? 澤部と二人っきりで話したいことがある」
「えっ……」
「おい。なんで広坂が一緒じゃダメなんだ? 別にいてもかまわないだろう」
思わぬ展開に、心の中で舌打ちをする。淳一と二人で話す状況を作り出すことで、間接的に幸治が宮崎亮介(男子15番)と二人っきりになれるように画策した。幸治が逡巡するのは予想通りだったが、淳一がこの提案をすんなり受け入れないことは想定外だ。幸治のことがあまり好きでないくせに、彼の気持ちを汲んだような発言。やはり、淳一は以前とは違うということか。
まぁいい、と考えることをやめる。別に、これくらいの障害は何てことはない。言い様はいくらでもあるのだから。
「ちょっと、澤部と今後について……というか、これまでの情報を合わせて色々整理したい。少し時間がかかるかもしれないから、その間宮崎と見張りをしてくれないか? 見張りが一人じゃ、あいつも負担だろう」
情報を得たいというのは、この状況では誰もが思うところだ。誰と誰が一緒にいて、誰が積極的に動いているのか。知っているとの知らないとでは、天と地ほどの差がある。淳一の立場と性格上、この提案を断るはずがない。亮介の名前を出せば、幸治に席を外してもらう理由もできる。こういう形で提案すれば、彼も納得せざるを得ないだろう。淳一が、亮介のことを特別視しているのは確かなのだから。
問題は、幸治がこの提案を受け入れるかどうかだ。ただ、先ほどの話で宮崎と二人っきりになりたいと、おそらく幸治も少しは思っていることだろう。そうすれば、ここに留まらせてほしいと、これからも一緒にいたいと、亮介に進言することができる。
「あっ……。うん……分かった」
願い通りの言葉返ってきたことで、思わず心の中でニタリと笑う。予想通り、幸治はこの提案を受け入れてくれた。今までなら、受け入れてはくれても、心のどこかで抵抗があっただろう。ただ、今のこの案は幸治にとっても都合がいいはずだ。孝太郎が淳一と話している間に亮介をうまく説得すれば、このままここにいたいという孝太郎の願いを叶えることができる。そうすれば、全てが丸く収まるはず。そう思っているはずだ。
しかし、淳一の本心を知っている亮介が、その提案をすんなりと受け入れるはずがない。拒絶された場合、幸治がどんな行動に出るのか。全てはそれ次第だ。いくつか予測はできるが、果たしてどれが当たるのかは分からない。分からないからこそ、面白いのだが。
「悪いな。なるべく早く終わらせるようにするから。そしたら、雅人探しに行こうな」
もちろん早く終わらせるつもりなどないが、敢えてそう言っておく。そうすれば、暗にあまり時間がないと思わせておくことができる。焦りは冷静さを失わせ、判断力を鈍くし、最も手軽で確実な解決法へと誘導してくれる。そして、そんな風に焦った人間が導き出した解決法は、大抵の場合悲劇へと導くことになる。
部屋から出て行く幸治の背中を見ながら、心の中でフッと笑う。もしかしたら、これが生きている幸治を見る最後になるかもしれない。思えば、中学に入ってから、幸治が傍にいない日はほとんどなかった。鬱陶しいと思ったこともあるが、完全にこちらに依存しきっている幸治の存在が面白くて、これまで付き合いを続けてきた。まさか、こんなところで役に立つ日がくるとは。
――雅人に比べて利用価値のない奴だと思っていたけど、どう転ぶか分からないものだな。どんなに無能な奴でも、それなりに信用を得ればいくらでも使えるってことか。三年の長い付き合いも、馬鹿にできないものだな。その間は、何一つ面白いことがなかったけど。
悲しいとは思わない。寂しいとも思わない。惜しいとも、思っていない。ただ、傀儡としてはとても優秀だったと思うだけ。人を翻弄するのは、やはりとても愉快だと思うだけ。
――まぁ、お前と一緒にいる毎日もそれなりに楽しかったよ。幸治。
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「あれ? 広坂どうしたんだ?」
広坂幸治(男子13番)が、有馬孝太郎(男子1番)らがいる部屋から見張りの部屋へ行くと、宮崎亮介(男子15番)がそう声をかけてきた。その言葉はとても友好的で、悪意はまるで感じ取れなかった。
「あっ……。いや……孝太郎が澤部と二人っきりで話したいらしいから……。その間、見張り手伝おうと……」
そう言いながら、亮介の隣に腰掛ける。見張りをしていた時よりも、少しだけ距離を詰めて。
「そうか。わざわざありがとうな」
幸治の真意を知らないからだろう。亮介は、そう労ってくれた。しかし今の幸治に、亮介の好意を素直に受け取る余裕はない。
『正直さ、このまま一緒にいたい気持ちもあるけど――』
これは、チャンスだ。亮介と二人きりになれる、またとないチャンス。先ほど話したときは無理だと言っていたが、孝太郎は本心ではここにいたいのだ。けれど、幸治や澤部淳一(男子6番)に気を使って、ここから移動しようとしている。そのために、淳一と情報交換をしているのだ。もう、ここには戻ってこないつもりで。
それは、孝太郎の本意ではない。自分や淳一のために、孝太郎に我慢などさせるわけにはいかない。情報交換をしている今の間に、何とかしなくては。
「広坂、どうしたんだ? 顔色すごく悪いぞ? もしかして、寝れなかったのか?」
そうやって考え事をしていると、ふいに亮介から声をかけられる。心配するかのように覗きこんでいたのか、声の方向に視線を向ければ、亮介の顔がすぐ近くにあった。実際、どうすればここに留まれるかずっと考えていたこともあって、まったく休息は取れていない。それが、顔に出ていたのだろう。
「ま、まぁちょっと……。あんま寝れなくて……」
「そうか……。まぁ、ここから出たら有馬に言って、できるだけ早く休ませてもらえよ」
亮介の言葉に、ズキッと胸が痛む音がした。多分、悪気はないのだと思う。けれど、なぜか今の言葉には、早く出て行ってほしいという本音が見えたような気がした。
――ダメだ……。このままじゃ、このままじゃ……!
このままではいけない。本当に出て行かなくてはいけなくなる。それは、孝太郎にとって望まないことだ。ここは、何とかしなくては。
ギュッと拳を握りしめ、幸治は意を決して話を切り出した。大して親しくもない人間、それも完全には信用していない相手に対しては、そうするだけでもかなりの勇気と決意が必要だった。
「あ、あのさ、宮崎……! ちょっと……相談があるんだけど……」
「えっ? 俺に……?」
幸治から相談を持ちかけられると思っていなかったのか、亮介は完全に目を見開いていた。このまま萎縮してしまう前に、本題に入らなくてはいけない。幸治は話を切り出した勢いのまま、気持ちをぶつけるかのように言葉を続けた。
「さ、澤部に言ってほしいんだ……。俺らを、このままここにいさせてほしいって……! だから――」
「……えっ? ちょ、ちょっと待って……! 今、なんて言ったんだ?」
幸治の言った意味が呑み込めないのか、亮介は慌てた感じでこちらの言葉を遮っていた。ここまで言ってしまったのだから、もう後には引けない。切り出した勢いのまま、今度は感情をぶちまけるかのように言葉を続けた。
「俺らを、このままここにいさせてほしいんだ……! 孝太郎も、本心ではそれを望んでいるんだよ! でも、澤部は俺の頼みなんか聞いちゃくれない! だから宮崎、お前から言って欲しいんだ!! 頼むよ! この通り!!」
もうなりふりかまってはいられないと、言い切るのと同時に地面に正座し、亮介に向かって土下座をしていた。普段なら、土下座など絶対にしない。増してや、大して仲良くないクラスメイトに対してへりくだるなど、プライドが赦さなかった。しかし、今はそんな小さいプライドなどどうでもいい。孝太郎の望みを叶えるためなら、これくらいのことはどうってことなかった。
それほどまでに、幸治は追いつめられていた。
「ちょっ、ちょっと待ってくれよ……! いきなりすぎて、正直話についていけない……。とにかく、頭を上げてくれよ……」
「お前が澤部に話をするって言うまで、絶対にやめない! 頼むよ! お前から言ってくれれば、澤部も納得するから!!」
「そんなこと言われても……。大体……お前はここから出ていきたかったはずだろ? なんで今さら……」
ああ、そうか。亮介のその言葉で、幸治は少しだけ冷静になれた。確かに、それは最もな疑問だ。確かに幸治は、一刻も早くここから出ていきたかった。それは、孝太郎がいないことに耐えられなくて、淳一のことが怖くて、亮介のことを完全には信用できなかったから。孝太郎に会えないまま死ぬのではないか。いつか淳一に殺されるのではないか。もしかしたら亮介に裏切られるのではないか。ずっと、怯えていたから。
けれど、今は違う。孝太郎はここにいるし、淳一や亮介のことも以前よりは怖くない。それは、一緒にいることで多少は慣れたということもあるだろうけど、それよりも孝太郎の機嫌を損ねてしまう方が怖いからだ。もちろん孝太郎はそんなこと言わないけど、心の奥底では軽蔑するかもしれない。それが何よりも怖いのだ。唯一信頼できる相手に見捨てられてしまったら、もうどうすればいいのか分からない。
正直なところ、生きている限り実感することのない“死”より、友人に見捨てられる方が何倍も怖い。そうなってしまったときのことなど、想像もしたくない。
「孝太郎が……そう望むから……」
「有馬が、そう言ったのか? 本当に?」
「あ、あぁ……」
「本当はここにいたいって? お前にそう頼んでくれって言ったのか?」
「い、いや……それは……。それに、俺や澤部が嫌がるからいいって……。で、でも……! 孝太郎はいつも人のことを優先に考える奴で、きっと澤部や宮崎に遠慮しているんだ! だから、せめてここにいさせるくらいは……」
「頼んだわけではないのか……」
幸治の懇願に、亮介は少し考えこんでいた。ポツリと呟いた言葉に、目の前が暗くなるような絶望感を抱いた。
「とにかく、広坂の言いたいことは分かった。二人が戻ってきたら、そこで改めて話をしよう。俺の一存じゃ決められないし、有馬の意志も確認したいし……」
「だ、ダメなんだ、それじゃ!! 孝太郎は、絶対遠慮するに決まってる!! それに澤部は、俺の話なんか聞いちゃくれない!! お前から澤部を説得してくれなきゃ!!」
それだけは回避しようと、亮介の服にしがみつきながら懇願した。亮介の提案は、この場合における最悪なパターンだ。そんなことをされたら、幸治が勝手に交渉したことがバレてしまう。頼んでもいないのに、どうしてそんなことをしたのだと責められるのかもしれない。そうすれば、孝太郎に見捨てられてしまうかもしれない。たとえ、幸治の言っていることが真実だったとしても、それを言っていいかどうかは別問題だ。むしろ、知られたくなかったことなのかもしれない。
目の前の景色が、ぐるぐると回り出す。まずい。これは、マズい。早くなんとかしないと、孝太郎がここに来てしまう。来てしまったら、もうこの話はできない。必然的に、ここから出ていかざるを得なくなる。
どうしたらいい……。どうしたら――
「でも……。こういうのは、ちゃんと本人に確認しないと……。広坂の思い違いってこともあるだろ。それに、須田のこともあるし……」
「あいつのことはどうだっていいんだよ! それより、お前から澤部に話をすればいいんだよ!! 仲いいんだから、それくらいどうってことないだろ!」
思い通りにならない苛立ちから、言葉が段々と高圧的になっていく。とにかく、亮介に話をさせないと。そんな焦りから、徐々に周りが見えなくなっていく。どうすれば、目的を果たせるか。どうすれば、全てが丸く収まるか。幸治の頭の中は、もはやそれだけだった。
ふと、亮介の傍らにある小さなテーブル。そこに、探知機と一緒に置かれているある物が目に入った。それは、幸治に支給されていた銃。ここに来てから、一度も触らせてもらえなかったもの。
もはやなりふり構っていられない。一瞬の判断で、幸治は手を伸ばしてその銃を手に取っていた。クラス一高身長である幸治は、当然腕も長い。思うより簡単に、銃をその手に取ることができた。
「と、とにかく……! 早く澤部に言ってくれよ!!」
亮介に銃口を向け、何とか説得してもらおうと試みる。それがもはや脅迫にあたる行為で、それこそが信頼関係をなくしてしまうものだということすら、追いつめられている幸治には分かっていなかった。
「広坂! お前何やってんだよ!!」
「い……いいから!! 言う通りにしろよ!! ちょっと話をしてくれるだけでいいんだよ!! でないと――」
「おいッ! 大声で何をやっているんだ!! 静かにしないと――」
幸治の言葉に重なるように、奥のドアから一人の人物が入ってきていた。その口調からして、相手が誰かなど考えるまでもなかった。チラリと横目で確認すると、予想した通りの人物がそこにはいた。
「……これは一体どういうことだ」
誰が聞いても分かるほど怒気を含ませた低い声で、この場に入ってきた人物。いや、声だけなく表情も、彼にまとわりつく雰因気も、全てが“怒り”という形で彩られていた。
「広坂、お前自分が何をしたのか……分かっているのか?」
殺意のこもった声で続けてそう言った澤部淳一は、静かにこちらに近づいてくる。その視線だけでも人を殺せるのではないというほどの、鋭い眼光でこちらを睨みながら。
これは、想定外の――最悪の展開だった。最悪だと思った瞬間、ドッと汗が吹き出していた。
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