殺意

 

 目の前の出来事を、頭では理解している。一体何が起こっているのか。そのこと自体を把握するのは、容易なことだ。問題は、こうなってしまった事の経緯、原因。そして、理由。

 

 冷静に考えれば、ここは理由を問うべきところ。なぜ人に銃を向けているのか。どうしてこんなことになっているのか。双方からきちんと説明を聞いて、できれば話し合いで解決。できなければ、ここから出ていってもらう。決して、力でねじ伏せようとしてはならない。そんなことをすれば、人としての道を外れることになる。

 けれど、状況を判断している冷静な思考とは別に、何かが腹の底から湧き上がってくる。恐怖ではない。困惑でもない。怒りとも――少し違う。今まで経験したことのない、全身を焼き尽くしてしまうかもしれないほどの熱を持った、はっきりとは言葉にはできない何か――

 ああ、そうか。これが――

 

「さ、澤部……!」

 

 得体のしれない“何か”に身を燃やしながら、それでもどこか冷静でいられた澤部淳一(男子6番)の耳に、広坂幸治(男子13番)の気弱な声が届く。まるで自分が被害者であるかのように、怯えた声でこちらの名前を呼ぶ。その声に、また少しだけ“何か”が湧き上がるのを感じる。

 

「淳一、あの……」

 

 幸治に銃を向けられている宮崎亮介(男子15番)が、こちらに視線を送りながら小さく呟く。亮介にもこうなった原因が分からないのか、困惑している様子が見て取れた。

 

「あ、ち、違うんだよ……。これは……」

 

 まるで魚が餌を食べるかのように口をパクパクさせながら、幸治が何か言おうとしている。なら、今は話を聞くべきだろう。そう、理由。こうなった理由を知らなくてはいけない。知らなければ、どうするべきかも分からない。話し合いをするにも、まずは相手の気持ちや意見を知るところからだ。

 だから淳一は、幸治が話し始めるのを待った。いつもなら、うじうじしている相手が話し始めるのを、悠長に待ったりなどしない。けれど、今は状況が状況なだけに、きちんと話を聞かなくてはならない。催促することも忘れ、淳一はただ幸治の言葉を待った。

 たっぷり一分以上の間を取った挙げ句、幸治が口にしたのはこうだった。

 

「決して宮崎を殺そうとしたわけじゃなくて……。ちょっと話を聞いてもらいたくて、それで……つい……。ホントなんだって……。ホント、殺そうとか思ってないって……」

 

 この状況で、謝るよりも先に言い訳しようとしている。何を言っているのだ。こちらが聞きたいのは、こうなった原因や理由であって、言い訳や弁明などではない。それに――

 

――つい……? つい手に取ったものが……銃だったとでも言うのか……。それで、殺すつもりなんてなかった……?

 

 幸治が手に持っているのは、元々彼自身に支給された銃だ。プログラムにおいて銃は、人を殺すために与えられる。それ以外の目的はない。相手が丸腰だと分かっていて、そういう道具を手に取った。それで、殺す気はなかったという言い訳が通るとでも思っているのか。それにもし、本当につい手に取っただけなら、どうして今だに手放さないのか。

 

 幸治の言い訳めいた保身的な態度に、何かが大きな音を立ててブツリと切れるのが分かった。

 

 全身を焼き尽くすほどの熱。その熱が、ほんのわずかに残っていた倫理的な思考をあっという間に燃やし尽くしていた。

 残ったのは――相手に対する純然たる殺意。

 

「銃を向けておいて、よくそんなことが言えるな」

 

 ズカズカと幸治に近づきながら、感情のままに言葉をぶつける。撃たれるかもしれないとか、亮介を人質に取られてしまうかもしれないという考えは、既に淳一の中には存在していなかった。存在していたのは、目的のために取るべき手段のみ。何をするにも、幸治の傍まで行かないと意味がない。幾分か離れたこの距離では、傷一つ負わせることができないのだから。

 

「ま、待ってくれよ……! ごめん! けど、これには事情があるんだ……! だから……」

 

 今更謝っても遅い。淳一は、その言葉に返事もせず、そのまま近づいていった。近づくたびに幸治は、外へとつながる出入り口の方へ後ずさりする。いつもより怯えた表情で。

 

「く、来るな……! 来るなよッ!!」

 

 ただならぬ雰因気に恐怖を覚えたのか、今度はこちらに銃口を向けてくる。そうか、やはり殺すつもりだったのか。なら、最初からそう言えばいいのに。言い訳なんかしなくても、やっていることは変わらないのに。

 

 銃口を向けられても、淳一はどこか冷静だった。殺意に身を燃やしながらも、頭の片隅では状況を正確に把握していた。

 

 銃口を向けられはしたが、もうかなり近づいていたおかげで、左手で思いっきり腕をはたくことで、いとも簡単に銃を払うことができた。銃は、はたかれた勢いのまま宙を舞い、出入り口付近の壁にガツンとぶつかってから地面に落ちていた。対照的に、幸治の体は硬直していた。

 一瞬の硬直の後、幸治は急いで銃を取りに行こうとする。その幸治の左腕を掴み、そのまま軽く足払いをかけた。踏ん張りの利かない足は見事に宙に浮き、彼は腹から地面に倒れ込んでいた。

 うつぶせに倒れた幸治の背中を、右足で踏みつける。踏みつける力が強かったのか、「く、苦しい……。頼むよ……。赦してくれよ……」という懇願の声が聞こえた。

 そんな幸治の声を意に介さず、右手に持っているものをスッと持ち上げる。その手にあるのは、元々亮介に支給されていた鉄串だ。どうせ二人は出ていくのだからと、見張りのときのまま持ち続けていたものだ。

 

「淳一!! それはダメだ!!」

 

 淳一がしようとしていることを察したのか、後ろの方から亮介の慌てた声が聞こえる。いつもの淳一なら、その声で考え直そうと思ったかもしれない。しかし、殺意に身を燃やしている今の淳一に、その声ははっきりとは届いていなかった。

 

 背中を踏みつけたまま、しゃがみこむ。逃げられないように左手で首を押さえつけ、鉄串の狙いを定める。確実に息の根を止めるには、延髄を狙って刺すのが一番いい。一瞬で殺すことができる。下手な抵抗をされることもない。

 淳一がしようとしていることを察したのだろう、幸治がジタバタと抵抗する。しかし、背中を踏みつけている淳一にとって、それは大した障害にならなかった。いくらクラス一高身長故に長い手足を持っているからといっても、今はうつ伏せの状態。その状態で踏みつけている淳一の足を払うには、それらはあまりにも非力だった。

 

「た、頼むよ……。俺が悪かったって……! 本当に、宮崎を殺すつもりなんてなかったんだ! ただ話を聞いてほしかっただけなんだ!! だから止めてくれよ!! お願いだから、殺さないでくれぇ!!」

 

 幸治の命乞いも意に介さず、そのまま鉄串を狙ったところに突き刺した。丁度盆の窪と呼ばれるあたり。その先にある延髄。人間の急所の一つ。

 刺した瞬間、一度だけビクリと幸治の身体が動いたが、それだけだった。深く刺すとき、何か固いものの邪魔があったが、構わずグリグリと押し込むとあっさりと延髄まで到達した。呼吸中枢である延髄を破壊したせいか悲鳴一つあげることなく、目を見開いたまま、幸治は死んだ。

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 殺意に支配された身体が、目的を果たしたことで少しずつ現実へと戻ってくる。周囲の音、目に入る映像、それらが感覚として認識できるようになる。そう、自分が何をしたのか、事実として把握できるところまで。

 

「あっ……」

 

 目の前にあるのは、幸治の遺体。彼のうなじにあるのは、ポツリとした赤い点。自分の右手にあるのは、亮介に支給された鉄串。その先端数センチに、赤いものがついている。それを見た瞬間、反射的に鉄串から手を離していた。地面に落ちた際、カランという無機質な音が、静寂に包まれたこの空間に響いていた。

 フラッシュバックする、つい今しがた起こった出来事。幸治の声。刺した感触。それがようやく現実のものとなる。その瞬間、自分のやったことに、言いしれぬ罪悪感と恐怖が襲った。

 

――俺は……何をした? 殺したのか……? 広坂を……?

 

 どうしてこのようなことになったのか、はっきりと覚えている。自分が何をしたかも、分かっている。けれど、なぜ話も聞かず、追い出すこともせず、何よりもまず殺そうと思ったのか。

 

『お願いだから、殺さないでくれぇ!!』

 

 命乞いをする幸治の言葉に耳を貸さず、ただ確実に殺す方法だけを考え、躊躇なくそれを実行したのはなぜか。人を殺すなんてこと、絶対にしないと決めていたはずなのに。そのような行為は、何よりも嫌悪すべきものだと思っていたはずなのに。どうして。

 

 おぼろげながら、理由は分かっている。制御できなかったのだ。初めて抱く、怒りを越えた殺意というものに。

 

 これまであまり人と関わらなかったせいか、誰かを憎いと思ったことは一度もない。疎ましいとか、苛立ちを覚えたことは数知れない。けれど、殺したいとまで思うほどの感情を抱いたことは、これまでの人生でただの一度もない。

 知らなかった。誰かに向ける殺意という感情が、これほどまでに強力なものとは。理性や倫理観、それに付随する冷静な思考をも、いとも簡単に吹き飛ばしてしまうものだとは。

 

――人を殺すなんて、馬鹿のやることだと思っていた……。それを、俺はやったのか……? しかも、相手の急所を正確に刺し、確実に殺せる方法を選んだ上で……?

 

 父の影響で、中学生にしては医学的知識はある。人間の急所も、当然知っている。けれど、誰かを確実に殺そうとして得た知識ではない。こういうときのためのものではない。いつか医師を目指そうと思ったときのため、そうでなくても尊敬する父の知識の一端でも得たくて、好奇心から独学で得たものだ。

 それに、誰かを殺そうなんて思っていなかった。幸治のことだって、疎ましいと思いはすれど、殺したいとは微塵も思っていなかった。増してや、憎いという感情は欠片も抱いたことがない。なのに、この手で殺してしまうほどの殺意を抱いたというのだろうか。彼が、亮介に銃口を向けたことで。

 確かに、それは許しがたいことだ。けれど、だからといって殺していいわけではない。そんなことをしてしまえば、銃を向けた幸治と同等、いやそれ以下だ。それをしてしまった今の自分は、彼のことを責める資格はない。

 

――俺は……何てことをしてしまったんだ……。これじゃ……やる気の奴と同類じゃないか……

 

 自身に対する失望感。人を殺してしまったという罪悪感。そのせいか、周りの状況がまったく把握できていなかった。

 

「こ、これは一体……どういうことなんだよ……」

 

 ただ一人、ここにいなかった有馬孝太郎(男子1番)。彼が慌てた様子でこの部屋に入ってきたことに、まったく気づけないほどに。

 

男子13番 広坂幸治 死亡

[残り13人]

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