“信じる”ということ

 

「これは一体……どういうことなんだよ!!」

 

 広坂幸治(男子13番)が殺されるという目の前の出来事に立ち尽くしていた宮崎亮介(男子15番)の意識は、有馬孝太郎(男子1番)の声によって現実へと引き戻されていた。

 

「なんで……なんで幸治が死んでいるんだ!! 一体、何がどうなっているんだよッ!!」

 

 重い緊迫感に満ちた静寂に響く、孝太郎の怒りの大声。あの人当たりのいい穏やかな彼が、感情をむき出しにして怒っている。目の前で友人が倒れていて、その原因が他でもない今まで一緒にいた仲間かと思えば、それは当然の反応だ。いや、いきなり暴力に訴えないだけ、彼はまだ怒りを制御できているのかもしれない。

 頭のどこかで冷静にそのようなことを考えられても、言うべき言葉はまるで出てこなかった。意識は現実に戻ってきても、脳や身体はまるで追いついていないのだ。

 

「……おい、澤部!! お前がやったのかよ!! 黙ってないで、何とか言えよ!!」

 

 現場の状況から、澤部淳一(男子6番)がやったと考えたのだろう。孝太郎は、淳一へと怒りの矛先を向けていた。しかし、当の淳一は、自分がやってしまったことに思考が追いついていないのか、返答どころか微動だにしていない。それも当然だ。淳一は常々、「人を殺すなんて、馬鹿のやることだ」と言っていた。その“馬鹿なこと”を、プログラム上とはいえ、幸治が銃を向けるというキッカケがあったとはいえ、やってしまったのだ。

 淳一はいつも他人に厳しいことを言うが、それと同じくらい自分にも厳しい。それができているという自負が、彼に自信をもたらしているのだ。そんな彼が忌み嫌っていることを、絶対にしないと決めていることを、咄嗟とはいえやってしまった。己に対する失望、人を殺したという罪悪感。いくら幸治の態度に問題があったとはいえ、彼は誰も傷つけていないどころか、引き金を一度も引いていない。正当防衛を主張するには、あまりに乱暴すぎる状況だった。

 

「何とか言えよ!! おい、宮崎! お前も見てたんだろ! 一体何がどうなっているんだ!!」

 

 淳一が何も答えないせいか、孝太郎は亮介へと質問の矛先を変えていた。その言葉で、ハッとする。そうだ。淳一がショックで何も言えない状態であるならば、ここは自分がきちんと説明しなくてはいけない。こうなってしまった経緯、幸治が死んでしまった理由を。でないと、淳一が誤解されたままになってしまう。淳一が一方的に殺したわけではないことだけでも、孝太郎に理解してもらわなくては。

 

「い、いきなり……広坂がこのままここにいさせてくれって頼んできて……。有馬がそれを望むから、俺から淳一にそう話をしてくれって……。でも、俺が有馬に確認してからって言ったら、なんでか広坂が焦って……。そしたらいきなり銃を向けられて……。そこに淳一が来て……。それで――」

 

 亮介自身にもうまく整理できていないせいか、きちんと順序立てて説明することができない。そう、幸治からいきなりここにいさせてくれと頼まれて、なぜかと聞いたら孝太郎がそれを望むからと聞かされて。それを言うように頼まれたのかと問えば、そうではないと返されて。土下座までされたけど、とにかく確認してからでないと話はできないと答えた。そこから幸治が妙に焦りだして、態度も高圧的になって、一瞬の間に銃口をこちらに向けていて、そこに淳一がやってきて――

 

「だからって、何で幸治が殺されなくちゃいけないんだ! あいつは、誰かを殺せるような人間じゃない! 絶対に殺すつもりなんてなかった! 銃を向けたのだって、きっと咄嗟のことだったんだよ!! それに、幸治が本気で殺すつもりだったら、銃を向けたときにすぐ撃っているだろう! そんなの、一緒にいたら分かるだろ!!」

 

 そう、確かにそうだ。実際、亮介はそう思っていた。銃を向けているのは、ただの脅しでしかないと。おそらく幸治は、どこか追い詰められていて、それで何とか思い通りに事を運ぼうと銃を手にしただけなのだと。だから、あのとき殺されるかもしれないという恐怖はなくて、ただそうしたことに驚きを隠せなかった。とにかく彼を落ち着かせないといけないと判断し、声をかけて止めさせようとした。そこに淳一が現れた。

 あのとき、淳一がどう思ったかは分からない。ただ、心のどこかでは、幸治が誰かを殺すような人間ではないと理解していたはずだ。銃を持たせないようにしたことだって、おそらく万が一という意味合いでしかない。相手が本気で殺すかもしれないと考えているのなら、いくら亮介が進言したとしても、一緒にいることを絶対に受け入れないはずだ。その辺は、淳一も折り込み済みだったのだ。

 なのに、どうしてこんなことになっているのだろう。幸治だって、本当に誰かを殺そうと思ったわけではない。そして淳一も、本心から幸治を憎かったわけではない。なのに、目の前で人が死んでしまった。誰もプログラムに乗っていたわけではないのに。殺したかったわけではないのに。

 

――なんで……こんなことに……。だって、誰もこんなこと望んでなかったのに……。淳一も、広坂も……

 

 いくら幸治が銃を向けていたとしても、即座に殺すべきだと判断するところではなかった。まずは話を聞いて、どうしてそんなことをしたのかと理由を問うべきところだった。実際、淳一もここに来た時は、そうしようとしている節があった。幸治が言い訳めいたことを口にした瞬間、淳一の目の色が明らかに変わった。あのときの淳一は、今まで見たことのないような表情をしていた。いつか、亮介がストーカーのように家まで着いてきたときに責めてきた、あのときよりもずっと歪んだ怒りを抱いたような表情を。

 

――もしかして、広坂が言い訳したことで、キレてしまったのか? それで、感情のコントロールができなかったんじゃ……?

 

「そんなこと言って!! 最初からこうするつもりだったんじゃないのか?!」

 

 そんな亮介の思考を知らないせいか、孝太郎はこう叫んでいた。そうだ。目の前で友人が殺されている彼にとって、相手の殺意の有無は関係ない。大切な友人が、信頼していたはずの仲間に殺されたという事実。今の彼にとって、それだけが重要なのだろう。亮介がその立場だったなら、きっと孝太郎と同じような態度を取る。

 

「優勝できるのは、一人だけだもんな。いつかは、こうしなくちゃいけないもんな! 信用させるだけさせておいて、いつかは俺ら全員を裏切るつもりだったんだろう!!」
「それは、違う!!」

 

 孝太郎が感情のままに吐き出した言葉に、考える間もなく反論していた。違う、それは絶対に違う。それだけは、何としてでも分かってもらわなくては。その誤解だけは、絶対に解かなくては。

 

「淳一は……誰かを殺そうなんて思っていなかった。俺のことも有馬のことも、もちろん広坂のことだって殺すつもりはなかった!!」
「そんなの信じられるか!! 実際、幸治は澤部に殺されているじゃないかッ!!」
「それは……、きっとうまく感情のコントロールができなくて……。あのとき、広坂が言い訳したから、ついカッとなってしまって……それで……」
「言い訳したから殺すのか?! そんなの、理由にならねぇだろ!!」

 

 確かにそうだ。それは、殺す理由にならない。それでも、おそらくそれが引き金になってしまったのは事実だ。些細なきっかけが、いつのまにか最悪の事態へと発展していく。それは、想像するよりもずっと頻繁に起こることだ。悪意のない発言が、両親の機嫌を損ねる。ちょっとした動作が、兄をイラつかせる。そのことは、家で嫌というほど実感してきたから。

 

「それに、何で宮崎があいつを庇うんだよッ!! お前は何もしてないじゃないか!! なんで幸治を殺したのか、俺は澤部の口から聞きたいんだよッ!」

 

 孝太郎が、泣きそうになっている。当然だ。目の前で、友人が死んでいるのだ。そうならない方がおかしい。きっと亮介が同じ立場になったら、孝太郎と同じような反応をするのだろう。

 

「それに……お前は思わなかったのよ……。いつかは、こうなるかもしれないって!! 澤部が、裏切るかもしれないって!! それとも、そんなことは絶対ないとでも思っていたのか?! 澤部は絶対裏切らないって!! それって――」
「いいんだ……。俺は、淳一になら、裏切られても」

 

 また考える間もなく口から出たその言葉に、孝太郎だけでなく、これまで微動だにしていなかった淳一までピクリと反応していた。その瞬間、静寂が訪れる。先ほどのような重く緊迫感に満ちた静寂ではなく、思考が完全に停止してしまったかのような、理解できないから何も言えないかのような――時が止まったかのような静寂。

 

「淳一がいなかったら、俺はとっくに死んでいた……。いや、ずっと前から、俺はちゃんと生きてなんかいなかった。淳一がいたから、ここまで生きてこれたんだ……」

 

 家族から蔑まれ、友達もできず、ずっと一人だった昔の自分。淳一がいたから、ここまで一人の人間として生きてこられた。道を外れることもなく、誰かに怒りをぶつけることもなく、普通に生きてこられた。あのとき差し伸べてくれた手があったから、今でもこうして立っていられる。

 

「淳一は……友達だから……。俺の……初めての……本当に初めての友達だから……。淳一なら、プログラムを何とかしてくれるって……。俺に、クラスのみんなを殺すなんてできないから……。淳一がそうしてくれるなら、それに協力しようって……。俺には、それくらいしかできることはないから……」

 

 淳一なら、プログラムを何とかしてくれる。あのときも、今も、心からそう信じてきた。そのためなら、どんなことでもするつもりだった。誰かに襲われたときは、身を盾にしてでも守るつもりだった。淳一が殺されそうになったときは、代わりに亮介自身が死ぬつもりだった。あの家に帰らなくていいように。淳一が、これからも生きていけるように。

 けれど、その一方で分かっていた。壊せる可能性と同じくらい、もしくはそれ以上に、プログラムを壊すことができない可能性も存在するということを。そして淳一が裏切ることはないと思っていながらも、まったく考えなかったわけではない。それでも信じることを選んだ。裏切られるかもしれないと心のどこかで分かっていながら、それでも丸ごと信じると決めたのだ。

 だから、今でもずっと信じている。このままプログラムを壊す方法が見つからなかったとしても、淳一には死んで欲しくない。人を殺してしまったとしても、生きていてほしい。たとえ優勝者という、本人の望まない形になったとしても。

 

「赦してくれとは言わない……。でも、話を聞いてくれないか……。それでも殺したいって言うなら、俺を殺してくれ……。頼むから、俺を殺してくれよ……」

 

 自然と涙がこぼれていく。そのまま孝太郎のところへ歩み寄り、その肩に両手を置いた。目を丸くする孝太郎を見ながら、絞り出すかのように言葉を続けた。

 とにかく、話を聞いてもらわないと。話せば、孝太郎だって分かってくれる。話さえ出来れば、もう誰も死ななくてすむ。少なくとも、淳一は死ななくてすむ。

 

「お願いだから……話だけでも……。淳一の話だけでも聞いてくれ……。もう二度と……こんなことが起こらないようにしなくちゃいけないんだ……。だから――」
「……もういい」

 

 先ほどまでとは違う、どこか冷めたような声と共に、腹に何かが押しつけられる。強く押しつけられているせいか、むせるような咳が出そうになる。痛いよ、そう言おうとした瞬間、孝太郎からこう告げられた。今まで聞いたことのない低く冷たい――両親や兄から罵声を浴びせられるよりもずっと低い――侮蔑と敵意のこもった声で。

 

「つまんねぇから、もう死ねよ」

 

 言い終わるのと同時に、くぐもった銃声が二発。銃声に合わせるかのように、押しつけられたところから衝撃と激痛がはしる。銃声が止めば、今度はどこからか逆流してきた血が、口から大量に吐き出される。押しつけられたところが今度は焼けるように痛み、そこから何か生温かいものが流れているのを感じる。一つ一つの変化を分かっていながら、何が起こったのかまるで理解できなかった。

 孝太郎の肩にかけた両手が、意志とは関係なく滑り落ちる。足に力が入らなくなり、立っていることもできなくなった。視界が、暗転と同時に上へと移動していく。天井が視界いっぱいに広がり、自分が倒れていることを理解しながらも、それでも何が起こっているのか分からなかった。

 最期に見た孝太郎の表情が、今まで見たことのないくらい歪んでいて、それが両親や兄を思い出させる敵意のこもった表情に似ていると分かっていても、心臓の鼓動が停止するまで、呼吸が完全に止まるまで、聴覚が完全に失われるまで、亮介には何一つ理解できなかった。

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「いいんだ……。俺は、淳一になら、裏切られても」

 

 完全に思考が停止した頭でも、澤部淳一(男子6番)の耳に宮崎亮介(男子15番)のその言葉だけは届いていた。それは嬉しくもあり、そして同時に悲しくなるような言葉だった。

 

――裏切られても……よかったなんて……。俺が、そんなことするわけないのに……。なんで……そんなこと言うんだよ……

 

 違う。そうではない。淳一のことを疑っているから、出た言葉ではない。むしろ信じているからこそ、裏切られても信じていたことを後悔しないと、本人が固く決意しているからこそ出た言葉なのだ。裏切りを恐れるのではなく、裏切る可能性も丸ごと受け入れるということ。ただ無条件に信じるより、それはずっと強い気持ちだ。それほど強い覚悟で、亮介は淳一のことを信じてくれて、一緒にいてくれたのだ。

 淳一は、亮介に裏切られることなど少しも考えていなかった。有り得ないと思っていた。見下していたとかではなく、本当に信じていた。けれど、もし仮に裏切られても、きっと後悔なんてしなかっただろう。疑って離れるより、信じて裏切られた方がいい。それだけは、淳一も亮介と同じ気持ちだった。

 

「お願いだから……話だけでも……。淳一の話だけでも聞いてくれ……」

 

 視界の端では、亮介が有馬孝太郎(男子1番)の肩を掴んでいる。涙声で何かを言っている。まだうまく聴覚も戻っていないせいか全部は聞き取れないけど、きっと孝太郎を宥めて話が出来るようにしてくれているのだろう。なら、早く立ち直らなくては。広坂幸治(男子13番)には悪いが、いつまでも引きずっているわけにはいかない。そう決意し、二人の元に行こうとした。けれど――

 

「つまんねぇから、もう死ねよ」

 

 その言葉の後に、二発のくぐもった銃声。それに合わせて、亮介の身体が揺れた。うるさい銃声の後は、耳が痛くなるほどの静寂が訪れる。銃声の後も亮介はしばらく立っていたけど、ほどなくして身体が床の方へと吸い込まれていった。倒れる際に響いたバタンという音が、静寂のせいかやけに大きく響いて聞こえた。

 淳一から少し離れたところに、亮介は倒れていた。目が見開かれ、口も開いたまま。ピクリとも動かず、何も言わないままで。

 

「亮……介……?」

 

 何が起きているのか、分からなかった。どうして、亮介が倒れているのか。どうして、起き上がろうとしないのか。どうして、痛いも何も言わないのか。先ほどまで、あんなに必死で孝太郎を説得してくれていたはずなのに。

 

「なん……で……?」

 

 うまく言葉が出てこない。今すぐ駆け寄って、怪我をしているのなら治療をしなくてはいけない。そもそも大丈夫かどうか、確認しなくてはならない。やるべきことがあるはずなのに、身体が少しも動いてくれない。幸治を殺したときとは別の意味で、身体が完全に硬直してしまっている。

 亮介の身体の下に、赤いものが広がっていく。真っ赤で、鉄の匂いのする何かが。それが何なのか。分かりたくて、分かりたくない。理解できるけど、理解したくない。脳が、現実を拒絶している。考えることを、放棄したがっている。それでも、考えようとしてしまう。頭の中はぐるぐるしていて、喉からせり上がってくる何かがあって、手足は小刻みに震えている。

 

「どう……して……」

 

 何が起きている? どうして亮介が倒れている? どうして真っ赤なものが亮介の身体から流れている?

 どうして、どうして、どうしてどうしてどうして――

 

「余所見するなよ、澤部」

 

 突然聞こえた、第三者の声。それが聞こえたのと同時に、パンッという銃声が鳴り響いた。腹部に衝撃を感じ、身体を後ろに持っていかれる。そのまま少し離れた壁にぶつかり、壁にもたれかかるような形で床に座り込んでいた。痛みは後から襲ってきて、見れば衝撃を感じたところからは、亮介と同じ真っ赤なものが流れていた。

 

「あーあ、もっと面白い展開になるかと思ったのに。想像以上につまんなかったな」

 

 いつのまにか近くに来ていたのか。こちらに何かを向けて立っている、一人のクラスメイト。死体と血が散乱する中、真っすぐ立っている唯一の人物。

 

「けど、お前の間抜け面は、想像以上に滑稽だったぜ」

 

 痛みのおかげか、目の前にいる人物の意外な言葉に驚いたせいなのか。はたまた、その人物の表情が、非常に腹立たしいものであるせいか。

 少しずつ、少しずつ、現実を認識し始めていた。

 

男子15番 宮崎亮介 死亡

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