本当の勝者

 

 どうして、こんなことになったのか。

 

 鼻につくのは、鉄のような臭い。視線の先には、二つの遺体。耳には何の物音も届かず、まるで時が止まったかのように静まり返っている。代わりに心臓の音が五月蠅く、腹の方からはその鼓動に合わせるかのようなタイミングで痛みが襲い、同時にそこから血が流れ出している。それは少しずつ自分を、周りを、赤く染め上げていく。床に落ちている小さな埃すらも、真っ赤に。

 澤部淳一(男子6番)は、今だに事の次第をよく理解してはいなかった。ようやく意識が現実に戻ってきて、少しずつ状況を認識し始めてはいる。しかし、こうなった理由も、原因も、まったく分からない。

 

「考えろよ」

 

 まるで心の声を読んだかのような絶妙なタイミングで、目の前にいる有馬孝太郎(男子1番)がこう告げる。先ほどまで向けられていた銃口は、いつのまにか下ろされていた。

 

「なんで、こんなことになっているのか。どうして、幸治と宮崎は死んだのか」

 

 孝太郎が言っている言葉の意味が、分からない。しかし、そんな淳一の心中を読みとったのか。孝太郎は、まるで面白いものを見ているかのような笑みを浮かべながら、続けてこう言っていた。

 

「でないと、お前は何も知らないまま死ぬことになる」

 

 加えて言われた言葉の意味も、理解できない。理解できないなら、考える必要がある。相手の言う通りにするのは癪に障るが、考えることに慣れてしまった頭は、意志とは関係なく思考を開始していた。なぜ、こんな悲劇に見舞われているのか。一体何が原因で、どこから歯車は狂い出したのか。何か悪かったのか。どうすればよかったのか。

 

 孝太郎と情報交換をしている最中、あまりに大きな声が聞こえたので、注意しようと見張りの二人のところへ行った。そしたら、広坂幸治(男子13番)宮崎亮介(男子15番)に銃を向けていた。銃を向けた理由を聞こうとしたら、開口一番、幸治は保身のために言い訳をした。それでカッとなってしまい、話を聞くことを止めた。そして、そのまま殺してしまった。事実だけを羅列すれば、おおよそこんな感じだった。

 いや、殺す前、幸治はなんと言っていただろうか。そして亮介は、彼から何を聞かされていたのだろうか。どうして亮介は、幸治に対して何もしなかったのか。逃げることも、銃を取り上げることもせずに。

 考えていく内に、少しずつ頭の中がクリアになっていく。周囲の景色も、はっきりと見えてくる。状況を整理していくうちに、冷静になっていくのが分かる。怒りや困惑といった感情が昇華していき、代わりに事実だけが見えてくる。まるで上澄みが気化し、綺麗な結晶だけが残るかのように。そう、とても皮肉なことに。

 

 しばしの間、そうしていた。そして淳一の中で、一つの結論が導き出されていた。

 

「お前……広坂に何か吹き込んだのか?」

 

 そう告げたと同時に、目の前の孝太郎がニヤリと笑う。その表情で、この一連の悲劇の首謀者がはっきりした。同時に、孝太郎こそが一番のジョーカーなのだとも。

 

『宮崎を殺すつもりなんて最初からなかったんだ! ただ話を聞いてほしかっただけなんだ!!』

 

 幸治が、亮介に一体何を言おうとしたのか。これまで一度も、向こうからアクションを起こしたことはなかったのに。それも、もうすぐ出て行くというギリギリのタイミングで。

 

 それは、その直前にそうせざるを得ない何かがあったからだと考えるのが妥当だ。そしてそれには、幸治以外の別の人間が確実に関与している。ここにいる人間以外のクラスメイトが来ていない事実を踏まえれば、ここにいる誰かが関わっている可能性が高い。タイミング的に考えれば、その前に一緒に休息していた孝太郎に原因があると見るべきだ。淳一が亮介と見張りをしていた三時間。その三時間の間に、孝太郎は幸治に何かを吹き込んだのだ。あまり淳一らに対して好意的に思っていなかった幸治が、孝太郎を介せず亮介に話そうとするほどの何かを。

 思えば、先ほど起こしに行ったときから、幸治はどこかおかしかった。そわそわとしており、何か言いたそうに口をもごもごさせていた。特に気にすることはないと敢えて言及はしなかったが、おそらくそのときには亮介に話すと決意していたのだ。そう考えれば、孝太郎が情報交換を申し出たのも、幸治と亮介を二人きりにするためだと分かる。おそらく二人きりにした上で、幸治に何かを話させようとしたのだ。

 しかし、それは一体何か。そして、それがどう展開すれば、ああいう状況に成り得るのか。もし孝太郎がこの一連の悲劇を想定していた上で吹きこんだのなら、幸治が亮介に銃を向けるところまで予測の範囲内だったと考えるべきだ。しかし、仮に幸治が孝太郎に心酔していたとしても、意図的にそこまで誘導できるものだろうか。いや、それでも――

 

「信じられない」

 

 また淳一の心の中を呼んだかのようなタイミングで、孝太郎が口を開いていた。

 

「まぁそこまで分かったんだから、全部説明してやるよ。俺は幸治にこう言ったんだ、このままここにいたいってな」

 

 ここにいたい――。もうすぐ出て行こうというタイミングで、以後の行動と正反対のことを口にしたということか。それも、ここに留まることを望まない幸治の前で。そんなこと、これまで一言も口にしなかったはずなのに。

 そうか、そういうことか――。その言葉の真意を、今度は瞬時に理解していた。

 

「そうか……。それで広坂は、お前のために亮介にここにいさせてほしいと頼んだんだな……。俺に話さなかったのは、断られる可能性が高いからか……。だから、亮介を介して俺を説得し、ここに留まろうとした……。けど、亮介が……」
「すんなりと受け入れるわけがない。少なくとも、俺やお前を交えてそのことを話そうとするだろう。でも、それは幸治にとってあまりよくないことだ。確かに、俺はここにいたいとは言った。けれど、それでもここを出て行くつもりだと幸治には話したからな。勝手なことしたと、俺に責められるかもしれない。そうやって焦れば、何かしらやってくれると思ったよ。現に、宮崎に銃を向けて、お前の怒りを買った」

 

 意図的に銃を向けるように誘導したのではなく、自発的にそうせざるを得ない状況に追い込んだ。いや、もっと正確に言えば、悲劇となる材料をばら撒き、秘かにこうなることを画策した。そのための仕込みを、あの三時間の間に行った。 焦ったとき、どんな行動を取る傾向にあるのか。性格上、どのような解決策を選ぶのか。ある程度性格を知らないとできないことを、自身に心酔する相手を利用することによって。

 ただここにいる全員を殺すだけなら、こんなことをする必要はない。その手に持っている銃で、不意打ちに全員を射殺すればいいだけの話だ。なのに、わざわざこんな面倒なことをする理由はただ一つ。それは、蒔いた種がどう芽吹くか。それにより、どのような悲劇が繰り広げられるのか。その過程を、首謀者である孝太郎が楽しむためだけに。

 

 ギリッと唇を噛みしめる。気にくわない。全ては目の前の男を楽しませるためだけに、興じられた遊戯だったのかと思うと。そのために友人は死に、自分は望まない殺人を犯すことになった。

 

「ちなみに、お前じゃなくて宮崎なら説得できるかもしれないと言ったのも俺だ。その方が幸治も話しやすいだろうし、宮崎ならお前と違って無碍には断らない。少なくとも、話し合いの場は持ってくれるだろう。話し合いということで俺にバレることを恐れたその方が、幸治が銃を手にしてくれる可能性も高いしな。本当に思った通り動いてくれて、正直拍子抜けするくらいだったよ。まぁでも、本当はお前か宮崎が幸治を殺すことで、仲違いしてくれることを期待したんだぜ。けれど、宮崎は俺が思っている以上に、お前のことを信じていたんだな。あんだけ煽ったのに、全然お前を裏切る気配がなくて、面白さが半減だ。しかしまぁ裏切られてもいいだなんて、一体どうやったらそこまで手懐けられるんだ?」

 

 ニヤニヤ笑いながら、孝太郎は不愉快な質問をしてくる。手懐けるとか、一体人をなんだと思っている。友人は、従順なペットではないのだ。それともこの男にとって、友人とはその程度のものだということか。

 

「お前にとって……広坂は利用するだけの駒でしかなかったということか……? 須田のことも……」
「何言ってんだ。所詮、そういうものだろ? まぁ、これは幸治だからできたことで、雅人じゃうまくはいかなかっただろうけどな」

 

 適材適所とでも言いたいのか。まったく、本当のろくでなしとは、目の前の男のことをいうのだろう。こんな奴と、三年間同じ空間で授業を受けていたのかと思うと、吐き気がする。

 不愉快だ。孝太郎の顔も、声も、口から発せられる言葉全てが。

 

「ああ、そうだ。冥土の土産ついでに、一つ教えてやるよ。この頬の傷さ、実は猫に引っかかれたものじゃないんだよ。ある女にやられたのさ。聞きたいか? 誰にやられたのか」

 

 興味もないし、知りたくもない。質問に答えるどころか、返事もしたくない。淳一が黙っていると、孝太郎は勝手に答えを口にしていた。

 

「佐伯だよ。これ、佐伯にやられたんだ。もちろん、その場できっちり殺しておいたけどな」

 

 佐伯希美(女子7番)――。意外な名前が出たところで、一度クリアになったはずの頭が再び混乱し始める。まさか、彼女は孝太郎に殺されたとでもいうのか。

 

「……嘘をつくな。あいつが、お前なんかに殺されるわけがない」
「その“なんか”っていう奴に、お前は殺されるんだけどな。でも、真実だよ。佐伯希美は、俺が殺した」

 

 そう言って、孝太郎はゆっくりとこちらに近づいてくる。そして、淳一の傍にしゃがみこみ、念を押すかのように「佐伯希美は、俺が殺したんだよ。マシンガンで、全身穴だらけにしてな」と口にしていた。まるで、事実を突きつけるかのように。

 

 まさか、そんなはずがない。希美が、こんなろくでなしに殺されるわけがない。仮にも、淳一より頭はいいのだ。そんな簡単に殺されてたまるものか。

 けれど――現実に希美は死んでいる。少なくとも、希美を殺した誰かはいるのだ。それが、目の前の男だということなのか。

 

「まったく馬鹿な女だったよ。たまたま見かけたんで、不意打ちで蜂の巣にしてやろうと思ったんだが、勘というやつでうまく避けられてしまってな。そのまま逃げればよかったのに、一緒にいた園田なんかを助けるために、わざわざその場に残って、俺に殺されてくれたんだよ。嫌われていたんだから、さっさと見捨てればよかったのにな。時間稼ぎのためなのか、いちいち刃向かってきたりして、本当にうざい女だったよ。この傷は、最後の最後でつけられたんだ。一体、これで何しようってんだよな」

 

 しゃがんだ状態から立ち上がり、面白おかしく笑いながら、希美のことを馬鹿にしながら、どこか得意げに孝太郎はペラペラと勝手にしゃべり出す。希美のことを蔑むような発言を聞くたびに、なぜか妙にイラつく自分がいた。

 

「ここでは、友情も愛情も何も関係ないのに、そんなものに固執するなんて馬鹿らしい。お前も、佐伯も、そんなもののために死ぬんだから、本当にくだらないよ。お前らの頭脳だけは認めていたのに、正に宝の持ち腐れじゃないか」

 

 そんなもの。そんなものとは何だ。それが、何よりも大切だった。確かにうまく利用すれば、生き残ることも可能だったかもしれない。けれど、そんな考えは淳一にはなく、そしておそらく希美にもなかった。それに、自分の頭をどう使おうと、その人の勝手だ。そして、それを馬鹿にする権利は、誰にもない。

 それに、希美は園田ひかり(女子11番)を守ろうとした。その行動に少しばかりの疑問はあるが、その理由は痛いくらいに分かる。もし亮介と一緒にいるところを孝太郎にいきなり襲われたとしたら、おそらく淳一も同じことをする。たとえ、それで自分が死んでしまったとしても、後悔はしないだろう。自分の命一つで友人を守れたのなら、それはきっと自分一人が生き残ることよりずっと嬉しい。

 

 けれど、孝太郎の考えは違う。友人は、自分がうまく立ち回るための駒。そして、おそらく自分を良く見せるための鏡という扱いでしかない。幸治はどうだか分からないが、少なくとも須田雅人(男子9番)と友人になったのはそういう理由だろう。その点から考えれば、雅人は正にうってつけの人物だ。真面目という言葉を絵に描いたような彼と友人であれば、周囲の信頼を得ることも容易い。さらに、クラス委員である彼をサポートすれば、自身の優秀さも同時にアピールすることができる。

 そしてその関係に、相手の気持ちは考慮しない。いくら尽くしてくれても、信頼を置いてくれても、本人はそもそも相手を対等に見ていない。だから、幸治から向けられる信頼や友情を、こんな非情な形で利用できる。

 

「……最低だな。広坂も、須田も、お前のことを本当の友人と思っていたはずだ。だからこそ、広坂はお前の望みを叶えようとした。利用できるかどうかでしか見ていないお前に、人のことを偉そうに批判できる権利はない」
「幸治を殺したお前が、あいつの気持ちを汲んだような発言をするんだな。何だ? あいつに同情でもしているのか? それとも、間接的に佐伯のことを言っているのか?」

 

 同情などという、ある種相手を見下す感情は持ち合わせていない。そんな感情、抱かれるだけで相手も迷惑だろう。だから、今胸に渦巻くこの感情は、そんな憐れみを込めたものではない。多分、怒っているのだ。相手の信頼や想いをいとも簡単に踏みにじった、目の前の男の不誠実さに。

 

「大体さ、いくら相手のために頑張ったところで、その気遣いを相手が無にしたら意味ないじゃないか。ほら、三回目の放送で、園田は佐伯の次に呼ばれただろう? きっとさ、俺から逃げた先で別の人間に殺されたんだろうさ。せっかく佐伯が命がけで逃がしてくれたのに、それを無駄にする園田もある意味不誠実だよ。すっげぇ悲鳴だったから、きっとろくな殺され方してないだろうさ。もう面倒だったから、遺体も確認してないけど」

 

 何が可笑しいのか、孝太郎は面白そうに笑っている。ケラケラと。こちらの神経を逆撫ですることを意図した、小馬鹿にしたような笑い方で。

 しかし、淳一にとってはもうどうでもいいことだった。それよりも、孝太郎が今言ったこと。そこに、少し違和感を覚えた。その原因をはっきりさせるため、頭の中で思考を開始していたからだ。先ほどよりも、ずっと落ち着いた状態で。

 

 ひかりを殺したのは、孝太郎ではない別の誰か。孝太郎も知らない誰か。孝太郎はひかりを殺せなかった。

 希美は殺せて、ひかりは殺せなかった。おそらく希美が、孝太郎に抵抗したことで。その事実が、指し示す意味は――

 

「……ハッ、ハハッ」

 

 その意味を理解した瞬間、先ほどまで抱いていたはずの怒りの感情は昇華し、代わりに笑いがこぼれ出ていた。いきなり笑い出した淳一を見て、孝太郎は少しばかり不愉快そうな表情を浮かべる。

 

「何がおかしいんだよ」
「……いや、安心したんだよ。佐伯は、お前に負けたわけじゃないんだってな」
「何言ってるんだ? 俺に負けただろ。あいつは、俺に殺されたんだから」
「違う。負けたのは、お前の方だよ」

 

 “負けた”という言葉に、孝太郎は分かりやすく口元を歪める。ああ、とても愉快だ。そう思ったから、もう一度はっきりと口にしてやった。

 

「お前は、負けたんだよ。佐伯希美に」

 

 負けたと言われる理由が理解できないのか、孝太郎は口元を歪めたままこちらに銃口を向けていた。それは、幸治が持っていた銃だった。おそらく、先ほどもあれで撃たれたのだろう。先ほどまで見えていなかった銃の詳細に目がいくほど、自分は冷静になれたのだと分かる。

 

「……負け惜しみは止せよ。いくらお前が勝てない相手が俺に殺されたからって、お前らしくもない屁理屈並べて――」
「殺せなかったんだろ? 園田のことは」

 

 孝太郎の言葉に被せるかのように、事実を確認してやる。それを否定することはできないせいか、孝太郎はグッと黙り込んでいた。

 

「一緒にいた園田を殺せなかったから、負けたとでも言いたいのか……? 確かに、佐伯は園田を逃がすために色々抵抗してきたけど、それだけじゃ――」
「お前は、知らないだろう? 佐伯希美が、なぜあんなに成績がいいのか」

 

 返すべき言葉が見つからないせいか、また孝太郎は黙り込む。もう少しもったいぶって、その混乱している顔を観察してやってもよかったが、こちらの体力が持ちそうになかったので、すぐに答えをを口にしてやった。

 

「集中力だよ。あいつは、一つのことに集中し出したら、他の一切を放棄する。それこそ、寝ることも、食べることもな」

 

 佐伯希美のずば抜けた成績の理由。それは、すさまじい集中力だ。例えば、一つのことに興味を持ったとする。そしたら、彼女は必ずその興味の対象をどこまでも追求する。友人が話しかけても返事をせず、日が落ちたことにも気付かない。生きていくために必要不可欠であるはずの、寝ることも、食べることも忘れるほどに没頭する。人間が生存するための基本的な欲求さえ長時間忘れるほどに、追求し続ける。本人が、その対象に対する知識を満足するほどに得るまで。

 加えて、彼女の興味の対象は幅広い。宇宙の起源に興味を持ったかと思えば、数日後にはこの国の歴史に関する書物を読んでいたりする。寝食を忘れるほどのすさまじい集中力と、子供のような知的好奇心の旺盛さ。それが、希美の優秀な成績を支えているのだ。まぁその分、点数のムラがあるのもまた事実なのだが。

 

「おそらく、そのときのあいつは園田を逃がすことだけに集中していたはずだ。そうなったら、もう自分の命などどうでもいい。むしろ、自分の命すら、園田を逃がすための材料程度にしか思っていなかったかもしれないな」
「だから……なんだっていうんだ。それと負けたことは、関係ないだろう」
「まだ分かんねぇのかよ。思ったよりも馬鹿なんだな、お前」

 

 “馬鹿”と告げた途端、孝太郎の顔が真っ赤に染まる。どうやらこの男、自分が誰よりも優秀であると思っているせいか、馬鹿にされるのが大嫌いだと見える。淳一にもそういう一面はあるが、他人を通して見ると実に滑稽だ。

 

「園田を逃がせれば、佐伯はそれでよかった。つまり、園田を殺せなかった時点で、あいつの目的は果たされたことになる。だからお前は負けたんだよ。あいつの命を懸けた一世一代の大勝負に、お前は負けたんだ」
「けれど、園田は結局すぐ殺されただろ」
「それは結果論でしかない。逃げた先でやる気の奴に会う園田が、馬鹿だっただけの話だ」

 

 希美の目的は、あくまで孝太郎からひかりを逃がすこと。あわよくば、他の友人らに孝太郎のことを教えること。その目的の中に、希美自身の生存は含まれていない。おそらく孝太郎に攻撃されたことで、彼がマシンガンを持っていることが分かったのだろう。だからこそ、二人とも助かるのは不可能だと判断し、ひかりの生存を優先した。そして、その目的は果たされた。ただ、ひかりがその後すぐ別の誰かに殺されることは、さすがの希美も想定していなかっただろう。

 せっかく希美が命を懸けて逃がしたというのに、結果的にはひかりもすぐに殺されてしまった。結論から言えば、希美の行為は無駄になってしまったということになる。なので、孝太郎の言っている意味も間違っているわけではないのだ。思わず、心の中で舌打ちをする。

 ひかりに関しては、淳一もあまりいい印象は持っていない。傍目から見ても、ひかりが希美を含めた主流派メンバーの一部を嫌っていることは明らかだった。なのに、いつまでも友達面をしている。だから、一度ハッキリ希美本人に言ったことがある。どうして、園田ひかりと一緒にいるのだと。あいつはお前のことを好きではないのにと。そのとき、戸惑いながらも希美はこう答えたのだ。

 

『でも……私にとっては友達だもん』

 

 そのときは、その言葉の意味が理解できなかった。相手に嫌われているのに友達でい続けるだなんて、希美が辛いだけではないだろうか。淳一の言葉に驚かなかったことから、彼女はそれを知っていたはずなのに。

 淳一が亮介と友人を続けていられるのは、向こうが友人だと思ってくれているからだ。もしひかりのような感情を亮介が抱いていたとしたら、正直なところ友人を続けられる自信はない。無償で友情を提供し続けるだなんて、淳一には到底できない芸当だ。

 それを、希美はできてしまった。虐げられた過去も多大に影響しているのだろうが、おそらく本当に希美はひかりのことを大切に思っていたのだ。それこそ、淳一が亮介に抱くものと同じくらいに。

 

――それを、無駄にしやがって……! せっかく、佐伯が命がけで助けたっていうのに……!

 

 けれど、同時に思う。それは、孝太郎が最後につけられたという、頬の傷のこと。

 

『これは、最後の最後でつけられたんだよ。一体、これで何しようってんだよな』

 

――ああ、そうか。あの頬の傷は、あいつなりのメッセージだったのかもな。有馬はやる気になっているっていう。頬にこんな傷を負わせられるくらい、誰かに攻撃されたのだと。それは、必然的にやる気である可能性が高いと。よく考えれば、猫に引っかかれたにしては、色々と不自然なところはあるしな……。

 

 最後の最後に、希美が無意味なことをするとは思えない。そして傷の場所から考えれば、おそらく孝太郎へのダメージを目的としたものではなく、誰かへのメッセージだった可能性が高い。単純な文字では消されてしまう恐れがあるが、傷という形でなら簡単には消すことができないからだ。もしそうだとしたら、そのメッセージを伝える対象に、淳一は含まれていたはずだ。いや、もしかしたら淳一のみを対象としたものだったのかもしれない。いくら孝太郎に消されないためとはいえ、こんなわかりにくいメッセージ、淳一以外に分かるはずもない。

 

――そうだったんだな……。お前の気持ち、無駄にしちまったんだな……。俺も、園田のことは言えないか……。

 

 額に何かを押し付けられる感覚が、淳一の思考を現実へと引き戻す。顔を上げて見れば、孝太郎が幾分か落ち着いた表情でこちらを見ていた。

 

「……で、それが分かったところで何だって言うんだよ。お前は、俺に殺されるんだぜ? 宮崎も死んだ。お前は、俺に負けただろ?」
「確かに、俺はお前に負けた。それは認めてやるよ。亮介を死なせたんだからな。けれど、自分が一番だと思っていたら大間違いだぜ。まだ十人以上残っているんだ。もしかしたら、意外な奴がお前を殺してくれるのかもな」

 

 前回の放送で、残りは十五人。ここで三人死んだことで、生きているのは多くても十二人ということになる。この中に、誰か孝太郎を殺してくれそうな人はいただろうか。古賀雅史(男子5番)は空手部で身体能力は高いはずだし、加藤龍一郎(男子4番)は頭の回転が速い。期待できそうなのは、このくらいか。ああ、確か下柳誠吾(男子7番)もそれなりに身体能力が高かったはず。以前体育の授業で短距離を走ったとき、出席番号の関係で隣を走っていた誠吾が、はるか先を行っていたことがあったか。逆に友人である雅人と、生きている中で唯一会っている東堂あかね(女子14番)は、性格上利用されそうだ。冷静に判断できる誰かと一緒にいればいいが。

 孝太郎さえ優勝しなければ、もう誰が生き残ろうがどうでもいい。もしかしたら生き残ることが、死ぬことよりも辛いかもしれないから。

 

――それに、亮介も佐伯もいないんじゃ……生きててもしょうがないしな……。

 

 ガチリという金属音が聞こえる。見れば、孝太郎が銃の後ろのレバーらしきものを押して、弾の入っているシリンダーを回転させていた。

 

「何か言い残したいことでもあるか?」
「ねぇよ」

 

 伝えるべき遺言もないし、伝える相手もいない。それに、この男に言ったところで、伝わるかどうかも定かではない。いや、むしろ悪い形で利用されるのがオチだ。

 痛みはもうなくなっている。もはや痛覚すらまともに働いていない。流れている血は、バケツ一杯分はゆうに超えている。視界は歪み、意識も朦朧とし始めている。体温も下がってきているのか、少しずつ寒気を感じるようになってきた。遅かれ早かれ、死ぬことは確実だ。今更、命乞いをする意味もない。

 悔しくはあるが、抵抗する気力はない。今となっては、幸治を殺した後悔もない。後悔があるとすれば、信じてくれた友人を死なせてしまったことだけ。

 

――亮介……ごめんな……。信じてくれたのに……お前を死なせてしまった……。お前には、これからまともな人生を歩んでほしかったのに……。

 

 少し離れたところにある亮介の遺体を見ながら、心の中で懺悔した。死なせないと誓ったのに、目の前の男に殺されてしまった。きっと亮介のことだから、許してはくれるだろう。怒るとしたら、これから淳一が死のうとしていることの方かもしれない。現実問題、もう不可能だと分かっていても。

 生きることを望んでくれる人がいるのに、その期待にもう応えられない。死への恐怖よりも、その期待に応えられない方がずっと辛い。

 

――佐伯には怒られるんだろうな……。せっかくメッセージ残したのにって。仕方ないから、今回だけは怒られてやるか……

 

 静寂が訪れる。孝太郎は、引き金を引かない。一分が十分に感じられるほどの、重くてゆっくりと時が流れるような静寂。沈黙が苦となるような静寂。

 引き金を引かない理由は分かっている。だから、孝太郎の姿を視界から消すために目を閉じた。瞼の裏にある暗闇。ろくでなしを視界に入れるより、よほど落ち着く景色だ。

 

 孝太郎がすぐに殺さなかったおかげか、少しの間人生を振り返ることができた。家族に愛された幼少期、ろくでもない同級生に囲まれた小学校時代、そして青奉中学での三年間。

 十四年と十一ヶ月。短い人生だったかもしれない。生きたくなかったかといえば、それはもちろん嘘だ。できるだけ長生きしたいに決まっている。けれど、命の尊厳を踏みにじってまで生きようとは思わない。それは、亮介に会う前から、希美と張り合い出す前から、淳一の中の一つの信念だ。

 

『やりたいようにやりなさい』

 

――父さん、母さん、帰れなくてごめん。でも……

 

『お前の人生なのだから』

 

――父さんの言ってくれた通り、やりたいようにやったよ。だから、友達も張り合える奴もできた。短い人生だったけど、それでも俺はちゃんと生きたよ。

 

 チッという舌打ちのような音が聞こえたかと思ったら、すぐにどこか聞き慣れたバンッという音が鼓膜を揺さぶった。ハンマーで殴られたかのような衝撃を額に感じた瞬間、淳一の意識は消失していた。至近距離から放たれた銃弾は、容赦なく淳一の額を撃ち抜き、頭蓋骨の一部を破壊し、脳にまで到達していた。

 重力に従い、身体が血だまりの中へと倒れていく。バシャンというしぶきをあげ、そのまま淳一はもう動かなかった。真っ赤な血が、先ほどよりも少しだけ早く、床を染め上げていく。それ以外は、時が止まったかのように微動だにしなかった。

 

 三つの遺体が横たわっている異常な状況で、たった一人立っている少年。その顔には、当初の目的を達成したという充足感など微塵も感じられないほど、不機嫌そうな表情が浮かんでいた。

 

男子6番 澤部淳一 死亡

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