果たすべき責務

 

 飲み終わったカップを台所まで置きに行きながら、橘亜美(女子12番)は小さくため息をついた。少し離れたソファでは、東堂あかね(女子14番)が横になり小さく寝息を立てている。家の中にいても寒さを感じるせいなのか、身体を少しだけ丸くした体勢で。

 泣き疲れたせいなのか、あの後ほどなくしてあかねは眠ってしまった。そうでなくても、肉体的にも精神的にも相当参っていたはずだ。眠ってしまうのは無理もないだろう。今のところ妙な気配も感じないので、起こす必要はないだろうと判断し、そのまま寝かせている。休めるときに休んだ方が、何かあったときに動きやすい。そうでなくても、これ以上あかねが疲弊する様を見たくはなかった。

 あかねが起きるまでじっとしているのも暇なので、食べたものや使ったものを片づけ始める。食べたお菓子のゴミはひとまとめにして近くのゴミ箱へ捨て、余った分はデイバックの中へとしまいこむ。使ったカセットコンロとやかんも、元の位置に戻しておいた。こうしていると、いつもとやっていることは変わらないようにも思える。けれど、首に巻き付いている忌まわしい爆弾の存在が、ここがいつもとは違う場所なのだという現実を突きつける。そのことを思い、また溜息がこぼれた。

 

 一通り片付けが終わったところで、あかねのために毛布を取りに行こうと、近くのドアからリビングを出た。右手にある階段を上り、静かに二階へと向かう。手すり付きの階段を数段上り、踊り場で百八十度方向を変え、また同じ段数だけ上る。一軒家によくある、折り返し階段だ。

 階段を上っているわずかな間だけでも、ため息は二、三回こぼれた。それは一つの気がかりが、ずっと心の中で引っかかっているからだ。

 

――有馬くんのこととか……。大事なこと……ほとんど言えなかったな……。

 

 弓塚太一(男子17番)の遺言を聞いたとき、こちらが想像していたよりもあかねはショックを受けていた。そのせいか、太一を殺したのは有馬孝太郎(男子1番)だということ、孝太郎以外にも冨澤学(男子12番)がプログラムに乗っていること、他にも八木秀哉(男子16番)が危険だということ。知らなくてはいけない大半の事実を、あかねに告げることができなかった。

 

『分かっていたの……。弓塚くんが、復讐を望むような人じゃないって。橘さんが聞いたようなこと、絶対思っているって……。だから、結香に一生懸命言ったの……』

『でも……私の言葉、全然届かなくて……! 結香は、弓塚くんを殺した相手に、復讐してやるって……。そんなの違う……間違っているって……私……言ったのに……。でも……全然ダメで……! 止められなくて……! 私、そんな結香が怖くて……逃げたの……』

 

 探していた辻結香(女子13番)に、あかねは既に会っていた。けれど、一緒にいることは叶わなかった。それは、結香が太一を殺した相手に復讐すると決意していたから。そんな結香をあかねは止めようとしたけど、結果的にその言葉は届かなかった。亜美の知り得る限り、彼女らはクラスで最も仲のいい友人同士、いや親友とも呼べる存在だったはずだ。そんな相手に言葉が届かなかったどころか、逃げるといういわば最悪の形で別れてしまった。そのときのあかねの気持ちはこちらの想像以上、いや想像すらできないほどだろう。

 そんな彼女に、少なくともいいとは言えない知らせを、重ねて告げる勇気はなかった。孝太郎とは少なくとも好意的な関係だったと記憶しているし、学や秀哉にしてもまったく衝撃を受けないわけではないだろう。知らせておいた方がいいと分かっていても、そのタイミングは大事だ。いつでもいいわけではない。傷口に塩を塗るような行為になってしまえば、それは親切ではなくただのおせっかいでしかない。

 

 考え事をしていると、いつのまにか階段を上りきっていた。大した運動はしていないはずなのに、まるで疲れ切ったかのようなフーッという大きなため息がこぼれる。それでも気を取り直して、目的の場所へと向かうことにした。

 二階にたどり着けば、踊り場と同じくらいの開けたところがあり、その先には廊下がある。その左側に二つ、右側に一つ、そして奥に一つドアがあった。ここに来たときにもザッと見回っていたため、既にその位置は把握している。そして一応全ての部屋のドアも開け、中に人がいないか確認しているため、目的のものがどこにあるかも分かっている。

 左側の手前のドア。階段から最も近いそのドアのノブに手をかけ、物音を立てないよう慎重に手前に引いた。ドアは開かれ、それにつられて部屋の中の様子が視界に入ってくる。

 一歩部屋の中に入ると、左手の隅に綺麗に畳まれた毛布が二つ置いてあった。そして奥には、既に敷かれている布団が二つ。一式全て揃っていて、それもつい最近洗ったばかりであるかのような真っ白でパリッとしたシーツもかけられている。整然と片づけられていて、そして何もかもが用意された部屋。まるで旅館を訪れた時のような、誰かのために存在している部屋。

 

――さっきも感じたこの違和感……。やっぱり、私たちが来ることを予期していたとしか思えない。

 

 確証はない。けれど、強制的に出て行ってもらったにしては、色々と説明のつかないことが多すぎる。だからこそ、考えてしまうのだ。これには、何か理由があるのではないかと。

 

 そもそもここの人達は、どのようにして追い出されてしまったのだろうか。プログラム会場になることを正確に知らされた上で、立ち退きを要求されたのだろうか。そして、出て行かなくてはいけない時まで、一体どれだけの猶予があったのだろうか。

 ここを追い出されて、果たして他に行く宛はあったのだろうか。仮に行く宛があったとして、いつかはここに戻ってくるつもりだったのだろうか。もしかしたら、もう二度と帰ってこないつもりだったのではないだろうか。けれど、掃除が行き届いている清潔な中の様子から、ここの住人はこの家を大切にしていたことが窺える。そんな愛着のある家を、簡単に手放すことなどできるのだろうか。手すりがついていることからして、終の住処として選んだ家かもしれないのに。

 

――私たちとは違って、命までは取られないかもしれない。けれど、それでも住む家を奪われてしまったら、どうしたらいいのか分からない。もし、この家に並々ならぬ愛着があるとしたら、きっとすごく辛かったに違いない。それなのに……

 

 ふと我に返り、頭を振ってその思考を追い出す。そのことを考えても、答えが出ることはない。確かめる術はないのだから。仮にここから生きて出られたとしても、この家の持ち主の所在を知ることはできないのだから。

 とりあえず当初の目的を果たすべく、毛布を一つ抱え部屋を出る。足を踏み外さないように慎重に階段を下り、左手のドアから再びリビングへと入る。物音を立てないように眠っているあかねに近づき、そっと毛布をかけた。毛布をかけたところで、あかねは少しだけ身じろぎしたが、またすぐに寝息を立て始めた。

 

――よく眠っている。眠れるだけ、まだいいのかもしれない。とにかく、さっきよりは落ち着いているようでよかった。

 

 これなら、起きた後で他のことも伝えられるかもしれない。そう思った矢先、あかねがポツリとこう呟いていた。

 

「いかないで……」

 

 あまりに声が小さかったので、聞き間違いかと思い耳を澄ます。途切れ途切れではあるが、確かにこう言っていた。

 

「いかないで……。私を……置いて……いかないで……」

 

 何かにすがりつくようなか細い声。怖い夢でも見ているのだろうか。閉じた瞳からは、一筋の涙がこぼれ落ちていた。

 

『そんなことやめて! 香奈子も綾音も、あの人もそんなこと望んでない! 理香子にだって死んでほしくないって思っているよ! ねぇ、お願いだから考え直してよ!』

 

 友人の一人である細谷理香子(女子16番)が、プログラムに乗った。そしてあの言葉からして、あかねにはその理由が分かっていた。分かっていながら、いや分かっていたからこそ、必死で理香子を止めようとしていた。その言葉は理香子には届かなかったけど、それでも彼女は最後まで諦めなかった。恨み事一つ言わず、最後まで理香子のために叫んでいた。ただ恨む方が、その荷物を抱えなくていい分楽になれるはずなのに。理由がどうであれ、友人に裏切られたという事実に変わりはないというのに。

 結香に会えたのに、一緒にいるどころか復讐を止めることすら叶わなかったという事実。理香子がプログラムに乗って、友人を二人も殺してしまったという事実。加藤龍一郎(男子4番)のことを伝えられなかったという事実。理香子と結香以外の友人を失っているという事実。多くの友人に囲まれていながら、誰一人とも一緒いられない現実。これまであかねに突きつけられた事実や現実は、どれも彼女を絶望させるものだった。

 知りたくなかった事実が、今も深い傷として残っている。絶望的なこの状況が、今も彼女を苦しめている。命を奪われてはいないけど、それに等しいほどの痛みを、おそらくこれまで幾度となく味わっている。

 

『あ、ありがと……。本当にありがとう……。私、頑張るから……。一生懸命、頑張るから……』

 

 それでも、あかねはまだ立っている。膝を折り、倒れてしまいそうな絶望を味わいながらも、彼女はまだ立っている。これ以上ないくらいの痛みも、一緒に抱えたままで。

 そんな彼女が、今は知らない事実を知れば、きっとまたそのことで苦しむだろう。そして知ってしまえば、もう知る前には戻れない。伝えるタイミングは、きっと何よりも重要だ。

 

――やっぱり、今はまだ言うべきじゃないかもしれない。でも……

 

 言わないということは、あかねを危険な目に遭わせる可能性が高くなるということ。知っていれば、少なくとも太一のように騙されて殺されることはなくなる。仮にそれで傷ついたとしても、死ぬ可能性はグッと低くなる。

 傷つかないために言わなかったとしても、殺されてしまっては意味がない。知らないことで、彼女が死ぬようなことがあってはならない。事実を告げない責任は、最低限果たさなくてはならない。

 そのためにも、今は一緒にいるべきなのだろう。彼女を死なせないためにも。そして、また残酷な事実で傷つかないためにも。

 

――言うべき時が来るまで、私があなたを死なせない。

 

 それが言わないことで果たすべき、私の責務。

 

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