一番に願うことは

 

「もう……たった十一人なのか……。澤部まで……」

 

 エリアD-4を移動していた加藤龍一郎(男子4番)は、先ほどの放送を思い出し、深いため息をついていた。プログラムが開始してから、既に一日半以上。三十四人いたクラスメイトは、自分を含めても半数以下にまで減ってしまった。このペースでいけば、三日と経たずに最後の一人が決まってしまうだろう。その一人に自分自身がなる確率は、十一分の一。決して低い確率ではない。

 けれど、龍一郎本人は、優勝を望んでいない。できることなら、プログラムそのものを破綻させ、今生きているクラスメイトとだけでも帰りたいと思っている。けれど、それを回避するための有効な策が思いつかない上に、タイムリミットまで一日半を切っているこの現状。そして今の龍一郎に、仲間は一人もいない。それに、残っているクラスメイトが、どんなスタンスか分からない。仮に今後仲間ができたとしても、プログラムを止めるための手立てを思いつき、それを実行できる確率は限りなく低いだろう。それに――

 

『ていうか、お前に騙しは通用しないって分かっているよ。知っていたんだろ? 俺のこういう一面』

 

 ほんの数時間前に会った、有馬孝太郎(男子1番)のことが頭をよぎる。予想はしていたが、彼はこのプログラムに進んで乗っている。誰よりも積極的に、クラスメイトを殺して回っている。生き残るためだけではなく、“ゲーム”として彼自身が楽しむために。

 孝太郎がいる限り、何をしても事態は好転しない。彼を止めるか、それこそ殺さない限り、プログラムは殺し合う方向で進むだろう。これ以上の犠牲を出したくないのなら、まずは彼の凶行をどうにかしないといけないことは明白だ。

 

『それに、お前は俺を殺せないよ。たとえ、弓塚を殺した仇だと分かっていても』

 

 けれど、以前会った時にそれはできず、みすみす孝太郎を見逃がしてしまった。撃てなかったのは、単に人を殺す度胸がなかったからなのか。それとも彼の言う通り、人としての道理を外れることができなかったからなのか。今となってはもう分からない。いずれにせよ、このクラスで最も危険な人物を、止めることができなかったのは事実だ。そしておそらく、もう一度彼に会ったとしても、きっとまた同じことをしてしまうだろう。

 

『お前は絶対に人を殺せない。仇だと分かっていても、殺した方がみんなのためになると分かっていても。たとえ、自分が殺されそうになったとしても、最後の最後まで、お前は誰かを殺せない』

 

 人を殺す勇気や覚悟など、本来なら必要ないものだ。けれど、今のこの状況では、もしかしたら何よりも必要なのかもしれない。少なくとも、人が殺されるかもしれないという局面においては。でないと、誰かを助けるどころか、自分さえも守れない。そうなれば、必然的に導かれるのは、死んでほしくない人が全滅するという最悪の結末だけだ。

 

――俺一人じゃ、それができない……。仲間……。とにかく、誰かと一緒にいないとダメだ……。でないと、何もできないまま、俺も誰かに殺されるだけ……。

 

 ざわつく気持ちを落ち着かせるためにも、今生きているクラスメイトを改めて整理してみる。確実なのは、一度会っている東堂あかね(女子14番)。今どんな状況かわからないが、よほど混乱していない限り、話せば分かってくれるだろう。一度突き放しておいて都合のいい話だが、今度会ったら一緒に行動することを頼んでみよう。人数も減り、マシンガンの正体もはっきりした今、むしろ彼女の傍にいた方がいい。物理的な意味だけでなく、マシンガンの正体を知った際に受ける、彼女の精神的ダメージを減らすためにも。

 逆に、絶対会ってはならないのは、孝太郎だ。少なくとも、今は一番会ってはならない。孝太郎がまた龍一郎に手を出さないとは限らないし、こちらはまた彼のことをみすみす野放しにしてしまうだろう。そして、以前会った八木秀哉(男子16番)も、できれば避けたい相手だ。あのときはただ混乱しているだけだったが、今度会った時は問答無用で攻撃してくるかもしれない。やる気であると勘違いされたままなのだから、それは大いにあり得る話だ。しかも秀哉の支給武器を、こちらはまったく把握していない。銃だった場合、不意打ちでいきなり殺される可能性も極めて高い。

 

――けれど、分かっているのはこの三人だけ。あとの七人は、プログラムが始まって以来一度も会っていない……

 

 普段の生活から推測する限り、辻結香(女子13番)はもちろん、須田雅人(男子9番)も乗らないだろうし、古賀雅史(男子5番)も積極的に人を殺すとは思えない。橘亜美(女子12番)は、性格と秀哉の話から、乗っていない可能性が極めて高い。逆に乗っている可能性が高いのは、冨澤学(男子12番)細谷理香子(女子16番)はやはり出発前の様子が引っかかることと、現実主義の彼女が乗る可能性も大いにあり得ることから、注意は必要だろう。そしてまったく未知数なのが、これまでほとんど関わりのなかった下柳誠吾(男子7番)

 残っている十人中、仲間になれそうなのは推測も含めて五、六人といったところか。半数いるだけ、まだマシなのかもしれない。ただその内の大半が、マシンガンの銃声後に出発している。いや、銃声前に出発していても、誰かからそのときの状況を聞いているかもしれない。いずれにせよマシンガンを持っている以上、あの銃声の主だと勘違いされてしまう可能性は大いに有り得る。発言と動作には、十二分に注意しなくてはいけないだろう。相手が誰であろうとも。

 そう――相手が誰であろうと、気を付けなくてはいけない。マシンガンの人間だと思われないように。誰にも知られたくない心の内を、わずかでも悟られないように。それは、たった一人想う彼女にさえも。

 

『だからこそ、言わなかったんだろう。辻が好きだということも』

 

 なぜ龍一郎が結香に好意を持っていることを、孝太郎が知っていたのか。おそらく、態度から察したのだろう。もちろん下手に悟られないよう、うまく隠してきたつもりではあった。けれど、本人からすれば完璧に隠せていると思っていても、案外そうではないことも多い。

 現に、一人知っていた。長い付き合いで、部活も一緒だった。普段は大人しくて自己主張をしない――あの友人にも。

 

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『なぁ、龍一郎』

 

 ある日の放課後、夕日の差す下校時刻。たった二人しかいない美術室で、彼はそう切り出してきた。

 

『ん? なんだ?』

 

 帰り支度をしながら、声のした方へと視線を向ける。その瞬間、美術室を照らす夕日の眩しさに、思わず目を細めていた。そういえば、今日は雲一つない快晴だったな、なんてことを思い出す。視線の先にいた彼は、窓を背にして立っていたせいか、逆光で表情がよく見えなかった。

 

『最近、太一と辻さんに、何か相談されているだろ?』
『……まあ、な』
『それってさ……コイバナ的なことなのか?』

 

 コイバナなどという、普段の彼とはほど遠い単語が出たことに、驚くよりも先に笑いがこみ上げてくる。けれど、そうさせない緊迫した空気が、彼の全身からにじみ出ていた。だから、龍一郎は笑わなかった。

 

『お前がコイバナとか言うなんて、意外だな』
『あかねのが移ったんだろ。ていうか、話を逸らすな。俺は、真面目に聞いている』

 

 少しだけ怒りの混じった声で、彼はそう話を引き戻した。表情は見えないが、声色から冗談でないことは明らかだ。その雰囲気に、どこか気圧されている自分がいる。それほどまでに真剣な彼の姿は、長い付き合いの中でもあまり見たことがない。加えて、それを真正面からぶつけられることなど、これまで一度もなかったことだ。その心中は推し量れても、なぜ彼がそんな感情を抱くのか。龍一郎にはよく分からなかった。ただ、それほどまでに彼が真剣なのだということだけは、痛いくらいに伝わってきた。

 嘘をつくつもりはなかった。けれど、彼のこの態度で、嘘をついてはいけないと思った。だから、包み隠さず本当のことを話した。

 

『……そうだよ。コイバナ的な相談だ』
『はっきり聞くけど、二人をくっつける気なのか?』

 

 確信にせまる、彼の言葉。その言葉の真意を、今度は瞬時に理解する。それでも、すぐ答えるのは躊躇われた。それは、今まで誰にも告げていなかったからか。言葉にしてしまえば、自分の本心から逃げられなくなるからか。それとも、わざわざそれを聞く彼の心中を、少しだけ考えていたからか。

 

 普段の彼はとてもおとなしいし、自分から何か意見を言うことはほとんどない。唯一それが垣間見えるのは、絵を描いているときくらいなものだった。加えて、彼は推測でものを言わない。いいかげんな気持ちで、人の心に踏み込んでこない。好奇心からでも、ただのおせっかいからでも。

 けれど彼には、教室で目を覚ました時に見せたような、どこか鋭い一面がある。それも、龍一郎のように相手を見たり、言葉で察するようなものではなく、第六感に近い感覚で。ただ、それを口にすることもまた極めて少ない。それはおそらく、確固たる自信がないからだろうが。

 

 おそらく、その第六感に近い感覚で、彼は察したのだ。龍一郎の本心を。何もかも分かっていて、けれど敢えて聞いているのだ。それはおそらく、太一や結香のためではなく、龍一郎のために。

 それが分かっていたから、嘘偽りなく本心を告げた。

 

『ああ。二人がそう望んでいるからな』
『本当に、それでいいのか?』

 

 彼がそう問いかけた瞬間、夕日が雲に隠れたのか、少しだけ美術室が暗くなる。逆光で見えなかった彼の表情が、この瞬間はっきりと見えた。最初に視界に入ったのは、まるで射抜くかのような強い瞳。瞬きもせずに、真剣な表情で、まっすぐこちらを見ている。その瞳の中に揶揄するようなものはなく、なぜか憂いを携えているかのように見えた。

 その射抜くような強い瞳を、真正面から受け止めることができなくて、思わず視線を逸らしてしまう。逸らした瞬間、日が出たのか、美術室がまたオレンジ色に染まる。

 

『……いいんだよ。相思相愛なんだから』
『でも……それじゃお前が……』
『いいんだ』

 

 なおも重ねて気遣ってくれる彼の言葉を、無理矢理遮っていた。その優しさに甘えたいと心のどこかで思いながら、すがってはいけないと自分を押し殺して。

 

『幸せなら、それでいいんだ。それが、俺の一番の望みだから』

 

 嘘ではない。幸せになってくれれば、それが一番いい。好きになって、隣にいたいと願って、いつかはその身体に触れたいと思っていても、一番に思うことは変わらない。好意を抱く相手がいつも笑っていてくれることが、いつだって一番に願うことなのだ。

 

 ただ、それができるのが、自分ではなかっただけ。別の誰かであっただけ。そしてそれがたまたま、自分の友人であっただけ。

 

 龍一郎の心中を察してくれたのか、彼は――槙村日向(男子14番)は、それ以上は何も言わなかった。ただ『帰ろうか』と一言だけ告げて、ドアの方へと歩き出していた。こちらを見ず、立ち止まることもなく、ただ真っすぐドアへと向かっていく。

 そんな日向の背中を見ながら、少しだけ救われたような気がした。たとえこの先二人を見て、胸を締め付けられるような痛みを覚えても、そこにはおそらく日向もいる。この心中を、察してくれる人がいる。その事実に、きっと何度も救われるのだろう。たとえ今後一切、この話をしなかったとしても。

 それを、日向自身が認識しているかどうかは分からない。だから、口にはしない。心の中で、誰にも届かないように、密かに彼に感謝していた。

 

――ありがとう、日向。少しだけ、気持ちが楽になったよ。

 

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 結果的に、この話は二度としなかった。けれど、槙村日向は“知っている”という事実が、何度龍一郎を救ったか分からない。どんなに諦めていても、どんなに幸せを願っていても、一緒にいる二人を見てまったく辛くなかったわけではない。結香の隣にいるのが、弓塚太一(男子17番)ではなく自分だったならと、思ったことは数知れない。仲良くしている二人を見て、胃が締め付けられる感覚に陥ったこともある。それでも、奪おうという強欲に支配されなかったのは、日向がいたおかげだ。

 けれど、日向はもういない。そして、彼女の恋人である太一もいない。孝太郎の言う通り、今なら彼女を奪うこともできる。喪失感につけこんで、自分のものにすることができる。理由はどうにでもなる。その気にさえなれば。

 それでも、そうしようと思わないのは、彼女が今でも太一が好きだと理解しているからだろう。恋人がいなくなったからといって、そう簡単に気持ちまでは捨てられない。彼女の一途な気持ちも、太一の想いの深さも、分かっているからこそ、本気で奪おうと思えないのだ。

 それに、今は龍一郎の気持ちなど関係ない。太一を失ったことで、彼女はひどく傷ついているだろう。精神的に今どんな状態かまでは分からないが、生き残るために無差別に人を殺すとは思えない。そして、傷ついた彼女は絶対に一人にしてはならない。

 

――俺じゃなくて……東堂さんに会ってくれる方がいいんだけどな。所詮俺は、“彼氏の友人”でしかないんだから……

 

 いくら普段ある程度の交流があるとはいえ、結香が素直に龍一郎のことを信用してくれるとは限らない。けれど、結香が一人ではなく、あかねと一緒にいてくれれば、そこに加わるという形で仲間になることは十分可能だろう。これなら、あかねを通して話ができれば誤解されることはないし、結香だけでなくあかねも守ることができる。それに、もしかしたら他にも仲間を作っているのかもしれない。彼女らと一緒にいるクラスメイトなら、信頼に値すると考えていいだろう。もちろん、孝太郎は除かなくてはいけないが。

 

「ああ……」

 

 考え事をしていたところに、小さな声が届く。聞き慣れた声で、そしてどこか――待ち焦がれていた声。

 

――もしかして……。いや、間違いない……。

 

 感情を顔に出さないように努めながら、ゆっくりと後ろを振り返る。あくまで龍一郎は、“彼氏の友人”。露骨な態度を取ってはならない。さりげなく彼女を励まし、プログラムをどうにかしようという前向きな気持ちを抱かせ、少しでも恋人を失った傷を埋めることさえできればそれでいい。それが、太一の代わりに龍一郎がすべきことなのだから。

 

「見つけた……」

 

 振り向いた先にいた彼女は、どこか様子がおかしかった。いつものような笑顔ではなく、沈んでいるわけでもなく、ただ無表情。けれど、それは恋人を失ったからではない。それだけでは説明がつかない異様な空気を、彼女は纏っている。狂気を宿した瞳で、ただこちらを見ている。正確には、龍一郎の右手を――そこにあるFN P90を。

 その意味を理解した瞬間、耳をつんざく轟音と同時に、彼女の手元から火花が散っていた。

 

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