あなたには決して届かない

 

 肩に、衝撃と激痛がはしる。腕がはじかれたように後ろへ、つられて身体もそちらの方へもっていかれてしまう。

 加藤龍一郎(男子4番)は、自身に起こっている変化に戸惑いながらも、理解してしまっていた。辻結香(女子13番)が、なぜ問答無用で撃ってきたのかを。

 

――辻さんは、俺が太一をが殺したと思っている!

 

 間髪入れずに、もう一発。今度は足を掠める。掠めただけでも、立てなくなるほどの衝撃を感じ、思わず尻餅をつく形になってしまう。

 

「待ってくれ!! 俺は、太一を殺していない!!」

 

 必死で制止の声を上げるが、結香はまた銃をかまえて引き金を引く。殴られたような衝撃と、耳にチリッとした熱を感じる。今度も掠めただけだが、思ったよりもひどい衝撃に、一瞬視界がぐらついていた。

 

「マシンガン……マシンガン……太一を殺した……。殺してやる……殺してやる……!!」

 

 そんな龍一郎の変化など気にも止めず、結香は叫び続けている。先ほどの呼びかけの答えではない。おそらく、結香はこちらの話をまったく聞いていない。いつもの結香も、どこか感情的な一面はあったが、話を聞かないような人ではなかったはずだ。恋人である弓塚太一(男子17番)が死んだという事実。殺し合いをしなくてはならないというこの状況。そして恋人や友人が次々と死んでいく惨状に、彼女の中で何かが壊れてしまったのかもしれない。

 そこで、ハッとする。結香は、龍一郎のマシンガンを見ただけで、太一を殺したと断定した。その正誤はともかく、ただ放送でその死を知っただけでは、ここまではっきり決めつけることはできない。何か、そう考えさせる理由があるはずだ。もしかしたら結香は、太一の遺体を見てしまったのかもしれない。マシンガンに撃たれて死んだ遺体を見て、そのとき彼女が何を思ったのか。

 それはおそらく――想像するよりもずっと絶望的だ。

 

「やっと……やっと見つけた……。絶対に逃がさない!!」

 

 ブツブツ呟きながら、結香はまた銃をかまえる。そこで、龍一郎は気がついた。銃を構える彼女の腕が、ろくな照準が定まらないほど震えているのを。

 

――撃つことに躊躇いが……? いや、違う!!

 

 その元凶に気づき、結香を止めようと慌てて立ち上がる。その瞬間、彼女の手元からまた火花が散った。同時に、今までの比にならないほどの激痛が右わき腹を襲い、銃声とは違う何かが破壊される音が身体の中から響いていた。

 その衝撃に耐えきれず、地面に膝をつける形になる。銃口がこちらに向いてないことを確認してから、恐る恐る激痛がしたところへ視線を移していく。そこが視界に入った瞬間、あまりの惨状に胃から何かがこみあげていた。

 真っ赤な血と、飛び散った肉片。えぐられたかのように欠けた自分の身体。そこからのたうち回るほどの激痛が、全身を駆け巡っている。呼吸も荒くなり、冷や汗のようなものが勝手に全身から噴き出している。思わず押さえた手には、滴り落ちそうなほどの血がベッタリと付いていた。草の生えた地面にも、赤いものがポタポタととめどなく落ちている。

 

「今度は外さない……! めちゃくちゃに撃って、ぐちゃぐちゃに壊して、太一を殺したことを後悔させてやるッ!!」
「辻さんッ! もう撃つな!! でないと、君の身体が――」

 

 龍一郎の声を拒絶するかのように、結香はまた引き金を引く。火花と同時に、彼女の身体が大きく後ろにのけぞる。そしてそのまま、地面に仰向けに倒れてしまった。

 結香が放ったその弾は、彼女を止めようと伸ばした龍一郎の右手の指先に当たり、人差し指と中指が一瞬にして消失していた。また激痛が襲うが、それよりも龍一郎が気になったのは、彼女の身体のことだった。

 

――辻さんの銃は、反動の大きい危険なものだ! ろくな構えもせずに引き金を引き続けていたら、俺が死ぬより先に、彼女の身体がどうにかなってしまう!!

 

 痛みに構わず立ち上がり、結香を止めようと歩き出す。右わき腹を撃たれているせいか、真っすぐ立つことすらままならない。けれど、今はそんなことどうでもいい。とにかく、何としてでも撃つのを止めさせないと。彼女の心と身体が、取返しのつかなくなるほど壊れてしまう前に。

 

「辻さん……もう撃っちゃダメだ……。撃ったら、辻さんの身体がどうにかなってしまう……。それに、俺はもう――」
「うるさいうるさいうるさい!! この人殺しッ!!」

 

 静止の声も空しく、尻餅をついたまま結香はまた引き金を引く。その弾は、龍一郎の左頬を掠めていた。傷としては、大したことない。顎から流れ落ちるほどの血が出ているが、痛みもさほど感じない。衝撃は感じるが、慣れてしまったせいか耐えられないほどではない。けれど、龍一郎は進みかけた足をピタリと止めた。

 

 遠い。そう思った。彼女との距離は、果てしなく遠い。言葉一つ届かないほど、互いにとって遠い存在。赤の他人ではない。ただのクラスメイトでもなかったはず。彼氏の友人として、時には相談相手として接してきた。

 何度も何度も彼女の話を聞き、時にはアドバイスをした。笑ってくれたこともある。お礼を言われたこともある。だから、他の人よりはずっと近いところにいるつもりだった。たとえ“恋人”でなくても、“友人”とまでは呼べなくても、例えば“相談相手”くらいにはなれているだろう。そう思っていた。

 けれど、それはまやかしに過ぎなかった。所詮、自分は何かあれば疑われるような、そんなちっぽけな存在でしかなかったのだと。

 

――なんで……

 

 心臓が、つぶれそうなほど痛い。勝手に涙がこぼれるほど、悲しい。想いが届かなくてもいい。傍にいられなくてもいい。彼女が幸せならそれでいい。そう思っていた。

 

『本当に、それでいいのか?』

 

 その選択に、後悔はないはずだった。幸せそうな二人を見て、間違ってなかったと思っていた。多少辛い思いをすることになっても、結果的にはこれでよかったのだ。そう、自分を納得させていた。

 

――こんなに苦しんでいるのに……! こんなに痛い思いをしてまで、お前のことを想ってくれているのに……! どうしてお前は、彼女の傍にいないんだ……!!

 

 誰でもよかったわけではない。他ならぬ友人だから、信頼できる奴だから、全てを託した。彼女を幸せにしてほしいと。代わりにとは言わない。お前なりのやり方で、彼女を笑顔にしてほしいと。

 だから、諦めることを選べた。叶わぬ想いに身を焦がしても、その炎が自分自身を焼き尽くすことになったとしても、決して告げたりしないと。たとえ奪いたくなっても、決してそれを現実にはしないと。自制して、押し殺して。妬まず、羨やむこともしないと。なのに――

 

――お前に、全部託したんだぞ……。お前だったから、俺は身を引いたのに……。なのに、なんで俺よりも、お前が先に死んでいるんだよッ!!

 

 涙があふれ出す。届かない距離が、彼女に何も届かないこの距離が、たまらなく辛い。そうしてしまった、自分自身が憎い。もっと近くにいればよかった。いっそ何もかも壊して、己の気持ちのままに奪ってしまえばよかった。ほんの一瞬、そう思ってしまうほどに。

 ああ、何も知らないまま死ねたら、どんなに良かっただろうか。

 

「死ねッ死ねッ! 死んじゃえ!!」

 

 呪詛の言葉を口にする結香を見て、もうダメだと思った。言葉は届かない。そして、自分はもう永くはない。傷の具合から見て、手術が必要なほどの重傷だ。それができない今の状況では、間違いなく死を待つのみの身となっている。痛みに苦しみ、後悔と絶望を抱きながら、ただ死ぬことでしか彼女を救うことができない。誰かが、そうすることがふさわしいとでも言っているかのように。

 想いを告げていれば、互いにもう少しマシな結末になっただろうか。言わなかったから、こんな悲劇的な結末になってしまっているのだろうか。もしそうならば、これはある意味必然なのだろうか。

 

――そうか……。俺が隠さず伝えていたら、きっとこんなことにはならなかった……。全部……俺が言わなかったから……。善人ぶって、気持ちも何もかも蓋をして、二人を欺いてきたから……。だから……これは報いなんだ……。

 

 真実を言わないことが罪ならば、これはきっと罰なんだ。

 

 ふっと、冷静さを取り戻すのが分かる。けれど、これは決して活路を見いだしたわけでも、いつもの調子を取り戻したわけでもない。生きることを、彼女に受け入れてもらうことを、自分はもう諦めたのだ。マシンガンの奴だと思われたままでもいい。太一を殺した犯人と思われたままでもいい。それで、彼女の気が済むのなら。

 

――でも……大事なことは……ちゃんと伝えないと……

 

 あらゆるところから駆け巡る激痛に歯を食いしばって耐えながら、一歩、また一歩と結香に近づいていく。銃の反動と、何度も撃った衝撃のせいか、彼女は銃を構えるどころか、立ち上がることすらできていなかった。

 

「辻……さん……。もういい……。もう、それ以上は……」

 

 右わき腹を押さえながら、結香のすぐ前でしゃがみこむ。本当はその華奢な肩に触れて、できるなら優しく抱きしめて、少しでも安心させてやりたかった。けれど、それは叶わぬ願い。それは、決してしてはならない禁忌。

 

「東堂さんが……君を探している……。プログラムを……どうにかしようとしている。みんなで帰ろうと、頑張っている……。だから、すぐにここから離れて……東堂さんのところへ……」

 

 結香は、銃を構えようと必死で腕を動かしている。ああ、構えたらまた撃つだろう。そのとき、自分は死ぬのだろう。そう覚悟し、せめて伝えられる情報だけは伝えようと、言葉を続けた。

 

「有馬と……八木には……気を付けて……。特に有馬は……マシンガンを持っている……。東堂さんにも……伝えて……。俺のことはもういいから……。何も言わなければ、誰も気づかないから……。俺のことは忘れて……早く……ここから……」

 

 視界が、霞む。痛みが、消えていく。きっともう永くはない。早く言わなくては。言いたいこと、言わなくてはいけないこと、全部。

 

「……太一のこと……好きでいてくれて……そんなに愛してくれて……ありがとう……。太一も俺も、辻さんが生きることを望むから……。だから……辛いかもしれないけど……どうか……生きて……」

 

 ああ、なんでこんなことを。どうせ死ぬのなら、いっそ今好きだったと言ってしまえばいいのに。言わなかったから、こんな結末になっているのかもしれないのに。けれど――

 

――それでも、何度過去に戻っても、きっと俺は同じ選択をするんだろうな……

 

 記憶の中の彼女は、とてもキラキラと輝いている。太陽のような明るさで、いつも周囲を笑顔にしてくれる。そんな彼女の輝きに、何度ときめいたか分からない。けれど、それは太一が傍にいたから、心から愛する人がいたから、目にすることができたのだ。龍一郎には、決して引き出せない宝石のようなものだった。そしてその瞬間、彼女は確かに幸せだった。

 それを、きっと心のどこかで分かっていた。だから、何度同じ状況になったとしても、伝えることはないだろう。そして、仮に龍一郎が想いを告げたとしても、太一と死別する運命だと分かっていても、結香は太一を選ぶだろう。分かっているのだ、そんなことは。

 

「どうか……太一の分まで……」
「……うるさい」

 

 断ち切るかのような、強い口調。目の前には、真っ黒な銃口。その向こう側にあるはずの彼女の顔は、銃口に遮られてもう見えない。泣いているかも、怒っているかも、何も――

 

「うるさいうるさいうるさいッ!! 死んじゃえ!!」

 

 瞬間、目の前がオレンジ色に染まる。それは、あの日の夕日のように眩しくて、どこか目が眩む。あのときと違うところは、そこには誰もおらず、ただ真っ黒な闇が存在するだけ。そこに、救いは一つも存在しないことだけ。

 同時に、赤にも染まる。痛みも、衝撃も感じない。意識さえも、もうない。悲しみも、辛さも、嫉妬も、想いも、泡がはじけたかのように一瞬で消えた。まるで、それがせめてもの慈悲であるかのように。

 デザートイーグルから発射された弾丸が、龍一郎の左目を通過し、そのまま脳を破壊していた。同時に、まるで生前の面影を残さないかのように彼の目だけでなく、鼻や口、それらを含めた顔面の大半を見事に破壊していた。

 だから、誰も知ることができなかった。最期に浮かべた彼の表情が、諦めたかのように穏やかで、けれどどこか未練がましく――ひたすら泣いていたということを。

 

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「やった……!」

 

 目の前で倒れている仇を見て、辻結香(女子13番)は心の中で歓喜した。耳鳴りはひどいし、両腕の感覚はほぼないが、どこか満たされた疲労感に包まれていた。

 

「太一、やったよ……! 仇、取ったよ……!!」

 

 近くに遺体があるにも関わらず、結香は笑っている。人を殺したという罪悪感や嫌悪感は一切なく、目的を果たしたという達成感だけが、彼女の心を満たしていた。これまで握りしめていた銃を、落としたことすら気づかないほどに。

 だが、ふいに思い出したかのように、吐き気がこみあげてくる。痛みと吐き気、それに付随するかのように視界がぐらつく。こらえようとしたが、耐えきれずにいくらか地面に吐き出していた。

 

――気持ち悪い……。そういえば、何も食べてなかったな……。ずっと歩きっぱなしだったし、いっぱい撃ったし。身体の方が、疲れているのかも……。でも……もういい……。太一を殺した奴は、もういない……。少しくらい、休んでもいいよね……?

 

 胃からこみあげてくるものがなくなり、少しでも休もうと、遺体から離れたところでゴロンと仰向けになる。曇りがかっているせいか、太陽はほとんど出ていない。日の光に目を細めることもなく、ただ呆然と空を見上げる。灰色に覆われている、暗くどこか歪んだ空を。

 空を見ながら深呼吸を繰り返していると、次第に気持ちが落ち着いていくのが分かる。最後にフーッと息を吐き切り、地面に両手をつけながら、ゆっくりと身体を起こしていた。その際、腕から肩にかけて一瞬で激痛が駆け抜けたが、それも結香にとってはどうでもいいことだった。

 

――もう……太一を殺した奴はいない……。もう、誰も殺す必要がない……。えっと……今は誰が残っているんだっけ……? あかねは、まだ呼ばれていなかったよね……。あとは、理香子と……。とにかく、信用できる友達と合流して、それから――

 

 これからのことを考えたとき、ピタリと思考が止まった。復讐は終わった。そして、一緒にいたい恋人はもういない。なら――

 

――私は……どうしたいのだろう?

 

 友達はいる。自分は、まだ生きている。腕や肩は痛いけど、そんなことはどうでもいい。けれど、理由がもう存在しない。ここにいる理由。生きる理由。それが今の自分にはない。まさに、空っぽ。器が存在するのに、中身は何もない。

 

――もう……太一はいないんだ……。私だけ生き残っても……太一がいないんじゃ……意味がない……。なら、いっそ死んじゃおうかな……

 

 ああ、それが一番いいのかもしれない。死んだら、太一に会えるかもしれない。マシンガンの人間も殺したのだから、今も生きているであろうあかね達は、きっと大丈夫。どうせ、一人しか生き残れないのだ。なら、これが一番――

 

「やっぱ、加藤は生かしておいて正解だったな」

 

 ここにはいないはずの、第三者の声。それと同時に、どこか懐かしいタタタッという連続した銃声。その銃声に合わせるかのように、全身に痛みが駆け巡る。腕から、足から、お腹から、背中から。

 銃声が止んだと同時に、身体が勝手に地面に吸い込まれていく。起き上がろうと手をついて踏ん張ってみたけど、まったく力が入らない。腕がまだ痛いせいなのかと思ったが、それだけではなかった。見れば、先ほどまでなかった傷が身体のあちこちにできており、そこから大量の血が流れていたのだから。

 

――撃た……れた……?

 

 事態の急展開に戸惑う間もなく、誰かの足音らしきものが聞こえる。それも、存在をわざと教えているかのような、ゆっくりと草木を踏みしめる音が。

 痛みと混乱で頭がいっぱいになっている結香の耳にも、はっきりと届いていた。聞いてはならなかったことを、口にしている誰かの声が。

 

「俺の代わりに死んでくれたんだし。それに、おかげさまで随分面白いものが見れたよ」

 

男子4番 加藤龍一郎 死亡

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