罪と罰

 

――何……? 一体……何が起こっているの……?

 

 撃たれたことを認識してもなお、辻結香(女子13番)は状況をまったく理解していなかった。なぜ、撃たれているのか。なぜ、別の誰かがここにいるのか。なぜ――

 

『俺の代わりに死んでくれたんだし』

 

 あんなことを、言ったのか。

 

 そんな結香に構うことなく、一人のクラスメイト――有馬孝太郎(男子1番)は、少し離れたところにある遺体をマジマジと観察している。その顔は、笑っていた。口元は三日月のような弧を描いて、目は細められた状態で。まるで、楽しくて楽しくて仕方がない――そう思っているかのように。

 

「あーあ。こりゃ、ひでぇなー。顔面損壊、内臓破壊。おまけに指までなくなってやがる。パッと見ただけじゃ、もう誰かわかりゃしねぇな。よっぽど恨まれていたんだねー。可哀想にー」

 

 言葉とは裏腹に、その口調はとても軽い。まるで、そんなことは微塵も思っていないかのように。その証拠かどうか分からないが、歪んだ笑みは少しも崩れない。

 

「なぁ、辻」

 

 矛先がいきなり自分に向けられたせいか、身体が勝手にビクリと震えた。その反応が面白かったのか、彼はより一層歪んだ笑みを浮かべ、こちらへと近づいてくる。倒れている結香のすぐ傍で足を止め、再び口を開いていた。

 

「お前、なんで殺したんだ?」

 

 本気で聞いているわけではない。何もかも分かっていて、敢えて聞いているかのような、歯の浮くような口ぶり。歪んだ笑みのまま、彼は倒れている結香をのぞき込む。一言一句、聞き逃さないかのように。

 相手の態度の不自然さに、本来ならもう少し警戒すべきで、ただ質問に答えるべきではなかったのかもしれない。けれど、撃たれたせいか、うまく思考がまとまらない。痛みで、考えることに集中できない。そのせいか、素直に思ったことを口にしてしまっていた。

 

「だって……太一を殺したから……」

 

 こちらの返答を聞いた瞬間、孝太郎は大声で笑い出していた。嘲るような甲高い声で、面白くて仕方がないといった感じで。口元を手で押さえ少しでもこらえようとしているが、口を大きく開けた笑みは隠せていない。

 

「そうか、そうか。そうだよなぁ。それくらいの恨みがなきゃ、あそこまでできないよなぁ。顔面ぐちゃぐちゃにして、身体中傷つけて、誰か分からないくらいまで壊して。まるで、怨念すらこもっているかのようだったしなぁ」

 

 そう言いながらも、彼はずっと笑っている。何がそんなに可笑しいのだろう。ようやく思考が追いついてきたのか、今更ながらそんな疑問が浮かんできていた。

 

「でもさ、一度でもあいつはお前に言ったのか? 自分が弓塚太一を殺しましたって」

 

 急に笑みが消え、代わりに真剣な表情で、彼はそう問いかけてくる。今の今まで笑っていたことなど、なかったかのように。

 

「……でも……マシンガン持ってた……。太一は、マシンガンで殺されてた……。だから……」
「だから、マシンガンを持っている奴が犯人だって? はは、まぁ確かにそうだろうなぁ。けどさ――」

 

 そこまで言って、彼は結香の目の前に何かを掲げる。大きくて、無機質な固まり。あいつが持っていたものと似ているようで、でもまったく違うもの。

 

「これ、何だと思う?」

 

 それは、まるで――

 

「マシンガン……?」
「そっ、大正解。これ、VPZ1スコーピオンっていうサブマシンガンなんだよ。まぁ、銃の名前はこの際どうでもいいんだけど。それより、マシンガン持っている奴が、犯人なんだよな? その理屈からいくとさ――」

 

 再び、歪んだ笑みが孝太郎の口元に浮かぶ。そのまま自身を指さして、彼はこう言っていた。

 

「俺も、犯人なんじゃね?」

 

 言っている意味が分からなくて、結香は呆然としていた。そんな結香の心中を察したのか、孝太郎は続ける。

 

「なんでさ、マシンガンが一つだと思った? むしろ、いくつか支給されていると考えるのが普通じゃないか? だってさ、一つだけだったら、明らかにそいつが有利だろう? せめて対抗できるように、もう一つくらいはあってしかるべきじゃないか?」

 

 マシンガンは一つではない――。これまでまったく考えていなかった可能性が、いきなり頭の中に入ってくる。一つではないのなら、持っているだけでは判断できない。なら、相手に直接聞かなくては。認めさせなくては。

 “弓塚太一を殺した”のだと。

 

「まさか、そんなことも考えていなかったのか? だから、マシンガンを持っているあいつを見つけて、殺したかどうかも確認しないまま、問答無用で撃ちまくったということか。ホント、考えなしの奴がやることは、とんでもなくえげつねぇな」

 

 その言葉は、まるで死んだ仇が犯人ではないと言っているかのよう。何も知らないくせに。何も分かっていないくせに。どうして孝太郎は、そんなことを言ったりするのだろう。

 

「あいつも可哀想だよな。まったく関係ないのに。弓塚を殺したのは、俺なのに。マシンガン持ってただけで、いきなり襲われるなんてな。捨てりゃそんなこともなかっただろうに。まっ、こんな当たり武器、捨てる奴はまずいないだろうけど」

 

 洪水のように流れてくる言葉の数々。その中に、信じられないものが含まれていた。

 

「今……今なんて……?」
「あっ?」
「今……太一を殺したのは……」
「俺だよ」

 

 聞きたくなかったこと。知りたくなかったこと。それが、あっさりと耳に届く。殴られたのではないかという錯覚を抱いてしまうほどの、衝撃と共に。

 

「俺が、弓塚を殺した」

 

 頭が拒否しているところに、彼はまた同じ言葉を口にする。今度はねじこまれるように、脳に、心に届いてしまう。

 

「嘘……だ……。だって……あいつだってマシンガン持ってた……。あいつじゃないって根拠は……どこにもない……」
「ははっ、まぁ信じたくはないだろうな。だって、俺の言っていることをそのまま受け入れてしまったら、今お前が殺したあの男は、弓塚を殺した犯人じゃないってことになる。そうなれば、お前がやったのは復讐じゃなくて、ただの一方的な殺人になる」

 

 けどさ、と彼は続けて口を開く。まるで、こちらが拒絶する暇さえ与えないかのように。

 

「これだと、全てのつじつまが合うとは思わないか? マシンガンを持っている二人の内、殺したのは一人だけ。その一人が、今こうしてやったと認めているんだ。それに、あいつが無抵抗だったこと、お前を一度も殺そうとしなかったこと。そして、俺が問答無用でお前を撃ったこと。あいつには人を殺す気がまったくなくて、俺がやる気満々だってことで全部説明がつく」

 

 理論的に、一つずつ、彼は結香の意見を否定していく。それはとても正確で、そしてまぎれもない正解で。だから、反論ができない。否定したいのに、脳がそれを許さない。

 

「もう一度聞いてやるよ。あいつは認めたのか? 自分が弓塚太一を殺しましたって」

 

 同じことを問われ、今度はすぐに答えられなかった。答えられないから、頭の中で考える。そうしていくうちに、ねじ込まれた彼の言葉が、自分の中で事実として認識されていく。それに伴って、記憶が呼び起こされていく。

 

『待ってくれ!! 俺は、太一を殺していない!!』
『辻さんッ! もう撃つな!! でないと、君の身体が――』
『もういい……。もう、それ以上は……』

 

 蘇るのは、ほんの数分前の記憶。かけられた言葉、殺した相手の表情。その一つ一つが、正確に。そして鮮明に。

 その全てが、はっきりと証明していた。目の前にいる孝太郎の言葉が、あのとき言われた言葉が、全て真実であるということを。

 

「嘘……。じゃあ、私がしたことって……」

 

 復讐ではなく、ただの殺人。仇討ちではなく、無実の人間を殺した。それも、弓塚太一(男子17番)の友人である加藤龍一郎(男子4番)を一方的に殺した。彼の言葉を無視して、自分の思い込みで銃を向け、最期まで結香の身を案じてくれた優しい人を――誰かも判別できないほど傷つけるという、最も残酷な形で。

 

――私は……何もしてない人を……太一の友達を……加藤くんを……この手で……殺した……?

 

 そうはっきりと認識した途端、濁流のような感情が一気に流れ込んでいた。それはとても耐えきれるものではなく、自然と外へとこぼれ落ちる。言葉として、うめきとして、涙として。

 

「あっ……そんな……。嘘……嘘よッ! 私は……何もしていない加藤くんを……! 嫌ッ……! 嫌……いやああああああ!!」

 

 濁流のように流れるものは、後悔、恐怖、悲しみ、罪悪感。全てが入り混じった、ドロドロとして吐きそうな感情。いくら喚いても、いくら涙を流しても、それは到底治まりそうにない。身体中を駆け巡る痛みも、今の結香には関係なかった。

 

「ごめんなさい……! ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!! なんで、なんで加藤くんが太一を殺したなんて!! そんなの、あるわけないのにッ! 加藤くんは、そんな人じゃないのにッ! どうして私は――」

 

 少し考えれば、分かったはずだ。龍一郎が、太一を殺すわけがないと。それ以前に、彼が人殺しをするような残忍な人間ではないと知っていたはずだ。なのに、復讐心に囚われて、相手の言葉に耳も貸さず、ただ太一を失った喪失感や悲しみを埋めるかのように、龍一郎に銃弾を撃ち込み続けた。

 龍一郎は、仇でもなんでもなかったのに。無関係だったのに。むしろ、結香の身を案じてくれていたのに。どうして――

 

「ホーント、可哀想にな。まさか、自分が好きだった女に殺されるなんて。せっかく身を引いたのに、これじゃホント報われないよな」

 

 殴られたかのような衝撃が、再び結香を襲う。好き? 好きだった? 龍一郎が?

 

「好きだった……? 私を……?」
「……ああ。そういえば、お前は何も知らなかったんだよな。そうだよ。加藤はお前に惚れてたんだ。お前が弓塚と付き合う、ずっと前からな」
「嘘……そんなのありえない……。だって……」
「恋の相談に乗ってくれたから? ああ、そりゃ乗らざるを得ないだろう。好きな女が、ほかの男――それも、自分の友達に想いを寄せていると聞かされて、それを無碍にできるとでも思ってんのか? 加藤みたいなやつに、それができたとでも?」

 

 違う。そんなわけがない。龍一郎が好きになるのは、きっともっと聡明で、女の子らしくて、隣に並んでも見劣りしないような大人っぽい人。例えば、小野寺咲(女子4番)ような、とても美人でおしとやかな子。羽山早紀(女子15番)のような、どこか頼りになるしっかりした人。間違っても、誰よりも子供で、誰よりも身勝手な自分であるはずがない。

 それでも、そうはっきりと否定できなかった。なぜなら、そうだとすれば、怖いくらいに何もかも説明がつくからだ。いくら彼が優しくて人を殺せないような人間であったとしても、その相手が友人の恋人だったとしても、逃げもせず、銃を一度も向けず、ただ黙って殺されるとは考えられない。少なくとも、彼ほどの頭脳と行動力があれば、逃げることはいくらでも可能だったはずだから。

 

「俺も不思議だよ。なんで、お前みたいな奴に惚れたのか分からないね。まだうちのクラスには、お前よりずっと相応しい相手はいくらでもいたっていうのに。まぁそういう理屈が通じないのが、恋愛ってもんなのかもしれないけど」

 

 そう言って孝太郎は、結香の髪を鷲掴みにし、勝手にズルズルと引きずっていく。引きずられたことで手や顔の皮が剥け、撃たれたものとは違う痛みが襲う。その痛みが、結香の意識を現実へ引き戻していた。

 

「ほら、もう一回ちゃんと見ろよ。無抵抗で非難もせず、好意を持ってくれている相手に、お前が一体何をしたのか」

 

 そう言って、孝太郎は龍一郎の傍へと、結香を放り投げる。その言葉に反して、結香は顔を伏せ、遺体から視線を逸らした。見たくない。怖い。だって、思い出した記憶の中では、彼の遺体は悲惨な状態にあるはずだから。全身に銃弾を撃ち込んで、最後は顔を潰すかのように至近距離で止めを刺してしまった。彼の言葉も気遣いも何もかも無視して、たくさんたくさん痛い思いをさせてしまったから。

 そんな結香の気持ちを知ってか知らずか、再び孝太郎に髪を鷲掴みにされ、無理矢理顔を上げさせられる。見たくはない光景が、躊躇なく視界の中に入ってくる。涙で不明瞭な視界でも、その遺体の凄惨さははっきりと認識できてしまった。

 

「ごめん……なさい……。加藤くん……。なんで……なんで私なんか……」

 

 だって、もっと相応しい相手がいたでしょう? 明るくて人を引きつける東堂あかね(女子14番)とか、ちょっと冷たい部分はあるけど努力家でもある園田ひかり(女子11番)とか、おっとりしていて優しい鈴木香奈子(女子9番)とか、頭がいいけどそれを鼻にかけない佐伯希美(女子7番)とか、クールだけど友達思いの五木綾音(女子1番)とか、言い方はキツいけど誰よりもみんなのことを考えてくれる細谷理香子(女子16番)とか。もっともっと、いい人はたくさんいたでしょう?

 どうして、私を好きになってしまったの? どうして、ずっと想ってくれていたの?

 いっそ嫌いになってくれたなら、見捨ててくれていたなら、あなたは私なんかに殺されずにすんだのに。

 

「もう……辛いだろう?」

 

 髪を鷲掴みにしていた手が離され、代わりに後頭部に固いものが押し付けられる。それが何か、考えるよりも先に理解した。

 

「今のお前は、恋人の仇を取った正義の味方でも何でもない。敵意のない相手を自分勝手な都合で殺した、ただの殺人者。そんなお前には、復讐する権利も、生きる権利も存在しない。まぁ、もうそんな気力もないだろうけどさ」

 

 ああ、そうだ。今、こうして私に銃口を突き付けている背後の人物は、ずっと探していた復讐の相手。以前の私なら、何も考えずに真っ先に殺そうとしたに違いない。けれど、今はそんなことできない。龍一郎を殺してしまった私に、そんなことをする権利は存在しない。

 そして、目的を失い、罪悪感に押しつぶされそうな今、生きる気力も存在しない。早く楽になりたい。ここにはいたくない。死んでしまいたいと、心から願ってしまっている。

 

「どのみち、その傷じゃいずれ死ぬしな。だから、俺が楽にしてやるよ。それに、死んだら弓塚にも、加藤にも会えるかもしれないぜ? まぁ、あいつらがお前を受け入れるかどうかは、甚だ疑問だけどな」

 

 その言葉に、小さく首を振る。きっと私は、彼らと同じところへは行けない。死後の世界に天国と地獄があるとすれば、私は間違いなく地獄に堕ちるべき存在だ。天国にいるであろう彼らとは、すれ違うことすらないだろう。

 それでいい。それが、私の受けるべき罰だ。

 

――全部、私のせい。悲しみで蓋をして、真実に目をむけなかったせいだ。

 

『違う! そんなの間違ってる!! そんなことしても、弓塚くんは喜ばないよ!』
『復讐をしようとしているのなら、殺す相手は確証を持ってからにした方がいいと言っているんだ。違う相手を殺してしまえば、あんたはそいつと同類に成り下がるだけだぞ』

 

 復讐を思い留まるチャンスは、いくらでもあった。親友が泣きながら静止してくれていたのに。一度も話したことのないクラスメイトが、忠告してくれていたのに。言われたとき、少しでも冷静になっていれば。相手の言葉の意味を、少しでも考えることができていれば。こんなことにはならなかったのに。

 人の言葉に耳を貸さず、自分の思い込みだけで何もかもを壊してしまった私は、生きることも、受け入れられることも望んではいけない。復讐する権利すら、もう存在しない。

 だからもう――

 

「もう……いいから……殺してよ……」
「ははっ、じゃあ……遠慮なく」

 

 パンッという乾いた音が、脳に響き渡る。ああ、なんか心地のいい音かもしれない。そんな感想すら抱きながら、結香は意識を手放していた。後頭部に銃弾を撃ち込まれた彼女の身体は、重力に従って龍一郎の身体の上に、折り重なるような形で倒れこんでいた。

 罪悪感に苛まれ、暗に死を願った一人の少女。その表情は後悔と絶望に満ちていて、けれど憑き物が落ちたかのように穏やかだった。死んでしまえば、恋人を失った喪失感に苦しめられることも、人を殺した罪悪感に苛まれることも、もう二度とないのだから。

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「くっだらねぇ」

 

 加藤龍一郎(男子4番)辻結香(女子13番)の遺体を一瞥し、有馬孝太郎(男子1番)はそう吐き捨てていた。

 

「友情とか愛情とか、そういうくだらない感情に振り回されるから、こうやって俺に殺されるんだよ」

 

 やれやれとため息をつき、慣れた手つきで孝太郎は後始末を始める。二人の遺体の周囲にある荷物を漁り、必要なものを選別していく。結香の持っていたデザートイーグルは使い勝手が悪いと判断し、デイバックの中へ。龍一郎のFN P90は、ストラップを肩にかけいつでも使えるようにした。食料や水も、持てる分だけ詰め込んでいく。

 一通り作業が終わったところで、ふと思い出したかのように、彼はこう口にしていた。

 

「まぁ……だからこそ、それを利用するのは楽しいんだけどな」

 

 誰に向かって言ったわけでもないその言葉は、昼間に関わらずどこか薄暗い空間に溶けていく。それが、彼のすぐ近くで倒れている二人に届くことは、決してない。

 

女子13番 辻 結香 死亡

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