大丈夫、大丈夫。何度も何度も、心にそう言い聞かせる。
少し離れたところにいるあの人は、同じクラスの仲間。優しくて、いつも一生懸命頑張っている真面目な人。そして代わりのいない、たった一人の私の相棒。
彼は、誰かを殺すような人ではない。傷つけるような人でもない。たとえ銃を持っていたとしても、いつもと違う雰囲気だったとしても、根っこの部分はきっと何も変わっていない。
だから――怖くない。怖くない。怖くない。
「久しぶりだね、須田くん」
絶対に殺されない。絶対に撃たれない。いつもの調子でいれば大丈夫。いつものように明るく話しかければ、きっと彼も分かってくれるはず。
だから、数メートル先の彼を見て、小さく足が震えたのは――きっとただの気のせい。
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東堂あかね(女子14番)がそう声をかけた瞬間、数メートル先にいた須田雅人(男子9番)の表情が険しいものへと変わり、こちらに向けて銃を構えていた。声の主があかねであると認識したのか、彼は少しだけ目を丸くし、少しだけ表情を崩していた。けれど、銃は下ろさなかった。
「ずっと……探していたんだ……。須田くんは、こんなの絶対乗らないって、分かっていたから……」
少しでも彼の警戒心を解こうと、できるだけ笑顔で、いつものような調子で言葉を続ける。両腕を広げ、それを上下に振って、敵意がないことを全身で表現しながら。
けれど、雅人は銃を下ろさなかった。そして、今度は表情も崩れなかった。
『けれど、私やあなたのようなことがあったとして、もしそれが……彼自身を変えてしまうほどのものだったとしたら……?』
ついさっき、橘亜美(女子12番)に言われたことが蘇る。けれど、すぐに頭をブンブンと横に振って、その言葉を追い出していた。もしかしたら、亜美の言った通りなのかもしれない。けれど、もしそうだったとしても、今はそのことを受け入れるわけにはいかない。受け入れてしまったら、きっと逃げ出したくなってしまう。
逃げてはいけない。そんなことをするくらいなら、亜美の言う通り最初からやり過ごすべきだ。こうして彼の前に出た以上、何としてでも分かってもらうしかない。
「ほら、何も持ってないよ。そもそも私に支給されたのって、武器じゃなくて救急箱なんだよね。救急箱じゃ、人を殺すなんてできっこないよ。そうだ。須田くんは、怪我とかしてない?」
引きつりそうな表情を、できるだけにこやかに。彼が、警戒心や恐れを抱かないように。少しでも、こちらのことを信じてくれるように。
それでも、彼の表情は何一つ変わらない。構えた銃も、下ろそうとしない。それどころか、まるで時が止まったかのように微動だにしない。
「ねぇ、須田くん……」
いつもなら、こうして話しかければ、彼は必ず返事をしてくれるはず。なのに、今は何も答えてくれない。
「須田……くん……」
穏やかさとは無縁の、険しい表情。今まで見たことのない表情。明らかに、いつもの彼とは違う。けれど、それはきっと自分にもいえる。幼馴染やチームメイト、多くの友人を失っているあかね自身も、きっと以前とは違っているだろう。
違うことは、不自然ではない。雅人だって、友人である広坂幸治(男子13番)を失っている。あかねと同じような気持ち、同じような絶望感。それらは抱いていて、当然だ。この状況でまったく変わらない人間など、いるはずがないのだから。
だから、雅人が銃を向けるのも、きっと――おかしいことではない。誰を信用したらいいのか、どうすればいいのか、分からない状況なのだから。あかねだって、一度は結香と分かれ、理香子には殺意を向けられているのだから。
信用されないことを、少しだけ寂しいと思うけど、大丈夫。まだどうにかできる。だから、泣きそうになっているのは、きっとただの気のせい。
「……平気、だよ」
だって、何も悲観することはない。雅人は、まだ引き金を引いていないのだから。ただ、銃を向けているだけなのだから。
「……大丈夫……だよ」
こみあげてくるものを抑えながら、必死で言葉を口にする。彼に届くよう、できるだけ大きな声で。
「怖く……ないから……」
泣きそうになるのを堪えながら、震えそうな足を必死で動かしながら、できるだけ距離を縮めようとする。彼に触れられるくらいまで、身体が近づけるように。彼が警戒心を解いてくれるところまで、心が近づけるように。
「撃たないって……信じているもん……。須田くんは、そんなことをするような人じゃないって……私知っているから……」
言いたいことを、できるだけはっきりと。気が緩んでしまえば、弱音を吐きそうになる口を、そうならないように精一杯動かしながら。
「私のことが怖いなら、そのままでも構わないよ……。だって……怖いもんね……。きっと須田くんにも、色々あったんだよね……。分かってる……。こんな状況だもんね……」
私と同じように、きっとあなたにも色々なことがあったのでしょう。それが、どれだけあなたを傷つけるものだったかなんて、私にはきっと分からない。完全に理解することも、きっとできない。
あなたと私は、違う人間。どんなに親しくしても、所詮は赤の他人。どれだけ理解しようとも、そこには限界がある。それを、プログラムで嫌というほど知ってしまったから。
「あのね……。私も……色々あったの……。辛いことも、悲しいことも、いっぱいあったの……。プログラムを止めたいと思っても、こんなの間違っていると思ってても、頑張っても頑張っても、今まで何もできなかった……。誰も助けられなかった……。私は、きっと誰よりも無力なんだと思う。もしかしたら、須田くんの足を引っ張ってしまうかもしれない……」
死にたくないあなたの、邪魔になってしまうかもしれない。何の助けにもならないかもしれない。プログラムを止めることも、もしかしたら不可能かもしれない。一緒にいても、何の解決にもならないかもしれない。
それでも、私はあなたと一緒にいたい。
「でも……それでも……私は須田くんと一緒がいい。一緒に……プログラムをどうにかしたい。だって……諦めたくないもん……。最後の一人になるまで殺し合いをするなんて……そんなの絶対したくない……」
瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちる。けれど、それを拭おうという前に、言葉が口をついて出てきていた。言いたいこと、言わなくてはいけないこと。銃を向け続ける雅人に向かって、嘘偽りのない気持ちを。涙を止めるよりも先に、伝えなくてはいけないことを。
「みんなに……死んでほしくない……。もう……誰かが死ぬなんて……嫌だよ……。須田くんにも、他のみんなにも……いなくなってほしくない……」
伝えたいことは、たくさんある。言わなくてはいけないことも、たくさんある。言えば、絶対に分かってくれるはず。彼は、人の話を真摯に聞いてくれる人だ。だから、気持ちを上手く伝えられれば、いつものように一緒にいられるはず。
けれど、どんな言葉で伝えたらいいのか分からない。何て言ったらいいのか分からない。どう振舞えば、彼の警戒心が解けるのか分からない。考えても考えても、答えが出てこない。
「信じて……くれなくてもいい……。けれど、私は……」
いい言葉が浮かばないから、口から出るのはただの本音。もっと上手いことを。もっと彼を安心させられるような言葉を。そう考えれば考えるほど、思考はぐちゃぐちゃになっていく。けれど、思うだけでは何も伝わらない。何か言わなくては、彼はきっと信じてくれない。
けれど、思いとは裏腹に、嗚咽で息が詰まる。同じような言葉を何度も繰り返し、それでも微動だにしない雅人を見て、また涙がこぼれて嗚咽もひどくなっていく。そうしていくうちに、とうとう何も言えなくなってしまう。言わなくては、言わなくてはと思うのに、口から出るのは言葉にならない嗚咽のみ。
あかねが何も言えなくなったのと同時に、沈黙がおちる。雅人も、何も言わない。風がざわめいて草木を揺らしても、それは沈黙を破るキッカケにはならない。ただ、時間だけが過ぎていく。そこに、何ももたらすことはなく。
――言わなきゃ……! 何か……須田くんを安心させるようなことを……!
しばらくして口を開いたのは、雅人の方だった。けれど、彼が発した言葉は、あまりにも意外なものだった。好意的なものでも、嫌悪感を示すものでもない。おそらく、彼が感じた感想を。ただ端的に述べただけの感想を。
彼にとっての――真実を。
「……嘘だ」
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