本当の気持ち

 

「……嘘だ」

 

 端的にそう告げる須田雅人(男子9番)に向かって、東堂あかね(女子14番)はなぜかすぐに違うと言えなかった。それは、信じてもらえないことがショックをだったせいなのか。それとも、そんなことを言う彼の心中を測りかねていたのか。

 

――違う……。嘘じゃない……。嘘じゃないのに……

 

 否定しないと。これまでの言葉は、決して嘘ではないと。雅人と一緒にいたい気持ちも、プログラムをどうにかしたいという決意も、全部本当のことなのだと。たとえ、この状況で現実を見ていないと思われても、それはあかねにとって嘘ではないのだと。

 

「ちが……」
「嘘だ」

 

 否定しようとしたあかねの言葉を遮るかのように、雅人は同じ言葉を口にした。先ほどよりも語気を強めたその言い方に、思わず口を噤む形になってしまう。

 そんなあかねを見ながら、雅人はゆっくりと歩き始める。銃口を向けたまま、あかねに近づくような形で。思わず後ずさりしそうになるが、それはギリギリのところで堪えた。そんなことをしてしまえば、今までの言葉を全て否定することになる。全部嘘にしてしまう。

 

――須田……くん……

 

『恋人もいないあんたなんかに、私の気持ちなんか分かるわけない。知ったようなこと言わないで』

 

 辻結香(女子13番)に会った時のことが、フラッシュバックする。必死で説得しようとしたけど、少しも届かなかった――あのときのこと。

 また、同じことを繰り返してしまうのだろうか。分かり合えないまま、離れてしまうのだろうか。

 

『あかねなりに助けてあげればいいから』

 

――私は……やっぱり何もできないの……? 日向にも、結香にも、加藤くんにも、理香子にも、何もできなくて……。須田くんにも……何もできないままなの……?

 

 何かを言いそうになる口を押さえながら、あかねはその場でじっとしていた。逃げてはいけないと思うのと同時に、どうすればいいのか分からなかった。思うことを言い続ければ、雅人に伝わるのか。それで伝わらなかったら、一体どうすればいいのだろうか。

 

――須田くん……

 

 あかねが色々思考を巡らせている間にも、雅人はどんどんこちらに近づいてくる。銃口を向けたまま、表情を一切変えないまま、ただ足を動かし、歩くことだけを続けている。

 

――私のこと……殺すの……? 生きて帰るために……?

 

 そうやって考えている間に大分近づいたのか、雅人は足を止めていた。互いの距離は、一メートル。手を伸ばせば、簡単に触れられるほど近い。引き金を引けば、いとも簡単に殺せるほどに、とても近い。

 ずっと会いたかった人が、ずっと探していた人が、今ではこんなに近くにいる。なのに、少しも喜べないのはなぜだろう。そして、どこか怖いと思ってしまうのは、なぜだろう。

 

「須田くん……私……」
「もう、止めてくれ」

 

 またあかねの言葉を遮るかのように、雅人は口を開いていた。それは決して大声ではないけど、今まで一番強い拒絶の言葉だった。

 

「怖くないわけ……ない……」

 

 視線を落とし、今度は消え入りそうな声で、雅人は悲しそうにそう呟く。

 

「銃を向けられて、殺されそうになって……怖くないわけがない……」

 

 カタカタという音が聞こえる。その音の方へ、視線を動かす。それは、雅人が持っている銃から。正確にはその手から――

 

「いくら信じていても、いくら相手の気持ちを理解しようとしても、こんなことをされて……少しも怖くないわけがないんだッ!!」

 

 思わぬ大声に、一瞬身体がビクッと反応してしまう。それほどまでに鼓膜を大きく揺さぶる、雅人の叫び。その叫びは、あかねの心をひどく動揺させた。見れば、雅人は涙を流している。教室で見た時よりも、ずっとずっと大粒の涙を――

 

「嘘はもう……うんざりだ……。嘘は……嫌いだ……」

 

 泣きながら、そう呟きながら、雅人はようやく銃を下ろしていた。そうやって下ろした手は、力なくだらんとぶら下がっている。持っている銃を、落としてしまいそうなほどに。

 

「怖いなら……怖いって言ってくれ……。嘘をついてまで、俺を受け入れようとしないで……。俺は……そんなの望んでいない……」

 

 それは、優しさなんかじゃない。そんな優しさ、俺はいらない。

 

 そう言った雅人の言葉は、あかねの心をひどくえぐった。嘘――。“怖くない”と言ったあかねの言葉が、雅人にとっては嘘――。

 

――違う、嘘じゃない。嘘じゃないよ……

 

 信じてほしい。あかねの言葉に、嘘がないことを。雅人にとっては嘘に聞こえるかもしれないけど、それは違うのだと。一緒にいたいのも、プログラムを止めたいのも、あかねにとっては全部本当のことなのだと。

 そう言わないといけない。そう思った。だから、あかねは咄嗟に口を開いた。怖くないよと、はっきり否定するために。

 そのはずだった。そのはずだったのに――

 

「……怖……いよ」

 

 けれど、口から出てきたのは、思っていることとは正反対の言葉だった。

 

「怖い……怖いよ……。本当は……怖い……」

 

 一度口にしてしまえば、その言葉は湯水のようにどんどん口から出てきてしまう。本当は、心のどこかで抱いていた。見ないふりをしていた。銃をこちらに向ける雅人に対する――恐怖心を。

 雅人の前に出た時、足が震えたことも。いつもと違う彼の雰囲気に、逃げたくなったことも。銃を向ける彼のことが、いつもと違う彼のことが怖かったからだ。けれど、それを認めたくなかった。気のせいだと思いこんでいた。

 

「でも……私は……須田くんがいなくなっちゃうほうが……ずっと怖い……」

 

 認めてしまえば、彼と向き合うことができなくなる。そうなってしまえば、今までで一番後悔する。それだけは、はっきりと分かっていたから。

 

「私は……死ぬことより……須田くんがいなくなっちゃう方が怖い……。そんなの……嫌……。自分が死ぬより……須田くんと別れる方が……ずっと嫌なの……」

 

 ずっと探していた仲間に、信頼できる相棒に、ようやく会えた。目の前で幼馴染に別れを告げられて、友達もたくさん死んで、今まで何もできていなくて。また何もできないまま、誰かを失いたくはなかった。それは、自分が死ぬことよりも、ずっと怖いことだった。

 

『俺は、自分が一番怖いんだ』

 

 槙村日向(男子14番)が言っていたことが、少しだけ理解できたような気がする。一番怖いのは、死ぬことではない。自分にとって大切な何かを失うことが、日向もあかねも怖いのだ。

 日向が“自分自身を失うこと”を恐れたように、あかねは“大切な人を失うこと”が怖い。また失うくらいなら、ここで死ぬ方がずっといい。

 雅人とここで別れるくらいなら、逃げるくらいなら――彼に殺される方を選択する。

 

「私はッ……! 本当に……本当に須田くんと一緒にいたいのッ……! 須田くんと一緒に……生きて帰りたい……! もう……大切な人が死ぬのは……絶対に嫌なのッ!!」

 

 視界が歪む。何か温かいものがこみあげてくる。気づけば、目からまた涙が零れ落ちて、頬を伝っていた。

 

「それだけは……信じて……。ううん、信じてくれなくてもいい……。でも……私は……」

 

 あなたと一緒に、プログラムを壊したい。もう、誰も死ななくていいように。

 

 言葉にすれば安っぽくて、それこそ信じてもらないかもしれない。もっと頭が良ければ、それこそ雅人や橘亜美(女子12番)のように成績が良かったら、もっと言い方はあったかもしれない。けれど、今のあかねには、きっとこれが精一杯。

 全部が真実ではないかもしれない。けれど、全部が嘘というわけでもない。一番言いたいことは、何もかも本当だ。

 

――お願い……それだけは信じて……。ううん、信じてくれなくてもいい……。でも……私が須田くんの敵じゃないってことだけは……どうかそれだけは……

 

 目の前の雅人は、泣いている。頬を伝った涙が、顎から地面にとめどなく滴り落ちるほど、たくさん泣いている。こんなにたくさんの涙を流す雅人を見るのも、初めてだ。

 また、沈黙が落ちる。今度は、二人とも口を開かなかった。

 冷たい風が吹く。土埃が舞い上がって、それが少しばかり目に入る。髪がなびいて、視界が一瞬遮られる。それでも、あかねも雅人も、何も言わなかった。少しも動かなかった。

 

「ごめん……」

 

 沈黙を破ったのは、またしても雅人の方だった。謝罪の言葉を口にしながら、銃を持っていた右手を背中に回す。再びその手を前に持ってきた時には、そこにあったはずの銃が消えていた。

 

「分かっているんだ……。本当は……でも……」

 

 唇を噛みしめながら、雅人は小さくそう呟く。何か言わなくてはと、あかねは咄嗟に一歩前に進み出た。それと同時に、なぜか柔らかい温もりに包まれていた。

 一瞬、何が起こったのか分からなかった。けれど、すすり泣く声を耳元で聞いて、すぐに状況を理解した。

 雅人が、あかねを抱きしめていた。肩に顔を埋めて、両手はあかねの背中にしがみつくような形で。ほとんど同じ身長であるせいか、肩に埋めた彼の表情は、あかねにはまったく見えなかった。

 

「分かっている……。こんなの……本当は間違っている……」

 

 ギュッと背中に回した腕に力が込められる。それだけで、雅人の言いたいことが、言葉よりもはっきりと伝わってきた。

 

 これは、ただ縋りついているだけ。そこに、愛情も思慕も、増してや男として守ろうという覚悟もない。本当はそのためにこうするべきなのに、今はただ君に泣きついているだけ。母に泣きつく、幼い子供のように。

 これは、男として君を愛おしく思うからじゃない。君に、ただ救いを求めているだけ。

 

「東堂さんが……俺を信じてくれるって言ってくれたことも……、俺と一緒にプログラムをどうにかしたいって言ってくれたことも……嘘じゃないって分かっている……。怖がっているのを隠したのだって……全部俺のためなんだって……本当はちゃんと分かっているんだ……」

 

 ギュッと、背中に回された手に力が込められる。

 

「でも、俺は……信じられなかった……。嘘が少しでも混ざっているのなら、他の言葉も全部嘘なんじゃないかって……。東堂さんが、そんな人じゃないことも分かっているのに……。俺は、それをちゃんと知っていたはずなのに……」

 

 泣きながら、雅人は必死に言葉を紡いでいる。集中しないと聞き取れないほどの、消え入るような小さな声で。

 

「俺は……弱いから……。東堂さんのことを、信じられなくなるくらい……弱いから……。きっと誰よりも……弱いから……。こうして泣きつくことしかできないくらい……弱いから……。俺こそ、東堂さんの足をただ引っ張るだけかもしれない……。でも……」

 

 嗚咽を混じらせながら、消え入るような小さな声のまま、雅人ははっきりとこう言っていた。

 

「それでも……俺……頑張るから……。これから、頑張るから……。だから……今だけ……今だけは……」

 

 そこから先は、言葉にならなかった。ただしゃくりあげる声だけが、耳に届いている。静かで、単調で、ただ泣き続ける声だけが。

 

「須田……くん……」

 

 本当なら、優しく抱きしめて、雅人のことを慰めるべきなのだろう。泣き続ける彼を受け入れ、私のことを信じてくれてありがとうと言い、全てを丸く収めるべきなのだろう。そして、彼が泣き止むまでこうしているべきなのだろう。幼い子供を優しく抱きしめる、母親のように。

 

「あ、あり……ありが――」

 

 そうするべきなのに、なぜか言葉が出てこない。出てくるのは、雅人の同じような嗚咽と、温かい涙だけ。何か言わなくては。雅人を安心させなくては。そう思えば思うほどに、嗚咽と涙は一層増していく。

 焦って何か言おうとするあかねを制するかのように、雅人が一層強い力で抱きしめてくれた。何も言わなくていいと、優しく諭してくれるかのように。

 

「うっ……うう……。私……」

 

 何も言えなくなり、涙と嗚咽だけがこだまする。いつのまにか、雅人の背中に両腕を回し、同じように縋りついていた。

 

「私……私ッ……!」

 

 止まることのない涙と嗚咽。もう、言葉を紡ぐことなんてできない。言いしれぬ何かが、今まで堪えてきた何かが、涙という形になってとめどなく溢れていた。何度も泣いているはずなのに、まるでこれまでの全てを吐き出すかのように、ただただ涙がこぼれ落ちていた。そしてその涙は、これまでとはまた違っていた。

 よかった。よかった。彼だけでも、一緒にいられてよかった。やっと、会いたかった人と思いを通じ合わせることができた。逃げなくてよかった。全力でぶつかってよかった。そうした安心感が、涙と嗚咽により一層拍車をかけていた。

 無意識に大声を出すことを警戒したせいか、二人はただすすり泣いていた。誰かに見つかることを心のどこかで恐れながらも、人目をはばからずに、ただひたすら泣き続けていた。

 

[残り9人]

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