奇襲と逆襲

 

 細谷理香子(女子16番)は、雑木林の中をやや早足で移動していた。今いるのは、エリアC-3。家も何もない、ただ木がそびえ立っているだけの閑散としたエリアだ。

 

 そんな静かな場所を、周囲を警戒しつつも、理香子はこれまでよりも少しばかり大胆に動いている。それだけではない。表情にも落ち着きがなく、目をこらしつつも視線はどこか忙しない。彼女がこのように焦っているのは、あるものを持っていないが故に、今の自分が誰よりも不利な立場であることを理解しているからだ。

 

『どう考えてもあなたの死ぬ確率の方が高いんじゃない? 私は銃を持ってるけど、あなたは見たところ刃物しか持ってないようだし』

 

 そう――銃だ。今のところ、理香子の手元に銃は一つもない。自分の支給武器は果物ナイフだったし、これまで殺した鈴木香奈子(女子9番)五木綾音(女子1番)真田葉月(女子8番)も銃を持っていなかった。刃物類は充実しているものの、銃を含め離れたところから相手を仕留められる武器は、何一つ持ってない。

 実際、橘亜美(女子12番)東堂あかね(女子14番)をあの場で殺せなかったのは、自分にはない銃を亜美が持っていたからというのが大きい。現に、ここには亜美が持っていたような銃だけでなく、連射できるマシンガンまである。それらを一つも持っていないというのは、この状況下では圧倒的に不利。あの人を優勝させるためには、このままではダメだということを誰よりも理解していた。

 

――これまで以上に動いて、何としてでも銃を手に入れないと……! もう十人近くしか残っていないのに、一つもないのは明らかに不利だわ。もう何個も持っている人だっているかもしれないのに……!

 

 刃物は何本持っていても、近づかなければ意味がない。その点、銃器は視界に入る相手を、遠くから気づかれることなく狙うことができる。刃物と違い、持っている分だけチャンスが増えるのも利点だ。

 だからこそ、銃が欲しい。銃がなければ、時間が経つにつれてこちらが不利になっていくだけ。下手をすれば、それが原因で誰かに殺されてしまうかもしれない。死ぬつもりではいるが、それはあの人が優勝できると確信したときでないと意味がない。

 

――誰でもいい……。銃を持っていて、殺せそうな人はいないの……? 多少の怪我を負ってでも、その人から銃を手に入れなきゃ……

 

 何にしても、まずは誰かに会わないと。そう思い、理香子は積極的に移動を続けていた。ここまで人数が減ったのだ。多少のリスクを負う覚悟は必要だろう。どのみち死ぬのだから、怪我くらいどうということはない。怪我を恐れていては、目的は何一つ果たせないのだから。

 

『何か……手伝おうか?』

 

 全ては、あの人を優勝させるため。あの人に、生きて元の生活に戻ってもらうため。

 

 生まれて初めて抱いた、「恋」という名の小さな想い。絶対に結ばれたいと、強く願ったわけではない。けれど、成就しなくてもいいと諦めていたわけでもない。辻結香(女子13番)のように、一番近くにいられたらどんなに良かっただろうとも、思ってしまう。けれど、優勝の枠が一つである以上、一緒に帰ることはできない。増してや、想いを通じ合わせることなんて、伝えることなんて――とても。

 プログラムをどうにかできるなんて思わない。何も知らない、非力な自分たちで壊せるくらいなら、こんなに長く続いていない。だからこそ、最も現実的で、理想的な結末を。そのためだけに、これまで行動してきた。それが、どれだけみんなを傷つけるものか。どれだけの犠牲を伴うものなのか。理解した上で。

 

 その過程や結末で、息ができないほどの苦しい思いや、身を裂かれるような痛い思いをするだろうということも――全て理解した上で。

 

 周囲を見渡しながら、先ほどよりも早足で移動する。そうなれば多少物音が響いてしまうが、この際それも仕方がない。むしろ、この物音に引き寄せられて、誰かがこちらに来てくれるかもしれない。それも危険な考えではあるが、それでも銃が手に入るならかまわないとすら思っていた。

 何にせよ、このまま手をこまねいていても、あの人が誰かに殺されるだけ。この状況を打開できる、何かキッカケさえあれば。

 

――とにかく、このままじゃどうしようもないわ。何か、何か有効な武器を……

 

 そうして焦る理香子の耳に、かすかに言葉が届いていた。

 

「くそっ……! なんで……俺ばっかり……」

 

 耳にかすかに届くは、誰かの呟き。全神経を耳に集中させ、その声の方向、距離、そして主を推測する。

 

――声は、前の方から聞こえる。距離は少し離れているわね。“俺”って言っているから、おそらく男子……

 

 男子の残りは七人。さすがにここまで残っているとなると、一筋縄ではいかない人が多い。頭脳明晰で、割と何でもこなす加藤龍一郎(男子4番)。龍一郎には劣るが頭がよく、みんなからの人望も厚い有馬孝太郎(男子1番)。やる気になっているとは思えないが、真っ向から仕掛けてタダですむような、生易しい相手ではない。あまりよくは知らない下柳誠吾(男子7番)も、どういう人物か分からない以上、あまり近づきたくないタイプの人間だ。

 しかし、今残っている中に、殺すことがそこまで難しくないであろう人間も数人存在している。その誰かであれば、こちらにもチャンスがあるはずだ。

 

――できれば……あいつであるといいんだけど……

 

 今度は慎重に、物音を最大限立てないよう、気を付けながら移動する。できるだけ相手の死角に入り、不意打ちで仕掛けられればいい。それならたとえ相手が龍一郎でも、孝太郎でも、殺せる可能性は十分にある。

 

「俺が何したって言うんだよ……。みんなみんな、俺のこと馬鹿にしやがって……」

 

 耳に届く声が、少しばかり大きくなる。同時に、その声の主の姿が視界に入る。都合のいいことに、相手は完全にこちらに背を向けていた。周囲を警戒する様子もなく、ただその場にうずくまっているだけ。おそらく、理香子の存在にはまったく気づいていないだろう。

 そして、言っている内容から、声の高さから、相手が誰かも判明した。今残っている男子の中に、あのような話し方をするのは、一人しかいない。

 

――またとないチャンスだわ。ここまで残っているんだから、銃の一つくらい持っていてもおかしくない。背後から一気に仕留めれば、下手な怪我をしなくてすむし。

 

 千載一遇のチャンスに、鼓動が早まるのを感じる。勝手に震える身体を押さえつつ、ゆっくりと近づいていった。焦ってはいけない。焦りは、油断と隙を生む。彼を殺すその瞬間まで、決して気を抜いてはいけない。

 友人らのような躊躇いもない。声の主である彼は、むしろ嫌いな部類に入る人間だ。迷惑をかけられたことも多く、正直うんざりしていた。早々に死ぬと思っていたのに、ここまで生き残っていることに疑問を覚えるくらいだ。

 右手に果物ナイフを握り、慎重に近づいていく。緊張のせいか、持っているナイフが滑り落ちそうなほど、両手に汗をかいている。落として気づかれるなど、絶対にあってはならないことだ。一層の力を込めてナイフを握り、バクバクと鳴る心臓の音をうるさいと思いながら、表面上は変わらず歩を進めていく。

 

――よし……! もう少し近づいたら、どんな武器を持っていても、反撃される前に仕留められる! あと少しで一気に……

 

 しかし次の瞬間、何を思ったのか相手がいきなり後ろを振り返ったのだ。仕留められる距離まで近づいていたせいで視界から外れることができず、いきなり振り向いたせいか隠れることもできなかった。

 視線がかち合った瞬間、驚きからか相手の目が見開かれていく。まさかこの状況下で、背後から襲われることはないとでも思っていたのだろうか。彼の瞳からは、恐怖、動揺がはっきりと見て取れた。

 

「ひっ……! お、お前は……」

 

 物音を立てるような凡ミスはしなかったはず。なのに、なぜ気づいたのか。疑問に思うところはあるが、今はそんなことを考えている場合ではない。ここまで近づいてしまっている以上、多少怪我をしてでもここで彼を殺すしかない。

 互いに一瞬だけ硬直した後、理香子はすぐに動き出していた。距離を詰めるかのように一歩踏み出し、うずくまっていた相手に向かってナイフを振り下ろす。心臓を狙ったそのナイフは、彼が無様に後ずさりしたことで空を切る形になった。

 

「おおおおお前もかッ!! お前もやる気なのかよッ!!」

 

 理香子に向かって、彼は訳の分からないことを叫ぶ。“お前も”と言われても、それはこちらの預かり知るところではないし、今のこの状況においては無関係だ。彼にも色々あったのだろうということだけは理解できたが、そんなことはどうでもいい。

 ああ、こういうところなのだ。訳の分からないことで周囲に責任転嫁をし、自分はいつだって被害者面している。彼の――八木秀哉(男子16番)の、こういうところが嫌いなのだ。一年で同じクラスになったときから、ずっと。

 

 尻もちをついた状態で喚く秀哉に向かって、返事の代わりにもう一度ナイフを振り下ろす。またしても彼は無様に後ずさることで、こちらの攻撃をかわしていた。こんな相手に二度もかわされるなんて。そんな思いから、次第に苛立ちが募っていく。

 

「みんなして俺を殺そうとしやがってッ!! 俺が一体何したっていうんだよ!!」

 

 五月蠅い。そんなこと、今のこの状況では関係のないことだ。一人以外は全員死ぬプログラム。生き残りたいのなら、相手がどんな人であろうと殺さなくてはいけない。そんなことも分からないのか。仮に仲間ができたとしても、最終的には全員敵になる。そんな状況なのだから、誰も助けてなどくれない。特に、お前ような被害者面する卑怯な人間のことなど。

 ギリッと歯ぎしりする。ああ、イライラする。その姿を視界にいれることも、その声を耳にいれることも、不愉快極まりない。こんなやつ、さっさと殺して――

 

「な、なめんじゃねぇ!! 俺だってなぁ、やろうと思えばやれるんだよッ!!」

 

 そう叫んだと思ったら、秀哉がいきなりこちらに何かを向けていた。まさか――と思ったのもつかの間、パンッパンッという爆竹のような音が聞こえる。同時に、衝撃と痛みが腹部を襲った。

 後悔したときには、遅かった。秀哉が持っていた銃から発射された弾丸が、理香子の腹部を容赦なく貫いていたのだ。

 

「ッ……!」

 

 その痛みに耐えきれず、思わず地面に膝をつく。撃たれた箇所を押さえる手に、生温かいものが触れた。それは、押さえた手から零れ落ちるかのように、地面に吸い込まれていく。そこに生えている草を、鮮やかなクリムゾンレッドに染めながら。

 立ち上がらなくては。その思いとは裏腹に、身体がいうことをきいてくれない。先ほどまでは、あんなに思い通りに動いていたはずなのに。たった数秒で、こうも違うものなのか。たかが、腹に一発くらっただけなのに。

 

「お、お前が悪いんだよ! おおおお前が、俺を殺そうとするからぁ!!」

 

 腹部からせりあがってくる痛みに耐えながら、理香子は秀哉を睨んだ。この男、撃っておいてなお言い訳をしているのか。確かに殺そうとしたのは事実だが、だからといって何をしてもいいという理由にはならない。どんな理由があろうと、人に向かって撃ったという事実は消えないのに。

 

 そう、大事なのは理由ではない。事実だ。確固たる意志を持って人を殺めたという――その事実だけが。

 

「お前が全部悪いんだ! お前が! お前が!」

 

 秀哉は、同じことを何度も叫んでいる。叫びながら、何度も引き金を引いている。至近距離から撃たれたせいか、その弾丸のほとんどが理香子の身体に吸い込まれていった。最初に撃たれたところほど重症ではないが、動きを制限するには十分だった。

 弾切れを起こしているのに、馬鹿の一つ覚えみたいに秀哉は引き金を引き続けている。カチッカチッという空虚な音だけが、修哉の怒号と共に響き渡っていた。傍目から見れば滑稽でしかないが、当の本人は至って真剣に、怯えながら、ひたすら引き金を引き続けている。

 

――ころ……さないと……。こんな奴に会ったら……あの人も……あかねも結香も……!

 

 ズキズキとする痛みに耐えながら、地面に両手をついて立ち上がろうとした。弾切れを起こしたなら、もう撃てない。見たところ、彼に他の武器を持っている様子はない。なら、今がチャンスだ。この機を逃せば、この男はまた人を殺す。言い訳しながら、全部相手が悪いと責任をなすりつけながら、さも自分は完全な被害者であるかのように振舞いながら、この先も生き続けるのだ。理香子の大切なあの人も、友人も、クラスメイト全員殺してもなお。

 

 とにかく、目の前のこの男を殺さないことには何も始まらない。どうせ死ぬのなら、せめて道連れに――

 

「あああ! 来るなッ! 来るなッ! 来るなぁ――――!!」

 

 ヒステリックに叫びながら、もう弾の出ない銃をこちらに向けながら、秀哉は逃げていった。足をもつれさせながら、時々無様に転びながら。まるで、鬼か何かから必死で逃れようとするかのように。

 そうやって無様に逃げる秀哉を、理香子はただ見ていることしかできなかった。殺したいのに、その銃を奪いたいのに、身体がまったくいうことを聞いてくれない。立ち上がろうとすれば足が悲鳴をあげ、腕を使えば痛みで力が抜けてしまう。そうこうしている内に、秀哉の姿が完全に見えなくなってしまった。

 

「待て……! あんたは……私がここで……」

 

 必死で手を伸ばしても、何も届かない。その手の先にあるのは、誰もいない雑木林だけ。

 

――殺さなきゃ……! でないと、みんなが……

 

 大量に出血したせいなのか、痛みが消え、意識が朦朧としてくる。思いも空しく、理香子はそのまま地面に倒れこんでいた。

 

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