生きる決意

 白石兵士の話が終わっても、萩岡宗信はしばらく事実をのみこむことができなかった。生きている――自分と、古山晴海江田大樹は生きている。しかも、今まで敵だと思っていた専守防衛軍の兵士と栗井担当官に助けられて生きている――

 聞きたいことは山ほどあったが、それよりも確認すべきことがあった。

 

「古山さんと江田は…今どこに…?」

 

 そう問うと、白石は少しだけ微笑む。そして、静かにこう答えていた。

 

「古山さんは、優勝者として先に本土に帰っています。見る限り大した怪我をしていなかったようなので、大丈夫でしょう。ちなみに、あなた方が生きていることを彼女はまだ知りません。江田くんは、あなたの右隣で眠っていらっしゃいますよ。」

 

 そう言われたので、ゆっくりと首を横に動かして右隣を見る。言われた通り、そこには大樹がいた。目は閉じられており、静かに横になっている。どうやら、まだ目を覚ましてはいないようだった。

 

「江田は…大丈夫なのか?」

 

 白石の言葉を疑うわけではないが、大樹は少なくともわき腹を撃たれている。こうして目が閉じられていると、この状況でも何も反応がないと、もしかしたら死んでいるではないか――そんな不吉な予感がしてしまう。

 

「撃たれた傷は幸いにもかすり傷でしたし、すぐに止血も行ったので大丈夫でしょう。そのうち目を覚ますと思います。むしろ萩岡くん、あなたの方が重症かもしれませんよ。」

 

 そう言われて、ようやく自分の身体の状態を確認する。両足と左腕は絶えずズキズキと痛むし、まともに動かせる気がしない。それに、右足からは骨折とは別の痛みが襲ってくる。宗信は過去に骨折などしたこともなければ、ましてや撃たれてことなどないので、どれくらいで完治するのか皆目見当もつかない。改めて、満身創痍なのだと理解せざるを得なかった。人生最大にして――きっと最後の大怪我。

 

――しばらくは、走ったり野球したりするの…無理だな…

 

 一番大事なことが確認できたので、聞きたいことを片っぱしから聞いていくことにする。

 

「聞きたいこと…たくさんあるんだけど…」
「どうぞ。」

 

 聞きたいことは山ほどあったけど、まず一番に浮かんだ疑問を口にした。

 

「どうして…俺達を助けようと思ったんだ?」

 

 いくら説明を聞いても、そこだけは分からなかった。だって、自分達はいわば赤の他人だ。命を懸けて助けるほどの動機があるとも思えない。それなのに、あの栗井に助けたいと懇願したということが。

 

「プログラムが間違っていると思っているのは、何も当事者や関係者だとは限りませんよ。」

 

 宗信の質問に、白石は静かにこう答える。淡々と、落ち着いた様子で。

 

「私自身プログラムに選ばれたわけでも、プログラムに選ばれた知り合いがいるわけでもありません。ですが、そんな私でも、プログラムはおかしいと、ずっと前から思っておりました。」

 

 そう思っていたのなら、なぜ専守防衛軍なんかに――。宗信がそう疑問を口にする前に、白石は続きを口にしていた。

 

「専守防衛軍に入りましたのはですね、何とかしてこの国を変えたい――そんな若気の至りのような思いが、少なからずあったからなんです。そのためには、まずこの国で何が起こっているのか。それを知ることから始めないといけない、そう考えたからでございます。政府の要職に就けるほどの学はありませんでしたから、軍に入る道を選んだだけのことなのです。」

 

 その告白は、宗信を驚かせるには十分すぎた。専守防衛軍というのは、いわば政府の“犬”みたいなもので、自分達から見たら“敵”であるとずっと思っていた。けれど、そうではない人間もいたのだ。

 

「けれど…やはり一人というのは無力なものです。今回、初めてプログラムに携わらせていただいたのですが、何もすることができなかった。栗井担当官がいなければ、私はただずっと手をこまねいて見ているだけだったでしょう。担当官のおかげで、あなた方と、古山さんの命を失わずにはすみました。ですが…」

 

 そこで、一度言葉が切られる。言葉を続けていくほどに、白石の口調が変化していく。こみあげてくる感情を抑えるかのように。

 

「…あなたの友人の白凪くんや乙原くん、江田くんの仲間であった横山くん、古山さんの友人である矢島さん、それに…神山くん。彼らを含めた他の三十五人のみなさんを助けることはできませんでした。正直、あなた方に恨まれても仕方がないと思っています。赦してくれとは言いません。ただ、一つだけお願いがあります。」

 

 そう言って、白石は改めて宗信の顔を見た。

 

「栗井担当官は…ずっと悔やんでいたと思います。あのくじも、政府からの命令で仕方なく行ったのです。一人、また一人と死んでいくたびに、悲しそうな表情を浮かべておりました。きっと本当は…あなた方全員を助けたかったのだと思います。どうか、そのことだけは…分かって下さい。」

 

 そう言って、白石は宗信に向かって頭を下げていた。専守防衛軍に所属する兵士が、一中学生に向かって頭を下げるという行為は、少なからず妙な光景だなと、場違いなことを考えていた。

 宗信は、すぐには返事をしなかった。言っていることは理解できなくもない。けれど、他のみんなが見殺しにされたも事実だ。方法があったのなら、どうして最初から実行しなかったのか。上手く伝えれば、あんな殺し合いなんて起こらなかったはず。そう思う気持ちもある。けど――

 

「でも…あんたたちは、俺達の命を助けてくれた。」

 

 迷った末に導き出された答えを口にする。口にした途端に、白石が驚いたような表情を浮かべていたが、かまわず続きを口にした。

 

「それは…事実なんだ。だから俺には、あんた達を責める権利なんかない。それができるのは、きっと死んだみんなだけなんだ。むしろ、俺は礼を言うべきなのかもしれない。けれど…それは、まだできない。もう少し…もう少し気持ちの整理ができたら、ちゃんと礼を言うよ。」

 

 もっと大人になることができたら、残酷だけれども――時間が経って気持ちの整理ができるようになれば、きっと素直に感謝の気持ちが口に出せる。だから、今は言わないことにした。口先だけの礼なんて、きっと意味がないから。

 

「それで、十分です。」

 

 白石はそう返事をすると、少しだけ微笑んでいた。おそらく彼は、宗信の言葉の裏に隠された真意まで、きちんと汲み取ってくれたに違いない。それだけでも、宗信はありがたいなと思った。

 

「他に、聞きたいことはありますか?」

 

 白石が、そう促してくれている。けれど、すぐには口に出せなかった。聞きたいことはたくさんあったはずなのに、今さらながら何を聞いたらいいのか分からなくなったから。それに――

 

「俺達…これからどうなるんだろう…」

 

 少なくとも、元の生活には戻れない。宗信も大樹も、死んだことになっているのだから。もう家族のいる家に帰ることも、学校に行って退屈な授業を受けることも、部活で汗を流すこともない。そう考えた途端、急に切ない気持ちになった。

 

 家族はどうしているのだろう。父は、ちゃんと仕事に行っているだろうか。母は、泣いたりしていないだろうか。それに、たった一人の姉はどうしているのだろう。いつもは強気な姉だけど、今まで見たことのないくらい沈んでいるのかもしれない。プログラムの最中には考えられなかった家族のことが、急に思い出される。もう二度と会えないであろう――大事な家族のこと。

 もしかしたら、晴海にも二度と会えないかもしれない。告白することもできずに、守ることもできずに、互いに生きてはいるけれど、もう二度と会うことはないのかもしれない。湖で沈んでいる最中、最後に見た光景。幻覚かもしれないけれど、宗信に向かって必死で泳いでくる晴海の姿が、やけに脳裏に焼き付いている。

 

「それは…私にも分かりません。この後、栗井担当官と落ち合う手筈になってはいますが、そのとき聞いてみるといいと思います。ただ…私としては、海外逃亡という形が一番よろしいのではないかと思います。」

 

 海外逃亡――自分には一生無縁だと思っていた言葉。それなのに、今は一番現実味を帯びている。確かに、この国で生きていくことはとても困難なことかもしれない。死んだことになっているのだから、万が一見つかってしまえば――おそらく殺されてしまうだろう。だからといって、海外が安全だとも限らない。どちらにしても、これから待ち受けているのは今までのような平和な日常とは、まったく違ったものだろう。

 

――でも、生きてる。

 

 日常には戻れなくても、これから待ち受ける日々が困難なものだろうと、生きていることに変わりはない。ならば、出来る限り精一杯生きようと思った。少なくとも、大半のクラスメイトはそれが叶わなかったのだから、そうしないと失礼なような気もした。きっと、自分が思っている以上に、できることはたくさんあるはずだから。

 

「さて、それでは移動しますね。天気も気になりますので、海が荒れないうちに本土へ到着するようにします。小型の船なので揺れるとは思いますが、少し辛抱してて下さい。必ず、あなた方をあるところに送り届けます。そこで、ちゃんとした治療を受けられるとも思いますので。」

 

 そう言って、白石が離れていく。そして、再び船が動きだした。仰向けに横たわっている宗信には、変わらず夜の空だけが見えている。確かに、もうすぐ荒れそうな雰因気だ。星一つ見えないくらい厚い雲に覆われているのだから。

 そんな空に、次々と映し出されていく。死んでいったクラスメイトのみんなが。

 

 ちょっとだけ皮肉なもの言いはするけれど、きっと誰よりも優しい人。だからこそ友達も多かった乙原貞治

 クラスのムードメーカーであり、からかってくることも多かったけれど憎めない。唯一同じ野球部であった武田純也

 飄々としているけれど、いざというときはまとめてくれるクラス委員。何度テストで助けられたか分からないくらい頼りになる鶴崎徹

 実は秘かにモテていて、性格も穏やか。いつも場を和ませてくれる野間忠

 

 浮かんでは消えていく――儚い幻。決して忘れることのないように、脳裏に焼き付けていく。

 

 晴海が優勝することを願っていながら、最後の最後で自分達を助けてくれた神山彬

 “正義”という考えを元に宗信達を殺そうとしたけれど、もしかしたら分かり合うことができたかもしれない文島歩

 最初は人を殺してしまったけれど、それを悔やみ続け、最後にその身を犠牲にしてまで自分達を助けてくれた藤村賢二

 

 死んでいったクラスのみんな。それぞれプログラムで何が起こったのか――それを正確に知ることはできない。プログラムに乗った人間もいただろうし、そうでない人間もいただろう。もしかしたら、生きている自分達を疎ましく思う人間もいるかもしれない。でも、それでも――

 

――それでも、みんな俺のクラスメイトで…仲間だ。

 

 最後に映る親友の姿。隣には、なぜか一人の女の子がいた。たったそれだけだけど、宗信はなんだか嬉しく思った。

 

――俺、生きていくから。みんなの分まで生きていくって決めたから。だから見てろよ。浩介。

 

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