それぞれの道

 

 本土に戻ってからは慌ただしかった。

 

 萩岡宗信は本土に着いた途端、待っていた栗井担当官に抱え上げられ、そのまま待機していた車に乗せられる形で移動する。もちろん江田大樹白石兵士も一緒にだ。しばらくしてから、ある診療所へと辿りつく。ボロ小屋に近いその診療所にいたのは、大分年を取った年配の医師だった。大樹共々もう一度治療を受け、骨折していた箇所には白石が施したものよりも厳重に固定され、そのまま地下へと運ばれ、ベットに寝かせられた。その際、医師から告げられたのは、「絶対安静。」という、ただ一言だけだった。

 聞いた話によれば、大樹も後に目を覚まし、そのとき同じような説明を受けたとのこと。ただし、そのとき宗信の方が寝ていたし、大樹は同じ部屋にいるわけでもないので、これはあくまで後に年配医師から聞いた話だ。そのためかは分からないが、この部屋に寝かされてから大樹とは一度も会っていない。

 

 それから、数週間の時が流れている。

 

 宗信は、変わらずベットに横たわったままだ。両足を骨折しているのだから満足に動けないのは当たり前として、ここにはテレビどころか本が一冊もない。そのため何も情報が入ってこないし、ここが地下であるせいなのか物音一つ聞こえてこない。毎日あの年配医師がここに来る以外は、何の変化も起こらない日々。だからこそ、色々考えてしまう。何も知らないからこそ、色んな憶測が浮かんでくる。

 

 あれから、プログラムの方はどうなったのか

 自分達の存在は、もう明るみに出てしまったのだろうか。

 そして――古山晴海は、今どうしているのだろうか。

 

 考えても、答えが出るわけではない。けれど、ここまで何もないと、どうしても意識はそちらの方に持っていかれてしまう。堂々巡りだと分かっていても、その繰り返しだった。

 もう何度目になるかわからない溜息をついたとき、コンコンと二回、ノックする音が聞こえた。

 

「萩岡。ちょっといいか?」

 

 どうやら声の主は、年配医師ではなく大樹のようだ。動けるくらいまで回復したのか、ここまで訪ねてきてくれたらしい。「ああ。」と軽く返事をすると、キィッと軋んだ音を立てドアが開き、大樹が入ってきた。

 大分回復しているからだろうか、顔色は悪くないようだ。骨折しているらしい左腕は、今だに固定されたまま。まだ完治とまではいかないのか、壁に右手を付くことで身体を支えつつ、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。撃たれたわき腹の方は、服を着ているせいか、どこまで回復しているか分からない。

 

「久しぶり、だな。」
「まぁ…な。怪我、大丈夫なのか?」

 

 そう聞くと、大樹は少しだけ笑いながら「大したことねぇよ。お前よりはな。」と答えてくれた。どうやら今度は本当に大丈夫なようで、そのことに心の底からホッとした。

 

「そこ、座ってもいいか?」

 

 そう言って、大樹はベットの傍らにある小さな丸椅子を顎で示す。コクンと頷くと、大樹はゆっくりと丸椅子に近づき、慎重に腰を下ろしていた。

 大樹が腰を下ろしたところで、ふとあることに気付いた。

 

「そういえば…」
「ん?」
「江田とこうして二人きりで話すのって…もしかして初めてか?」
「まぁ…そうだな。」

 

 今まで、白凪浩介乙原貞治ら友人を交えてなら、大樹と会話したことは何度もある。けれど、こうして二人きりで話すのは、プログラムの時も含めて初めてのことなのだ。プログラムで大樹と会ってからは、神山彬に会ったり、文島歩に会ったりして、片時も休まることがなかったのだから。

 

「とりあえず今分かっているところまで話そうと思って来たんだけど…聞くか?嫌なら止めるけど…」

 

 何から話そうかと悩んでいたら、大樹の方から口火を切ってくれた。今分かっていること――おそらく、プログラムのその後、そして自分達のことも含まれるのだろう。正直なところ、聞きたくない気持ちも心のどこかに存在する。けど――

 

――逃げたらダメだよな。抱えて生きていくって決めたんだから。

 

 そう決意すると、大樹に向かって「教えてくれ。」と返事をする。大樹もそれ以上は何も言わず、はっきりとした口調で教えてくれた。

 

「俺達のことは、まだバレていない。…と言うのも、俺達があの島を去った後、少し早い台風がきたんだ。」
「台風?」

 

 毎年夏に必ずやってくる台風。確かに、六月にくるのは少し早い気がする。それで、船の上から見た空の様子にもいくらか納得できた。でも、プログラムが終わった後にやってくるなんて――

 

「それで後の作業…言ってみれば、みんなの遺体の回収らしいけど…それが大幅に遅れてしまったんだ。そのせいか、身元が判明するのに時間がかかった人も、正確には判明していない人も、遺体そのものが見つかっていない人もいるらしい。それに、形式上は何の問題もなくプログラムは終わっているはずだから、脱出している人間の存在なんて微塵も考えていないだろうというのが栗井の見解だ。」

 

 大樹の話を聞きながら、胸が締め付けられるような気持ちになる。結果的に言えば、自分達の存在は明るみに出ていないのだし、おそらくすぐにバレることもないだろうから、少しくらいホッとしてもいいのかもしれない。けれど、まだ見つかっていない人、身元が判明していない人。彼らの親は、一体どう思っているのだろう。

 わが子の遺体すら帰ってこない。帰ってきても、直視できないくらいひどいものだったとしたら――悲しみが上乗せされてしまうのではないだろうか。プログラムでは死んだことになっている自分の親は、今どんな気持ちを抱いているのだろう。

 

「なぁ…見つかっていない人って…誰なんだ?」

 

 そう問うと、大樹は「聞くのか?」と念を押した。

 

「栗井の話だと、生きている可能性は極めて低いらしいぞ。見つかっていないのは、遺体が海に転落してしまって波にのまれているからだそうだ。それでも…聞くのか?」

 

 もしかしたら、自分らと同じようにどこかで生きているかもしれない――そんな淡い希望を抱いていたが、どうやらそれはないようだ。けれど、それでも知りたいと思った。これは“知っておくべきだ”と思ったからではなく、ただ“知っておきたい”という気持ち。

 

「頼む。教えてくれ。」

 

 はっきりとした口調でそう告げると、大樹もそれ以上は何も言わずに教えてくれた。

 

「武田と…岸田さん、芹沢さん。それから日向さん、本田さん。この五人だ。」
「純也が…」

 

 見つかっていないのだ。あのお調子者で、クラスのムードメーカーであった武田純也が。けれど、不思議と悲しいという感情は湧き上がってこなかった。何となく、純也らしいなと思ったから。

 「この方が後腐れなくていいだろ?」――そんなことを言っているような気がして。

 

「そうか…」

 

 もっと何か言うべきかもしれないけれど、それ以上口にはできなかった。そのせいか、しばしの間二人とも黙る形になる。しばらくして、再び大樹の方から会話を始めていた。

 

「それから…古山さんのことだけど…」

 

 晴海の名前が出た途端、これまで頭の中にあった全ての考えが消し飛び、思わず身体を起こしそうになる。それを何とか踏み止め、「大丈夫なのか?!」と大声で大樹に聞いていた。そんな宗信の反応を予期していたかのように、大樹は落ち着いた様子で淡々と答えていた。

 

「ニュースで見る限りは…大丈夫じゃない。無理もない。自分一人だけ生き残ってしまったからな。それに、古山さんは俺らが生きていることもまだ知らないんだ。というより、これは伝えるべきかどうか悩んでいるところだ。神山のセリフじゃないが、やはり俺らみたいな“脱出した人間”の存在が明るみになった場合、それを知っていた人間に何らかの危害が及ぶ可能性がないこともないからな。」

 

 彬の言葉ではないが、“優勝者”である晴海にとって、“脱出者”――即ち“犯罪者”である自分達の存在がどれだけの影響を及ぼすか分からない。知らない方が、本当はいいのだろう。知らなかったら、自分達に何が起こっても、晴海は今まで通りの生活を送れる。まさか政府も、本当に知らない人間を危害を加えたりはしないだろうから。

 

 けれど、本当にそれでいいのだろうか。

 もし自分が晴海の立場だったなら、自分達にどうして欲しいのだろうか。

 

「それも含めて聞きたい。萩岡、お前はこれからどうする?」

 

 大樹にそう聞かれ、何も返事することができなかった。これからどうするかなんて、正直なところ明確には考えていなかったのだから。

 自分達が生きていることは、今のところまだバレてはいない。けれど、これからバレる可能性はもちろんある。となると、白石の言う通り、海外へ逃亡するのが一番いいのだろう。向こうで生きていけるのか。そもそも言語も違うらしいので言葉が通じるかどうか。それすら分からないけれど、命を狙われることになるこの国にいるよりかはずっといいのだろう。そう、理屈的にいえば――

 

 でも、本当にそれでいいのだろうか。

 

「江田は…?」

 

 質問に答えられないから、逆に聞いてみる。すると、大樹は既に気持ちを固めていたようで、すぐに答えを教えてくれた。

 

「俺は、海外に行こうと思う。」

 

 ああそうだよな。そう心の中で納得した。生きるためには、その方法が一番可能性が高いのだから、それを選択した当然だ。きっと大樹も、仲間だった横山広志を含めて――みんなの分まで生きていくと誓っただろうから。

 

「けど、逃げるからじゃない。いつかはこの国に戻ってくるつもりだ。」

 

 続けて大樹が発した言葉に、宗信は完全に目を見開いていた。まともに視線をかち合わせても、大樹は顔色一つ変えない。決して揺らがない決意が、その瞳から痛いほど伝わってくる。

 

「俺は、今回脱出しようって思った。けど、結局何もできなかった。信じてくれた仲間一人すら助けられなかったんだ。いかに知らないってことが無力か思い知らされたよ。知っていれば、きっと首輪だってあっさり外すことができたし、もっとたくさんの人を助けることだってできた。だから…決めたんだ。」

 

 はっきりとそう口にする大樹の姿は、プログラムの時よりも随分大人びて見えていた。同じ中学三年生とは思えないくらい、しっかりしているように見えていた。自分なんかには到底及ばないくらいに。

 

「海外に行って、色んなことを知ろうと思う。この国のことも、他の国のことも。そして、いつかこの国に戻ってきて、中から変えていく。武力行使とかじゃなくて、できるだけ平和的に、なるべく人が傷つかないように変えていきたい。何年、何十年かかったとしても、俺はそうするって決めたんだ。」

 

 “この国を変える”、そんなことを思いつく人間は、一体どれくらいいるのだろう。この国を嫌う人間や、政府を憎む人間はきっとたくさんいる。けれど、大樹はただ恨むのではなく、この国そのものを変えようとしている。それが、どれほど突拍子もなくて、でもすごいことなのか。

 自分らを助けてくれた白石にしても、大樹にしても、そのことに気づいているのだろうか。

 

「そっか…。お前、すごいな。」

 

 素直に思ったことを口にした。これからどうしたらいいのか迷っている宗信とは違って、大樹はこれからのこと、それもずっと先のことまで考えている。同じ中学三年生なのに、目の前にいる人物はずっと年上にすら見えていた。きっとプログラムで起こった様々な出来事が、彼を大きく変えたのだろう。

 

「そこまですごかないよ。俺から見れば、萩岡の方がよっぽどすごいと思うけどな。」

 

 大樹から思わぬことを言われて、「え?」と間抜けな返事をしてしまっていた。こんな自分のどこがすごいというのだろうか。これからのことを何一つ決められていない。プログラムの最中だって、あれだけ迷っていた自分のどこが――

 

「白凪のことも、文島のことも、両方の言い分を理解しようとしたし、藤村の意志を汲んできちんと決意した。俺には真似できないなって思ったよ。友人を殺した人間のことまで分かろうするなんて、お前くらいじゃないのか?それに俺、あのときお前に発破かけちまったけど、正直そこまではっきり決断していたわけじゃないんだ。」

 

 それは、そんなにすごいことだろうか。ただ、どちらの言い分が正しいか決め切れなかったことを、大樹は両方の言い分を分かろうとしたと言う。それに、あれだけ決意したにも関わらず、いざ実行すれば揺らいでしまう自分がいるのに――

 

「もっと自分に自信持てよ。」

 

 そう言って、大樹はふっと笑った。

 

「白凪や乙原みたいな友人がいるのも、武田みたいな奴がお前をからかうのも、みんなお前に魅かれているからだと思うぜ。人徳ってやつかな?それは、得ようと思って得られるものじゃない。そのままでいいんじゃないか?お前は。」

 

 大樹がそう言ってくれた瞬間、なぜかずっと心のどこかにある“しこり”が取れたような気がした。

 

――そのままでいい――

 

 はっきり言ってしまえば、“チビ”と言われてキレるのも、晴海に告白できなかったのも、自分に自信がなかったからだ。自信がないから、背のことを気にしてしまったり、自分が晴海に相応しい人間なのかどうかを疑ってみたり、ずっとどこか一歩引いていた。そんな自分のことを、そこまで好きになれなかったのも事実だ。けれど、大樹はそのままでいいと言ってくれている。

 いや、大樹だけではなく、浩介や貞治もきっとそう思ってくれていたのだろうか。

 

「あ…ありがと…な…」

 

 すごく照れくさかったし、言葉があまりにありきたりだったけれど、素直に感謝の言葉を口にした。もっといい言葉が浮かべばいいのに、こんな陳腐な言葉しか浮かばない自分の語彙力のなさに辟易したのも事実だが。

 そんな陳腐な言葉でも大樹には十二分に伝わったようで、「いえいえ。」と笑いながら返してくれた。しかし、すぐに真剣な顔へと変化する。

 

「古山さんに…伝えるべきだと思うか?」
「正直…分からない。」

 

 素直に思っていることを口にする。自分達の存在が、晴海の将来に暗い影を落としたりしないか。もっといえば、邪魔になりはしないか。それが一番の気がかりだった。自分は、晴海の事が好きだし、できれば近くにいて守りたい。けれどそれこそが、晴海の重荷になってしまうのではないだろうか。

 

「…俺の考え、言っていいか?」

 

 コクンと頷く。すると、大樹はすぐに答えを口にしてくれていた。

 

「俺が古山さんの立場なら…やっぱり知りたいって思う。生きているのなら、近くにいなくてもいいから教えて欲しい。“どこかで生きている”っていうのは、きっと大きな支えになると思うから。」

 

 大樹の言葉を聞きながら、自分が晴海の立場だったなら、きっと同じことを考えるのだろうと思った。今、おそらく悲しみに暮れている晴海にとって、自分らが“どこかで生きている”という事実は、きっと大きな救いになるだろうから。

 

「…まぁ、これはあくまで俺の考えだから、俺の一存じゃ決められない。だから、萩岡の意見も聞こうと思ってな。萩岡の方が、より古山さんの答えに近いような気もするし。それに…古山さんのこと、好きなんだろ?」
「ああ。」

 

 はっきりと肯定する。修学旅行で既に知られているとはいえ、大樹に向かってこんなにはっきりと答えたことはなかった。いや、今までどんなに聞かれても、誰に対しても、こんな風に明確に答えたことはなかった。自分に自信がなかったし、晴海のことが本当に好きかどうか、正直分からなくなった時期もあったから。それに何より恥ずかしかった。こんな自分が、あんなに可愛くてしっかりした女の子に相応しいかどうか、ずっと悩んでいたことだから。

 

 けれど、今は違う。いつか言ったように、もう一歩も引く気はなかった。

 

 いいじゃないか。背はいつか伸びる。もしかしたら、本当に浩介をも超えてしまうかもしれない。成長すれば、その分自信もついてくるだろう。知らないことをたくさん知って、考え方も変わってきて、もっと大人にだってなれるだろう。自分には、まだまだ未知なる可能性が存在しているのだから。

 だけど、晴海を好きだという気持ち――これだけは、どんなに時を経ても揺らがない。たとえ相手が目の前の大樹であろうと、この国の総統であろうと、もう引いたりなどしない。この気持ち、この想いの強さだけは、誰にも負けないという“自信”があるのだから。

 

 そんな宗信を見ながら、何も言わずともその心中を察したのか、大樹はふっと笑っていた。それはホッとしたような、やっぱりなと確信したかのような、そんな穏やかな微笑みだった。

 

「だからこの件は萩岡、お前に任せる。伝えるべきかどうか、お前が決めてくれ。俺は、お前の決めた方…どちらにしても、その意志を尊重するからさ。」

 

 大樹の言葉に、宗信ははっきりと頷いた。これから考えていこうと思う。晴海のことも、自分自身のこれからのことも。慌てずに、進むべき道をきちんと見据えて、もう決して迷うことのないように。

 

「じゃ、安静にしとけよ。」

 

 言葉少なく、大樹は椅子から立ち上がり、ドアの方向へとゆっくりと歩いていく。寝転んだ状態のまま、宗信は大樹を見送っていた。少しだけ大きく見える、その背中を。

 

「…文島を殺したのは、お前じゃない。」
「えっ…?」

 

 もうすぐドアに辿りつこうというところで、大樹が意外なことを口にしていた。あまりに意外すぎて、宗信は大樹の言っている意味がまったく分からなかった。

 

「あの後、俺が止めを刺したんだ。」

 

 首だけこちらへと振り向き、ただそれだけを口にした後、大樹はすぐにドアを開けて出て行った。

 その告白に頭がついていけず、宗信はしばしの間、ただ呆然としていた。

 

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