迷える子羊達

 パラララというマシンガンの音が聞こえた瞬間、藤村賢二(男子16番)はハッとした。

 

――これは…さっきのマシンガンの音と同じ?!

 

 音の大きさからして、さほど遠くはない。慌てて時計を見ると、時刻はPM04:00を差そうとしている。どうやら気付かないうちに、随分時間が経過してしまったらしい。ショックが大きかったとはいえ、いくら何でもボサっとしすぎだ。思わず自分を叱咤したくなった。

 

――誰かと誰かが…戦闘している…。

 

 ふと、今も抱えている香山ゆかり(女子3番)の表情を見つめる。改めてゆかりの顔を見ると、顔色は蒼白というよりは、もはや真っ白な雪を思わせるかのように血の気がない。その表情は、先ほどと変わらない穏やかな笑みを含ませたままなのに、まるで眠っているのではないかと錯覚してしまうほどなのに、生気はまるで感じられない。――当然なのだ。もう、死んでいるのだから。

 賢二のことを助け、賢二の過ちを赦し、賢二のことを最期まで好いてくれていた少女の――生きていない肉体が、そこにあった。

 

――このままだと…また…誰かが死んでしまうかもしれない…。

 

 もう、ゆかりの二の舞はゴメンだった。もう、誰かが死ぬのを見たくなかった。

 

――行かないと…。

 

 そう決意すると、そっとゆかりの身体を地面に下ろした。抱きしめていても、除々に体温が失われていく身体。今はもう、氷のように冷たい細い身体。その身体から、ようやく手を離す。

 

――ゆかり、ありがとう。こんな俺のことを、好きだなんて言ってくれて。正直、まだ…その想いには応えられないかもしれない。けれど…

 

 ゆかりの両手を、胸の上で組み合わせる。そして、ポケットに入っていた最後のハンカチを、ゆかりの顔にそっと被せていた。

 

――君が救ってくれたこの命。絶対に無駄にしない!命の限り、生き続けるって誓うから。だから…できるなら…

 

 できるなら――天国から見守ってて欲しい。そう、小さく心の中で祈った。そう思う資格などありはしないのに、そう祈らずにはいられなかったから。

 そして、右手に持っていた探知機を見る。画面は“順位”のままになっており、見る限り変化はなかった。すぐにボタンを押し、“地図”へと切り替える。画面は、賢二とゆかりを示す星マーク二つのみを示している。

 

――近くには誰もいない…

 

 なら、探すしかない。賢二は、音の方角に向かうことにした。探知機があれば、いくらか人は探しやすいだろう。ゆかりの形見になってしまった探知機であるが、その事実は、ゆかりが背中を押してくれているような気さえしていた。

 

――絶対助けるから!!だから…絶対死ぬなよ!!

 

 一度仲違いをしてしまった萩岡宗信(男子15番)。仲間を失ってしまったであろう江田大樹(男子2番)。まだ一度も会っていない古山晴海(女子5番)。この三人は、やる気になんてならない。絶対に死なせてはいけない。彼らの顔を思い浮かべながら、賢二は駆け出そうと、足を一歩踏み出していた。

 

 しかしその瞬間、右足に思わぬ激痛がはしり、そのまま前のめりに倒れてしまう。

 

 何が起こって――と思い、恐る恐る右足を確認する。すると、文島歩(男子17番)に撃たれたあの傷から、血がドクドクと流れ出しているのが分かった。既に学生服のズボンは、賢二自身の血でぐっしょりと濡れてしまっており、左足とでは若干色すら変わっているように見える。それを自覚すると、急激に痛みは増し、焼けるような熱まで感じ、汗がつぅっとこめかみから流れ落ちていた。ゆかりの遺体の周りにある赤い血液の水たまりは、ゆかりのものだけではない、賢二のものも大量に含まれていたのだ。

 

 このまま何も治療を施さなかったら、出血多量で死んでしまうということは、いくら頭の悪い賢二でも容易に想像できた。

 

――頼む…!動いてくれ!まだ助けたい人がいるんだ…。後で、地獄でもどこでも行くから、今はまだ…今はまだ生かしてくれ…。

 

 激痛に耐えながら、再び足を動かす。本来ならば、駆け出したいところなのだが、何せ身体の自由が効かない。早歩きくらいの速度しか出ていないが、これが精一杯なのだ。

 

 その間にも、銃声は耳に届いている。パラララというマシンガンらしきものと、パンッパンッという単発の銃声。誰かと誰かが撃ち合いをしているのだ。その銃撃戦も、除々に激しさを増しているかのように思えた。

 

――くそっ…!俺は、また助けられないのか…。せめて、せめて最後くらいは…

 

 銃声はどんどん大きくなっている。距離は近付いているようだが、まだ銃撃戦をしている人物が見えてこない。それが、ひどくもどかしく感じられた。助けたいのに、止めたいのに、どうして身体はいうことをきいてくれないのか。

 

――頼む!間に合ってくれ!!

 

 その瞬間、ドォンという爆発音が聞こえた。爆風のせいか身体がぐらついてしまい、地面に倒れこむ。急いで顔を上げれば、モクモクとした煙のようなものが見え、何とも言えない異臭が鼻につく。その光景を、賢二はただ呆然と見つめていた。

 

 怖かったからではない。その爆発には、見覚えがあったからだ。

 

 それは以前霧崎礼司(男子6番)との戦闘の際、賢二自身が使った手榴弾の爆発にとてもよく似ていたのだ。あのとき、礼司は持ち前の脚力で致命傷を避けることに成功していたが、爆発の中心付近にいれば、当然致命傷は避けられない。

 

 それなら、やった相手も想像がつく。

 

――神山がやったのか?

 

 同じ武器が二つないと仮定すると、以前賢二から武器を奪った神山彬(男子5番)である可能性が極めて高い。なら――彬はどうなった?無事なのか?それとも――

 ふと、左手に持っている探知機を持ち上げる。“地図”になっているその画面は、見る限りでは変化はない。いや、一瞬だけ三つの星マークが、東の方角に消えていったのが見えたが、それよりも気になったのは“退場者”と“順位”のボタンが点滅したことだ。今の今まで、そんな変化はなかったはず。

 

――もしかして…また誰か…死んだのか…?

 

 しかし、すぐにその点滅は止まった。

 

――確かめないと…

 

 ゴクリと生唾を飲み込む、恐る恐る“退場者”のボタンを押す。画面がパッと切り替わり、さっき見た表のようなものが現れた。

 

 その瞬間、目を疑った。

 

――嘘だろ…?これって…

 

 表の“被害者”の欄。ゆかりの上に、新たに二人の名前が加わっていたのだ。

 

 一人は窪永勇二(男子7番)。“加害者”は、神山彬。

 そして、もう一人は神山彬。ただし、“加害者”はなしとなっていた。

 

――神山…まさかお前…

 

 容易に想像できてしまう。おそらく彬は、手榴弾を使って、勇二を巻き込む形で自爆したのだと。他の可能性も考えられるが、賢二は何となく――いや、ほぼ確信的に、そう結論づけていた。

 

「何…何やってんだよ!古山さんを優勝させるんじゃなかったのかよ!まだ俺は生きているぞ!いつかは…いつかは俺のことも殺すはずだろ!何やってんだよ!死んでんじゃねぇよ!!」

 

 不思議なことに、賢二は泣いていた。ゆかりが死んでから先ほどまで、一生分ともいえるほど涙を流したというのに、まだ枯れてはいなかったようだ。それに、どうして泣いているのかも分からない。晴海以外のクラスメイトを全員殺すつもりなら、彬にとっても、賢二にとっても、互いに“敵”に他ならないのだ。

 けれど、心のどこかでは引っかかっていた。賢二に攻撃してきたときの、冷酷な瞳の中に見える小さな迷いがあったことも。賢二とゆかりと助けるという、矛盾した行動をしたときの――どこか安堵したような表情をしていたことも。

 もしかしたら、そういう行動しかできなかったのではないか。他に、選択肢がなかったのではないか。自分のことは一切考えられなかったのではないか。そう思えて仕方がなかった。

 

「バカだ…。俺もお前も…本当にバカだよな…」

 

 自分のことを大事にしていないのは、賢二も同じだ。里山元(男子8番)が死んだことでクラスメイトを逆恨みし、クラスメイト全員を殺そうとした。そして、それを後悔した後は、やる気ではないクラスメイトを助けるために、やる気の人間のみを殺そうと決めた。いつだって、自分のことはどうでもよかった。元のいないこの世界で、人殺しである自分のまま、生きていくつもりはなかった。いつだって、自分の命など捨ててしまうつもりだった。

 

『もっと自由に、好きに生きたっていいんじゃない?』

 

 これは以前、矢島楓(女子17番)に言われたこと。あのとき、楓はどんな気持ちであの言葉を言ったのだろうか。楓から見て、賢二はどんな風に見えていたのだろうか。簡単に自分の命を捨てるように見えていたのだろうか。自分のことを大事にしていないように見えたのだろうか。楓と一緒に行動していたら――何か変わっていたのだろうか。

 

 どれだけ思っても、もうそこに戻ることはできない。どれだけ悔やんでも、過去は変えられない。楓も、彬も、そして元も――もうこの世にいないのだ。

 

――でも、立ち止まるわけにはいかないっ…!

 

 まだ、歩は生きているのだ。先ほどの発言からして、いくら好戦的ではない宗信や大樹に会っても、何もしないという保証はない。それどころか、白凪浩介(男子10番)を殺した歩なら、その友人である宗信に対して容赦なく攻撃する可能性がある。けれど、どうやって探せばいいのか。そこで、ふと先ほどの画面の動きを思い出した。

 

――もしかしたら…あれは…

 

 残りは五人。賢二は、今一人。そしておそらく、歩も今一人。なら、あの三つの星マークは、宗信達を示すものではないか。三人ともやる気になりそうではない。なら、一緒に行動してもおかしくはない。何ら確証はないが、賭けてみる価値はあると思った。

 

――あれが萩岡達なら、そこに行ってみる価値はある。一か八か、東に行ってみよう!

 

 そう決意すると、ゆっくりと歩き出す。焦る気持ちを何とか落ち着かせて、少しずつ移動を開始する。右足からの激痛にもかまわず、決して足取りを止めることなく。

 

――そう…これは…

 

 宗信たちを殺そうとしているなら、歩を止める。今度こそ、生きている人を助ける。ゆかりの二の舞にはしない。その決意だけが、今の賢二の唯一ともいえる動力だった。

 今までたくさんの命を奪い、誰も救うことができず、後悔ばかりしてきた――自分自身への救いもこめて。

 

――俺のためでもあるんだ…。

 

[残り5人]

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