正義でもなければ、悪でもない僕ら

 江田大樹(男子2番)は、静かに歩き続ける。文島歩(男子17番)は、まだ大樹が近づいていることに気づいていない様子だった。もしかしたら、もうまともに視力も働いていないのかもしれない。

 

――もういい…

 

 近づくほどに、今の歩が重症であることが分かってしまう。腹部には、藤村賢二(男子16番)の身体を通して負った弾の跡があり、そこからドクドクを血が流れているのが遠目でもよく分かった。そして同時に、それが正視に耐えられないほどの傷であることも。

 

――もう…いいから…

 

 歩は、今だに引き金を引き続けている。ガチッガチッという音だけが、この静かな空間に響いている。引き金を引き続けながらも、歩は必死で立ち上がろうとしていた。傷を負った身体を必死で動かし、引き金は引きながら、何度も何度もそれを試みる。

 

――だって、本当は分からなかったんだろ…?

 

 ようやく立ちあがった歩が、こちらに向かって歩き出す。しかし、倒れている賢二の両足に引っかかり、派手に転んでしまっていた。それでも、再び立ちあがろうと試みる。まるで何かに取りつかれたかのように、歩は必死でそれを繰り返す。

 

――どうしたらいいのか…。どうするべきだったのか…。

 

 次第に、歩の表情がはっきりと見えてくる。先ほどまでの無表情さはどこにもなくて、眉間を皺を寄せるほどに苦しそうな表情をしている。苦しさと悲しみに耐えるかのように、必死で歯を食いしばっているのがよく分かった。

 近づいていく毎に、歩が何かブツブツ言っているのが聞こえる。その内容までは、まだ聞きとることはできない。

 

――だから…こうすることを選んだんだろ?

 

 ようやく、歩の言っている言葉が聞き取れる距離まで近づく。そして、何を言っているのかはっきりと分かった。小さな声で、まるで言い聞かせるかのように、歩はこう言っていたのだ。

 

「悪い奴は…倒さなきゃ…。いい人が…生き残れるように…しなくちゃ…。」

 

 その言葉に、胸が痛いくらいに締め付けられた。

 

 歩は、あくまで“いい人”――おそらくプログラムに乗らないような人が、生き残れるようにすること。やる気の人間に、彼らが殺されないようにすること。歩の“正義感”は、決して自分が生き残るための“言い訳”ではなかったのだ。

 

「もう、いいんだ。」

 

 ようやく、歩の身体に手が届きそうな距離まで辿りつく。怪我をしていない右手で、歩の身体を自身に引き寄せた。歩の頭を自分の右肩に乗せ、自然と支える形になる。触れた体温は、驚くくらい冷たかった。

 そのとき、撃たれたわき腹の傷がズキッと痛んだが、それには気づかない振りをした。

 

「江田くん…?」

 

 大樹が肩を貸したことで、歩がようやくこちらに気付いたのか、そう小さく口にした。

 

「どうして…?」

 

 続けて歩が口にした疑問。けれど、大樹はそれには答えなかった。その疑問を抱く気持ちは分かるし、歩の立場なら大樹も同じことを口にしただろう。先ほどまで殺そうとした相手が、こうやって肩を貸してくれているのだから。

 

 言いたいことは、山ほどある。その中には、恨み言に近いことも含まれている。けれども、今一番言いたいことは、別のことだった。

 

「どうしたらいいのか、分からなかったんだろ?どんな行動をとるべきか、迷っていたんだろ?無理もないよな…。」

 

 大樹は、“脱出する”という目標をもった。

 萩岡宗信(男子15番)は、おそらく“古山晴海(女子5番)を守る”とか“絶対誰も殺さない”と誓っていた。

 白凪浩介(男子10番)は、“矢島楓(女子17番)を探す”という行動を選んだ。

 神山彬(男子5番)は、“晴海を優勝させる”と決め、自身は死ぬことを決めていた。

 そして、横山広志(男子19番)は、“大樹に協力して守る”という選択肢を選び、それを実行してみせた。

 

 けれど、歩はどうだったのだろう。守るべきものもなくて、達成すべき目標もなくて、脱出という選択肢も浮かばなかったとしたら。そうだったとしたならば、プログラムに放り込まれたとき、歩は一体どうしたらいいのかと思っただろう。これがただ死にたくない人間なら、優勝するために、生きるために、“プログラムに乗る”ことを選ぶ。けれども、おそらく歩にそれはできなかった。だからこそ、やる気である人間――即ち、歩にとっての“悪”に当たる人間を排除し、やる気でない人が生き残れるように行動することを選んだ。

 もしかしたら、それは――“優しさ”に近いものだったのかもしれない。

 

「どうして…?どうして僕のこと…慰めてくれるの…?」

 

 大樹は、その疑問にも答えなかった。答えられなかった。理由なら、たくさんある。けれども、それを口にするのは憚られた。言うべきではないと思ったからかもしれないし、どう伝えたらいいのか分からなかったのかもしれない。

 その代わり、歩を引き寄せる右手に力を込めた。

 

「ねぇ…最期に一つだけ…聞いてもいいかな…?」

 

 そんな大樹の気持ちを察したのか、歩が一言だけ口にする。大樹は、黙って首を縦に振った。それで安心したのか、歩が先ほどよりも穏やかな声色で、そして先ほどよりも小さな声で、大樹に対して聞きたいことを口にした。

 

「僕は、間違っていたのかな?」
「あぁ、間違っていたよ。」

 

 間髪入れずに返した答えに、歩は小さく「そう…」と悲しげに呟いた。

 

 気持ちを推し量ることはできても、認めることはできない。これが、大樹の答えだった。どんな理由があったとしても、浩介と、そしておそらく香山ゆかり(女子3番)を殺したことを、赦すことはできない。ゆかりの方は推測にすぎないが、二人ともやる気ではなかったはずだ。

 “人を殺す”という行為には、様々な理由が存在する。だからといって認めていいわけではないが、全てを“悪”と決めつけることはできないと思った。そして、それを理由に、人を殺していいとも思わなかった。だからこそ、歩がやった行為そのものは間違っている、そう結論づけたのだ。

 

 大樹の言葉を、歩は否定しなかった。今までのように反論することも、自分の意見を押し通すこともしなかった。その言葉を受け入れるかのように、ただ黙って聞いていた。

 しばしの沈黙の後、歩は消え入りそうな声で、小さくこう呟いていたのだ。

 

「悪は…僕の方だったんだね…」
「それは違う。」

 

 悲しそうに呟いた歩の次の言葉を、考えるまでもなく否定していた。それがあまりにも意外だったのか、歩が「えっ…?」と小さく声を漏らす。大樹は、そのまま続きを口にした。

 

「正義の味方も、悪も、ここにはいない。俺達は、このプログラムの中で、それぞれ必死になって足掻いていただけだ。文島。お前のやったことは、確かに間違っていた。けれど、お前はお前なりに必死だったんだろ?それを…俺は“悪”だなんて、決めつけることはできない。」

 

 思ったこと、考えたことを、そのまま歩に伝えた。嘘偽りのない、大樹の正直な気持ちだった。自分だって、広志がいなかったら、“脱出”が浮かばなかったら、どうなっていたのか分からない。もしかしたら、歩に近い行動を取った可能性だってある。だからこそ、歩の行動を一概に否定することはできなかった。

 

 歩は、大樹の言葉を黙って聞いていたが、やがて小さく肩を震わせていた。もしかしたら――泣いているのかもしれない。

 

「優しい…ね…。江田…くんは…」

 

 思わぬことを言われ、思わず「えっ…」と小さく言葉を漏らした。しかし、歩はそれに構わず、そのまま続きを口にしていた。

 

「ごめんね…」

 

 その言葉に、再び胸が締め付けられるような痛みを覚える。

 

 その一言に、一体どれだけの意味が込められているのだろう。殺そうとした大樹達に対してなのか、殺してしまった浩介やゆかりに対してなのか、楓や賢二も含めたクラス全員に対してなのか、それとももっと別の――

 その思考が及ぶ前に、歩の身体から右手をそっと離し、ずっと持っていたシグザウエルを歩の胸に当てた。歩は、抵抗せずにじっとしていた。

 

――少しは…楽になれたか…?

 

 大樹の肩にかかる歩の重みは、除々に増していく。もう、自身の身体すら支えられなくなっているのだろう。放っておいても、歩はもうすぐ死ぬ。

 けれど、それではいけないと思った。もう苦しむことのないように、少しでも早く楽にするために、大樹の手で全てを終わらせなくは。

 

――もう…苦しまなくていいから…

 

 外してはいけない。苦しませるようなことがあってはならない。一発で、正確に心臓を撃ち抜かなくては、意味がない。

 

「ありがとう…」

 

 その言葉が合図だった。歩が言い終わるのと同時に、引き金を引く。パンッという乾いた音が、静かな空間を激しく揺らした。まるで、全てを終わらせる号砲であるかのように。

 

 肩にかかる歩の体重が、その瞬間一気に重みを増した。その身体を必死で支える。そのとき、撃たれたわき腹の傷がズキンと痛んだが、それはどうでもいいことだった。右手に持っていたシグザウエルを落とし、まともに動かない左腕をも使って、歩の身体をゆっくりと地面に下ろす。

 歩は、穏やかな表情をしていた。眠っているかのようにも見えた。けれど、息はしていない。死んでいた。大樹はそのまま、歩の両腕をそっと胸の上で組み合わせる。不思議なことに、大樹も気持ちそのものも穏やかだった。

 

――どうか…もう苦しむことのないように。もう二度と、こんな悪夢を見ないように…。

 

 そう静かに願うと、大樹はゆっくりと立ち上がる。地面に横たわっている歩を見て、小さく口を開いた。

 

「ゴメン…。俺、もう行くから。」

 

 それだけを告げ、大樹は湖に向かって歩き出す。まだ晴海も宗信も、上がってきてはいない。早く二人を引き上げなければ――

 

 しかしその瞬間、思い出したかのようにわき腹の傷が大きくズキンと痛む。思わず「ぐぁ!」と悲鳴を上げ、前のめりに倒れてしまった。その際、まともに受け身も取れずに、頭を地面に打ち付けてしまう。起き上がろうとしても、くらくらしてしまい、思うように身体が動かない。視界がグワンと歪んでいくのが分かる。

 

――俺…死んじまうのか…?二人を助けなきゃいけないのに…。文島や広志のためにも…俺は生きなきゃいけないのに…。

 

 しかし、次第に意識は遠のいていく。もしかしたら、もうすぐ迎えが来るのかもしれない。けれど、まだそっちに行くわけにはいかない――行きたくはない。

 

――頼む…。まだ死ぬわけにはいかないんだ…。こっちにいさせてくれ…

 

 けれど、その思考を最後に、大樹は意識を失った。

 

 モニタ上にある“文島歩”の名前が赤に変わった。そのわずか二分後、“江田大樹”の表記が――パッと赤に切り替わっていた。

 

男子17番 文島 歩
男子 2番 江田大樹 死亡

[残り2人]

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