「次、女子9番月波明日香。」
淡々と出発を促す声が響く。そして次々と出ていくクラスメイト。そんな光景を萩岡宗信(男子15番)はじっと見つめていた。本当は先に出て行った古山晴海(女子5番)を追いかけたい気持ちであったが、そこはグッとこらえていた。
――くそ、まだ出発できないか…
何度頭の中で計算しても、宗信は最後から三番目。宗信の後には女子不良グループのサブリーダー三浦美菜子(女子15番)と、今だに親友を失ったショックのせいか、微動だにしていない藤村賢二(男子16番)しかいない。したがって、大半のクラスメイトを見送ることになる。一刻も早く晴海の合流したい宗信にとっては、それはとてつもなく長い、永遠の時間のように感じられた。
――古山さん、どうか無事でいてくれよ。
晴海だけじゃない。友人の乙原貞治(男子4番)や、同じ修学旅行の班であった江田大樹(男子2番)も安否も気がかりだった。早くみんなの無事を確認したい。内心宗信はあせっていた。
そんな宗信をよそに、月波明日香(女子9番)も淡々と宣誓をし、比較的落ち着いた様子で出て行った。おそらく少し前にでた谷川絵梨(女子8番)が待っていると思っているのだろう。二人は仲がいいし、出席番号も近い。できればそこに晴海も加わってほしい。そう願っていた。
そしてふと思った。明日香の次は、宗信の友人である白凪浩介(男子10番)が呼ばれる。二人の間には九人。時間にして約二十分後に宗信は出発する。浩介ほどの冷静さと度胸があれば、宗信を待つことも可能ではあるだろう。しかし、宗信は何となく、それはないような気がしていた。
「次、男子10番白凪浩介。」
ついに浩介の名前が呼ばれる。宗信から離れた窓側から二列目、前から三番目の席に座っていた浩介がゆっくりと立ち上がった。傍目から見れば、落ち着いているように見える。けれども宗信には、浩介が内心かなり焦っているのをが分かっていた。浩介の想い人である矢島楓(女子17番)は、よりにもよって教室中に響いたあの銃声より前に出発している。宗信にしたって、楓のことが心配だった。浩介は、宗信以上に気がかりなはずだ。おそらくわざとゆっくり行動しているのは、自分を落ち着かせるためだろう。
浩介がデイバックを受け取り、宣誓するのをじっと見ていた。宣誓の口調はいつもと変わらない、落ち着いていて淡々とした口調。けれどいつもと変わらないからこそ、宗信は浩介もプログラムに乗らないということがわかった。短い付き合いでも、そこはよくわかった。
宣誓を終えた浩介が、宗信の方を見る。しっかりした意思と、ほんの少しだけの謝罪が入り混じった真っすぐな目。その目が語ることは、すぐにわかった。目を見なくても、こういうことになるだろうと予感していた。浩介の性格と想いの深さを知っているからこそ、こういうことも有りうると考えていた。
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いつかの記憶が蘇る。まだ親しくもない四月の半ば。放課後、野球部の練習もなく、教室でなんとなくただボーっとしていた時のこと。剣道部の練習が終わった浩介が、忘れ物を取りに教室へ入ってきたことがあった。いないはずの教室に人がいるのが意外だったのだろう、目を丸くしながら、驚きを隠せない声で話しかけてきた。
『萩岡?野球部はどうしたんだよ?』
『今日は休みなんだよ。サッカー部が練習試合が近いからって、グラウンド取られた。』
実際ふてくされていたのだと思う。そんな宗信を見て、浩介が少しだけ笑っていた。
『ああね。それで教室でボーっとしてたってわけだ。』
あまり見ることのない、朗らかな笑顔。“人間の形をしたロボット”と言われる、この男らしくないなと思った。
『白凪こそ、忘れ物か?』
『まぁな。』
あまり、というかまったく話したことのないクラスメイトとの会話。少なからず戸惑いもあった。何せ宗信は、この“白凪浩介”という人間が、少しばかり苦手だったから。噂はあてにならないとはいうけれど、浩介が他のクラスメイトと仲良く話しているのをあまり見たことがなかったし、実際浩介に泣かされた女の子も知っている。それもあって、少しばかり変な感じがしたのも事実だった。
『せっかくだし、少しばかり話さないか?』
浩介が宗信の隣に座りながら、こう提案してくる。断る理由もなかったので、そのまま頷いていた。
『単刀直入に聞くけど、古山さんのこと好きなのか?』
まったく予想だにしていないところから話題を振られてしまい、何も言えなくなってしまった。それが肯定を意味するものだと分かっていても、気の利くような返しがまったく浮かんでこなかった。『え?』とか、『あ…』とか、そんな言葉しか口から出てこなかった。代わりに、体温はどんどん上昇してくる。多分、顔はリンゴのように赤いのだろう。とにかく、すごく恥ずかしかった。
そんな宗信を見て、何も言わなくても理解したのだろう。プッと笑いながら、手で宗信の発言を制していた。
『わかった、わかった。本当に分かりやすいな、萩岡って。』
あまり見ない浩介の笑い顔を見ながら、今さらながら何でそんなことを聞くのだろうと思った。恋愛には興味がない、というか女の子のことがあまり好いていない人物と思っていただけに、この話題を持ち出すのはかなり意外だった。
『何で、そんなこと聞くんだよ?』
もうやけくそだと思い、敢えて否定をせずに質問を口にする。すると、浩介は少しばかり真剣な顔で理由を答えてくれた。
『いや、お前に言っときたいことがあってな。さっきのは、まぁ、確認みたいなもんだ。』
意味がわからなかった。そもそも浩介が宗信に言っておきたいことというのが、まったく想像できない。
『何だよ。もったいぶらずにとっとと言えよな。』
少々イラついている宗信をよそに、浩介がその“言っときたいこと”を口にした。
『俺さ、矢島さんのこと好きなんだ。』
『は?』
あまりに意外な単語が、浩介の口から飛び出していた。
――今、こいつ“好き”って言ったのか?矢島さんのことを?
宗信の頭の中で、矢島楓のデータが引っ張り出される。晴海の友人で、眼鏡をかけたショートカットの女の子。一時期、いじめにあっていたらしいけど、今では普通に学校に来ていて、成績もクラスで指折りなくらい優秀。背は皮肉なことに、宗信より少し高い。それくらいしかなかった。
そもそも、浩介がなぜ楓を好きになったかはさておき、なぜそれを宗信に言うのかが理解できない。
『何で、そんなこと俺に言うんだよ?』
すると恥ずかしそうに、けど宗信の目を見てはっきりと口にした。
『ほら、俺こんなんだろ?実際、噂は本当なんだよ。女の子には興味なかったし、恋愛なんて一生無縁だって思ってた。告白がうっとうしかったのも事実なんだよ。けど三年になってさ、萩岡見てて少し羨ましかったんだ。人をあんなに好きになれるってすごいなって。俺もあんな風に誰かを思える時がくるんだろうかって、思ってた。』
けどさ、と続きを口にする。
『矢島さんだけは、ずっとどこか他の人と違う感覚がしてた。けど、好きだって認識してなかった。最初はさ、俺のことちゃんと中身を見てくれる人だって思ってただけなんだ。それがどんどん変わっていって、気がついてたら矢島さんのこと、一人の女の子として見てた。誰にも渡したくないくらい、好きになってた。彼女は俺のこと、そんな風に思ってないんだろうけどさ、それでも俺は好きだってはっきり言えるようになっていった。もしかしたら、はっきり気づくことができたのは、萩岡のおかげなんじゃないかって思ってる。だから、礼じゃないけどお前には最初に言っておこうと、そう決めていたんだ。』
浩介の告白を半分真剣に、半分信じられない思いで聞いていた。まさか、こんな形で浩介の本心を聞くことになるとは夢にも思っていなかった。それに、宗信はもちろん自覚がないが、浩介の恋愛に一役買っていたのだ。なんて返していいかわからなかった。
だからこそ、次に出た一言は何も考えずに発したものだった。
『じゃあさ。お互い頑張ろうぜ!』
『え?』
『お互いさ、両想いになれるように頑張るんだよ!んでさ、いつかダブルデートしようぜ!』
あまりに突発的な提案に心底驚いたのだろう。浩介が目を丸くしながら、それでも笑いながら同意してくれた。
『まぁ、できたらな。』
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思えば、これがきっかけだったのかもしれない。この出来事の後から、浩介と急速に親しくなったのだ。あの約束を、浩介は覚えているのだろうか。それは定かではないが、浩介がどれだけ楓のことを好きなのか、それだけは誰よりもわかっているつもりだった。あの恋愛に興味のなかった男が、心底好きになった女の子なのだ。どれだけ真剣なのか、口にしなくてもわかっている。
だからこそ、宗信は浩介の方を見て、はっきりと頷いた。
――分かってる。待たないんだろ?矢島さん、探しにいくんだろ?
その気持ちも伝わったのだろう。浩介が申し訳なさそうに、目を伏せて頷き返す。宗信だって、浩介の立場だったら同じことを選択したかもしれない。同じくらい、想う人がいるからこそ理解できる。たとえ性格が正反対と言われていようと、そこは変わらなかった。
浩介がすぐに歩き出して、教室を出ていくのをじっと見送っていた。もしかしたら、これが今生の別れかもしれない。そんな不吉な考えが浮かんだが、それは頭を振って全力で振り払った。
――絶対また会うんだぞ。お互いに大事な人を見つけるんだからな。
そして、浩介が出発してからも次々とクラスメイトを見送る。宗信の前の席の武田純也(男子11番)が、「俺は、絶対乗らないから。」と小声で囁いた後出ていくのを見送り、同じ班の 鶴崎徹(男子13番)が、野間忠(男子14番)に何か目配せをしてから出ていくのも、じっと見つめていた。
――もうすぐだ。
宗信の前の出発、間宮佳穂(女子14番)が怯えた様子で、宣誓すらもまともに言えないほど震えながら出ていくのを見送った後、すぐに立ち上がる。
「萩岡、まだ二分経ってないぞ。」
担任である栗井孝にそう言われるが、かまわなかった。これだけ待ったのだ。はっきり言うと、もう我慢の限界だった。少しでも早く出発して、みんなを探したかった。
「できれば早く出たいんですけど。ダメですか?」
そう言うなり、栗井の近くの兵士が銃口をこちらに向ける。荒川良美(女子1番)に大声で出発を促し、晴海に真っ先に銃口を向けた年配の兵士である。少しずつ怒りが湧きあがってきて、気づけばその兵士を睨んでいた。
栗井が少々呆れたような様子で溜息をついた後、静かに響く声でこう返した。
「やる気十分って感じか?」
その一言で、宗信の中で何かがきれる音がした。今の今まで仲良くやってきた、それもつい昨日まで修学旅行を楽しんだクラスメイトを殺すわけがない。そんなことみんなするわけがないのに、なぜ涼しい顔でそんなことが言えるのか。思わず栗井に向かって罵声を浴びせていた。
「そんなわけねぇだろ!こんなクソみたいなプログラム、誰が乗るか!」
宗信の怒号が静かな教室に響くのとほぼ同時に、先ほどから銃口を向けている兵士が「このクソガキ!」と叫びながら引き金を引こうとしたのが目に入る。そのまま引いてしまえば、宗信は友人にも想い人にも会えないまま、一足早くこの世に別れを告げるのだろう。しかし、宗信にこの時“死”の恐怖はなかった。ただ栗井の発した一言に対する怒りだけが、その頭の中を占めていた。
「笠井、やめとけ。萩岡、そう取られてもおかしくない発言なんだぞ。軽率なことはするな。生きて友人に会いたいなら、なおさらだ。」
引き金を引こうとした兵士を静かに制止しつつ、宗信に注意を促していた。その口調は、いつもと変わらない穏やかで諭すようなもの。普段から素行の悪い宮前直子(女子16番)や岡山裕介(男子3番)らに注意するような、そんなものであった。それが、宗信の頭の中を急速に冷やしていく。
「それと、政府に反するような発言も今後控えろ。今回は見逃すが、次はない。」
その一言が決定的だった。変わらず涼しい顔で、最後の警告を発言する栗井を目の当たりにして、先ほどまで感じなかった“死”の恐怖が急に襲いかかってくる。もう反論する気は起こらなかった。震える身体を周囲に悟られないように必死で押さえながら、ゆっくりと座る。
『生きて友人に会いたいなら―』
栗井が言ったことが蘇る。なぜ宗信の心中まで読み取れたかは分からない。けれども、栗井の言っていることは反論の余地もないくらい正しい。迂闊なことをして、なすべきこと、大事なことをを放棄してしまっては意味がないのだと。
そう、生きなければいけない。死んでしまってはいけない。死んでしまっては、何も守れない。
「萩岡、出発しろ。時間がないから宣誓はいい。」
栗井の出発を告げる声で、ようやく立ち上がる。宣誓をしなくていいだけ、まだ気が楽だった。落ち着かせようとゆっくりと歩を進める。歩を進める最中、先ほど銃口を向けた兵士が宗信を睨んでいた。そんな兵士を静かに見つつ、秘かに決意した。
――俺は、絶対に乗らない。大事な人を守るんだ。
そう誓いながら、重いデイバックを抱え、教室を後にした。
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