疑問

 

 人の命は地球より重い
 なら、なぜ大事な親友の命は、こうもあっさり切り捨てられたのか

 

 藤村賢二(男子16番)は、今だに教室に残っていた。少し前に出発した三浦美菜子(女子15番)が、たった一人しか残っていない賢二に向かって、淡々と宣誓していたのだが、あまり関係がなかった。賢二の出発が最後だということも、矢島楓(女子17番)が親友であった里山元(男子8番)のことを弔ったことも、神山彬(男子5番)が淡々と発言したことも、古山晴海(女子5番)が宣誓を拒否したことも、ついさっき萩岡宗信(男子15番)が担任の栗井孝に向かって罵声を浴びせていたのも、あまり認識していなかった。それほどまでに、親友を失った悲しみは大きくて、深い。

 

――なんでだよ。

 

 何度も浮かんだ考えが、再び頭をもたげる。考えても仕方ないとは、心のどこかで分かっている。けれど、このショックや悲しみをどう整理すればいいのかわからない。ぐるぐると賢二の頭の中を混乱させていき、決して抜けることのない迷路へと誘っていく。

 

――なんで元だったんだ。

 

「藤村、出発だぞ。」

 

 栗井がそう声をかけても、賢二は一切反応しなかった。意識が完全に普段あまり使うことのない頭にもっていかれているせいか、身体がまったく動かない。最も、動く気もなかった。

 

――どうして、お前だったんだよ。

 

 視線を元の方へと向ける。顔に布を被せられ、ピクリとも動かない親友の姿。嫌でも死んでいることを認識しなくてはいけない。けれど、心のどこかでまだこの現実を拒否している。何か悪い夢じゃないかと、そう信じたかった。

 

『賢二と友達になれてよかった。僕の自慢だからさ、賢二は。』

 

 死ぬとわかっていながらも、賢二に言葉を遺していった元。自分のことよりも、他人を思いやれる人。そんな人だからこそ、賢二は元とここまで仲良くなったのだ。

 

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『藤村君!!また赤点取って!一体いつになったら、勉強するの!』

 

 肌寒い十月半ば。職員室でヒステリックに叫ぶ担任の姿。その人物の目の前に賢二は立っていた。何回も怒鳴られている為、この担任の癇癪にも慣れていたのだが、怒鳴られるたびにバスケ部の練習の時間が削られるのは勘弁だった。

 

『分かってるの!このままじゃ、どこの高校にも合格できないわよ!』

 

 まだ二年生なんだから、そこまで言わなくても。そう思ったが、何も反論しなかった。口答えしようものなら、ますますヒートアップするのは目に見えている。なので、黙っているのが得策。ただ反省しているようにうなだれながら、心の中では早く終わってくれと切に思った。

 そんな状況を見かねたのか、一人の男性教師が制止に入っていた。

 

『まぁまぁ岩崎先生。そこまで言わなくても。藤村も反省していることですし。』
『反省しているもんですか!こんなに何度も同じことを繰り返して!』

 

――いや、反省してますって。一応。

 

『今度の期末試験では、赤点取らないように約束すればいいんじゃないですか?そしたら藤村も、頑張ると思うのですが…』
『頑張るものですか!バスケ、バスケって部活ばっかり!いっそのこと部活を止めさせればいいんじゃないかしら?!』

 

 これにはさすがにカチンときた。いくら赤点連発で卒業すら危ういと言われても、バスケを止めるつもりはさらさらなかった。現に、今は新人戦に向けて練習中なのだ。スタメンをとれるかもしれないのに、こんなところで止めたくはなかった。

 

――なんで、てめぇみたいなババアにそこまでされなくちゃいけないんだ!

 

 このままいったら、賢二はその担任に罵声を浴びせてしまい、ますますややこしい状況になっていたに違いない。正に賢二が口を開こうとしたその時、一人の人物が職員室に入ってきたのだ。

 

『あの…失礼します。』

 

 その人物はこっそりと入ってきたつもりなんだろうが、丁度言葉が途切れた時だった為に、その場にいる全員の注目を浴びることになってしまった。色白で小柄な人物。いかにも運動が苦手ですといった頼りない体格。少なくとも、賢二とは違ったタイプの人間であった。

 

『あ、里山。すまなかったな。プリントもってきてくれたんだろ?』

 

 さっきまで担任を制止していた男性教師が、その人物(確か里山といった)に歩み寄り、彼の小さな手からプリントの束を受け取っていた。

 

『いえ、あの…お邪魔してすみません。』

 

 いや、全然邪魔じゃない。むしろ妨害してほしいくらいだと思ったが、彼の態度を見て何だか少し申し訳ないような気もした。賢二が怒鳴っているわけでもないんだけど。

 しかし、その男性教師が何か妙案を思いついたのか。少しだけ顔をパッと明るくさせ、担任に一つ提案をした。

 

『岩崎先生、これならどうですか?里山は成績いいですから、藤村に勉強を教えてもらうというのは。』
『…は?』

 

 その男性教師の妙案に、担任だけでなく賢二と、その里山という人物もポカンとしていた。あまりに突飛な考えに、一瞬何かの冗談かと思ったくらいだ。

 

『しかし、成績優秀の里山君の手を煩わせるのも…』
『僕は別にかまいませんけど…』

 

 担任が拒否しようとしたが、意外なことに里山本人がすんなりとOKした。あまりにあっさりしていたので、賢二の方がびっくりしていたくらいだ。

 

――なんか、変わった奴だな。

 

『藤村はどうなんだ?この際、先生よりも同じ学年の人間に教えてもらった方がいいんじゃないかと思ってな。お前だって、部活止めたくないだろう?』

 

 まぁ、確かに。このままいけば、本当にバスケを止めさせられるかもしれないし、この担任の癇癪にいつまでも付き合わなくてはいけない。この地獄から逃れられるのなら、この際どんな案でも呑むつもりだった。

 

『まぁ、いいですけど…。』
『じゃ、決まりだな。善は急げだ。二人とも早く職員室から出なさい。藤村、今日は部活休め。顧問には俺から言っといてやる。』

 

 一瞬ゲッと思ったが、確かにこのまま部活に行ってもたいした練習はできないし、担任の逆鱗に触れかねない。今日のところは、おとなしく帰った方がよさそうだ。

 

『じゃ、藤村君。さっさと行こうか。』

 

 ついさっき知り合ったばかりだというのに、里山が親しげに話しかけてくる。その人懐っこさに、少しだけ警戒心が解かれるのが分かった。やっぱり変わった奴だなと改めて思う。

 

『あ、あぁ…』
『それじゃ、失礼しました。』

 

 早足で出ていく里山に、ついていくような形で賢二も職員室を後にした。賢二が出た後、ゆっくりドアを閉める里山にどう話しかけていいのか分からなかった。ただでさえ彼のようなタイプの人間とは、まったくといっていいほど親交がない。

 

『とりあえずさ、教室戻っていい?荷物おいたままだし。』

 

 話しかけられずにいる賢二を気遣ったのか、里山が口を開いていた。反射的に『あ、あぁ…』と、先ほどとまったく同じ返事をしてから、里山の後をついていった。

 “二年五組”と書かれている、誰もいない教室へと足を踏み入れる。意外なことに隣のクラスだったのだ。

 

『あの、さっきは悪かったな…。巻き込んじまって…。』

 

 とりあえず先に謝ることにする。たまたま職員室に用があって、居合わせてしまった彼を巻き込んだのは申し訳なかった。賢二が怒鳴っていたわけでもないし、提案したわけでもないんだけど、それを引き起こした元々の原因が、賢二にあるのは事実なので。

 すると意外なことに、里山はプッと笑ったのだ。それは純粋におかしくてしょうがないという感じの、まったく悪意の感じられない素直な表情だった。

 

『藤村君のせいじゃないって。岩崎先生、僕らの周りでも評判悪いよ。すぐ怒るし、えこひいきする先生だって。災難だったね、八つ当たりされて。』

 

 さらっとそんなこと言ってのける里山を見て、何だか賢二までおかしくなった。八つ当たりされていたなんて考えてなかったけど、そうかもしれないなと思った。賢二のクラスは何かと問題が多い。不登校の生徒もいるし、授業態度の悪い不良だって存在する。その鬱憤がたまっていたのかもしれないな、と今さらながら思った。

 

『で、どうしようか。どこから始める?授業ってどこまで進んでいるの?』
『ゲッ!マジでやんの?』
『当たり前でしょ。今度こそ部活止めさせられちゃうよ。僕だって、藤村君がバスケの試合出てるの見たいしね。』

 

 里山の提案におののきつつ、ん?と思った。どうしてバスケ部だって知っているのか。さっきの話では、“バスケ”なんて単語、一つも出ていない。

 

『なんで、バスケ部だって知ってんだよ…』

 

 すると里山は目をパチクリさせて、ふいにあぁと思いだしたかのようにスラスラと答えてくれた。

 

『岩崎先生の声、大きいんだもん。怒鳴り声丸々聞こえてたって。それに藤村君、けっこう有名だよ。二年にして、バスケ部のスタメンとれそうなくらい運動神経抜群、かつ女の子にモテモテだって。その様子じゃ、あんまり自覚してないみたいだね。まぁ、何となくそうかなとは思っていたけど。』

 

 まったく自覚がなかった。確かに二年では賢二が一番上手いし、女の子に告白をされたのも一度や二度ではない。けれど“モテている”なんて思ったことはない。ただ、好いてくれる女の子が多いなと考えていた程度だった。

 

『そんな藤村君がバスケ止めたら、泣く女の子が増えるだろうね。ここは僕が一肌脱いであげるよ。まぁ勉強しかとりえがありませんから、教えることしかできないけどね。』

 

 賢二に向かってにっこりと笑いながら、里山はふいに思い出したかのように自己紹介をしていた。

 

『僕は、里山元っていうんだ。以後よろしくね。』

 

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 きっかけは妙案。まったく関わりのない人間とつなげた、今思えば運命的な出会い。この後、時間を見つけては本当に勉強を丁寧に教えてくれたのだ(それも下手な教師より分かりやすく)。おかげで次の期末試験には赤点が一つもなく、無事新人戦にスタメン出場できた。そして意外なことに、元は本当に新人戦の試合を見に来てくれたのだ。

 

『やったじゃん!頑張ったかいがあったね!』

 

 試合が終わった後、こう話す元を見て、賢二は心の底から感謝した。それからどんどん親しくなり、気がつけば親友とも呼べる存在へとなっていった。照れくさくて、一度もこのときのお礼は言えなかったけど、それでも元の存在は、賢二の世界の中では大きかった。これからもずっと親友でいたいと、きっと高校は離れてしまうけど、それでも友人でありたいと、そう思っていた。

 

 だからこそ、もうそれが叶わないという現実が、飲み込めなかった。

 

「藤村。早くしないと、首輪が爆破して死ぬぞ。」

 

 一歩も動かない賢二を見かねたのか、栗井が近くまで来て声をかけていた。本当ならば、その顔に一発拳を食らわせてやりたかった。けれど、どうしたって元は帰ってこない。この世にはもういないのだ。

 

「どうして…」

 

 思わず口から出たのは、素直な気持ち。

 

「どうして、元だったんだよ…。他にもたくさんいたじゃないか…。どうして元を引いたんだ…。」

 

 栗井は何も言わなかった。反論すればいいのに、何も言葉にしなかった。もしかしたら、栗井も元を引いたのは不本意だったのかもしれない。けれど、そこまで賢二は考えられなかった。

 

「殴りたければ殴れ。それで気が済むのならな。」

 

 思わぬことを言われ、顔を上げる。まともに視線をかち合わせ、一瞬思考が停止した。

 その瞳からは、悲しみと懺悔の感情しか見えなかったからだ。ほんの少しでも別の感情が見えていたのなら、きっと栗井の言う通り殴りかかっていただろう。気が済むわけがないが、そうせずにはいられなかっただろうから。

 

「ただし忘れるな。お前が何をしても、里山は生き返らない。俺を恨むのも、里山の死を悲しむのも自由だ。しかしだからといって、お前自身の命を放棄していい理由にはならない。お前が出発するしないに関わらず、あと十分もすればここは禁止エリアになる。このまま何もせずに、死んでいいのか?里山はそれを望んだのか?」

 

 思わぬことを言われ、グッと押し黙る。認めたくはないが、栗井の言っていることは間違ってはいない。

 

――出ればいいんだろ?

 

 重い腰を動かし、立ち上がる。まるで何年も動いていなかったかのように、ひどく身体がぎこちなかった。もしかしたら機械を動かすかのような、ギシッという音すらしていたのかもしれない。

 

――元、もうさよならなんだな。多分、俺もそのうちそっちにいくんだろうけど。

 

 物言わぬ親友に最後の別れを告げ、ゆっくりと歩き出す。ドアまでの距離がひどく遠かった。睨んでいる兵士には一切目もくれずにデイバックを受け取り、そのまま歩き出す。宣誓をすることすら、頭の中から抜け落ちていた。最も、賢二が最後なのだから、あまり意味のないことではあるのだけれども。

 暗い廊下をただ歩く。一方通行だから迷わなくていい。ただ、そこにある道をたどっていくだけ。

 

――あと、十分って言ってたな。まぁ、大丈夫だろうけど。

 

 伊達にバスケ部でエースをやっていない。全速力で走れば、抜けられるだろう。まぁ抜けられなくったってかまわないけど。

 出口から外へ出る。まだ暗くはあるが、賢二は視力がいい。暗闇に慣れてくると、大体の様子がわかってきた。とりあえず真正面にある校門から外に出ればいい。そう思い、走りだそうとした。その時だった。

 

「賢二!」

 

 誰かが自分を呼ぶ声が聞こえる。一瞬元の声をかぶったが、賢二の元へ走り寄るその人物の体格で、それは錯覚だと痛感する。

 

「栄司!迂闊に飛び出すなよ!誰かが潜んでいたら、どうするんだよ!」
「みんな出ていったんだし、大丈夫だよ。賢二、随分遅かったじゃない?栗井に何かされなかった?大丈夫?」

 

 当たり前のように会話をする二人を見て、賢二は妙な感覚がした。はっきりとは認識していないが、今ここにいる松川悠(男子18番)が最初の方に出発したのは何となくわかっていたし、佐野栄司(男子9番)にしたって大分前に出て行ったはず。どうしてその二人がここにいるのか。

 

「何で…ここにいるんだよ。」

 

 かすれた声で、そう問いかける。すると、悠はさも当たり前だと言わんばかりにスラスラ答えてくれた。

 

「確実に合流するには、待っているのが一番いいからな。しっかし大分遅かったな。おかげで待ちくたびれたぞ。」

 

 待っててくれたことに関しては、感謝しなくてはいけないかもしれない。けれど、このとき賢二の脳裏に浮かんだのはまったく正反対の感情だった。感謝ではなく、有難迷惑。嬉しさよりも、嫌悪感。二人に対して、賢二はそれほど友情を感じていない。

 

――何で待っていたんだよ…。どうして、お前らじゃなかったんだよ…。

 

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