薄氷の絆が崩壊するとき

 

――今の、笑い声か?

 

 藤村賢二(男子16番)は、かすかに届いた声の方向へと視線を向ける。しかし、その声はほんのわずかな間だけだったようで、今では静寂な空気が訪れていた。

 

「賢二、どうしたの?」

 

 佐野栄司(男子9番)が心配そうにこちらを見ている。その親切心に偽りはないと分かりつつも、どこか有難迷惑な気分が抜けなかった。

 

「いや、今笑い声が聞こえたような…」
「んなわけないだろ。」

 

 賢二の声を遮るような形で発言したのが松川悠(男子18番)。その口調はいつもと変わらず、どこか毒を含んだきつい言葉。たまに、というか一日一回はカチンとくるんだけれども、今は何も言わなかった。

 

「この状況で笑える奴なんかいるわけないだろ。いたとしたら、そいつはおかしい。空耳じゃないのか?」

 

 推測、というよりはほぼ確信に近いニュアンスで話す悠に、賢二は何も言えなかった。賢二にしたって、今の声に確信があるわけでもない。悠の言っていることも一理ある。ただー

 

――もうちょっと、言い方考えろよな。

 

 喉まで出かかった言葉を、グッと飲みこんで「そうかもな。」と言うに留めた。不満を言葉に出してしまったら、何かが崩壊してしまうような、張りつめている糸がプツンを切れてしまうような、そんな危うい感覚があったから。ギリギリで踏みとどまるためにも、必要以上のことは口に出さないほうがいい。

 

「ま、まぁ都合よく家があってよかったね。」

 

 少しばかり不穏な空気を払拭するためなのか、栄司が話題を切り替えていた。気を遣わせているようで、申し訳ないような気もしたのだが、そこまで気遣う元気が賢二にはなかった。

 

「本当だな。誰もいなかったし、しばらくはここにいるとするか。色々対策も練りたいしな。」

 

 同調するような形で悠も発言する。賢二は頷くだけに留めた。

 三人がいるG-4にあるこの民家。俗に言う木造二階建てで、やはり誰も住んでいないせいなのか、家具も傷んでおり、埃まみれであった。しかし、この際贅沢はいってられないので、その埃を払って、リビングというべきところに三人とも椅子に腰かけている。配置的にいえば、賢二が一番窓側、栄司と悠がその向かい側となっていた。

 

「対策って、なんだよ?」

 

 もろもろの考えを振り払い、悠に問いかける。対策って言ったって、生き残りたいならクラス全員を殺すしかないし、それができないなら自殺するか、じっとしているしかない。賢二の頭の中にはその選択肢しかなかった。

 

「まぁ、このプログラムとやらから脱出する方法ってやつかな?いくらなんでも殺し合いなんてできるわけないし。栄司や賢二だってそう思うだろ?」

 

 “脱出”。賢二の頭の中にはなかった単語が、悠の口から飛び出していた。それはひどく現実離れしていて、かつ実現不可能なように思えた。少なくとも、賢二からしてみれば。

 

「それはそうだよ。悠や賢二を殺すなんてできないよ。」

 

 そんな賢二の戸惑いをよそに、栄司も同調する。殺し合いをしなくてもいい可能性が出てきたせいなのか、幾分か明るい声色だった。どうしてそんなに明るくなれるのか、賢二には理解できなかった。

 

――なんでそんなに希望が持てるんだ?

 

 出発前に死んだ賢二の一番の親友である里山元(男子8番)は、もう生きることすら叶わないというのに。そんな希望すらもてないというのに。“死”はその人から何もかも奪ってしまうのだから。そして、その人に深く関わる人物からも。

 

「賢二もそう思うだろ?」

 

 何も返答しない賢二に、悠が回答を促してくる。その口調にはどこか、“そう思うよな。でなきゃお前はやる気ってことになるぞ”といった、裏の考えが透けて見えるようだった。だからこそ、はっきり返答したくなかった。やる気なわけではないが、そこまで悠の案に同調もしていなかったので。

 

「何か、いい案でもあるのか?」

 

 元来嘘のつけない性格のせいなのか、浮かんだ疑問を口にすることにする。実際、そこまで言うなら何かいい案でもあるのかと思ったのも本心だった。

 

「いや、さすがに今はな…。まずは状況把握しなくちゃいけないから。けど、一つ突破口がある。この首輪だ。」

 

 そう言って悠は自らの首に巻きついている首輪を指し示す。同じものが賢二の首にも巻きついているはずだ。この忌々しい命の枷の存在は、嫌でも政府への憎悪を思い出させる。知らず知らずのうちに、唇を噛みしめていた。

 

「栗井がさ、やたらこの首輪の機能を強調してただろ?つまり、このプログラムの管理は、ほぼこの首輪で行われていると思っていい。裏を返せば、首輪を壊すなり外すなりすれば、いくらでも対策があるはずだ。それに奴らを攻撃するにしても、学校にはもう近づけないから、兎にも角にもこれを外さないことには始まらないからな。」

 

 すらすらと推測を話す悠はどこか自慢げだった。まぁそこに気づく人間はそう多くはないかもしれないから、そう思うのも分からなくはないが、それよりも悠よりそっち関連に詳しい人間がいたことを思い出す。

 

「江田、確か機械に詳しいんじゃなかったか?だったら江田と組んで、首輪を外す方法を考えればいいじゃないのか?江田はなんで引き止めなかったんだ?」

 

 賢二はさほど仲良くないが、江田大樹(男子2番)が機械の類いに詳しく、人格的にも問題なかったはずだということは知っていた。最近は席の関係から乙原貞治(男子4番)とよく話しているようだが、その貞治にしたって友人が多い。二人とも多分プログラムに乗りそうにない、そう賢二は認識していた。悠が栄司や賢二を待っている間に、大樹に声をかけることもできたはずだ。

 

「いくら江田が機械に詳しいからといって、信用できるかどうかは別問題だろ。下手に信用できない奴まで引き込んだらそれこそ寝首をかかれることになる。だから俺は基本的には、栄司と賢二以外は信じない。」

 

 悠の言っていることは最もなのかもしれない。下手に仲間を増やしたら、それこそ命の危機に晒されるのかもしれない。けれど賢二には、悠がただの臆病者にしか見えなかった。

 

――なんだよ。偉そうな口をたたくわりにはビビりかよ。この三人だけで、首輪を外す方法浮かぶとでも思っているのか?元もいないし、俺は頭良くないし、栄司も普通だし、悠は成績いいかもしれないけど、所詮それだけの話だろ。自分だけ安全なところにいて、そんな都合良く事が運ぶかよ。それに…運が悪けりゃ誰だって死ぬんだ。現に元はあんなくじのせいで…

 

 元のことを思い出すと、次第に嗚咽がこみ上げてくる。けれどこの二人の前では涙は見せたくない。ただでさえ人を見下す傾向にある悠や、性格は悪くないんだけど、賢二からみればいつもビクビクしている印象の強い栄司なんかに、こんな情けない姿を晒したくはなかった。

 

「これで、元がいたら…よかったんだけどね…」

 

 賢二の心中を知ってか知らずか、栄司も沈んだ声で発言する。栄司は元と出席番号が近かった。だからこそ親しくなったんだし、その関係で悠と賢二も交えて四人で行動することも多かった。栄司は栄司なりに、元の死を悲しんでいるのだろう。

 

――そっか。俺だけじゃないもんな。栄司だって、…悠だって辛いもんな。仲よかったし。

 

 自分だけじゃなかった。そのことに多少はホッとした。だからこそ、栄司に「そうだよな。でも、元の分まで頑張らないといけないよな。」そう言おうと思った。しかし、そう言うよりも悠が発言する方が早かった。それも、賢二にとっては信じられない一言を。ある意味、一番聞きたくない言葉を。

 

「でも、元が選ばれたおかげで俺ら今生きているんだ。ある意味感謝しないといけないかもな。」

 

 至っていつも通りの口調で、いつも通りの声のトーンで、さも当たり前であるかのように発言していた。

 

――何、言ってる?

 

 その一言を聞いた瞬間、何かが“プツン”と音を立てて切れるのが分かった。ずっと張りつめていた緊張の糸なのか、それとも押し殺していた憎悪なのか、少なくとも賢二の中で何かが崩壊していたのは確かだった。

 

――元が死んだことに、感謝でもしろっていうのか?

 

 ふいに、元との思い出が蘇る。あのあどけない笑顔が蘇る。それは誰よりも純粋無垢で、素直な元だけが表現できる代物。それに何度救われただろう。何度こいつと親友でよかっただろうと思っただろう。それはたった一枚の紙切れで全て失ってしまった。運が悪かったではすまされない。そんな軽い一言で片づけられるほど、軽いものではない。感謝しなくてはいけないなんて、思いたくない。感謝するくらいなら、自分の命を差し出すほうがはるかにマシだった。

 

――なんでそんなことが言えるんだ。悠は元が死んで悲しくないのか?そんな奴だったのか?元々性格的にはソリが合わないとは思っていたけど、そんな奴とは思わなかったよ!

 

 親友を失った悲しみが、次第に悠への殺意へと変わる。いつもそうだ。悠は自分よりも成績のいい人間に対して、どこか敵視する傾向もあった。だから元に対しても、どこかライバル心を持っていた。元はそんなの気にしないタイプだから、今まで何とかやってこられたけど、もしかしたら元が死んで喜んでいるのかもしれないとすら思った。

 だって元が助けを求めても、悠は後ずさりするだけで、何もしなかったじゃないか。

 

「とりあえず、俺と栄司はこの家を少しばかり散策してみるよ。何か使えるものがあるかもしれないからな。賢二には見張りを頼んでもいいか?一番最後で出てきたんだし、体力有り余っているだろう?」

 

 悠の発言に、返答する気すら起こらなかった。ただコクンと頷いて、拳をギュッと握りしめていた。

 すぐに悠と栄司が立ち上がり、部屋から出ていく。その足音だけを聞いていた。栄司が少しばかり、賢二の方を見て申し訳なさそうな顔をしていたのも、気がつかなかった。

 

――感謝…

 

 元が死んで悲しい。みんなそうだと思ってた。悠にしたって、栄司にしたって、悲しんでいると思っていた。まさか、“感謝”という言葉が出てくるなんて、夢にも思わなかった。もしかしたら、悠だけじゃなくて、他のみんなもそう思っているのだろうか。元が“選ばれてくれたから”今生きているのだと、そう思っているのだろうか。それは事実なのかもしれない。けれど、元だって死にたかったわけではない。そんなこと、賢二は認めたくはなかった。

 

――俺は…感謝なんかしない。

 

 賢二の中で、赤い“怒り”という名の炎が形成されていく。それは次第に賢二自身を飲み込んでいき、他の感情を失くしていく。そして、憎悪の対象は“政府”から“松川悠”、もしくは“クラスメイト全員”にすり変わろうとしていた。それこそが、政府の望んでいる行動を引き起こしてしまう、そのことすら気付かずに。

 

――感謝なんかさせない。絶対に。

 

 ふと右手のポケットに触れる。小さくて硬い感触。それが二つある。それは賢二の支給武器であった。悠曰く“当たりか外れかわかんないな”といわれるもの。けど、使い方次第では有効だ。そして、今ならこの武器は有効活用できる。

 

 ゆっくりとポケットから取り出す。取り出した二つの瓶を見比べて、使うべき方の封を切った。

 

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