拉致〜修学旅行最終日〜

1995年6月12日

 無事に二泊三日の日程を終えた三年一組一同は、帰りのバスの中で、思い出話に華を咲かせていた。その雰因気はとても浮ついていて、地に足がついていないかのようだ。おそらく、しばらくはこの状態が続くだろう。

 そんなクラスメイトを矢島楓(女子17番)は静かに見つめていた。自然に顔がほころぶのがわかる。

 

――二年のときは、こんな風に笑える日がくるとは思わなかったなぁ。

 

 不登校になっていた二年生。この時は、こんなに明るい未来が来るとは思わなかった。修学旅行を純粋に楽しめる日がくるとは、想像していなかった。

 

――これも、晴海のおかげかな。

 

 友人、いや親友ともいえる存在である古山晴海(女子5番)の方を見る。晴海は前の座席に座っている谷川絵梨(女子8番)月波明日香(女子9番)と楽しそうに話をしていた。この二人とは、楓自身もよく話す。こんなに友人ができたのも、晴海のおかげだろう。感謝してもしつくせないかもしれない。

 

「楓、何ボサっとしてんのよ。」

 

 クスクス笑いながら、絵梨が話しかけてくる。絵梨は気配りもできて、中々統率力もある。そして頭もいい。実際、絵梨と会話をするときは、けっこういい刺激になる。それを絵梨も楽しんでいるのか、軽いジャブのやりとりになることも多かった。これには、晴海も明日香もついてこれないと言う。

 

「ああ、ごめんごめん。ボーっとしてた。」
「嘘ばっかり。考え事してたでしょ?」

 

 やはりごまかせなかったか。なんて思いつつ、会話に参加することにする。

 

「いや、まぁ他愛のないこと。みんな浮ついてるなって。」
「まぁ修学旅行の帰りだもんね。無理ないわ。ところでさ、楓はどう思う?」

 

 どうって言われても、今まで聞いてなかったんだから分かるわけがない。まったく、このちょっとばかり意地悪なところがなければ、絵梨はまぁかわいいんだし、告白の一つや二つされると思うというのが正直な意見。

 

「聞いてなかったからわかんないって。もしかして晴海の恋の話?」

 

 軽く予想を立てて、答えてみる。さっきから、「萩岡くん」だの、「告白」だのという単語は耳に入っていたのだ。実は少々自信があったりする。

 すると晴海が目を丸くして、口を開く。

 

「楓、すごいね。なんでわかったの?」

 

 いや、聞こえてたから。なんて当たり前の回答が口に出せないほど、晴海は心底わからないという顔をしている。まぁなんというか、純粋なのか、疑うことを知らないのか。けれど、楓はそんな晴海だからこそ、こんなにも友情を築けたのだと思う。優しくて純粋で、けどどこか強くて芯を持っている。晴海はそんな子なのだ。

 

「結局、告白してないんでしょ?」
「うん、まぁ。」

 

 明日香の質問に、少々バツが悪そうな顔をしながら晴海は答える。実は、この修学旅行で晴海の好きな人であるー萩岡宗信(男子15番)に告白するかしないかで、かなり話しあったのだ。といっても悩む晴海に、絵梨や明日香が発破をかけてるといった方が正しい。

 

「もったいない。絶対萩岡くん、晴海のこと好きだって!」
「ちょっ、明日香。声大きいって。」

 

 思わず声が大きくなった明日香を止めつつ、辺りを見回す。当の本人は、楓達からは大分離れた席にいる。様子を見てみると、仲の良い白凪浩介(男子10番)乙原貞治(男子4番)と楽しそうに会話をしているようだ。今のは聞こえていないようで、心底ホッとした。

 

「でも…、まだ、本気で好きかどうかわかんないし…」
「そんなこと言ってたら、他の誰かにとられちゃうよ!いいの?それでも!」

 

 悩む晴海に、明日香が再び声のボリュームを上げつつ説得する。明日香は、恋に関してはどうやら”当たって砕けろ”という方針の持ち主のようだ。この四人の中では、一番積極的だし、流行りものにも敏感。敏感さでいえば、少々ギャルっぽい佐久間智実(女子6番)七海薫(女子10番)と同じくらい。楓から見ると”今時の女の子”という印象を持つ。とても真似できないな、なんて感想を抱く。

 

「明日香、落ち着きなって。で晴海、分からないってどういうこと?」

 

 明日香を制止しつつ、絵梨は質問を口にした。その間、楓は一言も発しなかった。

 

 この手の話題、楓は大変苦手である。好きになったこともなければ、当然告白したこともない。なので、あまり口出ししないことにしている。けれど、聞く分には全然いい。なんだか新鮮だし、晴海を応援したいという気持ちは存在するので。

 

「なんていうか…。萩岡くんが、他の誰かに取られたら嫌とか思わないもん。きっと萩岡くんが選んだ人なんだから、私よりも素敵な人なんだろうって思う。それに、告白して今の関係が崩れるのも怖いんだ。たまに、会話できるだけでも嬉しいんだからさ。だから告白するのは、卒業式とか、そんな時でいいかなって。」
「甘いって。そんな悠長なこと言ってらんないよ。恋愛は早いもの勝ちだって!」

 

 明日香独自の理論を聞きながら、楓はなんだかなと思った。こういうのって、一番大事なのは本人の意思じゃないかと思うが、ここも黙っていることにした。

 

――早いもの勝ちねぇ。

 

 そうなんだろうか。運動会の徒競走みたいに、一番になればそれでいいんだろうか。誰よりも早く、どんな手段を使ってでも、ゴールに辿りつけばいいのだろうか。

 

――それは何か違うような気がするけど。

 

「で、楓の意見は?」

 

 絵梨の言葉を聞いて、ああと妙に納得した。このままでは埒があかないので、わざわざ楓に意見を聞いているのだ。現に堂々めぐりになっているし。

 

「う〜ん。そう言われてもなぁ…」

 

 “わからない”と言いたいところだが、それでは納得してくれないだろうなと思う。何かいい意見があればいいのだが。

 

「楓はさ、好きな人とかいないの?」

 

 明日香が訊ねてくる。思いもよらぬ質問だったので、びっくりしてしまった。そして、思ったままの疑問が口から飛び出してしまっていた。

 

「好きになるって、どんな感じ?」
「え?」

 

 楓の疑問がよほど意外だったのか、三人とも見事に同じ疑問を、同じタイミングで口にしていた。ちょっとしたコーラスみたいで、思わずクスりと笑ってしまう。

 

「楓、恋とかしたことないの?」
「うん、まぁ。」

 

 心底信じられないといった表情で絵梨と明日香は見ている。そんなに変なのか?と思わず聞きたくなったが、そこは黙っていることにした。

 

「白凪くんとかさ、どう思っているの?よく話すじゃん。」

 

 明日香の言う通り、浩介とは比較的よく会話をする。というか、楓が対等に話せるのが浩介ぐらいしかいないというのが、本当なのだけれども。

 確かに、傍から見ればいい感じに見えるのかもしれない。浩介との会話は楽しいし、ずっと話していたいとも思う。けれども、他の誰かにとられて嫌だとか、自分の恋人になってほしいとか、そんな感情は抱かない。浩介の人生なんだから、そこに自分なんかが介入してはいけないような気がする。

 

「白凪くん、いい人だし、話しやすいし、会話していて楽しいよ。けど、好きか言われるとねぇ…」

 

 何とも言えないな、と思う。多分、これが本心。

 

「けど、私から見たら、それだけでもすごいと思うけどね。」

 

 再び、絵梨が話し始める。

 

「白凪くんってさ。女の子嫌いで有名なんだよ。告白した子をさ、片っぱしから酷い言葉で断っていくんだって。おまけに一時期女の子が来るのが嫌で、剣道部も休んでたくらいなんだからさ。そんな白凪くんが、女の子と普通に会話しているなんてね。私からみれば、軽いカルチャーショックだよ。」

 

 その話は何となく知っていた。

 

 不登校時、一度だけ日曜日に学校に行った時、まだ互いに名前も知らなかった時、浩介に会っている。後に、浩介がなぜ日曜日に学校に来ていたか、その本当の理由を話してくれた。

 

『実は、こっそり剣道の練習に来てたんだ。平日は練習にならないからさ。矢島さん、俺のこと知らなかったみたいだから、何ていうか、言いたくなくって。自分のことを知らない、噂を知らない人と、普通に話がしたかったんだ。』

 

 後に学校に来るようになって、浩介のことを人から又聞きするたびに、違うのにな、そう思った。外見とか、噂とか、そんなの些細なことでしかない。ちゃんと話せば、優しくて、楓みたいな人とでも対等に話をしてくれる。頭の回転も速くて、普段はあまり感情を表に出さないけど笑うときはちゃんと笑う、そんな普通の人なのだ。

 

「そんな人じゃないって。私みたいな人とでもきちんと話してくれる、優しい人だよ。」

 

 思わず大きな声を出してしまう。ハッと思い、浩介の方を見たが、変わらず会話に華を咲かせているようでこちらには気づいていない。

 

「分かってるって。楓の話を聞く限りでは、噂ってあてにならないなって思うよ。明日香だってそう思うでしょ?」

 

 明日香は驚いた様子で、「う、うん…」と頷いていた。いきなり話を振られて、少々びっくりしたのかもしれない。

 

「で、晴海に関して言えば、どう思うよ?」

 

 再び話を本題に戻して、絵梨が訊ねる。しかし、今の会話で少しばかり糸口を見つけ出せたような気がした。頭の中で整理してゆっくりと口を開く。

 

「う〜んとね、私が思うに、あせらなくてもいいんじゃない?」

 

 明日香が「え?」と声を漏らしたが、かまわず続けた。

 

「萩岡くんが本気で晴海を好きなら、必ず告白すると思うよ。黙ったままじゃないんじゃないかな?それに、晴海もまだわからないなら、今言うべきじゃないんじゃないと思うし。私が思うに恋愛ってさ、タイミングっていうのかな?しかるべき時がきたら、ちゃんと言える時がくるんじゃないかって、そう思うよ。」

 

 楓が浩介にあの日出会ったのも、タイミングがよかったと思っている。何も知らない状態で会えたことで、色眼鏡で見ることなく、白凪浩介という人間を知ることができた。そうでなくても今の関係は築けたかもしれないが、築けなかったかもしれないのだ。

 

「うん、そうだよね。きっと、言えるときが来るよね。」

 

 楓の言葉に後押しされたのか、晴海の顔に少しばかり安堵の表情が浮かんでいた。

 

「ま、楓の言うことも一理あるかな。」
「私は絶対言うべきだと思うんだけどな〜。」

 

 絵梨と明日香の言葉を聞きながら、楓はホッとした。自分の話をきちんと聞いて、受け止めてくれる人がいる。二年の不登校時には、それすら叶わなかったのだ。当たり前の光景が、とても愛おしい。

 

――ずっと、こんな風に過ごせたらいいのにな。

 

 晴海や絵梨、明日香と何気ない話で盛り上がる。そしていろんなことを知っていく。晴海の恋を応援したり、今回の修学旅行のようにたくさんの思い出を作ったり、そんな小さな幸せをたくさん見つけていきたい。そんな中で、いつかは誰かに恋をするのだろう。その時は晴海に話してみたい。そう思った。

 

 ふいに、少しずつ、バスの中のざわめきが小さくなっていく。みんな寝たのかな?と思ったが、それにしても何か様子がおかしい。

 

「晴海?」

 

 晴海の方を見ると、目をつむってすやすやと寝ていた。いくら疲れているとはいえ、こんな突拍子もなく寝たりするのだろうか?

 

「絵梨?明日香?」

 

 ついさきほどまで前の座席から身を乗り出していた二人も、いつのまにか席に座りこみ、微動だにしていなかった。そして驚くことに、楓自身も強烈な眠気に襲われているのだ。今の今まで、眠気など感じなかったのに。

 

――何が、起こっているの?

 

 上手く動かない身体を動かして、周りを見渡す。ほとんどが眠りについているらしく、大半のクラスメイトは座席に身を預けていた。その中で、まだ楓のように起きている者もいた。先ほどの会話に出てきた浩介も、顔をしかめながら、隣にいる宗信の身体を揺すっているようだった。

 

――白凪くん、これって…

 

 浩介にそう声をかける前に、楓は意識を失い、他のみんなと同じように座席に身を預けていた。重力に従い、勢いよくガクンと座りこんでいた。ほどなくして、浩介も同じように意識を失い、眠りについていた。最後まで抵抗していた神山彬(男子5番)もみんなにならうと、バスの中は、先ほどまでのざわめきはまったくなく、まるで人が乗っていないかのような静寂が訪れていた。

 

 三年一組を乗せたバスは、帰りの方向とはまったく違う道を走っていた。

 

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