「…るみ。晴海、起きて。」
聞きなれた声と、身体を揺すられる感覚。古山晴海(女子5番)は、重い瞼をゆっくりと開き、目の前の人物を確認した。肩までのボブに、落ち着いた大人っぽい声。さっきまでバスの中で談笑していた、友人の一人がそこにはいた。
「絵梨…?」
その声で前の席にいる谷川絵梨(女子8番)は、ホッとしたかのように、少しばかり険しい表情を崩した。
「具合はどう?大丈夫?」
なんでそんなことを聞くんだろう。最初はそう思った。別に体調不良でもなんでもないし、いたって健康だ。けれど次の瞬間、妙な違和感を覚えた。
「ここ…どこ?」
バスの中ではない。教室のような感じ。けれども、自分たちが普段使っている教室とはまったく違う感じがした。殺風景で、提示板にはプリントの一つもなく、黒板も使われていないかのようにきれいであった。冷え冷えとしていて、空気も慣れ親しんでいないもの。そもそも、バスから降りた記憶がない。
「わからない…。けど、学校に帰ってきたわけじゃなさそう。」
「楓と、明日香は?」
「楓は向こうの席。明日香は割と近くにいる。多分、教室の座席順に座っている。」
確認してみると、教室の一番窓側に座っている晴海や絵梨とはほぼ反対。廊下側から二列目、前から二番目に矢島楓(女子17番)が座っているのが確認できた。もう起きていたようで、右隣に座っている江田大樹(男子2番)の身体を揺すって起こしているようだった。
そして、二人の席から廊下側に、列を一つはさんで前から二番目、月波明日香(女子9番)が机に突っ伏していた。どうやらまだ起きてはいないようだ。
――これ、何?何なの?
わからない。どうして、ここにいるのか。どうして、いつのまにか座席順に座らされているのか。どうして、見知らぬところにいるのか。
ふと、目の前の絵梨の顔を見る。何か妙な感覚がした。絵梨は絵梨なんだけど、どこか変。
「絵梨、首に何かつけてる?」
違和感の正体が分かり、そう告げる。絵梨の首には何か銀色の――首輪のようなものが巻きついていた。絵梨もわかっていたらしく、悲しそうにそっとその首輪に触れる。
「晴海にも、他のみんなにもついてる。これが何かはわからないけど。」
そう言われて、おそるおそる首に手をあてる。今の今まで気がつかなかったけれど、そこには絵梨と同じようなものが確かに存在していた。
冷やりとした感覚、金属のような硬さ。
え?と思い、手探りでそれに触れる。どうやら首にぐるりと巻きついているようで、外せそうなところは存在しなかった。そう認識すると急に息苦しくなった。何とか逃れようと、必死に外そうとする。
――うっとおしい!早くこれを取ってよ!飼い犬じゃないんだから!
外そうともがく晴海に、絵梨がそっと手をつかんで制止する。
「あまりいじらないほうがいいと思う。よくわからないものなら、なおさら。」
絵梨の落ち着いた、いや落ち着こうと努めている声のおかげで、どうにか外そうとするのをやめることができた。
「おい!なんだよこれ!」
一際大きな声に、思わず顔をそちらに向ける。クラスでも自己中心的で、あまり好かれていない窪永勇二(男子7番)であった。
「どういうことだよ!誰かなんとかしろよ!」
「うるさいぞ窪永!静かにしろ!」
あまりの大声に腹がたったのか、霧崎礼司(男子6番)がこれまた大きな声で制止していた。この二人、同じ陸上部ではあるのだが、かなり仲が悪い。この声で、礼司の左隣に座っている明日香も目を覚ましたようだ。
「なんだよ霧崎!そんなこと言うんなら、てめぇがどうにかしろよ!偉そうに注意してんじゃねぇ!」
「俺にだってわかるか!とにかく大声をだすな!迷惑だ!」
「やめろ二人とも!そんなこと言ってる場合じゃないだろ!」
そんな二人を見かねたのか、礼司と仲のいい若山聡(男子21番)が仲裁に入っていた。それがきっかけだったのか、次々と混乱する声が飛び交う。
「やだ、なにこれ…。怖いよ…」
明日香の後ろの席に座っている間宮佳穂(女子14番)が、明日香の腕を握りしめていた。佳穂は晴海と同じ修学旅行のグループであり、同じテニス部の仲間でもある。だからこそ知っている。佳穂がホラーや血が大変苦手であることも。このような恐ろしい、わけのわからない状況で、人一倍混乱するのも無理はなかった。
「小夜子、どうしよう!何これ?!」
「育美、とにかく落ち着こう。」
バトミントンコンビの岸田育美(女子4番)と芹沢小夜子(女子7番)が互いに声をかけあっている。明るくて人一倍頑張り屋の育美を、絵梨と同じくらい大人っぽい小夜子がなだめているといった感じであった。二人の席は離れているため、割と大きな声で会話をしている。
その育美の前に座っているのが、楓であった。晴海の方をみると、「大丈夫」と告げるかのように頷いた。少しばかりホッとした。
「明美ちゃん!怖いよぉ…助けて…」
実年齢より幼く見える、晴海よりも小柄な日向美里(女子12番)が、絵梨の前に座っている西田明美(女子11番)に助けを求めているようだった。子供っぽい美里を、クラスで一番背が高く、しっかりしている明美が面倒をみている、そんな印象が強い。美里もそんな明美を慕っているようだった。しかしこの状況で、明美自身も混乱しているのか、美里に「大丈夫、大丈夫だから…」と、いつもとは違う小さな声でそう言うにとどまった。この二人と仲のいいもう一人、七海薫(女子10番)は、何も言わずじっとしている。
――そうだ。萩岡君は…
辺りを見回して、今まだ確信の持てない想い人萩岡宗信(男子15番)の姿を探す。宗信は晴海から大分離れた一番廊下側、後ろから二番目の席にいた。他のみんなと同じように混乱しているらしく、近くにいる武田純也(男子11番)と何事か話していた。宗信と仲のいい白凪浩介(男子10番)は、晴海の斜め前、絵梨の右隣に座っている。この二人もかなり離れているようで、思ったように会話ができていない。
その浩介は前の席にいる里山元(男子8番)を起こしており、その元が目を覚ますと、今度は晴海達の方を向いた。
「大丈夫か?」
その問いかけに、「大丈夫。」と返した。それを聞いて浩介はホッとしたようだ。こんな状況だけれど、さっきのバスの中の会話がよみがえる。
――楓の言う通りだ。白凪君は、私みたいな人にも気遣ってくれる優しい人なんだね。
そんな混乱の中、冷たく、恐ろしいほど低い声で発言した人物がいた。
「多分、プログラムだ。」
その人物、神山彬(男子5番)は椅子に座ったまま、静かにそう告げた。その一言で、さっきまでのざわめきはピタッと止み、いきなり静寂がおとずれる。
――嘘…選ばれちゃったの?あの、プログラムに…
その次の瞬間、ガラっと教室の扉が開き、一人の人物が入ってきた。高めの身長で、がっちりとした体格。見た目は体育の先生っぽいが、実は社会の先生であり藤村賢二(男子16番)が所属しているバスケ部の顧問もしている、三年一組の担任。
栗井孝だった。
――先生?何で?
彬の言う通りだとしたら、先生はどうなるのか。しかし栗井の首には何もついていない。いつも通りの日焼けしたような黒い肌が、そこにあるだけ。
そして栗井と一緒に何人かの兵士らしき人達も入ってきた。若い人も、年配らしき人もいる。彼らの手には共通して、銃―ライフルのようなものがあった。
「みんな、起きたみたいだな。とにかく席に着いてくれ。」
いつも通りの落ち着いた声。しかし、それがかえって晴海の心をかき乱した。
その言葉通り、全員自分の席に着席した。そしてそれを確認すると、栗井が口を開いた。
そしてその口が告げた、残酷な事実。
「沼川第一中学校、三年一組。お前達は、戦闘実験第六十八番プログラムに選ばれた。」
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