愛は盲目

 佐久間智実(女子6番)は灯台のあるエリアB-6にいた。というのも、智実は極度の方向音痴であるため、地図があったとしても、自分がどこにいるのかわからなくなりそうだったからだ。だからこそ、わかりやすい目印のあるこのエリアにやってきた。

 

――神様お願い…ここを禁止エリアにしないで…

 

 体操座りしている身体を、両手で必死で押さえつける。いつ、どこで、誰に襲われるか。それがわからないからこそ、今こうやって恐怖に震えている。呼吸も乱れており、心臓もバクバクいっている。今にも口から飛び出しそうなくらいだった。どうやったら、この不安は消えるのか。一人しか生き残れないプログラム。誰一人頼れないのだ。

 

――怖い…、みんな怖いよ…。

 

 智実はクラスで特に親しくしている友人はいなかった。というのも、ある事情で敢えて親しくするのを避けていたといった方が正しい。だからこの状況では、一人でいるしかなかった。正確にいうと、ある一人の人物を除いては、誰も信用できなかった。けれど、その人は智実よりも前に出発してしまったのだ。

 

――ねぇ、どうして待っててくれなかったの?

 

 大好きな彼の顔を思い浮かべる。あまり笑うことはないんだけど、それでも笑った時はとてもキラキラしていて、まるで太陽のようだった。そんな彼がここにいてくれれば、きっとこんな寂しい思いをせずにすんだだろう。

 実はクラスで噂になっている、智実と米沢真(男子20番)が付き合っているというのは本当だった。二年の終わり、冬の寒さが和らぐ頃、智実はずっと好きだった真に思いきって告白した。本当に清水の舞台から飛び降りるほどに、勇気のいった出来事だった。

 

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『話って何?』

 

 放課後、校舎の裏なんてベタな所に真を呼び出していた。開口一番、彼はそう言ったのだ。その疑問は最もなのだが、内心ここまできたら察してほしいなと思ったのも事実だった。

 

『え…あ、あのね…』

 

 少しどもりながら、必死で口を動かそうとする。けれどもなぜかパクパク動くだけで、いっこうに言葉が出てこない。口の中が乾いて張り付くようだった。気持ちを言葉にするのが、こんなに難しいとは思わなかった。

 ただ二文字を言えばいいのに。秘めた想いを形にする、たった二文字の言葉を。

 

『どうしたの?大丈夫?』

 

 何も言えずにいる智実を気遣ったのか、真が心配そうに見つめている。それだけでも心拍数は急上昇だった。普段なら心の中で喜ぶのに、今は加えて緊張に拍車をかける。でも、ここまできたら何が何でも言わなくてはいけない。両手で握り拳をつくり、意を決して言葉を口にした。

 

『あのね…。私、米沢くんのことが好きなの…。』

 

 その言葉を口にした途端、“言ってしまった”という後悔の気持ちと、“やっと言えた”という安堵した気持ちが芽生えていた。もう今までのような関係には戻れない。でも今の関係のままじゃ嫌だと思ったから、だから告白したのだ。

 真は分かっていたのかいなかったのか、しばし沈黙していた。目をキョロキョロさせて、言うべき言葉を探しているのだろう。そしてフゥと長い息を吐くと、意外な言葉を口にした。

 

『で、俺にどうしてほしいの?』

 

 今度は智実は驚く番だった。まさか、“どうしたらいい”なんて疑問が出てくるなんて思ってもいなかった。普通、告白して、OKなら付き合う、ダメならそれまでだ。そう考えていた智実は、真の疑問にしばし頭が真っ白になっていた。ある意味、即座に断られるより衝撃的だ。

 

『もし…よかったら、私と付き合ってほしいな…って。』

 

 もじもじしながら、じっとすることができなくて身体をくねくねさせながら、そう口にする。ある意味、告白より恥ずかしかった。これは言う予定ではなかったのだから。でも、ここまできたら言わないわけにはいかない。恥ずかしい気持ちを押し殺して言い、真を見つめた。

 

『俺、佐久間さんのこと…好きでも何でもないけど、それでもいいの?』
『いいよ!付き合ってくれるのなら、それで十分だから!』

 

 OKの兆しが見えた途端、必死でその可能性を現実のものにしようとする。好きな人と恋人関係になれる、これを願わない女の子がどこにいるのだろう。相手が好きでなかったとしても、嫌いでなくて付き合ってもいいなら、ぜひともそうしてほしかった。

 

『うん、いいよ。これからよろしくね。』

 

 そう言いながら、スッと右手を差し出してくれた。その手をゆっくりと握りしめる。温かい体温と、握り返してくれる感触。恥ずかしさと同時に、すごく嬉しかった。真っ赤になった顔を見られたくなくて、ずっとうつむいていたけれど、口元がほころんでいくのがわかった。

 

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 その時はもう飛び上るほど嬉しかった。きっと地に足がついていない状態とは、まさにあのことをいったのだろう。恋人関係になってから約三か月。一緒に帰ったり、休みの日にデートしたり、キスをしたり、両親に黙ってお泊りしたり―恋人のしての事は一通りやった。そのような関係だった。

 

 周りに話していなかった理由、それは認めた後に出てくる際限のない追及。

 

「ねぇ、どこが好きなの?」
「デートってどこに行ったの?」
「もう、キスした?」

 

 智実から見ればくだらない、野次馬根性丸出しの質問。それが後から後から絶え間なく出てくることは、容易に予想できた。いちいち答えるのも疲れるので、敢えて認めていなかったのだ。真も『黙っててくれ。面倒だから。』と言っていたので、クラスメイトに告げることはなかった。

 そして今、それを後悔している。もっとクラスのみんなと関わっていれば、こんな怖い思いをしなくてすんだのかもしれないと。

 

――よく考えたら、次の次の芹沢さんだって乗りそうにないし、谷川さんや月波さんだってこんなことできる人じゃなさそうなのに。なんであの時、その可能性を考えられなかったんだろう。私のバカバカ!

 

 後悔しても後の祭り。もう大人っぽくて頼れそうな芹沢小夜子(女子7番)にも、しっかりしている谷川絵梨(女子8番)にも、智実と似たようなタイプの月波明日香(女子9番)にも出会う手段はない。智実自身が探しに行くことはできない、ここを通り過ぎるのを待つしかないのだ。

 

――とにかく、ここでじっとしていよう。

 

 支給武器である裁縫セットから取り出した、針と糸きりはさみをギュッと握りしめる。どうやっても役に立たないとは思うが、ないよりはマシだ。襲われた時に抵抗できるかどうかわからないが、智実だって死にたくない。黙って殺されるつもりはなかった。

 

 ガサッ 

 

 一瞬身体がビクンとはねる。思わず「キャ!」と叫びそうになったが、すぐに両手で口元を押さえ、何とかこらえた。

 

――誰?!誰かいるの?

 

 一層震えを増した身体を、必死で押さえつける。ドッと汗が吹き出して、急激に体温が下がるのを感じた。自分以外の誰かがいる。それは今の状況では、あまり有りがたくない。

 

――お願いだから、ここからいなくなって…

 

 ギュッと目をつぶり、気配が去るのを待つ。しかしその時、別の可能性が頭をよぎった。それは、奇跡でも起こらない限りありえないこと。でも、一番起こってほしい可能性だった。

 

――どうしよう…真くんだったら…

 

 出会える確率は高くない。けれども、ゼロではない。もしかしたら白馬の王子様が助けにきてくれるなんて、おとぎ話を夢見る少女のように、その可能性も信じていたかった。でも、下手に動いて違う人間だったら…。そんな迷いと葛藤が、智実の頭の中では繰り広げられていた。

 そのわずかな迷いが、全身に伝わったのだろう。智実の身体が少しばかり動き、カサっと音を立てた。それは、耳をすまして聞かないとわからないくらいかすかな音。けれども、夜の静かなこの空間において、ここに人がいることを示すには十分すぎるほどの音だった。思わずしまったと言いそうになったが、必死で口を押さえてそれはなんとか踏みとどまった。

 

――いや、お願いだから気がつかないで…。このままいなくなって…。いや、どうか真くんであって…

 

 両手を合わせ、まるでお祈りするかのような格好でそう願った。しかしその願いは届かなかったようで、近くの人物はピタッと足を止め、様子を窺っているようだった。しばらくしてその相手は、しびれをきらしたかのように声をかけてきた。

 

「誰かいるのか?!」

 

 その声を聞いた途端、強張った身体中の力が抜けていくのを感じた。固く合わせていた両手をほどき、スッと立ちあがる。その動作に、先ほどまで見せていた怯えはまったくなく、むしろ堂々としていた。すぐに相手のいる方向へ身体を向け、はっきりと言葉を口にする。

 

「真くん?私、智実よ!」

 

 その一言で、相手もこちらに顔を向ける。そこには一番大好きな彼の姿があった。暗くてよくはわからなかったけど、刈り上げた髪に、智実より十センチ以上高い背丈。その姿を見間違えるはずが、その声を聞き間違えるはずがない。そこにいたのは、まぎれもなく今一番会いたい、誰よりも愛しい恋人だった。

 

「智実か?」

 

 その言葉に答える代わりに、真の元へと走り寄る。その勢いのままに、彼に飛びついていた。あまりに突然の行動に真は驚いたようだったが、智実をギュッと抱きしめてくれた。その温かい体温に、思わず涙があふれ出す。このぬくもりがずっと恋しかったのだ。

 

「怖かった…怖かったよ…。どうして待っててくれなかったの?」

 

 口をついて出た不満に、真は少々困ったような声で「ごめん。」としか言わなかった。でもこうして会えたのだから、 もうどうでもよかった。この奇跡に、智実は神様に感謝した。

 

――あぁ、神様。ありがとうございます。大好きな真くんに会えました。奇跡なんて信じていなかったけど、これからももっと信じてみます。もっと信仰深い子になります。本当に…本当に…

 

 真の身体にほぼしがみつくような形で抱きついており、ずっとこらえていた涙を流し続けた。もう離さないといわんばかりに、強く抱きしめていた。

 

――これからは一緒にいられる。きっと襲われたら、真くんが守ってくれる。クラスのみんなを殺すなんてできないけど、でも真くんがいるから何もいらない。ずっと一緒にいようね。ずっと一緒に…

 

 好きな人に会えた嬉しさ、もう一人じゃないという安堵感。その二つの感情で、智実の心は満たされていった。先ほどまでの恐怖感は、もう微塵もなかった。一人しか生き残れないけれど、今の智実にとってそんなことはどうでもよかった。最後の最後まで、この人を一緒にいたい。そのことだけを切に願った。

 さらに力をこめて抱きしめる。ほぼ締め付けるような感じになってしまったが、真は何も言わなかった。

 

――あぁ、また甘えてとか言うんだろうな。でも、今くらいいいよね。だって、だって…

 

 その瞬間、背中に激痛がはしった。同時にザクッという、まるで包丁でキャベツを真っ二つに切ったかのような鮮やかな音も、耳に入った。

 

――え?

 

 何が起こったかわからなかった。ただはっきりいえることは、智実の身体から急激に力が抜けていくこと、そして激痛が全身をかけめぐり、もう立つことすらできないことだけだった。どうしてこんなことになっているのか、意味が分からなかった。

 

――せっかく会えたのに、何で…神様…

 

 朦朧とする意識の中、智実は最後まで何が起こったか認識することはなかった。ただ、身体だけはしっかりと離さないというかのように、腕だけは決して解かれることがなかった。そして目の前の真が、冷たい氷のような視線で智実を見ていたことにも、気づくことはなかった。

 真はぐったりとしている智実を、突き飛ばすかのように身体から引き剥がした。その勢いのままに、智実の身体はドサリと倒れ、草木がガサッと音を立てたきりだった。もう真にとってうっとおしい声を出すことも、大してスタイルのよくない身体を寄せてくることもなかった。

 

「悪いな。俺はまだ死にたくないんだよ。」

 

 地面に倒れた智実の背中には、一本のナイフがきれいに垂直方向に刺さっていた。

 

女子6番 佐久間智実 死亡

[残り30人]

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