宗信が銃声を耳にする少し前―
――どこにいるの?
荒川良美(女子1番)はずっと歩き続けていた。部活で培った体力も、この緊迫した状況では消耗が激しいらしく、ゼェゼェと息を切らしている。現在良美がいるのは、E-6。思ったよりも、学校から離れていない。
――ゆかり…。どこにいるの?
親友ともいえる存在、香山ゆかり(女子3番)をずっと探し続けている。よく考えてみれば、間三人やりすごせばゆかりと合流できたはず。なのに、直前に聞こえた銃声で混乱し、そのことが完全に抜け落ちていたせいで、ゆかりを待つことができなかった。冷静になった時は、既にもう大分時間が経ってしまっていたのだ。それからずっと一番の親友を探し求めて、休むことなく歩を進めている。
――ゆかりのことだから、あまり動かずにじっとしている。こっちから探しにいかなくちゃ。
成績優秀だが、運動は苦手。おっとりしていて、大和撫子なんて言葉がよく似合うゆかり。積極的に動く姿なんて想像できない。きっと膝を抱えて震えているだろう。だから、良美が探しにいかないと二度と会えないかもしれない。
――死ぬにしたって、せめて親友に会ってから。
二人そろって帰れないことはわかっている。でもせめて会いたい。中学校に入って初めてできた友達。良美とはまったく正反対のタイプ。今でも、仲良くなれたのは奇跡だと思っている。
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桜が咲き誇る入学式。期待と不安を胸に、中学校の門をくぐる。良美もこの時、例に漏れず緊張していた。
――友達、できるかな?
そんな不安を胸に抱えて、“一年三組”と書かれた教室へと足を踏み入れる。そこにはもう何人ものクラスメイトが座っていた。今はまだ名前すら知らない。これから一年間、勉学を共にする同級生。この中の何人かとは、仲良くなれるだろうか。そんなことをちらっと思った。
とりあえず自分の名前が書かれた席へと座る。良美は大体、出席番号1番になることが多い。この時も廊下側から二列目、一番前の席に座っていた。
――もう中学生なんだ。なんかドキドキするなぁ…。
部活はとりあえず運動部、叶うならテニス部がいい。クラス委員とか、そういうのはなるべくなりたくないな。小学校の友人とはクラスが離れてしまったから、このクラスで仲のいい子ができるといい。できることなら恋とかしてみたい。そう思わせてくれる素敵な男の子と巡り合えるだろうか。そんな想像をふくらましている時だった。
教室のドアから、一人の女の子が様子を窺っているのが視界に入る。そこには黒いロングヘアをした色白の可愛い女の子が立っていた。あまりの可愛さに、思わず一瞬見とれてしまった。
――えっと、同じクラスの子かな?
なら入ればいいのにと思ったが、その女の子はどうしようか悩んでいるようで、もじもじしながらもそこから一歩も動かない。もしかして人見知りするタイプなのだろうか。ならこっちから働きかけないといけないのかな。おもむろに席から立ち上がり、その女の子の元へと歩み寄る。
『もしかして、三組の人?』
なるべく優しく聞こえるように声をかけた。するとその女の子はほっとしたかのように、こう答えた。
『あ、そうなんです。合っているか不安になって…。』
なんだかゆったりとした声。思わず眠気を誘うような、俗にいえば癒し系の声。そんな声が良美の耳に入る。なぜかこの時、この子とは仲良くなれそうな気がした。
『うん大丈夫、合ってるよ。私も三組だから。』
そう答えると、その女の子はますます安心したようで、笑顔を作りながら口を開いた。
『じゃ、これから一年間同じクラスなんですね。よろしくお願いします。』
そう言ってペコリと頭を下げる女の子がおかしくて、思わずこちらまで表情がほころぶ。同い年なのに、敬語を使う丁寧さといい、この子も相当緊張していたのだろうか。自分だけじゃなかったことに、不思議なことにホッとすらしていた。
『私、荒川良美っていうの。これからよろしくね。』
『あ、私は香山ゆかりっていいます。』
そう言って教室に入り、二人とも席に座る。(この時出席番号で良美の次がゆかりだったので、席も前後であった)他愛のない話で盛り上がり、自然と仲良くなっていった。そしてその日一日が終わる頃には、互いのことを名前に呼び合うくらいに仲良くなっていた。
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入学式に自分の教室に入ることすら躊躇う子なのだ。この残酷な状況、いくら親友とはいえ良美を探すことなどできないだろう。それに、きっと誰かに襲われても抵抗なんてできない。殺されてしまうかもしれない。大事な親友が殺されるなんて、良美にとっては、自分が襲われるよりも最悪な悪夢だ。
――ゆかり待ってて。必ず会いに行くから。
そう思ったその時だった。木々の隙間から、一人の人間のシルエットが垣間見えたのは。直立不動の状態で、歩くわけでも、辺りを見回しているわけでもなく、ただ空を仰いでじっとしている。
――誰?ゆかり?
よく目を凝らして見ると、ズボンを履いているのがわかった。となると男子。
――男子はちょっと誰も信じられないかな。大して仲良くないし。
一部を除いてはよく知らない。大体、性別の違いをいうのは決定的だったりするもので、良美にはよく話すほど親しい男子はいなかった。強いていえば、一人くらいしか知らない。それも人づてにだったりする。
このままやり過ごそう。こっちが何もしなかったら、そのまま立ち去ってくれるはず。そう思い、じっとすることにした。いくらなんでも、何もしていない自分をすぐには殺さないだろうと。同じ中学三年生なんだから、向こうもどうしていいか悩んでいるのだろうと。もしかしたら、向こうも誰か探しているのかもしれないと。
しかし、良美の思いに反してその人物はそこから動こうとしない。もしかして、ここに人がいることに気づいているのだろうか。でも、そしたらなぜ声をかけないのか。なぜそこから動かないのか。その人物の行動の真意がわからなかった。そんなところに立っていられると、良美は一歩も動けないのだ。
――早くどっかに行ってよ!ゆかりを探しにいかなくちゃいけないのに!
なかなか動かないその人物を観察しつつ、次第に焦る気持ちが募る。時間が惜しい。早くしないと、ゆかりが非情なクラスメイトの手にかかるかもしれないのに。こんなところで手をこまねいている場合ではないのに。
その焦りが命取りだった。知らず知らずのうちに、身体は動いていたのだろう。かすかに動いた足が、たまたまそこにあった小枝を踏んでしまったのだ。小さなパキッという、真っ二つに割れる音が耳に入る。
しまった、逃げないと!そう思うより相手の反応の方が早かった。けれど、その反応は言葉ではなく、別の形をもってなされた最悪の回答だった。
パン!パン!
その人物がいたであろう場所から、教室を出る時に聞いたような銃声。その銃弾は良美には当たらず、近くの木に命中してした。しかしその人物は、次の瞬間にはこちらに向かって走り出したのだ。
――え?何もしてないのに…。なんで?!
このままでは殺される!そう思った瞬間には、走り出していた。良美は女子の中では、西田明美(女子11番 )の次に運動神経はいいし、それなりに足も速い。すぐにまけるだろうと思ったが、それは甘い考えだった。
――なんでこんなに息が切れるの?それに、なんで距離が縮まっているの?!
皮肉なことに、ゆかりを探すために積極的に動いた結果、良美は本人が思っている以上に体力を消耗していたのだ。それに加えて相手も足が速いらしく、次第に足音は大きくなっている。まるで自分の命を奪いにくる、非情な死神に追いかけられている錯覚に陥っていた。史上最悪の追いかけっこ。捕まったら、待っているのは―
――嫌、嫌!まだ死にたくない!まだゆかりに会えていないのに!
恐怖感と悲しみで涙がこみ上げてくる。それでも走る足を止めてはいけない。その時は、自分の命の鼓動も永遠に止まってしまうだろうから。わき腹が痛くなりそうなくらい全力で走りながら、次第に頭は混乱していった。
――私、ちょっと物音立てただけだよ!何もしてないよね?!それに撃った人は私って分からずに追いかけているってこと?じゃあ誰でも殺すってこと?!出発前の銃声もこの人なの?!
良美の支給武器である手榴弾。これでで対抗するという手もある。しかし完全にパニック状態に陥った良美に、その考えはもはや浮かんでこなかった。ただ必死で足を動かした。とにかく逃げてゆかりに会いたい。たったそれだけでいいから、この場は見逃してよ。そう思ってすらいた。
それでも、死神は容赦しなかった。
パンパンパンという先ほどと同じような銃声が耳に入ったと同時に、良美は背中に殴られたような衝撃を感じ、そのままスライディングするかのように前のめりに倒れこんだ。顔がすりむけて、地面の土が思わず口に入っていた。まずいと思ったが、それよりも背中から感じる激痛の方が問題だった。激痛と同時に、何か生温かいものが流れ出るような感覚。それが太陽が遠慮なく出ている時刻であれば、まぎれもなく真っ赤な血であっただろう。加えて体力が急激に奪われ、視界もぼやけていく。
撃たれた。そう感じる間もなく、もう一発銃声が響いた。その銃弾は正確に良美の頭部をとらえ、今度こそ永遠にその人生を終わらせていた。最後に親友に会う時間も、命を奪った死神の正体を知る時間も、彼女に与えられることはなかった。
その死神―藤村賢二(男子16番)は、完全に良美が死んだことを確認し、初めてその時殺した人物を知ることになった。
それでも、彼は何も感じなかった。
女子1番 荒川良美 死亡
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