非力な友情

 そう分かると、近くにいたほぼ全員から里山元(男子8番)から離れていた。松川悠(男子18番)も、右隣に座っている月波明日香(女子9番)も、左隣に座っている西田明美(女子11番)も、左斜め前に座っている米沢真(男子20番)も、右斜め前に座っている宇津井弥生(女子2番)も、右斜め後ろに座っている間宮佳穂(女子14番)もーそして左斜め後ろにいた、晴海に前の席の谷川絵梨(女子8番)も―。

 その中で、離れない者もいた。元の後ろにいた白凪浩介(男子10番)だった。ただどうしていいのかわからない様子で、じっとそこから動かない。

 

「悠、悠、どうしよう…。」

 

 元はひどく動揺しているようで、前の席にいる悠に助けを求めている。けれど、その悠は元が近づこうとすると尻もちをつきながら後ずさりする。まるで、“化け物”を見るような目で。

 

「元!」

 

 その時、後ろの席から誰かが走ってくるのが見えた。その人物はすぐに元のもとに駆け寄り、何とか首輪を外そうとしている。運動神経がクラストップの藤村賢二(男子16番)だった。

 

「賢二…、僕…死ぬのかな…」
「絶対そんなことさせねぇから!こんなもの!力ずくで外してやる!」

 

 賢二は首輪を外そうと必死でもがいていた。けれども、そんな思いをあざ笑うかのようにビクともしない。その間にも、ピッ、ピッ、という電子音の感覚は短くなっている。“死”のカウントダウンは、確実に進んでいる。

 

「やめとけ藤村。俺の説明聞いていなかったのか。近くにいたらどんな影響が及ぶかわからないんだぞ。」

 

 そんな賢二を見かねたのか、栗井が幾分か優しさのこもった声で諭した。しかし賢二は、そんな栗井をキッと睨みつけ、「うるせえ!」と吐き捨てた。

 

「元は俺の親友なんだよ!そんな奴が死ぬのを、黙って見ているなんてできるわけねぇだろ!おい!みんなはなんで何もしねぇんだよ?!クラスメイトが死ぬかもしれないんだぞ!」

 

 晴海は動きたかった。本当は元のもとへ駆け寄り、外せるものなら首輪を外したかった。けれども身体が動かない。近くに行ったら自分も死ぬかもしれない。どうなるかわからない。そんな不安が、恐怖が、足を地面にぬい付けている。多分大半が同じことを思っているのだろう。賢二の言葉に誰も、何も、言わなかった。言えなかった。

 

「もう、いいよ。」

 

 一瞬の静寂の後、元の声が響きわたる。その声色は先ほどの怯えたか弱いものとは違う、はっきりとしていて、まるで覚悟を決めたかのように、凛としていた。

 

「賢二まで死んじゃったらダメだから。多分、僕はもう死ぬから…」
「そ、そんなこと言うなよ!お前が死んじまったら、俺どうすればいいんだよ…」

 

 覚悟を決めたせいか、はっきりと目を見て言葉を告げる元とは対照的に、泣きそうな表情で賢二は元の肩に手を置いていた。その手は震えている。大事な人が目の前でいなくなる恐怖が、賢二の身体を蝕んでいる。

 

「大丈夫だよ。賢二は強いから。」

 

 そう告げると、元は肩に置かれた賢二の手をそっと払い、ゆっくりと教壇に向かって歩き出す。まるで“死”の世界へ歩いていくかのように、晴海には見えてしまった。

 なおも元のところへ駆け寄ろうとする賢二を、すぐ近くにいた浩介が羽交い絞めにして止めていた。運動神経がクラストップの賢二を、クラスで一番背の高い浩介がなんとか止めているといった様子であった。

 

「これくらい離れていれば、大丈夫ですよね。誰も傷つかないですよね。」

 

 周りを気遣う元の姿に、晴海はついに涙がこぼれた。こんなに優しい人なのに、こんなにいい人なのに、どうして死ななくてはいけないのか。どうして自分はこんなにも無力なのか。

 そんな元の問いに、栗井は短く「ああ。」と答えるにとどめた。その声色の中にも、少しばかり寂しさや悲しみがこもっているようにも聞こえた。

 

「離してくれ白凪!このままじゃ元が…」
「里山の気持ちを無駄にする気か!お前に危険が及ばないようにああしたんだろう!」
「賢二。」

 

 言い争う二人に、正確には賢二に向かって、元は声をかけた。

 

「僕、賢二と友達になれてよかったよ。賢二、馬鹿だし無鉄砲だけど、それがいいんだ。熱血漢っていうのかな?そういうの、僕にはないところだからさ。」
「元…何言って…」
「だからよかったよ。賢二と友達になれてよかった。僕の自慢だからさ、賢二は。」

 

 そう言いきると、ピッ、ピッ、と鳴っていた電子音がピ――と鳴り響いた。もう、猶予はなかった。元はグッと唇を噛みしめて、みんなの方を見て、大きな声で叫んでいた。

 

「みんな!見ちゃダメだ!」

 

 その一言をきっかけに、みんな目を覆ったり、耳を塞いでいた。動けずにいた晴海を、絵梨が前から抱きしめていた。それで視界が遮られる。抱きしめられる刹那、友人の矢島楓(女子17番)が、隣の席にいる江田大樹(男子2番)に目を覆われているのが見えた。

 

―耳触りな電子音がしばらく鳴り響いた後―

 

 バァンという破裂したような、爆発したような音が耳に入る。そのすぐ後には、何かが放出したかのようなシャーという音が聞こえた。そして、血の匂いらしきものが鼻につく。けれども、何が起こっているのかわからない。元はどうなったのか、無事なのか、それとも―

 

「絵梨…里山くんは…?」

 

 そんな晴海の言葉にも、絵梨は答えない。ただ、晴海を抱きしめる腕に力を込める。その腕も震えていた。

 しかし、どこからともなく「キャー!」とか「わぁぁぁー!」という悲鳴や叫びが聞こえる。声だけでも、みんながパニックに陥っているのがわかった。思わず絵梨の腕をふりほどいて教壇の方へと駆け寄る。「晴海、ダメ!」という絵梨の声にもかまわなかった。

 

 けれども数歩、歩み寄ったところで止まった。あまりの光景に目を奪われていた。声も出なかった。生唾を飲み込むことしかできなかった。

 

 先ほどまで元が立っていたところ。そこに彼の姿はなく、黒板に生々しい赤い血が扇状にこびりついているだけだった。その血の量だけでも相当なもの。思わず涙があふれ出す。

 そしてその下、賢二と浩介の足元に何か黒っぽいものが横たわっていた。それが、おそらく元であろうということは容易に予想できた。思わずそこへ歩き出そうとする。もしかしたら、まだ生きているかもしれない、どうにかしたら助かるかもしれない。そう思った。思い込もうとしていた。

 

「来るな!」

 

 浩介の叫び声が響きわたり、思わず足を止める。普段冷静で、大きな声を出すことのない彼の聞きなれない声に、身体が自然に反応していた。

 

「来ちゃダメだ…。里山は…もう…」

 

 悔しそうにつぶやく浩介の声が、震えている。泣きそうになっているとわかった。それだけでも、嫌でも、もう手遅れなのだと理解せざるを得なかった。

 その浩介と、微動だにしない賢二の足元に少しずつ血の海が広がっていた。まるで、死んだことを証明するかのように。

 

男子8番 里山 元 死亡

[残り37人]

next
back
試合開始TOP

inserted by FC2 system