見えない恐怖

 その銃声は、古山晴海(女子5番)らがいる教室にまで届いていた。丁度内野翔平(男子1番)が出発して少し後のこと。聞きなれないパンッという音に、何人かが小さな悲鳴を上げていた。

 

――今のって、銃声?!

 

 思わず立ち上がりそうになる。谷川絵梨(女子8番)がそれを察したのか、右手で晴海の腕を掴み、そうはさせなかった。

 

「大丈夫よ、楓はそう簡単には死なないわ。」

 

 絵梨はそう小声で諭したが、晴海の脳裏には近くで横たわっている里山元(男子8番)と同様に、一番の友人である矢島楓(女子17番)が血だらけで死んでいる姿が浮かんでしまった。

 

――嫌だ、嫌だよ。楓がいなくなるのは…

 

 初めて本音で話せる友人。晴海には何人もの友人がいる。けれども本音で話せて、素の自分を見せられるのは楓だけ。そう思っていた。まだ別れるには早すぎる。まだ話したいこと、話さなくてはいけないことがたくさんあるのに。それすら伝えられずに、永遠の別れをしたくはない。

 

「荒川、出発だぞ。」

 

 担任である栗井孝が、晴海の後ろに座っている荒川良美(女子1番)にそう声をかける。しかし、ガタガタと震えているだけで良美は席を立とうとしない。先ほどの銃声のおかげで、恐怖心が増してしまったようだ。

 思わず後ろ振り向いて「良美ちゃん…」と声をかける。良美は駄々をこねるように首を振り、「晴海…怖いよ…」とつぶやく。その気持ちが分かるだけに、晴海は何と声をかけていいか分からなかった。

 

「さっさと出ろ!」

 

 栗井ではない、年配の兵士の怒号。その威圧的な声に驚いたのか、良美は勢いよく立ち上がり、泣きながら走って教壇に行き、デイバックを受け取ると宣誓もせずに出て行った。晴海はその様子をただ呆然と見ていることしかできなかった。

 

――ごめんね…。もっと気の利いたこと言えればよかったのに…

 

 銃声がしたということは、誰かが銃を使ったということ。嫌でもプログラムに乗った人間がいるということ。最悪、誰かが死んでしまったということ。銃声時に出ていたのは楓を含めて八人。二回銃声がしたので、おそらく二人関わっている。楓が関わっている確率は、決して低くはない。

 答えの出ない考えを巡らせている間にも、次々とクラスメイトは出発していく。良美の次の出発であった江田大樹(男子2番)は表面上は落ち着いた様子で教室を出て行き、その次の宇津井弥生(女子2番)はいかにもやる気ではないということをアピールするかのように宣誓した後、ゆっくりと教室を後にしていた。出ていく間、ほとんど誰も言葉を発しなかった。まるで話すことを忘れてしまったかのように静かで、重い空気であった。晴海自身も何も言えなかった。前に座っている絵梨にも何も言うことができなかった。

 

 どれくらい経ったかわからない。しかし静寂に包まれる教室に、突如静かな声が響いた。恐ろしいほど低めの男子の声。

 

「聞きたいことがあります。」

 

 あまりにも響いていたので、教室にいた全員がその人物に注目した。栗井が来る前から、これがプログラムであると発言していた人物。変わらず落ち着いている様子の神山彬(男子5番)だった。

 

「神山、もうすぐ出発だぞ。」
「いいじゃないですか。二分で終わりますから。」

 

 栗井の制止にも関わらず、彬はその涼しい表情を崩すことなく言い放った。その落ち着きは、少しばかり晴海の中に彬に対する不信感を生みだした。どうしてこの状況で落ち着けるのか、まったく理解できなかった。

 

「知っていたんですよね?俺らがプログラムに選ばれること。知ってて修学旅行に連れていったんですか?なんで素知らぬ顔して、そこに立っていられるんです?」

 

 思わずハッとする。そう、今の今まで頭の中にはあったものの表に出てこなかったもの。どうして栗井はここにいるのか。どうしてそこに立っていられるのか。そもそもいつから知っていたのか。次々と疑問がわき出てくる。しかしもちろん答えは出ない。目の前の栗井が答えない限りは。

 

「それを聞いてどうする?お前達がプログラムに選ばれた現実は、決して変えられないんだぞ。」
「ただ知りたいんですよ。多分、みんな同じ疑問を持っているんじゃないですか?」

 

 晴海も知りたかった。彬と同じ疑問を持っていた。できれば答えてほしい、そう願った。

 その栗井は、彬の言葉に答えるかどうか悩んでいるようだった。しかしごまかしは通用しないとわかったのか、ふぅと溜息をついた後、一言一言はっきりと口にした。

 

「知っていた。けれども、知ったところで変えられない。それが現実だ。」

 

 けれどもその答えでは不満だったのか、彬がもう一言口にしようとした。しかし栗井の冷たい一言によって、それは見事に遮られる。

 

「二分経ったぞ。神山、出発だ。」

 

 グッと言いたいことをこらえ、彬が席を立つ。すぐ隣の日向美里(女子12番)が少しだけ彬から離れようと、身を引いているのがわかった。やはり、この状況で落ち着いていられる彬が怖いのかもしれない。彬が静かに淡々と宣誓し出ていく刹那、晴海の方をチラッと見たような気がしたが気のせいかもしれない。そのまま静かに教室を出て行った。

 彬が出て行ったということは、次は晴海自身が出発するということだ。そう認識すると急に恐怖心が増す。先ほどの銃声からは時間が経ってはいるが、やはり怖い。出て行った途端、誰かに殺されるのではないか。そう思ってしまう。

 彬の席の向こう側、ふいにそこに座っている萩岡宗信(男子15番)と目が合った。宗信もこの状況ではいつもの明るさはないのか、強張った表情をしている。けれども、晴海の存在を認めると、無理矢理大丈夫だといった感じで少しだけ笑ってくれた。その表情は、ありきたりな言葉で語られるよりも、晴海に安心感をもたらしてくれた。

 

「次、女子5番古山晴海。」

 

 自分の名前が呼ばれる。すぐに立ち上がろうとしたが、思ったよりも身体が動かない。ゆっくりと、大丈夫だと、言い聞かせながら、歩き出した。

 

 向かっている最中、今もそこに横たわっている元の遺体に軽く手を合わせる。心の中で、助けられなくてごめんなさいと謝罪していた。謝罪したところで元は生き返らない。けれどもそうせずにはいられなかった。

 元の近くにいる白凪浩介(男子10番)と目が合う。浩介も、宗信と同様に大丈夫だといった感じで頷いてくれた。晴海も感謝の意をこめて頷き返す。それで浩介もホッとしたようだ。

 

「早くしなさい。」

 

 栗井に急かされて、晴海は教壇へ向かう。デイバックを受け取り、宣誓をしようとしたが思わず口走ってしまった。

 

「それって…、言わなくちゃいけないんですか?」

 

 その一言で教室中がざわめく。それと同時に、近くの兵士が晴海に向かって銃口を向ける。冷たい銃口を見た途端、一気に汗が吹き出した。言わなければよかったと後悔したが、言ってしまったことは撤回できない。

 宗信がガタンと席を立つのが視界に入る。しかしその宗信にも、別の兵士が銃口を向ける。その姿を見た途端、晴海は宗信が撃たれるのではないかと思い、怖くなった。「私のことはいいから座って!」と言いたかった。

 

「時間がない、そのまま行っていい。あと萩岡、死にたくなければ座れ。」

 

 栗井が兵士を手で制しながら、二人にそう告げる。宗信がホッとしたかのような表情で、けれども晴海に銃口を向ける兵士をじっと見ながら、ゆっくりと座っていた。それを確認した後、晴海は少しだけ残っているクラスメイトを見た。絵梨や月波明日香(女子9番)、あと同じテニス部の間宮佳穂(女子14番)、宗信や浩介。「私は、絶対に乗らないから。」そんな気持ちが伝わるように、視線を交わした。そしてゆっくりと教室を出て行った。

 廊下は思ったよりも暗かった。右に曲がり、突き当たりを左に曲がった。その先に出口がある。まだ暗いその出口は、なんだか地獄への入り口のように思えた。実際、今行われているのは地獄のようなプログラム。

 

――楓、いるかな。

 

 いてほしい、待っててほしい、そう願った。楓なら待っていてくれると信じていた。会えばきっと、不安も少しは解消される、そう思ったから。

 

――でも、どこにいるんだろう?

 

 出口から外へ出ると、そこには何もなかった。だだっ広いグランドみたいな(整備されていないのか、雑草が生えているようだった)ところ、目を凝らせばその奥には校門みたいなところがある。その左右には、木がたくさん並んでいるようだった。きっと楓がその辺にいる。そう思い、右手にあるその林のようなところへ一歩踏み出そうとした。その時だった。

 

 一歩踏み出そうとするその足を止める。そうさせるほど、強い視線を感じた。

 

――誰…?楓?

 

 けれども、声が聞こえない。楓だったら声をかけるはずだ。もしかしたら仲間を作ろうとしている別の人間かもしれない、少なくともやる気じゃないかもしれない。けれども今、晴海の脳裏に浮かんだのは最も恐ろしい考えだった。

 

――もし、やる気の人だったら…

 

 その考えが浮かぶと、思わず走り出していた。後から出てくる絵梨や明日香、宗信や浩介のことも、この時はまったく考えられなかった。ただ怖かった。自分を殺そうとする、見知らぬ誰かが怖かった。何もかも捨てて、投げ出して、ただ走って校門へと向かった。五十メートルは十秒と比較的遅い方だが、その足を必死で動かして走った。誰かが追いかけてきている様子はなかったが、それでも走る足を止めなかった。

 

 晴海が視線を感じたその林から一人の人物が出てくるのも、その人物が晴海の逃げる姿を見て、少しだけ悲しそうな表情を浮かべていたのにも、まったく気付かずに走り続けた。

 

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