妙にふわふわした感じがする。それに意識もはっきりしてない。
目を開ければ、視界に広がる真っ白な色。右も左も、上も下も、前も後ろも分からないくらい真っ白な空間。どれくらいの広さで、どのくらいの高さなのかすら分からない。そんな無機質な空間が、今自分がいる世界だった。
――俺…あのまま死んじまったのかな…。
床(らしきところ)に寝た状態で身体のどこにも怪我をしていないことを確認し、藤村賢二(男子16番)はそう思った。
神山彬(男子5番)に睡眠薬を嗅がされて以来、当然ながら何も覚えていない。自分が気を失っている間に、誰かに止めを刺されたのだろうか。
――死ぬときって、案外呆気ないものなんだな。寝ながら死んだから当然か。にしても…ここどこなんだ?天国ってやつか?それにしては…何もねぇなぁ…。
てっきり地獄にでも連れていかれて、舌を切られるかと思ったが、どうやらそんなことはなさそうだ。しかしここまで何もないとなると、どうすればいいのか分からない。立ち上がったのはいいものの途方に暮れていた、そのときだった。
「藤村。」
疑問符で頭を埋め尽くされていた賢二の目の前に、先ほどまでいなかった人物が立っていた。賢二よりも背が高くて、いつもクールな表情を崩さない人物。プログラムの最中、一度だけ会っている人物。そして、もう一度会わなくてはいけなかった人物。
「白凪じゃねぇか。あ、てことはここは天国じゃないんだな?俺のこと、お前が助けてくれたのか?ここどこだよ?」
賢二の言葉に目の前の人物―白凪浩介(男子10番)は、少しだけ困ったような表情を浮かべていた。
「お前がそう簡単にくたばるタマかよ。まぁ…にしてもしぶといのは事実だな。この状況でまだ生きてんだから。」
淡々として、少々皮肉っぽい口調。あぁ、いつもの浩介だと安心した。一度会ったときには殺そうとしたのに、こうやって自分を助けてくれている。ありがたい気持ちと、申し訳ない気持ちが、同時に賢二の心に広がっていった。
「白凪…その…悪かった…な。お前を殺そうとしたり…して…。今では反省しているよ。…あ、矢島さんがお前に会いたがっていたぞ。やる気はないみたいだから大丈夫だ。一緒に探すか?せめてもの謝罪に手伝うよ。」
賢二の言葉に、浩介は小さく首を振った。少しだけ、寂しそうな表情を浮かべながら。
「その必要はないよ。彼女には会えたし、お前のことも聞いた。楓を助けてくれたんだってな。それで、俺を殺そうとしたことはチャラにしてやるよ。」
そうか会えたのか。賢二はホッと胸をなでおろした。良かった。矢島楓(女子17番)はきっと浩介に会いたかっただろうから、会えてよかった。楓は、浩介に賢二のことを話してくれたのだろう。だから自分を助けてくれたのだろう。けれど――
その楓は、どこにいるのだろうか。それに浩介は、楓のことを下の名前で呼んでいたのだろうか。
「藤村。よく聞けよ。」
真剣な表情で、浩介が口を開く。その有無を言わさぬ迫力に、賢二は自然と浩介と視線を合わせる形になった。
「お前は確かに人を殺した。けれど、お前はまだ生きているんだ。目が覚めたら、自分のやりたいようにやってみろ。簡単には死ぬんじゃないぞ。まぁ簡単には死なないだろうし、来てもぶっ飛ばして追い返すけどな。」
最初はえっと思った。なんでそんなことを言うのか分からなかった。だって浩介は生きているんだから、そんなことを言う必要がないのではないか。
「なんで、そんなこと…」
「俺はもう、死んでいるんだよ。だから、俺はお前を助けてなんかいないんだ。」
淡々とした口調で告げられたのは、信じられない現実。最初はその言葉が飲みこめなくて、何度も何度も頭の中で再生して、ようやく意味だけは理解できた。いや、理解せざるを得なかった。
賢二の預かり知らぬところで――浩介は死んだのだと。
そしてようやく、ここがどこだか分かった。ここは天国ではなく、ましてや地獄でもないところ。けれど、現実世界のどこにもない場所。だからどこも怪我をしていないし、右腕も左足も自由に動かすことができるのだ。
ここはいわば“生と死の狭間”。自分は生きていて、けれど浩介は死んでいる。近くにいるのに、その距離は果てしなく遠い。“生者”と“死者”の距離は、果てしなく遠い。
「まぁあとさ、宗信のことよろしく頼むよ。あいつ無鉄砲だからな。突っ込んでいかないか心配でしょうがないんだ。」
いつもと変わらない浩介の方を見ていられず、思わず下を向いた。それと同時に、きつく唇を噛みしめる。
――なんでそんなことを俺に言うんだ。俺はお前を殺そうとしたのに、どうして頼みごとなんてするんだ。頼みごとなんて、お前らしくもないじゃないか。どうして…死んでしまったんだ。
自分があのときああしていれば、何か変わっただろうか。あのとき浩介を殺そうとしなければ、一緒に行動していれば、浩介は死なずにすんだのではないか。そもそも自分が人を殺したりなんかしなければ、逆恨みなんかしなければ――
いくら後悔しても、もう遅すぎだ。過去は、決して変えられないのだから。
「なぁ…矢島さんは…?」
思わず口をついて出た疑問。楓は今どうしているのだろうか。浩介に会えたのに、また別れてしまったのだろうか。
正直なところ、嫌な予感がしていた。そして、それは当たっている気がした。だって今浩介は、楓についてはまったく触れていなかったではないか。ただ別れただけなら、おそらく楓のことだって頼むはずではないか。それをしないということは――
「藤村くん。」
聞き覚えのある、少しだけハスキーな声。伏せていた顔を上げると、目の前には楓がいた。今の今までいなかったのに。
「矢島さん…。もしかして…」
「助けてくれてありがとう。おかげで晴海にも、あと…浩介にも会えたよ。あ、別に責任とか感じないでね?藤村くんのせいじゃないから。」
どうしてそんなに明るく(そしてなぜか顔を少しだけ赤くして)振る舞えるのか。死んでしまったのに、どうして賢二のことを気遣ってくれるのか。どうしてそんなに優しくしてくれるのか。
思わず目頭が熱くなる。必死でこらえようとするが、視界が少しだけぼやけていった。
「おいおい。お前そんな女々しいキャラかよ。らしくねぇなあ。いいか、プログラムはまだ続いているんだ。そういうセンチメンタルな気持ちになるのは、全部終わってからにしろ。…まったく、そういうところは宗信にそっくりだな。」
「誰か…似てるって…」
似ているわけがない。あの熱血漢で、無鉄砲にも自分に立ち向かってきた奴が。真っすぐに自分とぶつかってきた奴が。逆恨みでクラスメイトを殺した賢二と、似ているわけがないのに。
ゆらりと視界が歪む。目頭にこみ上げるもののせいではない。本当にこの世界が歪んでいるのだ。
「白凪…矢島さん…」
二人の姿がぼやけていく。もう、声もはっきり聞こえない。消えてしまう。この世界と共に。
「ごめん…。ありがとう…。俺…頑張るから…。萩岡も、それから古山さんも、絶対死なせないから。約束するから。」
すると、最後に一度だけ声が届いた。それはなぜか、今までで一番鮮明に聞こえていた。
「お前自身のことも、大事にしろよ。」
それが最後だった。二人の姿すら見えないほどに、世界がグニャリと歪んだ。ノイズのような音、頭痛に近い痛み。それから意識もぼやけていき――
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次に目を覚ましたとき、視界に広がっていたのは真っ白な世界などではなかった。汚れた蛍光灯に、灰色の古びた天井。背中に感じるのは、硬いベットらしき感触。もちろん、浩介も楓も、そこにはいなかった。
――俺は…生きているのか…?
どうやら、現実の世界に帰ってきたようだ。周囲の状況からして、自分はベットらしきところに寝かせられているらしい。もちろんここは、彬に睡眠薬を嗅がされたあの場所ではない。
――となると…一体誰が?
そんなことを考えていたところに、カツカツという足音が聞こえてきた。反射的に身体を起こそうとしたが、その瞬間激痛がはしる。そういえば、彬に右腕と左足を撃たれていたことを思い出していた。その右腕にも、左腕にも、何か白いものでグルグル巻きにされているようだった。
そうしている間にも、足音はどんどん大きくなっていく。ゆっくりとしたテンポで、一定のリズムを刻みながら。ほどなくして、賢二の視界に一人の人物が現れる。
その瞬間、賢二は目を見開いた。
「良かった。目を覚ましたんだね。」
笑顔でそう告げる人物は、先ほどの世界に負けないほどの白い肌をしている。加えてその白い肌と対を成すような黒いロングヘア。おっとりしている印象が強く、頭はクラスでもトップを争うくらい優秀な人物。普段から関わりはほぼまったくといっていいほどない人物。
香山ゆかり(女子3番)が、そこにはいた。
笑顔で賢二の傍らに腰かけるゆかりとは対照的に、賢二の心は乱される。それどころか、ゆかりの顔すらまともに見ることができなかった。
――どうして…よりによって…
唇を噛みしめる。そうすることで、ゆかりの親友である荒川良美(女子1番)を殺してしまった罪悪感から、涙と謝罪の言葉が出るのを必死でこらえていた。
[残り10人]