選ばれるべき理由

 天気が怪しくなってきている。雲も除々に厚くなってきているようだ。今までずっと晴れていたけれど、それがこの時期では珍しいことも今さら思い出していた。これから、梅雨という時期に相応しい雨が降るかもしれない。

 

 ただでさえ沈んでいる気分に、まるで追い打ちをかけるかのように。

 

 江田大樹(男子2番)は、あの後横山広志(男子19番)と共に、C-5への移動を完了していた。周囲を警戒しながら(何せ襲われた後だ。慎重になるのも無理はない)、何とか無事に移動を終えた。ホッとしたのもつかの間、ほどなくして六回目となる放送を聞いたのだ。

 

――白凪…お前まで…。矢島さんも…

 

 今回の放送の退場者の中に、二人が脱出作戦を目論んでいることを知っている唯一の人物である白凪浩介(男子10番)の名前があった。そして、浩介の想い人である矢島楓(女子17番)の名前も。二人がそれぞれどのような状況で、そして誰に殺されたのか。それはもちろん分からない。

 

――なぁ…白凪…、矢島さんには会えたのか?会えたなら、ちゃんと想い…伝えたのか?

 

 何度も聞いているせいか、思ったよりはショックは感じなかった。それより、浩介が楓に気持ちを伝えられたのかどうか。いや、そもそも楓と会えたかどうか。大樹にとって、それが一番の気がかりだった。

 

――俺はまだ脱出法どころか、首輪の外し方すら分からないんだ…。お前にも頼まれたのに…。

 

 もう残りは十人。ギリギリの二ケタ。このまま放っておけば一ケタになり、いずれは一人になってしまうのだろう。できるだけ多くの人間と脱出したいと願っているのに、一人、また一人といなくなってしまう。

 

 何もできなくて、誰も救えなくて、それでも自分はのうのうと生きている。

 

『本気で脱出なんかできると思っているのか?』

 

 神山彬(男子5番)に言われたことが蘇る。彬の言葉は、現実的観点から言えばとても正しかったのだ。彬から見れば、脱出などという希望に縋りついている大樹達は、さぞかし滑稽に見えたのかもしれない。それを強く否定できないことが、とても悔しかった。

 

「…大樹。」

 

 静寂が辺りを包む中、ふいに広志が声をかけてくる。思えば放送からこれまでの数十分間、広志との会話はまったくなかった。正確に言えば、お互い何を話していいのか分からなくて、黙っていたと言った方が正しい。

 

「もうさ、慣れて…しまっているのかな。味方だった白凪が死んだっていうのに、涙一つ流せやしない。」

 

 広志のその言葉には、自嘲するような響きがあった。

 

「怖くなってくるよ、慣れていく自分がさ。どんどん人が死んでいくことを、当たり前のように捉えている自分もいる。こうやって慣れて、殺すことにも抵抗なくなって、そうしてまた人が死んで、そうやって進んでいくのかな…。プログラムって…やつは…。」

 

 その発言に、大樹は黙っていることしかできない。広志の言っていることは、痛いくらいによく分かる。だから否定はできないし、かといって肯定することもはばかれたから。

 広志の言う通り、こうやって慣れてしまうのだろうか。人が死ぬことも、このプログラムの状況も、脱出ができないという現実にも。そしていつかは、最初の目的すら見失ってしまうのだろうか。日常の感覚も薄れ、人を殺していけないという禁忌を犯すことにも抵抗がなくなってしまうのだろうか。

 

 それは、とても――怖かった。

 

「なぁ、広志…。こんなときになんだけど…一度白凪と席を外したとき、あっただろ?」

 

 その現実から目を背けたくて、大樹はわざと違う話を持ち出した。

 

「あ、あぁ…」
「あれさ、白凪に気を使ったんだろ?俺が、白凪の好きな人を知らないって思ったから。」

 

 大樹のその言葉に、広志は完全にポカンとした表情を浮かべていた。今まで見たことがないくらいの呆けた表情は、こんな状況でなければ、笑ってしまうほどに。

 

「知っていたのか…?」
「まぁ…な。知ったのは修学旅行の最中だから、ついこの間なんだけど。」

 

 そう言いながら思い出す。あれは、修学旅行の最後の夜のこと。わずか――三日ほど前の出来事のことを。

 

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『なぁなぁ、宗信。お前いつ古山さんに告るんだよー。』

 

 いつものような軽い口調で、武田純也(男子11番)がそう言ったのが始まりだった。大樹はそれまで、宗信が晴海のことを好きだということをまったく知らなかったのだ。はっきり言って、寝耳に水。

 

『バッ!江田がいるんだぞ!そういうこと言うなよ!!』
『何言ってんだ。お前が古山さんのことを好きなことは、クラスの大半が気づいているぞ。江田だって気づいていると思うが。』

 

 明日のスケジュールを確認しながら、鶴崎徹(男子13番)がそう切り返す。視線は手元のしおりに向けられているが、会話の内容はしっかり耳に入っていたようだ。さすがはクラス委員、視野が広い。いや、聴覚が鋭いのか?

 

『そうそう。それにさ、今さら一人増えたところで大して変わんないって。宗信分かりやすいしさ。』

 

 徹の言葉に賛同する形で発言したのが、野間忠(男子14番)だった。そう言った後、大樹の方を見て少しだけ笑ってくれた。その笑顔に、少しだけ安堵する。多少なりとも、居心地の悪さを感じていたので。

 

『まだ告白するほど…勇気ねぇよ。』

 

 徹と忠の言葉に観念したのか、今度はあっさりとこう言った。宗信のその自信のなさは、大樹にとってはかなり意外ともいえた。おおよそ萩岡宗信という人物は、思い立ったが即行動というタイプだろうと思っていたからだ。どうやら、こと恋愛に関してはそうはいかないようである。

 

――萩岡の奴、どうしてそんなに自信ないんだろう…。古山さん、多分OKすると思うけどなぁ…。明るくて友達も多いし、いい奴なんだからさ。

 

『そういう純也はどうなんだよ?いるのか?』

 

 そんな宗信の切り返しに、純也は『ひ・み・つ☆』と言って、さらりとかわしていた。ただその純也の言葉に、徹と忠が含み笑いをしている。もしかしたら、いるのかもしれないなと思った。もしかしたらだけど。

 

『そういや白凪。お前はどうなんだよ?』

 

 気がつけば、話の矛先がこれまで会話に参加していなかった浩介へと向けられていた。

 

『俺も内緒だ。』

 

 徹と同じようにしおりに目を通しながら(一応この班の班長は浩介ということになっているからだ)、浩介はそう返していた。いつもと変わらない、クールな口調で。

 

『…そういえばさ、矢島さんの髪が短くなったとか言ってなかったか?』
『バッ、馬鹿!何言ってるんだ!』

 

 徹がしれっと発言したことに、浩介は慌てた様子で否定していた。しかし先ほどとはうって変わって顔は真っ赤だし、クールな様子など微塵も見当たらない。あまりに分かりやすい変貌っぷりに、大樹もつい笑いそうになっていた。

 

――思ったよりも分かりやすいな。

 

 そんな浩介の元に、新たな獲物を見つけたとばかりに純也が歩み寄っていく。もちろん、あふれんばかりの笑顔で。

 

『へぇ〜、矢島さんね。確かによく話しているよなぁ〜。お前こそさ、告白しねぇの?お前ら二人が結婚とかしたらさ、きっとすんげぇ頭のいい子供が生まれてくると思うんだけど。』

 

 なぜか話が結婚までぶっ飛んでいることはさておき、いつのまにか慣れ慣れしく肩に置かれた手をやんわり払いながら、浩介はこう言い放った。

 

『うるせぇ。いつ言おうが俺の勝手だろ。…それより武田。お前こそいるだろ。何となくお前の好きそうなタイプってさ、小柄で可愛らしい感じじゃないのか?そうそう、うちのクラスで言ったら――』

 

 浩介が言いきる前に、純也がその口を完全に塞いでいた。塞がれた浩介が苦しそうにするくらい、かなり必死な様子で。

 

――あ、そうなのか…。

 

 どうやら、浩介の推測はさほど外れていないようだ。それで、おそらく純也にも好きな人がいるんだろうなとは思った。それもうちのクラスの女子、小柄で可愛らしい女の子みたいだが――

 

――みんな、よく見てるなぁ…

 

 妙に感心していると、大樹の隣に『よいしょ。』と誰かが座っていた。

 

『ほーんと、みんな分かりやすいよね。純也もさ、あれだけ必死だと肯定しているようなもんだってね。』

 

 隣に座ったその人物――乙原貞治(男子4番)は、呆れた様子でそう言っていた。そんな貞治の言葉に、大樹は『そうだな。』と返す。おそらく半ば部会者になってしまっている大樹に気を使って、貞治は隣に腰かけたのだろう。そのささやかな気遣いは、いつも大樹を安堵させてくれる。

 

――俺、結構乙原に助けられているな。

 

『なぁなぁ、江田はどうなんだよー。黙っているなんてずりぃぞ。この際白状しろ!』

 

 貞治とのやり取りにホッとしたのもつかの間、純也が話の矛先を大樹に向けてきていたのだ。いきなり話を振られたせいか、首をブンブンと振り、つい慌てて否定していた。

 

『いないいない!マジでいないから!!』

 

 そんな大樹の慌てっぷりに、隣の貞治がプッと吹き出す。『そんなに慌てなくても。』と言い、小さく肩を震わせていた。それにつられるかのように、純也も、徹も、忠も、宗信も、そして浩介までもが笑っていた。

 

 それは、こんなささやかなことでも笑える日常であることを証明するかのような、穏やかで微笑ましい光景。

 

『多分さ、江田も好きな人とかできたら分かりやすいんだろうなぁ。そんときは追及してやるから、覚悟しとけよ。』

 

 笑いながらそう言う徹を見ながら、大樹も自然と笑っていた。そして、絶対にバレないようにしようと心の中で誓っていた。

 

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 そんな――そんな出来事があった。

 

 今でも鮮明に思い出せる。みんなの表情も、笑い声も、部屋にこもる少しだけこもった匂いも、布団の感触も。何もかもが鮮明に思い出せるのに、それはもう過去の話。決して取り戻せない、永遠に戻らない、いつもの日常の光景。

 もう、あの時のメンバ―は大樹と宗信しかいない。浩介の恋を応援することも、純也の好きな人を知ることも、徹に追及されることも、忠の笑顔に救われることも、貞治とより友情を深めることも――もう二度と叶わないのだ。こんなささやかなことですら、もう決して叶うことはない。

 

――何でだよ…。俺達・・・何かしたのか…。みんな死ななくちゃいけないほど…、こんなささやかな幸せすら取り戻せないほど…俺達何かしたのかよ…?

 

 自然と涙がこぼれる。堪えることもできずに、頬をスッと流れていき、握りしめた手の甲にポタリと落ちていった。

 

「…大樹?」

 

 そんな大樹を見かねたのか、広志が心配そうに声をかける。いきなり泣き出したのだから無理はないのだが、上手く答えられない。人数も減り、大樹自身も腕の骨を折られ、すり減っていく神経の中、この現実を拒絶している自分がいる。これは何か悪い夢であってくれと。目が覚めたらいつもの日常であってほしいと。そう願っている自分もいる。

 

 けれど、これは現実。受け入れなくていけない、残酷な現実。

 

「なぁ…広志…。教えてくれよ…。俺達、何か悪いことでもしたのか?」

 

 いきなり質問したせいか、広志が戸惑っているのが分かる。けれど広志の返答を聞く前に、大樹は続きを口にしていた。

 

「いい奴だったんだよ…。白凪も、武田も、鶴崎も、野間も。乙原だって…みんないい奴だったんだ。どうして死ななくちゃいけないんだ。プログラムに選ばれるほど、クラスメイトに殺されるほど、俺達何かしたのか?どうしてこんなことになっちまったんだよ…。どうして…」

 

 その後は、言葉にならなかった。嗚咽がこみ上げてきて、涙が次々と流れていく。手の甲に落ちる滴は一つ、また一つと増えていく。それでも、それをぬぐうことすらできない。今まで堪えていた感情が、脱出のために考えないようにしていたことが、どんどん溢れてきて、もう歯止めが利かなくなっていた。

 

――俺、もっとみんなと関わりを持っていればよかった。もっと毎日を大事にすべきだった。あぁ、やっぱり学校の前で乙原待っていればよかった…。そしたら、あいつは死なずにすんだのに…。

 

 後から後から、どんどん悔いることが湧いてくる。“後悔”というのは文字通り、後から悔いるものなのだと。それも、思ったよりもずっと後に。

 

 大樹の言葉にしばし黙っていた広志だったが、ギュッと唇を噛みしめると、こう口にしていた。

 

「そんなわけ、ないだろ。」

 

 広志はそう言うなり、大樹の頭に手を置き、そのまま自身の肩へと引き寄せていた。その肩は――震えている。

 

「礼司や聡だって…いい奴だったんだよ…。俺だって、なんであいつらが死ななくちゃいけなかったかなんて分からない。何でプログラムに選ばれたのか。どうしてクラスメイトと殺し合わなくちゃいけないのか。考えたよ、何回も何回も。でも…ないんだ。そうしなくちゃいけない理由なんて、俺らが選ばれる理由なんて、どこにもないんだよ。」

 

 そして、大樹の頭に置かれた手に力がこもる。

 

「こんな狂ったシステムを作った奴を、俺は心の底から恨むよ。とってつけたような理由で、俺達の命を弄ぶ奴らが憎い。だから俺は、ここから脱出できたら、決めていることがあるんだ。」

 

 そう言った後、大樹の肩に両手を置いて、自身の肩から大樹を離し、そして大樹の目をしっかりと見ながら、一言一言はっきりと口にした。

 

「この国のシステムをぶっ壊す。こんなふざけたプログラムを容認している国なんかクソくらえだ。何年、何十年かかってもいい。この国をぶっ壊す。そう、決めたんだ。」

 

 今にも泣きそうな広志の瞳を見ながら、大樹はあぁと思った。広志は友人の死を悲しみ、その元凶であるプログラムを失くそうとしている。つまりは、この大東亜共和国そのものを変えようとしている。広志はそういう奴なのだと。大樹は、そこまで考えが及ばなかった。“国を変える”なんて、そんな大それたことは考えられなかった。

 だからこそ思った。広志と一緒にここから脱出して、この国を変えようと。みんなの死の元凶であるプログラムをなくそうと。それが死んでいったみんなにできる、せめてもの手向けなのだから。

 

 けれど、その思いが口に出されることはなかった。

 

 広志にいきなり横に突き飛ばされたのと同時に――パララララという、タイプライターのような音が聞こえていたため。

 

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