赦す過ち、赦されざる罪

 

――生きてくれ…。国を変えるとかしなくていい…。とにかく生きてくれ…。

 

 遠ざかっていく足音をわずかな聴力で聞きながら、横山広志(男子19番)はこう思った。ついさきほどまで江田大樹(男子2番)と話したこと――この国を変えると決めたこと。けれど、それはあくまで広志自身が決めたことであり、大樹にそれを押し付けるつもりは毛頭ない。もし、自分が死ぬことでその遺志を継ごうとしているのなら、そんなことはしなくていいと言いたかった。

 

 大樹には、ただ生きてほしかった。できるだけ長く生きてほしかった。そのためなら、自分の命を投げ出してでも守るつもりだった。

 それは、最初から決めていたことだったから。脱出しようとしていると聞かされたときから、決めていたことだったから。

 

――まだ、まだ他にも仲間はいるはずだ…。できれば萩岡、もしくは…藤村とか、とにかく乗りそうにない人に会ってくれ…。どうか、できるだけ多くの人と脱出できるように…。

 

 もうすぐ自分もいくであろうその場所に願った後、視線を自分を撃った人物がいるであろうところに向けた。おそらく撃ってきた相手は、まだそこにいるだろうと思ったから。

 

――多分…やる気の人間じゃない…。

 

 いくらでも時間はあった。弾切れであっても込めればいいだけの話だし、その時間も十分にあった。完全にやる気の人間だったなら、大樹も鉛玉をくらっていたに違いない。おそらくその人物は、引き金を引いてから大樹が逃げるまでの間、微動だにしていないのだ。

 

――混乱…してしまったんだな。無理もないよな。俺だって、一人だったらどうなっていたか分からないんだ…。大樹がいて、脱出という希望があったから、ここまで冷静でいられたんだ。それに、もう人数も少ない。反射的に攻撃してしまうかも…。

 

 恨みはない。むしろ、同情という感情が湧いていた。一人しか生き残れないプログラム。誰も信用できず、いつ誰に刃を向けられるかも分からないこの状況。その中で神経はすり減っていき、そして確実にクラスメイトはいなくなっていく。もしかしたら、誰かの遺体を発見してしまったのかもしれない。突きつけられる現実が次第に浸食していき、いつかはこの現実を当たり前だと思えていく。そして、人を殺すことにも抵抗がなくなっていく――

 

 だからこそ怖いのだ。“プログラム”も、“プログラムに慣れる”ことも、“慣れていく自分自身”も、全て。

 

――おそらく、大樹は撃った相手を知らないままだ…。できれば説得して、安心させてやりたい。もしかしたら、脱出に協力してくれるかも…。

 

 それは、とてつもなく甘い考えだろう。撃った相手が誰かも知らないのに、自分はそんな希望を抱いている。少なくとも、人一人撃った人間が、簡単に協力するわけがない。やる気であっても、そうでなくても。

 でも、できるだけのことはしたいと思った。もうすぐ死ぬのなら、なおさら。

 

 カサッという、草を踏みしめる足音が聞こえる。今の聴力で聞こえるということは、おそらくすぐ近くにいるのだろう。どうやら大樹を追うつもりはないようで、そのことに広志は心底ホッとしていた。

 

 ゆっくりと首だけを動かして、その人物を確認しようとした。その単純な動作すらひどくぎこちなかったのだが、それはまぁいいとして、まず思ったのが小柄な女の子だなということだった。けれどその次の瞬間には、その相手が誰だかはっきり分かっていた。

 

「よ…横山…くん…」

 

 口元を手で押さえながら、間宮佳穂(女子14番)はそう呟いていた。佳穂の両手にはマシンガンらしきもの(マイクロウージーというのだが、広志には銃の名前までは分からなかった)が握られており、クラスで一番小さな身体は、小刻みにカタカタと震えている。今にも泣きそうな顔で、瞳には涙を溜めながら、広志のことをじっと見つめていた。その瞳からは、止めを刺そうという殺意は、まったく見えてこなかった。

 そこで確信した。佳穂は、意図して撃ったわけではないと。おそらくずっと一人でいて、どうしようもなく怖くて、たまたま近くにいた自分達に反応して、自分と視線が合ったことで、思わず引き金を引いてしまったのだと。そして大樹とのやり取りで、少しずつ状況を飲み込めるようになっていったのだと。

 

――怖かったんだな…。

 

 ふっ、と笑う。何も言えずにいる佳穂に向かって、広志は優しく声をかけた。

 

「怖かったんだろ?間宮さん…。怖くて、思わず撃ってしまったんだろ…?無理も…ないよな…。俺も、怖かったんだ…。ずっと…。」

 

 広志の言葉が信じられないのだろう。佳穂は呆然とした表情で、広志の方をじっと見つめている。

 

「助けて…やれなくて…ごめんな…。大樹…江田と、何とかみんなで脱出しようと色々頑張ってた…。でも、まだその方法は分からない…。でも、大樹は無事だ…。それに、間宮さんが撃ったとは知らない…。だから、あっちに行けば、大樹と合流できるはずだ。それに…今の銃声を聞いて、誰かが来るかもしれない…。早く、ここから逃げるんだ…。」

 

 広志が言いきったと同時に、佳穂がペタリと座りこむ。「あっ…あっ…」と言いながら、ボロボロと涙を流していた。自身がやってしまったことを、クラスメイトを攻撃してしまったことを、心の底から悔いるかのように。

 

「ごめんなさい…!ごめん…なさい!私、なんてこと…!」

 

 泣き崩れる佳穂とは対照的に、広志の心は穏やかだった。佳穂が、少しでも自分を取り戻せたならよかった。過去はもう戻せないけれど、罪の重さに耐えられないかもしれないけど、これでもう誰かを傷つけることはないだろう。だからこそ、早くここから逃げてほしかった。

 

「間宮さん…。お、俺のことは…いいから…!早く…ここから…」

 

 逃げてくれ――それはもう、言葉にはならなかった。空しく息を吐く音が聞こえるだけ。佳穂には生きてほしいのに、逃げてほしいのに、もうそれを伝えることすらできないのか。

 

――頼むよ…。間宮さんには逃げてほしいんだ…。もう少しだけ時間くれよ…。

 

 しかしその願いは届かなかったのか、意識がもうろうとし始めた。言葉を発するどころか、呼吸をすることすら苦しい。次第に声も聞こえなくなっていき、痛みすら感じなくなっている。どんどん視界も狭まっていき、もう佳穂の顔すら見えなくなっていた。

 

 想いとは裏腹に、身体は機能を失っていく。もう、何もできなくなる。佳穂を救うことも、大樹を手助けすることも、何も――

 

――くそっ、俺…もう死んじまうのか…。ごめんな、間宮さん。最後まで助けてやれなくて、死んでしまって…。大樹、後は頼んだからな…。必ずみんなで脱出してくれよ…。

 

 そう願いながら、約一分後に横山広志は死んだ。目は最期まで開かれたままであり、口も何かを伝えようとしたのか半開きのままであった。佳穂に逃げてほしい――その願いが叶ったかどうかすら、広志が最期まで知ることはなかった。

 

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 ぐったりしている横山広志(男子19番)に気づき、間宮佳穂(女子14番)はようやく顔を上げた。そして微動だにしない広志を見て、死んでしまったことを認識した。

 

「あ…あぁ…」

 

 耐えがたい現実が、佳穂を襲う。人を殺した。今まで仲良くやってきたクラスメイトを殺した。それも、自分を助けようとしてくれたクラスメイトを…

 

――私は…この手で…

 

 思わずウ―ジーを投げ捨てる。こんなものがあるから、こんなもののせいで――

 

「う、うわぁぁぁぁぁ―――!」

 

 広志の遺体に縋りつき、佳穂は大声で泣き崩れた。脱出しようとしていた。自分を含めた、クラスメイト全員を助けようとしてくれた。そんないい人を、自分は殺してしまった。何もしていないのに、ただそこにいたからという理由で。

 怖かった。広志の言う通り、佳穂はずっと怖かったのだ。出発時の視線、何度も響く銃声、どんどん減っていくクラスメイト、信じようとしていた人物の裏の顔、誰も信じられないという現実。その全てが佳穂の小さな身体を浸食し、次第に飲み込んでいった。

 たまたまいた人影を見つけて、広志と視線が合っただけなのに。ただそれだけで、引き金を引いてしまった。広志を殺してしまった。向こうは何もしてこなかったというのに。

 

――私、なんてことしてしまったの…。怖いって理由で、何もしていないあなた達を襲った…。恨まれても、殺されても仕方ないのに、どうして私を責めなかったの?どうして江田くんのところに行けって言ったの…?ねぇ、教えてよ…。

 

 もう何も答えてくれない広志の身体に顔を埋めるかのようにして、佳穂は泣き続けた。顔や服に、べっとり血が付くことにもかまわなかった。ただ後悔と悲しみだけが、佳穂の頭の中を埋め尽くす。この状況がやる気の人間を引き寄せてしまうことも、完全に頭の中から抜け落ちていた。

 

「ごめんなさい…。ごめんなさい…。ねぇ、私…これからどうしたらいいの?」

 

 涙で顔をくしゃくしゃにしながら、佳穂は小さな声でそう問いかけた。それでも、広志は何も返してくれない。もう死んでいると分かっているのに、そうせずにはいられなかった。冗談であって欲しかった。嘘だと言って欲しかった。ゾンビでも何でもいいから、生き返ってほしかった。

 

 もう一度広志に問いかけようとしたその時、背中に衝撃を感じた。

 

 最初は、何が起こっているのか分からなかった。あぁ、私は人を殺したことで、クラスメイトが死んだことで、こんなにも胸を痛めているんだ。そんなことを思ってすらいた。

 しかしほぼ同時に、力が抜けていくのを感じた。そして信じられないほど激痛が、身体中をかけめぐっていくのも。

 

「ありがとよ。横山を殺してくれて。」

 

 声のした方――後ろを振り向くと、そこには自己中心的な性格で有名な窪永勇二(男子7番)がいた。そして自由の利かない首を動かして、自分の身体を見た。驚愕した。

 佳穂の胸のあたりに、何か刃物のようなものが生えていた。それが包丁らしきものであることを理解するのに、さほどの時間はかからなかった。

 

「まぁ本当は、俺が殺したかったんだけどな。でもいいや。いい武器も手に入りそうだしな。」

 

 勇二に何か言い返したかったけど、もうその力も残されていなかった。広志に全身を預ける形で、もう身体を動かすことすら叶わなかった。

 

――ごめんね…。せっかく逃げてくれって言ってくれたのに、その気持ちも無駄にしちゃって…。でも…

 

 残された最期の力で、右手を広志の顔へと伸ばす。そして開かれたままの広志の瞳を、中指と薬指でそっと伏せさせた。

 

――もう…疲れちゃった…。人殺しという事実を抱えて生きていけるほど、私…強くないんだ…。

 

 身体から包丁が引き抜かれると同時に、佳穂の意識は消失した。勇二がもう一度包丁を突き立てたことも、その包丁の刃先が佳穂の心臓にまで到達したことも、佳穂自身は何も感じなかっただろう。

 楽しそうに表情を歪めて、勇二はそのまま包丁を引き抜いた。同時に佳穂の身体から吹き出した血液が、黒い制服を赤く汚していく。

 

「うわっ!きったねぇ!」

 

 血の噴水が治まってから、佳穂の首筋に手を当てて死んでいることを確認する。そして近くに落ちているウ―ジーを拾い上げ、勇二はニヤリと笑った。

 

「これでようやく殺しまくれるぜ。」

 

 そして広志の腰に差しこまれてあったコルトパイソンも回収し、二人の荷物も拾い上げた後、勇二は一目散に走り去っていった。

 

男子19番 横山広志 
女子14番 間宮佳穂 死亡

[残り8人]

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