正義と悪の狭間

 

「文島…くん…?」

 

 香山ゆかり(女子3番)文島歩(男子17番)の存在を認めたのか、そう小さく口にする。反射的に藤村賢二(男子16番)は、ゆかりを庇うような形で身体を起こした。

 

「ずっと探していたんだよ。中々会えなくて、実はちょっと焦っていたんだけど…よかった。香山さんが一緒だとは思わなかったけどね。でも、やはり君は、僕に倒される運命だったってことだね。」

 

 歩の言っている内容を、全ては理解できなかった。歩が賢二を探していたことなど知る由もなかったし、焦っていたと言ってはいるが、見る限りではいたって無表情だ。汗一つかいてもいないし、呼吸も乱れていない。賢二の目から、歩はいつもと変わらないように見えていた。

 しかし、歩の言葉と行動から、一つだけはっきり分かっていることがある。

 

――俺を殺すつもりで…探していたってことか…?

 

 どんなに楽観的に考えたとしても、仲間になりたいだとか、そんな好意的な理由で探していたのではないということは容易に理解できる。こちらを見るなり攻撃してきたのだから、当然殺すつもりで探していたということだろう。

 となると問題は、“なぜ殺すつもりで探していたのか”ということになる。いくら鈍感と言われる賢二でも、歩に何かしらの恨みを持たれる覚えはまったくない。普段から関わりはなかったし、修学旅行で同じ班ではあったものの、目立ったトラブルもなかったはずだ。

 

「君みたいな人殺しは、生かしておけない。君のような悪は、いなくなった方が世の中のためだ。ここで僕が、君を倒すよ。」

 

 賢二の疑問に答えるかのように、歩がそう口にした。しかしその言葉が飛び出した途端、賢二はハッとした。

 

――マズい!!香山さんは…俺が人を殺したことを…!

 

 そう、ゆかりは賢二が人を殺したということを知らないのだ。今の歩の言葉は、ゆかりに多大なる衝撃と不信の種を植え付けてしまうだろう。しかし今の立ち位置上、ゆかりの表情を窺い知ることはできない。後ろを振り向こうにも、歩から視線を逸らすわけにはいかないのだ。

 反射的に、腰に差していたコルトガバメントを歩に向ける。そのとき、神山彬(男子5番)に撃たれた右腕と、津山洋介(男子12番)に切りつけられた右肩がズキンを痛んだが、歯を食いしばってその痛みに耐えた。本物ではないので脅しにしかならないが、とにかく今はここを切り抜けなくてはいけない。ゆかりを――歩に殺させないようにしなくては。

 

 そんな賢二の努力をあざ笑うかのように、歩はいつもと変わらない口調で言葉を発した。

 

「それ、本物じゃないね。どこで手に入れたか知らないけど、他の銃はどうしたの?」

 

 思わず、ゴクリと唾を飲み込む。どうして、この銃が本物ではないと分かるのか。賢二から見れば本物とさほど変わりない、むしろまったく同じ代物に見えるというのに。

 

「僕、これでも銃器には詳しいんだよ。それは、本物ならコルトガバメントっていう銃だね。白凪くんが持っていたものと同じか。同じ武器は一つもないって思っていたけど、種類が同じで銃の口径が違うとか、モデルガンだとか、使える弾丸の種類が違うっていうことなら、まぁありそうな話だね。」

 

 歩が矢島楓(女子17番)と同じ推測を抱いていたことも気にかかったが、それよりも気になったのは一人の人物の名前だった。

 

「白凪に…会ったのか?」

 

 今しがた歩の口から出た人物――白凪浩介(男子10番)。昨日の朝、賢二は浩介に会っている。浩介は自分に向かって撃ってきはしたものの(そもそも浩介がそうしたのは、賢二が浩介を殺そうとしたからなのだが)、やる気ではなかったはずだ。浩介と歩がどのような状況で出会って、どんな会話を交わしたか。浩介がどのようにして死んだのか知らない賢二にとっては、それが少しだけ気になった。

 

 しかし、次に歩が口にした言葉は、賢二の想像をはるかに超えていた。

 

「まぁね。白凪くんは僕が倒したよ。その場にいた矢島さんは見逃したけどね。でも、さっきの放送で矢島さんも呼ばれていた。やっぱり悪を庇った人間には、しかるべき罰が下ったんだよ。」

 

 一瞬、歩がどこか異国の言葉を話しているのではないかと思った。それほどまでに、話している内容が信じられなかったのだ。

 

――倒した?倒したってことは…殺したのか?何で文島に、白凪は殺されなくちゃいけないんだ?

 

「どうして…白凪くんを殺したの?」

 

 賢二の後ろで聞いていたらしいゆかりが、震えた声でそう口にした。そう、おそらく歩は、ただやる気になっているわけではない。つまり、無差別に殺しているわけではない。浩介がやる気であるという確証がない以上、歩が浩介を殺すには何らかの理由が必要なはずだ。ゆかりが聞きたいのは、そういうことなのだろう。

 

「僕の目の前で、月波さんを殺したんだ。だから、制裁を加えたんだよ。矢島さんもその場にいて、僕に銃を向けてきた。けど、彼女は人を殺していないみたいだから、その場は見逃したんだ。けど、白凪くんみたいな悪を庇ったから、天からの裁きが下ったんだね。」

 

 ゆかりの疑問に、歩はさも当たり前だと言わんばかりに答える。賢二は一瞬、歩が嘘をついているのではないかと思った。しかし、そうする理由が分からない。言いたくなければ、浩介を殺したことを言わなければいいのだ。

 

 だから、おそらく浩介が月波明日香(女子9番)を殺したというのは本当だ。しかし問題は、“なぜ明日香を殺した”のか。

 

 進んで殺すような奴ではない。それだけは確かだ。けれど、成り行き上殺してしまうことはあるのではないだろうか。賢二がいわば返り討ちという形で、洋介を殺してしまったときのように。それに、楓も一緒にいたのなら、楓を助けるために、守るために、仕方なく殺したのではないか。それなら有り得る。いや、もはやそれしか考えられない。

 そして歩は、楓が既に二人殺していることを知らない。だから、無理矢理“制裁”とやらを加える必要がなかった。それで見逃したのだ。

 

 思考がそこまで及んだところで、一つの仮説が浮かんだ。

 

――こいつ、目の前で人を殺した人間を殺すつもりか。殺した理由とか、その人がやる気であるかどうか関係なく、ただ“人を殺した”という事実だけで、その人を殺すつもりだってことか…

 

 ある意味、最も厄介だ。歩に人を殺すところを見られたら、どんな言い訳も通用しない。歩にとって、“人殺し”という事実がそのものが、最も赦せない“悪”なのだから。そして、そこに罪悪感はまったくない。歩は、自分のやっていることを正しいと信じている。そんな歩を見ていると、まだ彬のほうが可愛げがあるように思えてしまう。

 しかし裏を返せば、誰も殺していない人間は、殺す対象ではないということになる。賢二は絶対的な対象になってしまっているだろうが、ゆかりは違う。なら、ゆかりのことは見逃してくれるのではないか。そんな希望もあった。

 

「だから僕は、君や白凪くんみたいな人殺しを成敗するつもりだ。ところで、どうして香山さんは藤村くんと一緒にいるのかな?脅されて一緒にいるのなら、もう心配しなくていい。僕が藤村くんを倒すから。でも…もし香山さんの意志で一緒にいるのだとしたなら、場合によっては香山さんにも制裁を加えなくちゃいけないね。悪を庇う人がいるからこそ、この世から悪が消えないのだから。」

 

 マズい。このままでは、ゆかりも歩に殺されかねない。なぜなら、賢二が脅して連れ回しているわけではないのだから。ゆかりは、賢二が人を殺した事実は知らなかった。知っていたなら、一緒に行動などしなかったはずだ。どうせ幻滅や軽蔑はされているのだろうが、ゆかりの言うことを歩が信じるか分からない以上、賢二が言わなくてはいけない。ゆかりを守るためにも、嘘をつかなくてはいけない。“俺が連れまわしていただけだ。彼女は関係ない”と。

 しかし、意志に反して、言葉は中々出てこない。元来、賢二は嘘をつくことが大嫌いだ。宗信にも、浩介にも、楓にも礼司にも、嘘は一切ついていない。ゆかりに関しても、都合悪い事実を伏せただけで、それ以外はすべて正直に話している。それだけでも、心が痛んだ。

 

『時には、嘘をつくことも必要だよ。』

 

 以前、里山元(男子8番)に言われたことが蘇る。そう、今がまさにそのときなのだ。ゆかりを守るために、ゆかりを殺させないように、嘘を吐かなくてはいけない。事実とは――反することを。

 しかし、賢二が意を決して口を開く。それよりも、ゆかりが賢二の前に進み出て、冷たく言い放つほうが早かった。

 

「藤村くんより、私にはあなたの方が、ただの人殺しに見えるけど。」

 

 ゆかりの思いもよらぬ発言で、賢二だけでなく、歩も目を丸くしていた。しかし、すぐに歩の表情が怒りに満ちたものに変わり、そして――ゆかりに銃口を向けたのだ。

 

「どうして…そう思うのかな?藤村くんは、僕の目の前で津山くんを殺したし、後から来た霧崎くんも、おそらく殺している。もしかしたら、荒川さんを殺したのも彼かもしれない。僕は、今のところ白凪くんだけだ。どうして、僕のほうが人殺しって言われなくちゃいけないのかな?僕は、ただ悪を裁いているだけなんだよ。」

 

 どうやら歩は、賢二が成り行き上殺してしまった洋介の殺害現場に居合わせていたらしい。そしておそらく、霧崎礼司(男子6番)が現れたところまで見ているが、礼司を殺してしまったところまでは見ていない。おそらく、危険を察知してその場を去ったのだろう。

 しかし、それよりもゆかりのことだ。今の状態では、歩がいつゆかりに向かって引き金を引いてもおかしくない。それほどまでにゆかりの発言は、歩にとって赦しがたいものなのだ。

 

 それはゆかりも分かっているはず。分かっているはずなのに、堂々と歩に対してこう言い放ったのだ。

 

「悪って何?正義って何?そんなこと言って、人を殺す理由を探しているようにしか見えない。どうして白凪くんが月波さんを殺したのか。どうして矢島さんがあなたに銃を向けたのか。考えたことあるの?藤村くんだってそう。ただの人殺しなら、私はとっくに殺されている。でも、今こうして生きているじゃない。きっと藤村くんにも色々あった、それで今はやる気じゃない。私はそう思う。それでも文島くんは、藤村くんのことを悪って決めつけるの?正義という名目で、藤村くんを殺すの?」

 

 ゆかりの言葉に、歩は返事をしない。一呼吸を置いた後、ゆかりはさらにこう言ったのだ。

 

「はっきり言うわ。藤村くんよりも、白凪くんよりも、文島くん。私にとっては、あなたが一番の“悪”よ。」

 

 ゆかりがそう言いきった途端、すぐに歩の表情に変化が現れた。怒りの表情がドス黒くなり、口元がひどく歪んだ。賢二がマズいと思った時には、歩はもう動いていた。

 

 銃を一度だけ構え直し、そのまま引き金を引いたのだ――ゆかりに向かって。

 

 賢二は、庇おうと思った。けれど、あまりに歩のモーションが早かったことと、動いた瞬間にはしった右足の激痛でそれはままならなかった。おまけに身体のバランスを崩してしまい、勢いよく地面に倒れこんでしまう。

 

 すぐに起き上がる。けれどその時には銃声も聞こえていて――何もかもが終わった後だった。

 

 弾は、見事にゆかりの腹部の命中していた。そして皮肉なことに、地面に倒れ込んだことで賢二にはまったく弾が当たらなかったのだ。

 

「香山さん!!」

 

 ゆかりの身体が、グラリと賢二の方へと倒れてくる。その身体を慌てて受け止めた。受け止めた瞬間、右腕から激痛がはしったが、そんなことはどうでもよかった。

 自分のせいで、ゆかりが傷ついている。自分が――人を殺したせいで。

 

「矢島さんと…同じこと言うんだね。このクラスは、悪の巣窟だったってことか。だからプログラムにも選ばれるし、こんなにも人数が減っていくんだね。これからは香山さんみたいな子でも、容赦なくやっていかないとね。悪を庇う人間がいるからこそ、この世から悪がなくならないんだから。」

 

 なおも銃口をこちらに向けながら、歩は冷たく言い放つ。どうやら人を殺していなくても、その人を庇っただけで殺す対象になってしまったようだ。これからは、問答無用で誰かを殺すかもしれない。その対象に大樹や広志、もしくは萩岡宗信(男子15番)すら含まれてしまうかもしれない。

 しかし、賢二の頭の大部分を占めていたのは、何よりもゆかりのことだった。腹部には大きめの穴が空いており、そこから血がドクドクと流れ出している。呼吸は小刻みにハァハァと苦しそうで、苦痛で表情も歪ませている。それでもゆかりは、決して歩から視線を逸らそうとしなかった。

 

――助けなきゃ…。香山さんを助けなきゃ…。でも…どうしたらいいんだよ…。守るんじゃなかったのか…?俺は人を殺すことはできても、誰一人守れないのか?自分を助けてくれた女の子一人すら…守れないのかよ…

 

 そのとき、パンパンという――先ほどとは違う銃声が聞こえた。

 

 思わず顔を上げる。見ると、歩が右手を押さえてうずくまっている。視線を右に動かし、思わず目を見開く。そこには、あまりにも意外な人物が立っていたのだ。

 

 その手に持っている銃は、以前賢二が持っていたもの。以前会ったときには、こちらに敵意を向けてきた人物。賢二の右腕と左足に、怪我を負わせた張本人――神山彬だったのだ。

 

 銃口を歩に向けたまま、彬は一度だけ顎をくいっと前に動かす。その動作が意図することは――

 

――逃げろって…ことか?

 

 一度は賢二を殺そうとした彬が、なぜ今となって助けようとしているのか。もちろん疑問に思ったが、その真意を考えている時間はない。

 

 急いでゆかりを抱え上げ、痛む左足を引きずりながら、出来る限りの速さで二人から遠ざかるように走った。荷物やコルトガバメントは持ちきれなかったが、そんなことにかまっている余裕などなかった。この場から早く逃げること、それだけが重要だった。

 後ろの方では、パンパンという銃声が断続的に聞こえている。おそらく賢二達を逃がそうと、彬が撃ち続けているのだ。その音も、段々遠くなっていく。その音を聞きながら、賢二はただ必死で走り続けていた。

 

[残り8人]

next
back
終盤戦TOP

inserted by FC2 system