私の存在意義

 

 次に古山晴海(女子5番)の視界に入ったのは、雲の隙間から見える青空に似つかわしくない――真っ赤な鮮血だった。

 

 けれど、晴海自身は何も痛みを感じない。ということは――

 

「神山くん!」

 

 急いで起き上がろうとする晴海の身体を、神山彬(男子5番)はそのまま左手で押さえつけた。そして後ろを振り向き、襲撃してきた窪永勇二(男子7番)に向けて躊躇なく引き金を引く。振り向いた際、彬の背中から肩にかける生々しい弾痕から血が流れているのが――はっきりと分かってしまった。

 

――もしかして…私を…庇ったの…?

 

「古山さん!神山!大丈夫か?!」

 

 萩岡宗信(男子15番)の切羽詰まった声が、頭上から聞こえてくる。倒れたまま視線を動かすと、江田大樹(男子2番)を地面に伏せさせている宗信が視界に入っていた。それで彬と同様、宗信も咄嗟に大樹を庇ったのだと分かった。見る限りでは、二人に怪我はないようだ。

 その間にも、彬は急いで身体を起こし、晴海の腕を掴んで立ちあがらせた。そして再び右手の銃の引き金を引く。その時でも、晴海が勇二に撃たれることがないように、彬は常に晴海の前に立っていた。

 

「急いで近くの木に隠れるんだ!死にたくなかったら早くしろ!」

 

 全員がその言葉に従った。晴海は、そのまま彬に引っ張られる形で走り出し、半ば押し込まれるような形で木の影に隠れる。勇二を銃で牽制しつつ、すぐに彬も飛びこんできた。宗信と大樹が、晴海と彬よりも奥の木に隠れた途端、パラララという音が再びこだました。

 

「…江田。ショットガンは萩岡に渡せ。萩岡。いくつか銃を持っているなら、江田にも渡して、窪永に向けて撃つんだ!」
「でも…」
「いいからあいつに撃たせるな!距離を詰められたら終わりだぞ!!」

 

 彬の言葉に宗信は抗議しようとしていたが、その前に大樹の方が宗信にショットガンを押し付けていた。それで、宗信はグッと言葉に詰まる(そもそも宗信は勇二に一度会っている。説得は不可能というのは十二分に分かっていたのだろう)。そして、大樹はそのまま宗信に向かって右手を差し出し、銃を渡せというジェスチャーをする。その動作に、躊躇いは感じられなかった。

 それで宗信も手段はないと思ったのか、大樹にシグザウエルを渡し、自身はコルトガバメントを両手で持ち、勇二に向けて引き金を引いていた。ただ距離が離れていることと、おそらくあまり当てる気がないせいか、勇二に当たってはいないようだった。

 

 そんな二人と共に撃つ彬の背中に、思わずそっと触れる。触れればその指についてしまう真っ赤な血を見て、晴海は泣きそうになっていた。

 

――また…私のせいで人が傷ついている…。どうして窪永くんが近づいていることに気がつかなかったんだろう…。立っている場所からして、私が一番に気付かなくてはいけなかったのに…。窪永くんがやる気だってことは、萩岡くんから聞いて知っていたのに…。私がいなければ…こんなことにはならなかったのに…。私のせいで…神山くんが…

 

 晴海が触れたことで、彬がこちらを振り向く。晴海のことを見て、それから宗信と大樹の方を見る。そして、勇二に向けて撃つのを止め、晴海の顔を正面からじっと見つめていた。

 

「そっか…。まともに話すのは、初めてだったな…。」

 

 思わず「え?」と呟く。なぜいきなりそんな話をし始めたのか、晴海には分からなかったから。

 

「ゴメン…。古山さんの気持ちも考えずに、勝手に一人で突っ走ってた。一度も話したことのない相手の、本当の気持ちなんて知れるはずがないのにな…。もっと…」

 

 そこで一度、彬は言葉に詰まる。唇か噛みしめながら、絞り出すように続きを口にしていた。

 

「もっと…早く言えば良かった…。日常生活の中で、いくらでも言う時間はあった。でも、俺はずっと言えなかった…。明日こそは、明日こそは。そう思いながら、ずっと言えなかった…。その明日が来る保障なんて…どこにもないっていうのに…。俺はそれを…知っていたはずなのに…。」

 

 彬の言葉の端々には、後悔と悲しみの感情がこもっているように思えた。もう戻れない日常。誰にでも――そして晴海にも、後悔することはたくさんある。

 もっと毎日を大事にすれば良かったとか、もっと親孝行しておけばよかったとか、もっと好きなことをしておけばよかったとか、矢島楓(女子17番)にもっと話すべきこと――“お姉ちゃん”のことも含めて、あったとか。あまりにもたくさんありすぎて、数え上げればキリがないくらいに。

 それに、彬に対しても言うべきことがあった。

 

「ゴメンなさい…。私のせいで…神山くんに辛い思いをさせてしまって…。私がいなかったら、きっとこんなに辛い思いも、悲しい決意もしなくてすんだのに…。それに…待っててくれたんでしょ?本当は学校の前で、私のこと待っててくれたんだよね…?それにも気づかずに、逃げたりなんかして…本当にゴメンなさい…。」

 

 晴海の言葉に、一瞬だけ驚いた表情を見せていた彬だったが、すぐに小さく首を振っていた。

 

「無理もないさ…。俺だって、声をかけられなかった。どう話しかけていいか分からなかったんだ。それにあの状況だ。怖くて逃げても仕方ない…。そうやって、分かってくれただけでも嬉しいよ。それに、待っていたことも、さっきのことも、俺が勝手に決めたことだ。それで、古山さんが責任を感じる必要はないよ。謝ることなんか、何一つないんだ。」

 

 彬のその言葉に、晴海はブンブンと首を振る。

 

「だって…だって…私がいるから…!」

 

 それは、晴海がいたから、晴海が“生きていたからこそ“――起こったこと。彬があんな悲しい決意をしたのも、楓が死んでしまったことも、全部自分が生きていたせい。自分がこの世に生まれてきたせい。自分が今ここにいるせい。

 自分の存在が、別の誰かを傷つけている。悲しませている。そして――死なせてしまっている。そう思えてしょうがなかった。

 

「それは違うよ。」

 

 そんな晴海の気持ちに気付いたのか、彬は労わるような声で優しい言葉をかけてくれた。

 

「古山さんのせいじゃない。古山さんの存在が、みんなを傷つけているわけじゃない。俺にとっては、むしろ逆なんだ。だって、君がいなかったら、俺はそれこそ何の躊躇いもなく、みんなのことを殺したのかもしれない。でも古山さん。君のおかげで、少なくとも俺は自分の方針をちゃんと決めることができた。それは間違っていたし、本田さんには申し訳ないことをしてしまったし、江田や藤村には謝りたいけど、でも正直なことを言うと、そこまで後悔はしていない。自分のためじゃなくて、別の誰かのために行動するのも…悪くないなって思えたから。こんな清々しい気持ちを味わえるのは、古山さんと姉さんのおかげなんだよ。だから、むしろ礼を言いたいくらいなんだ。ありがとうって…。」

 

 そう言ってくれる彬の表情は、今まで一番柔らかいものだった。どこか――笑顔すら含まれているくらいに。

 そうして少しだけ晴海のことを見つめた後、彬は学生服の胸ポケットの中に手を入れ、中から生徒手帳を取り出した。そのまま表紙をめくり、そこに挟まれている一枚の小さな紙を取り出して、晴海に向けて差し出す。

 

「姉さんの今住んでいる住所だ。もし生き残って、気が向いたら、会いに行って欲しい。少なくとも、君に会いたいと言っていたのは事実だから。」

 

 彬の手から、その小さな紙を受け取る。綺麗に折りたたまれた、手のひらに収まってしまうほどの小さな紙。それを、自分の生徒手帳にそっと挟みこんだ。かつて彬がそうしていたように。

 

「それと、一つだけ言わせてくれ。古山さん。君が生きることを望んでいてもいなくても、君に生きることを望んでいる“別の誰か”がいるということ。それを、忘れないで欲しい。そして、君が生きていることで、救われる人間もいるということも。俺だって、救われた内の一人だ。俺だけじゃない。矢島さんや本田さんだって、きっとそうなんだ。だから、そんなに自分を責めないで欲しい。“自分がいなかったら”なんて、仮定の話で自分を責めないでくれ。」

 

 あぁと思った。きっとこの人は、こんなにも優しい人なのだと。こうして自分に優しい言葉をかけてくれる、思いやりの溢れた人なのだと。だからこそ、“お姉ちゃん”はこの人のことを好いていて、一緒にいたのだろうと。きっと彬のおかげで、“お姉ちゃん”は少しずつ立ち直っているのだと。

 

 “お姉ちゃん”が必要としているのは晴海ではない。彬なのだ。“お姉ちゃん”のことを思うなら、彬が帰ったほうが――

 

「もう…行ってくれ…。」

 

 彬の言葉に、思わず耳を疑った。ぜっかく分かり合えたのに、今から一緒にいられると思ったのに、どうしてここで別れなくてはいけないのか。

 

「このままじゃ全員やられる。俺はもう、一緒にいても足手まといになるだけだ。ここで窪永をくい止める。萩岡と江田と一緒に逃げてくれ。」
「どうして!」

 

 彬の言葉に、思わず大きな声で叫んでしまう。それが危険な行為と分かっていながら、そうせずにはいられなかった。

 

「一緒に…一緒に行こうよ!一緒にお姉ちゃんに会いに行こうよ!きっとお姉ちゃんは、私と神山くんが一緒に会いに来ることを望んでいたんだよ…。神山くんを置いていくことなんか…できないよ…。」

 

 彬がいなくなったら、きっと“お姉ちゃん”は悲しむ。今度こそ立ち直れないかもしれない。自分のことを大切に思ってくれている大事な従姉弟を、自分も経験したプログラムで失ったなんて、耐えられるはずがないのだから。

 帰ってきてほしい。“お姉ちゃん”は、きっとそう願っているはず。だから――

 

「帰ろう…?お姉ちゃんのところに…一緒に帰ろう?」

 

 晴海の言葉に、少しだけ嬉しそうな表情を浮かべた彬だったが、すぐにそれは真剣味を帯びた厳しいものへと変わった。

 

「さっき…言ったじゃないか…。俺は、君に生きてて欲しいんだ。なのに…ここで死なれてしまったら、俺は姉さんにも、矢島さんや本田さんにも会わせる顔がない。俺の最後のわがままだと思ってきいてくれ…頼む。」

 

 それはできないという意味を込めて、もう一度首を振ろうとしたが、その前に彬にグッと肩を掴まれる。そのまま視線を合わせてくる彬を見て、晴海は何も言えなくなってしまった。その瞳はあまりにも強い意志に彩られていて、もう揺らがないことをはっきりと示していたから。

 

 そして彬は晴海から視線を逸らすと、今度は勇二に向かって撃ち続けている宗信と大樹の方に視線を向けていた。

 

「萩岡、江田。古山さんを頼む。それと、せっかく俺が生かしてやるんだ。なるべく長生きしろ。少なくとも、窪永みたいな奴にはやられるなよ。」

 

 二人はこちらを向くことなく、ただ首を縦に振ることでその言葉を了承していた。晴海から見る二人の横顔は、何か痛みに耐えているように見えた。

 

「それと江田…、すまなかったな…。」

 

 小さくそう謝罪する彬の言葉に、大樹は「大したことじゃねえよ。」と返事をする。それだけで、彬の表情から少しだけ影が抜けていた。

 彬はそのまま晴海に背を向け、勇二に向けて銃を構える。痛々しい背中の傷が、再び晴海の視界に入る。

 

「一、二の三で俺が撃つから、その隙にここから遠ざかるように逃げるんだ。近くにいたら、マシンガンの弾は間違いなく当たる。なるべく距離を稼げ。」

 

 彬の肩がグッと強張るのが見て、ズキンと胸が痛んだ。きっともう、彬は二度と振り返らないだろう。晴海を見てくれることはないのだろう。何も言わなくても、そう理解せざるを得なかった。そしてもう、晴海には止められないことも。

 

「神山くん…」

 

 それならば、これだけは伝えようと思った。もう止められないのなら、今伝えたいことを伝えておこうと思った。せめてもの謝罪と、たくさんの感謝をこめて。

 

「ありがとう…。私、神山くんに会えてよかったよ…。お姉ちゃんも、絶対そう思ってるから。」

 

 背中を向けているから、今の言葉で彬がどんな表情を浮かべたかは分からない。けれど、何となく、そう何となくではあるけれど、彬が笑ったような気がした。

 

「…いくぞ。一、二の三!!」

 

 そしてそのまま、彬が引き金を引く。その瞬間、晴海は後ろに向かって走り出した。すぐに宗信と大樹もそれに続く。視界の隅で、宗信が彬の足元に転がすように、銃を一つ置いていくのが見えた。

 

「古山さん!」

 

 すぐに晴海に追いついた宗信が、左手で晴海の腕を掴んでいた。右手の方は、既に大樹の腕に繋がれている。

 

「走るぞ!!」

 

 そしてそのまま、二人を引っ張るかのように速度を上げた。だんだん銃声が遠くなっていく。ぐんぐん距離が離れていく。勇二とも、彬とも――

 

――神山くん…

 

 溢れそうになる涙をこらえながら、晴海は引っ張られる形で走り続けた。泣いてはいけない。もしかしたらまた会えるかもしれないから。まだこれでさよならと、決まったわけじゃないから。

 そんなかすかな希望を――心のどこかでは信じていたかったのだ。

 

[残り7人]

next
back
終盤戦TOP

inserted by FC2 system