偽りの仮面が剥がされるとき

 激しい銃撃戦の後、周囲は静寂に包まれていた。まるで銃撃戦などなかったかのように、穏やかで静かな夜を迎えていた。

 乙原貞治(男子4番)は、じっと座りこんだまま考え事をしていた。六時半頃の銃声、爆発音のようなもの。ここからさほど遠くない、誰かと誰かが交戦したであろう状況を。けれど、思考を深めるべき材料があまりにも少なすぎる。結局のところ、大した考えも浮かばないまま、空しく時は過ぎていくだけだった。

 

――よく考えたら、俺…何も知らないんだ…。誰が乗っているのかも、みんながどんな状況に置かれているのかも…。

 

 友人である萩岡宗信(男子15番)白凪浩介(男子10番)にしたって、今どこで何をやっているのか分からない。さっきの銃撃戦に関わっているかもしれないし、そうでなくとも何か危機的な状況に陥っているのかもしれない。もしかしたら大怪我をしているのかもしれない。もしかしたら、誰かを手に――

 

――馬鹿!馬鹿!そんなわけないじゃないか!

 

 全力で頭を振って、右手の拳でゴンと頭を叩いて、その考えを振り払う。あの二人が人を殺すわけがない。宗信は丸腰でも殺し合いを止めるような奴だし、浩介ならそれよりも目的を優先するはず。友人である自分が信じなくて、一体誰か信じるというのか。

 

――とにかく、とにかく夜が明けたら移動しよう。

 

 もう残りは半分。このまま隠れていても、状況は好転しないと判断したのだ。知らないうちに友人がいなくなっていく状況には、そんな残酷な状況にはもう耐えられなかった。動いて何が変わるわけでもないかもしれないし、むしろ自身の命が危険に晒されるだろう。けれど、何もしないでじっとしているよりはいいと思ったのだ。

 

――俺に何かできていたら…、忠や、純也や徹だって、助かったかもしれないし…。

 

 六時の放送で、同じ修学旅行のグループであった野間忠(男子14番)武田純也(男子11番)鶴崎徹(男子13番)の名前が呼ばれた。特に、忠とは同じ卓球部であったため、ショックは今まで以上に大きかった。おそらく、宗信や浩介が呼ばれたら、ショックはこれ以上だろう。

 もう失いたくない。同じ轍は踏まない。だからこそ、動くことにしたのだ。

 

「乙原くん、大丈夫?すごい険しい顔してるよ?」

 

 少し離れたところにいた宇津井弥生(女子2番)が、心配そうに貞治の顔を覗き込む。その弥生の表情にも、いつもの明るさはない。過酷な状況で疲労が蓄積しているのか、その表情は優れなかった。

 

「そんなに俺、険しい表情してた?」
「うん。こう…何ていうか、般若みたいな顔してたよ。ちょっと、怖いくらいね。」

 

 そう言いながらも、弥生は無理矢理笑顔を作る。その表情がやけに痛々しくて、思わず目を背ける。

 こんな彼女を、いつもクラスを引っ張る姉御肌の彼女を、こんな過酷な状況に追い込んでいる。いつもクラス委員として頑張っている彼女を、こんな殺し合いに放り込むなんて、この世に神も仏もありはしない。今、そんな彼女を守れるのは、貞治自身だけなのだ。

 

――彼女だけでも守り抜く。絶対だ。

 

 そう決意はしたものの、武器はあまりに頼りない。できるだけ、やる気の人間に遭遇しないことが重要だ。そのためには、慎重に行動することが重要だ。武器も頼りない今、できるだけ慎重に行動しなくていけない。慎重に行動しながら、みんなを探さなくてはいけない。そう、できるだけ慎重に――

 

「乙原くん ?」

 

 弥生に肩を揺すられて、ハッと我に返る。

 

「さっきからボーっとしすぎだよ?疲れてるんじゃない?…いいかげん休んでよ。全然寝てないじゃない。」

 

 眉を潜めながらそう告げる弥生に、「いいよいいよ。俺、夜型だから平気。」と言って、やんわりと拒否した。気合いを入れるかのように、両頬をバンバンと叩き、自身に喝を入れ直す。

 

 弥生の言う通り、貞治は一睡もしてないのだ。弥生と合流する前も、合流してからも、貞治は寝てはいなかったのである。それは、決して弥生を信用できないからではなく、こんな過酷な状況の中、女の子に一人で見張りをさせて、自身はおめおめと休むなんてことが、できなかったからに他ならない。夜型なんて言っているが、貞治は典型的な早寝早起きの生活を送っており、徹夜や夜更かしなんて今の今までしたことがない。今はPM10:00ぐらい、下手をすればベットの中だ。宗信にはよく、「幼稚園児かよ。」なんて言われていたけれど。

 あぁ、それもいつの話だろう。遠い遠い昔の話だろうか?それともどこか別の世界の話だろうか?あまりに場違いな状況に身を置いているせいか、当たり前だった生活がひどく懐かしく思える。笑い合っていた光景が、特別な宝物のように思える。もうもどれない日常。三年一組全員がそろうことは、もう二度とないのだ。そう思うと、胸がキュッと締め付けられる。これは、悲しみだろうか、それとも切なさだろうか。

 

 そんなセンチメンタルな思考に陥っていた貞治だったが、突如その思考は中断された。後ろから、弥生に抱きつかれたため。

 

「う、宇津井さん?」

 

 あまりに唐突な出来事に、完全に声が裏返る。十四年余りの貞治の人生の中で、後ろから女の子に抱きつかれた経験などまったくもって皆無だった。いや、そもそもこの年で、こんな恋愛ドラマみたいなシチュエーションに遭遇した人間など、どれくらいいるのだろうか。そんな、場違いなことを考えていた。

 

「乙原くんって優しいんだね。私のこと、一生懸命守ってくれて。正直頼りないなんて思ったけど、その認識改めなきゃ。」

 

 吐息がかかるほど近くで、弥生の声を聞きながら、心臓が口から飛び出そうだった。弥生の言葉は嬉しいし、救われるような気持ちになったのも事実だが、それより抱きつかれていることによる緊張の方が勝っていた。

 

「い、いやっ…。ほら、宇津井さんクラス委員だし、しっかりしてるし、乗ってないって分かっているからさ。それにベタだけど、女の子には優しくしなさいって、親に言われてきたんだ。だから…その…別に大したことじゃ…」

 

 しどろもどろになりながらそう答える。緊張のせいか、喉が乾いて張り付くかのようだ。割とハッキリ話す貞治にしては珍しい、言葉尻のはっきりしない喋り方。今の顔だって、きっと真っ赤になっているに違いない。こんな光景、宗信や浩介が見たら笑うに違いない。頼むから今だけは来ないでくれ、そんなことを思っていた。

 

 しかし次の瞬間、まったく違う意味で、緊張感が増すことになる。

 

 抱きつかれている温かさとは異なる、首筋に何か冷たいものを感じた。

 

――え?

 

 貞治の首筋に、何か冷たいものが当てられているようだ。それは、まるで氷のような冷たさ。あまりの冷たさに、一瞬身体が硬直する。

 

「甘い。甘いね、乙原くんは。クラス委員だから、女の子だからって、簡単に信じちゃダメだよ。クラス委員だって殺し合いしたりするんだよ。まぁ、鶴崎くんがどうだったかは知らないけどね。」

 

 先ほどとはまったく異なる声。首筋に当てられている刃物――おそらくカミソリに負けないくらい鋭くて冷たい声。先ほどとはあまりに違う弥生の声に、完全に頭が真っ白になる。冷や汗が一筋、額から流れ落ちるのが分かった。

 

「もう残り半分。大分減っちゃったね。さすがにそろそろ動かないとマズイかな。銃を一個も持ってないっていうのは、どう考えても不利だしね。乙原くんといても手に入りそうにないから、ここらが潮時かな。」

 

 潮時って何が?そう思ったが、その答えはただ一つ。

 

――俺を、殺すつもりか…?

 

 先ほどまでの穏やかな状況が嘘であるかのように、今の状況は緊迫感に満ちている。先ほどの優しい言葉が全て記憶から消え去るほどに、あまりに違う弥生の態度。頭の中を必死で整理しようとするが、首筋に当てられている凶器の存在と、信じていた相手の思わぬ豹変に、貞治は完全に混乱していた。

 

「宇津井さんは…プログラムに乗っていたのか?」

 

 そんな頭の中から絞り出した疑問。けど、本当は聞かなくても弥生の答えは分かっている。けれど、聞かずにはいられなかった。

 

「当たり前じゃない。私、まだ死にたくないし、こんなクラスのために犠牲になるなんてゴメンよ。幸い、クラス委員という肩書きのおかげでみんなに信用されるしね。現に、乙原くんは私を信じてくれて、こうして休息を取ることもできた。そういう意味では、一応感謝しているよ。」

 

 あっさりと答える弥生の言葉を耳にしながら、貞治はあぁと妙に納得した。おそらく、これが宇津井弥生の本性なのだろう。人格者でもなんでもない、ただの自己中心的な女。もしかしたら、普段の素行も全て演技だったのだろうか。クラスのみんなをまとめる姉御肌の性格も、先生から信頼される真面目な態度も、全て偽りだったのだろうか。いつも腹の中では、上手く騙せているとくそほほえんでいたのだろうか。普段の生活でも、プログラムが始まってからも、貞治と出会ってからも、今の今までずっと。

 

「それじゃ、そろそろお別れだね。心配しなくても、萩岡くんも白凪くんも、あと江田くんも、ちゃんと私がそっちに送っておげるから。それじゃ、バイバイ。」

 

 いつもと変わらない声で、最後の通告をする弥生の言葉を聞きながら、貞治はギュッと目をつぶった。弥生の腕を振りほどこうにも、弥生の力が思いほか強く、それは叶わない。もう、なす術がなかった。

 

『それって決めつけすぎじゃない?』

 

 蘇るこの言葉。それは、まぎれもなく貞治自身が言ったこと。クラスメイトの表面的な部分しか見ていなかった浩介に向かって、諭すように言った言葉。わずか数カ月前に言った言葉。

 けど、本当に見えていないのは自分の方だったのだ。弥生の表面的な部分しか見ていなくて、簡単に信じたりして、挙句果てにこうやって殺されてしまう。人のことをどうこう言う前に、自身に言い聞かせなくはいけない言葉だったのだ。人を諭す資格など、有りはしなかったのだ。

 

――俺は…一番信じてはいけない相手を…信じてしまったのか…。

 

 浅はかだった自分を呪う。時間を巻き戻せたらと、切に願う。それでも迫りくる死の恐怖。本能的にそれから目を背けるように、友人の、友人の想い人の、もっと親交を深めたかった彼の、優しい笑顔を思い出す。

 

――…宗信、浩介。古山さん、矢島さん。あと…江田。

 

 彼らの笑顔が失われないよう、誰もこちらにこないよう、遺されたわずかな時間を使って、大切な人の無事を切に願う。

 

――絶対に、絶対に宇津井さんには近づくな。絶対に信用したらダメだ。仲間にしてはダメだ。どうか、どうか彼女には会うな。

 

 しかしその思考は、弥生の手に握られたカミソリが、貞治の頸動脈を正確に切断したことで強制的に終了させられた。ホースから水が勢いよく飛び出したかのように、貞治の首筋から大量の血が溢れ出し、弥生の顔も、服も、そして近くにあった壁までもを真っ赤に染める。それを意に介さないように、弥生は無造作に貞治の身体を離した。そのまま貞治の身体が前のめりに倒れ、バタンという音がした。もう動かない貞治の首筋からは、まだ勢いよく血が噴き出しており、なおも周囲を真っ赤に染めようとしていた。

 

「あー。やっぱ着替えて正解だったなー。制服じゃなかったら、何か疑われるかもしれないしれないから、念を入れておいて正解だったよ。まぁ、乙原くんは大して気にも留めていなかっただろうけどね。さて、暗いうちに移動するか。」

 

 素早く血を拭って着替えた後、既にまとめておいた荷物を持って、弥生は足早にそこを後にした。

 今の今まで必死で守ろうとしていた人間には、一切目もくれずに。

 

男子4番 乙原貞治 死亡

[残り16人]

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