――忘れ物、ないよね?
慎重に懐中電灯で小屋の中を照らしながら、もう何度目になるかわからない確認作業を行う。何もない空っぽの小屋を調べることなど、ものの五分もあれば終わるのに、何度も何度も確認する。そうしている間に、いつのまにか三十分ほど経過していた。
――よし、今度こそ…今度こそ…。
古山晴海(女子5番)は、懐中電灯の明かりを消して、ドアの前に立つ。今度こそ、ここから出てみんなを探す。そう決意した。
その大きなキッカケは、四回目となる放送。女子は誰も呼ばれなかったが、男子は三人呼ばれてしまった。乙原貞治(男子4番)、霧崎礼司(男子6番)、津山洋介(男子12番)。そう、想い人である萩岡宗信(男子15番)と最も親しい友人の名前がそこにはあった。
――萩岡くん…
友人想いで、優しい彼なら、きっと放送で貞治の名前が呼ばれた瞬間、晴海には計り知れないほどのショックを受けるだろう。もしかしたら泣いているのかもしれない。誰かと一緒ならいい、けど晴海みたいに一人だったら――そう思うだけで胸が締め付けられる。
宗信だけではない。同じく貞治と親しかった白凪浩介(男子10番)も、最近よく話している江田大樹(男子2番)も、貞治のことを「近年まれに見るお人好し」と言った谷川絵梨(女子8番)も、きっと悲しんでいるに違いない。
貞治が呼ばれたことで、大切な人を失う恐怖がより一層湧きあがってきた。もう会えもせず、二度と話すこともなく、知らないところで誰かに殺される。そんな現実が、より一層近づいてくるのが分かった。
いつまでも素知らぬふりはできないのだ。“死”は確実に歩み寄ってきている。静かに、限りなく近くに、そして誰の元にも。
――大丈夫、大丈夫。だって、今まで何もなかったんだし。案外動いた方がいいかもしれないし。
動き出す理由、言いかえれば言い訳を、何度も何度も言い聞かせる。恐怖が消えたわけではない。むしろ、暗闇の中を出ていくことは怖い。これまで夜遊びなどしたことのない晴海にとって、暗い夜道をたった一人で出歩くことは初めてのことなのだ。未知の恐怖と、一歩外に出れば悲惨な現実が突きつけられる恐怖が、今もなお晴海の足を鈍らせる。
『やらない後悔より、やる後悔だよ?』
随分前に言われたことが、頭の中に聞こえてくる。凛としていて優しい声。でもしっかりした筋の通った声。埃をかぶっていた記憶が、今鮮やかに蘇ってくる。
――お姉ちゃん…。
今、どこで何をしているのだろうか。こんな過酷な状況を生き抜いた彼女は、その先の人生をどのように歩んでいるのだろうのか。明るく生きているだろうか、それとも今だ悲しみにくれているのだろうか。
――今なら…ちょっとだけ分かるよ。だって、私は誰にも襲われていない。楓も、絵梨も明日香も、佳穂ちゃんも、萩岡くんもまだ生きているのに、なのに怖くて仕方ないんだ…。
彼女がプログラムでどんな経験をしたか、それはもう知ることができない。晴海よりも悲惨な現実を見たかもしれないし、そうではないかもしれない。ただ、あのときよりも、最後に会ったときよりも、少しだけ彼女に近づいたような気がした。
――でも、お姉ちゃんはきっと何かしたよね。私みたいにただ隠れていたわけじゃない。きっと、正しくあろうとしたんだよね。
首に巻いたマフラーを、右手でギュッと掴む。寒いわけではないけれど、それでもこの小さな温かさは有り難かった。少しだけ、勇気をもらえるような気がして。
――だから、たとえ死んだとしても、私らしく行動するよ。だってお姉ちゃんは、生き残るために行動したんじゃないって分かっているから。
死ぬことよりも怖いこと。それを私は知っている。大事な人が失われていくこと。私が私じゃなくなること。知らない間に、何もかもが終わること。果たすべきことを何もしないこと。伝えたいことを、伝えないまま別れること。
マフラーを握りしめる右手に一層の力をこめて、左手で目の前のドアを開けた。自分を出迎える暗闇に一瞬だけ躊躇した後、ゆっくりと歩き出した。かすかに震える足を、必死で動かしながら。
主がいなくなった小さな小屋のドアは開いたまま、温かい風にゆられ、少しだけ軋んだ音を立てた。
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