暗闇の中に浮かぶ一つのシルエット。そこに、怯えている様子などは微塵も感じられない。鼻歌でも聞こえてきそうなくらい、いわばいつも変わらない様子で、必死で自分の髪や服を整えていた。
その少女――宇津井弥生(女子2番)は、湖のあるD-6のエリアにいた。その目的は、乙原貞治(男子4番)を殺した際についた血や痕跡を完全に消すこと。移動は危険を伴うし、湖の近くなど、目立つので避けたいところだったが、弥生とっては“痕跡を残したまま殺したことがバレる”ことのほうが問題だった。
――よし、完璧!これで見た感じ、人を殺したなんて誰も思わないわね。
支給された水はあまり使いたくないので(貞治から水とか一切拝借してこなかった、もちろんバレるのを防ぐため)、ならばこのエリアにある湖の水を使うのが最もいいと考えたのだ。もちろん、ここまでは貞治を殺す前に決めていたことである。
――けど、乙原くんって本物のお人好しだったんだなぁ。ああも上手くいくと、してやったりというよりは驚いちゃうよ。
最期の最期まで弥生のことを信じ切っていた貞治。もしや自分に好意でも持っていたのかと思ったが、まぁそれはないだろう。普段の生活態度と、“クラス委員”という肩書きが絶大な効果を発揮していたのだ。やはり、しばらくはやる気のないふりをしていたほうがいいのかもしれない。
――さて、残りは多くて十六人。この中で、騙せる人間と騙せない人間を見極めなくちゃね。まだまだ要注意人物は残っていることだし。
貞治が呼ばれた放送で、残りは十六人。その中で、弥生が常日頃から警戒していた“要注意人物”はまだ全員残っていた。さすがだともいえるが、もちろん歓迎できることではない。この人物達は、弥生の本性に気がついていた可能性があり、能力もそこそこ高い。まともに殺り合えばこちらの命が危うい。現に、こちらはほぼ丸腰なのだ。
持っていた鏡をしまい、ポケットから名簿を取り出す。懐中電灯で照らしつつ、名前を静かに指でなぞりながら、まだその人物に線が引かれていない―即ちまだ生きていることを確認する。
神山彬(男子5番)、白凪浩介(男子10番)、横山広志(男子19番)、そして矢島楓(女子17番)。
はぁと溜息をつく。放送のたびに、この中の誰かが死んでいることを期待したのだが、今のところそれは叶っていない。ただ、要注意人物とまではいかないが、簡単には騙せないなと思っていた松川悠(男子18番)や芹沢小夜子(女子7番)が、早々に死んでくれたことは喜ばしいことだったが。
――この中で一番気をつけなくちゃいけないのは、やっぱり横山くんかな。プログラムに乗りそうにないし、人望も厚いから仲間を作っている可能性が高いね。白凪くんや矢島さんは、誰と一緒にいるかがカギかな。萩岡くんや古山さんは騙されそうだから、この子達が信じたらそう簡単に追いだせないだろうし。神山くんに関しては、とにかく近づかないようにしないとね。やる気になっている可能性もし高いし…。
そうまで考えると、人差し指でピンと“横山広志”の名前をはじく。広志に関して言えば、仲のいい霧崎礼司(男子6番)や若山聡(男子21番)も、少々警戒していた(もう二人とも死んでしまっているので、その必要はないのだけれども)。あの観察眼は侮れないし、冷静な思考と割と優秀な頭脳も持ち合わせている。かつ運動神経も上位クラス。いくら弥生がバレー部のレギュラーと言っても、まともにやり合っては当然勝ち目はない。それに、サッカー部の部長をやっているからクラス委員にならなかったのであって、統率力やリーダーシップに関して言えば、鶴崎徹(男子13番)より上なのだ。
とにかく広志に関しては、どこかで野たれ死んでくれることを祈るしかない。
浩介に関して言えば、女の子には冷たい一面があり、元々無条件で信用できる人物とはいえない。けれど、伊達に女の子にモテてるわけではない。案外女の子を見抜く能力には長けているのだ。浩介がよく話す楓にしたって、いじめられっ子の割には性格に問題点があるとも思えないし、芯も中々強い。いじめられていたのは、本人がどうこうという問題ではなく、単に不良グループの面々が気に食わなかっただけなのだろう。
その楓にしても、いじめられた過去があるせいなのか、警戒心が人一倍強い。時折り自分を見る目に、警戒の感情が混ざっていたことは気づいていた。楓は運動が苦手なので、まともな戦闘になれば弥生が優勢ではあるのだが、仮にも弥生以上の優秀な頭脳を持ち合わせているのだ。下手に仕掛けてはこちらの命が危うい。
ただ、この二人に関して言えばまだ策はある。友人である萩岡宗信(男子15番)や古山晴海(男子5番)が、一緒にいるかどうかが重要だ。この二人は、貞治ほどではないが弥生の目から見ても“甘ちゃん”だし、基本的に非戦を唱えるタイプなので、人を信じようとするだろう。浩介にしても、楓にしても、友人は多くない。数少ない友人が信じると言えば、その言葉の受け入れざるを得ないだろう。この二人を人質にとって、動きを封じるという手もある。
そして、ある意味最も近づいてはならない存在である神山彬。彼はクラスの誰とも親しくない。よって仲間を作ることもないだろうし、あの誰よりも冷静で落ち着いた態度から強敵ともいえるし、やる気になってもおかしくはない。クラス委員である弥生でさえ、彬のことをよくは知らないのだ。“知らない”というのは、この状況においてはとても恐ろしい。
これは、同じくやる気になっている可能性の高い窪永勇二(男子7番)、文島歩(男子17番)、三浦美菜子(女子15番)にも言えることだが、この場合、弥生がどうこうという問題ではない。やる気であるなら、こちらがどんな方針であっても容赦なく攻撃してくるからだ。ただ、彬の場合はやる気になっていなくても、弥生のことを信用したりはしないだろう。いや、そもそも彬が誰かを信じるということが考えられない。
――とにかく、この四人には注意しないと。それとやる気になりそうな人、もちろん藤村くんも警戒しないとね。あとは…誰と一緒にいるかどうかにもよるけど、やる気のないふりを見せれば大丈夫かな。
右手の人差し指で、一、二と数えていく。残り十六人中、騙せそうで仲間になれそうなのは七人。思ったよりも少ないが、これは仕方がない。この七人と上手く遭遇して、銃や何か役に立ちそうなものを手に入れる。装備を充実させてから、要注意人物とは接触しよう。もちろん、弥生の知らないところで死んでくれればなお良い。
――絶対に生き残ってやるわ。こんなところで、こんな下等なクラスのために死ぬなんてごめんよ。まだまだやりたいことだってあるし、大人にだってなりたいの。絶対、絶対死んでたまるものですか。
そんな気持ちに身体が反応したのか。口元がつりあがっていく。マズい、と思い慌てて口元を引き締めた。その時だった。
左手の方角から、ガサッという音が聞こえたのが。
「誰かいるの?」
懐中電灯を消し、努めて優しく声をかける。要注意人物なら物音をたてるなどというヘマはしないだろうし、やる気の人間なら様子を窺うなんてことはしない。なら、仲間にできる人物である可能性が高いという推測からだった。
シルエットが見えた。割と小柄だ。相手は立っているようだが、弥生よりもかなり背が低い。それに、膝のあたりがフワッと何か動いたような気がする。なら、考えられる候補は二人。
「古山さん?それとも、間宮さん?」
そう声をかけた瞬間、「ヒッ…!」という小さな叫び声が聞こえた。その声から、相手は間宮佳穂(女子14番)だと分かった。
――間宮さんなら、大丈夫かな。確か出発も最後の方だったから、一人でいる可能性が高いね。安心させれば、仲間になれるかも。ここまで生き残っているんだから、何かいい武器を支給されているかもしれないし…。
そこまで策略を練った後、佳穂を驚かさないように優しく声をかける。
「私、弥生よ。宇津井弥生。ねぇ、もしかして一人?私も一人なの…。よかったら、一緒に行動しない?間宮さんなら信用できるし…それに…」
その言葉の続きを言うことはできなかった。なぜなら弥生が話し終える前に、佳穂が弥生に背を向け走り出したのだ。佳穂の思わぬ行動に一瞬ポカンとしてしまったが、慌てて後を追いかける。
――せっかくいいカモを見つけたっていうのに、みすみす逃がしてなるものですか!
「待って!どうして逃げるの?!」
心の中では悪態をつきながら、けれど口では優しく言葉をかける。そんな弥生の言葉にも、佳穂は「嫌ぁ!来ないで!」という言葉で拒絶した。それが少しだけ癪に障り、少しだけ表情が歪むのが分かる。
佳穂はテニス部に所属してはいるが、運動神経は弥生の方が上だ。本気を出せば追いつくはず。グッと足に力をこめ、距離を縮めようとした。
その時、雑木林から抜け出したのか、少しだけ開けたところに辿りつく。満月に近い月明かりのせいか、佳穂のシルエットが、次第にはっきりしてくる。短めのショートカット、弥生と同じセーラ、肩にかけられたデイバック、そしてバックに重なるようにかけられたストラップのようなもの、その先には何か大きな―
そこまで見えたところで、弥生は足を止めた。次第に佳穂の足音が遠ざかっていく。
――あれって…マシンガン?
ストラップの先に見えたゴツゴツしたもの―弥生の目には、それがマシンガンらしきものに見えたのだ。
――もしかして、あの朝のマシンガンって間宮さんだったのかな?
あの朝のマシンガンの主。それを弥生は当然知らない。やる気の人物かもしれないし、佳穂のようなか弱い女の子かもしれないのだ。
――さすがに、あれで撃たれたくはないわね。
マシンガンの存在は大変魅力的であったが、下手なことをしては佳穂に撃たれてしまうかもしれない。それはさすがにゴメンだった。
――でもいいなぁ。あんないいものがあれば、こんな回りくどいことしなくていいし。それに、マシンガンをぶっ放すなんてなんか楽しそう…。
とにかく、これで仲間にできるのは六人に減ってしまったようだ。そんなことを考えながら、弥生も足早にそこを後にした。
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間宮佳穂(女子14番)は、走り続けていた。宇津井弥生(女子2番)が追ってきている様子はなかったが、それでも走る足を止めなかった。
――まさか…まさか…宇津井さん…。
学校を出てからずっと一人だった。とても怖かった。支給されたバックから、マイクロウ―ジーが出てきたことでいくらか安堵したが、それでも一人は怖かった。
ずっと一人でもいけないと思い、夜になるのを待ってから行動した。歩いている最中、湖のほとりで一人佇んでいる癖のありそうなショートカットの人物―懐中電灯で何かを見ている弥生を発見したのだ。
最初は声をかけようと思った。クラス委員で、姉御肌で、いつもみんなをまとめてくれる弥生なら信用できると思った。もしかしたら、この状況を打開できるような策なんかも考えているのではないか、そんな淡い期待もあった。
けれど、声をかける直前、佳穂は信じられないものを見たのだ。
――宇津井さん、なんであんな顔をしていたの?
懐中電灯で何かを照らしながら、それを見ながら、弥生は笑っていたのだ。それが、懐かしい思い出に浸るような穏やかな笑みだったなら、そのまま声をかけていただろう。けれど、佳穂の目には何かよからぬことを考えているような、そんな悪意に満ちた歪んだ笑みに見えたのだ。それは、佳穂が弥生に対して抱いている信頼を木端微塵に砕くには十分すぎるほど―恐ろしいものだった。
――乗ってるの?宇津井さんは、プログラムに乗っているの?一緒にいようと言ったのは、私の武器が目当てだったの?頃合いを見計らって、後で裏切るつもりだったの?宇津井さんまで乗っているなんて…。もう…誰を信じたらいいの?
完全にパニック状態に陥った佳穂は、決して速度を落とすことなく、そのまま北の方向へと走り続けた。
[残り16人]