――どこにいるの?
矢島楓(女子17番)は、暗闇に覆われる森の中を歩き続けていた。この緊迫した状況では疲労感もいつも以上な上に、ほとんど寝ていないし、休んでいないのだ。元々体力にはあまり自信がないのに、これではいつか倒れてしまうかもしれない。
けれど、今はそんなことを言ってはいられない。一刻も早く古山晴海(女子5番)を見つけないと、知らない間に誰かに殺されてしまうかもしれないのだ。
――晴海、どこにいるの?
息が切れ、足もいいかげん悲鳴をあげている。こんなに長時間歩いたことなんて、本当にいつ以来だろうか。体育の授業でも、走ることなど嫌でしょうがない楓からしてみれば、ここまで必死で身体を動かしていることが不思議なくらいだ。
その理由は分かっている。それは、日付が変わる時に流れた四回目の放送。
そこでは、三人の生徒の名前が呼ばれた。パソコン部に所属していて、楓自身はあまり関わりのない津山洋介(男子12番)。白凪浩介(男子10番)や萩岡宗信(男子15番)の友人である乙原貞治(男子4番)。そして、もう一度会いたかった霧崎礼司(男子6番)。
呼ばれてしまったのだ。もう一度会いたかった人が、伝えたいことがあった人が、生きていてほしかった人が。会えないことも覚悟して別れたはずなのに、呼ばれたときは自分でも驚くくらいショックを受けていた。嫌な予感はしてたから、もしかしたらと思っていたのに、それでも衝撃は大きかった。
――私は…まだ目的を果たしていない。霧崎くんはどうだったの?荒川さんを殺した人は分かったの?復讐は果たせたの?果たせなくても、自分なりにけりをつけることはできたの?
復讐の相手に返り討ちに遭ってしまったのか。それとも別の誰かに殺されてしまったのか。それはもう知ることができない。ただ、もう生きて会うことは叶わないという事実だけが残されたのだ。
それでも、信じたい。きっと彼は、ただ死んでいったのではないのだと。復習を果たせても、果たせなくても、自分なりにけりをつけることができたのだと。それくらいしか、今の楓にはできないのだから。
――私は、絶対晴海を見つける。見つけて守る。
礼司の死は、楓に一層の焦りを生んだ。礼司ほどの運動能力に優れた人物を、殺せる人間がいるのだ。礼司のことも殺せる人物なら、晴海などものの数秒で殺されてしまうだろう。
だからといって、慎重さを欠いてはいけない。隙を見せたら、それは即“死”につながる。そのため、何とか集中力だけは切らさないようにしていた。
――絶対に見つけるから。絶対に。
今いるエリアはD-4。さっき時刻を確認したが、おおよそ深夜の二時くらい。俗にいう“丑の刻”の時間だ。周囲は暗闇で覆われており、とても静かだ。今は風も吹いていないせいか、木の葉がすれる音すら聞こえない。聞こえるのは、自身の呼吸と、踏みしめる草の小さな音のみ。だからといって、誰もいないとも限らない。慎重に、かつ迅速に移動する。
歩きながら、そっと左の腰のあたりに手を触れる。そこには、元は若山聡(男子21番)のものであった警棒が差しこまれている。武器はこれと右手にあるワルサー、バックにしまい込んでいるS&W。装備としては申し分ないだろう。仮に襲われても、冷静に対処できる。焦ってはいけない。慎重に、そう慎重に―
その時、痛いくらいの視線を感じて足を止める。
――これは…?
それは、じっと観察していて、刺すような鋭い視線。動きを止めるには、下手をすれば恐怖を感じるほどの冷たい視線。そしてその視線は、紛れもなく楓に向けられている。まるで、こちらを殺そうとしているかのような――
慎重に警戒しつつ行動しなかったら、その視線に気づかなかったら、その視線に殺意を感じなければ、その瞬間駆け出していなかったら、楓は晴海に会わないまま、無念のままにこの世に別れを告げていなかったに違いない。
駆け出したとほぼ同時にパンという音。身体のどこにも痛みを感じなかったところからして、どうやら弾は当たらなかったようだ。
――問答無用ってわけか。となると、やる気の人間…。
禁止エリアに引っかからないように走りながらも、頭の中でやる気になりそうな人物を整理する。
まず男子だと、傍若無人に振る舞う窪永勇二(男子7番)、よくわからない神山彬(男子5番)と文島歩(男子17番)。女子はもちろん不良である三浦美菜子(女子15番)、それにクラス委員である宇津井弥生(女子2番)も怪しいと踏んでいた。
弥生の普段のあの出来すぎた態度、まるで誰かに見せているかのような、いわば“演じている”かのような態度。それは、どこか作り物のような気がしていた。けれど、それは自分がひねくれているからだろうなと思っていたから、誰にも言ったことはないし、これからも言うつもりはなかった。けれど、この状況では無条件で信用できる相手とはいえない。
相手が誰かはともかく、この場は逃げ切ることが重要だ。――逃げ切る?この状況で?
パンパンという音は、止むことなく追いかけてくる。しかも、距離が縮まっているせいか、音が少しずつ大きくなっている。ずっと歩きづめだった上に、楓は元々運動は苦手だ。この状況で、逃げ切る可能性は限りなく低いように思われた。
なら、こっちも銃を持っている。それで対抗すればいいのでは?向こうはやる気だ。やる気なら、容赦なくやっていいのではないか?ここで死ぬわけにはいかないのなら、殺すのも仕方がないのではないか?
いつのまにかそんなことを考えていることに気づき、思わず苦笑した。やはり人を二人も殺しているせいか、殺人に対する躊躇いは希薄だ。もう人を殺しているから、二人も三人も同じではないか。晴海に会いたいなら、目的を優先させたいなら、一番いい方法を選択するべきではないか。そのためには、人殺しもやむを得ないではないか。そうささやくもう一人の自分。
『自分のやりたいように、やっていくしかないんだと思うよ。』
礼司に言われた言葉が蘇る。
――私の…やりたいこと…
やりたいこと――それは、晴海に会うこと。会って、出来る限り守ること。そのためには生きなくていけない。ここで死ぬわけにはいかない。なら、この場は切り抜けなくてはいけない。切り抜けるためには―殺さなくていけないのか?
――違う!要はここを逃げ切ればいい!殺さなくちゃいけないわけじゃない!走ろう!とにかく走ろう!
そう決意すると、棒のようになった足を必死で動かし、走り出した。とにかくここを逃げ切らなければならない。晴海に会うために、会って守るために、そして“彼”に会って、自分の気持ちを確かめるために――
しかし、相手も中々しつこいようで、追いかけてくる足音は止まない。しかも、音はどんどん大きくなっている――即ち距離が縮められていることも変わらないのだ。
――まずい…。やっぱり中々逃げきれるものじゃないみたい…。仕方ないか…。
走りながら、右手に持ったワルサーを、空に向けて二度引き金を引いた。聞き慣れたパンパンという音が、鼓膜をビリビリと刺激する。引き金を引いた後、距離を離すためにも、足に力をこめ加速をかける。
威嚇になれば―と思ったのだが、相手は追うことを止めなかったようだ。それどころか、空に向けて撃ったことで、やる気のないことまでアピールしてしまったのかもしれない。
――マズい…。このままじゃ…。
状況はますます悪くなる一方だ。弾が当たるようになってきたのか、腕や足にチリッとした痛みがはしる。このままでは追いつかれるのも、弾が致命的な場所に当たるのも時間の問題。逃げることも困難、威嚇も意味を成さなかった。
なら、もう残る選択肢はただ一つ。
――殺したくないけど、何よりここで死ぬわけにはいかない。神様!後で地獄でもどこでも行きますから!ここはどうか生かして下さい!
一瞬だけ気持ちを落ち着けると、ワルサーを背後に向け、後ろを見ずに二度引き金を絞った。片手で撃ったせいか、反動が大きく感じられる。当たったかどうかわからないが、あくまで逃げることが大前提だ。走り続ける足は止めずに、距離を稼ごうとする。
しかし、その願いを届かなかったようで、パンパンという音は止まない。少しばかり距離を離すことには成功したようだが、それでも焼き石に水というほどの効果しかなかったようだ。
――しつこいな…。
まったく、非合理的だなと思う。追いかけながら撃つなんて、命中率がガクンと落ちるのに、それをわかっていないのだろうか。よほど、楓に執着がある人物なら分かる気もするが、この暗闇では相手が誰かもわかっていないはずだ。なら、もしくは――この状況を楽しんでいる?
――そんな馬鹿な。それじゃ狂人じゃない…。
次の瞬間、パンという単発の銃声と共に、楓の足が止まった。より正確に言うなら、そのとき発せられた弾丸が、楓の右のふくらはぎを通過し、走ることを強制的に終了させられてしまったのだ。その衝撃に耐えきれず、前のめりに倒れ込む。
――何なの?一体何発撃ってんのよ!そんなに撃てる銃なんてあるの?
すぐに起き上がろうとしたが、思った以上に重症らしく、右足を動かしただけで激痛がはしり、立ち上がることすらままならない。そうしている間にも、足音はどんどん近付いてくる。先ほどよりもゆっくりと。
――油断してるのかな。死んだと思って…。なら、ここで返り討ちにしてやる!とにかく、ここで死ぬわけにはいかないのよ!
今度はじっと動かないようにして、様子を窺う。右手のワルサーを握りしめる。足音はどんどん大きくなっていく。シルエットだけでは、相手が誰かは分からない。スカートらしきものが靡いたような気がしたが、お そらく女子で、自分よりも背が高いだろうことくらいしかわからない。
そして、一際大きな足音が聞こえた後、静寂が訪れた。
――今だ!
うつ伏せの状態から身体をひねり、足音の方へ銃口を向けた。正確にどこかを狙ったわけではないが、この距離ならどこかに当たるだろうと思った。
しかし、その腕を掴まれてしまい、その力のままに右腕を地面に押し付けられてしまう。何とか引き金は引けたが、弾はあさっての方向へ飛んでいってしまった。
しかも、そのまま左腕をも掴まれてしまい、両腕を後ろに回される。銃をもぎ取られてしまい、何かがカチャリとかけられた。慌てて動かしたが、カチャカチャというだけで一向に解けそうな気配がない。
――これって、手錠?!
すると、すぐに懐中電灯でパッと顔を照らされる。あまりの眩しさに、思わず目を細めた。
「誰かと思えば矢島か。ブスのくせに抵抗してくれちゃって。おかげで大分手間取ったじゃない。」
低めの鋭い声。もしやと思った推測が、すぐに確信へと変わる。かつては探していて、今では最も会いたくない人物。
「三浦…美菜子…。」
不良グループ唯一の生き残り。ある意味、あの中で一番厄介な人物だった。
[残り16人]