疑心暗鬼の行きつく先は

 

――もう…たった十六人…

 

 C-3の小屋に身を潜めている谷川絵梨(女子8番)は、ひどく神経をすり減らしていた。プログラムという過酷な状況におかれているのだから無理はないのだけれど、一層過敏になっているのは、おそらく四回目の放送が原因だろう。

 

――乙原くん…

 

 四回目の放送で呼ばれた三人の中に、絵梨が絶大な信頼を寄せている乙原貞治(男子4番)の名前があった。それは、今まで呼ばれた名前の中で、絵梨に一番の衝撃を与えた名だった。

 絵梨と貞治は、決して親しいわけではない。一度だけ、たった一度だけ、一年生のときに一緒にクラス委員をやった。それだけだ。けれど、一度貞治と一緒にクラス委員をやった―それが、絵梨が貞治を信じられる、唯一にして絶対の理由だった。

 

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 中学一年、最初のクラス委員。誰もがやりたがらないこの仕事。例に漏れず、絵梨もできれば避けたかったが、小学校が同じだったおせっかいな友人の迷惑な推薦のせいで、図らずもクラス委員をやるはめになったのだ。

 

――あ〜あ、やだなぁ…

 

 こうなると、重要なのが相方となる男子のクラス委員。誰になるのやらと見守っていると、どうやらじゃんけんに負けた貞治がクラス委員になったようだった。正直、最初はハズレだと思った。

 

――な〜んか、頼りない感じ…

 

 ただ見た感じ、人はいいんだろうなということだけは救いであったが。

 

「谷川さん…だよね?これからよろしくね。」

 

 期待を裏切らないような、穏やかな口調。とにかく、サボるような輩でないことだけは確かなようだ。けれど、それ以外の印象は、はっきりいって覚えていない。

 最初はこんな感じだった。ただのクラスメイトから、一年間一緒にクラス委員をやるパートナーになっただけ。二年になれば、きっと何事もなかったかのように、さよならするのだろうと思っていた。

 

 それが、ほんのささいなきっかけで変化することになる。

 

 いつかのことだった。放課後クラス委員の会議がある日。このとき、絵梨は部活のことで頭がいっぱいで、すっかりそのことを忘れていた。ホームルームも終わり、部活に行こうとした絵梨の元に、めずらしく貞治が話しかけてきたのだ。

 

「谷川さん。会議の場所って、一組だったよね?」

 

 最初は貞治の言っている意味が分からなくて、ただただ目を丸くしていた。絵梨が黙っていることで察したのか、貞治は少しだけ笑いながら、続きを口にしてくれた。

 

「今日ってさ、クラス委員の会議の日じゃん。」

 

 やっとそのことを思い出し、「あ!」と声に出す。貞治が言ってくれなかったら、きっと忘れたまま部活に行ってしまい、多大な迷惑をかけたに違いない。

 

「ご…ごめん…。すっかり忘れてた…。」

 

 これでは自分が足を引っ張っているではないか。そんな気持ちから一人うなだれる絵梨に、貞治はこう声をかけてくれた。

 

「いいよいいよ。何となくさ、谷川さん慌ててたし、もしかしたら忙しくて会議忘れているんじゃないかなっと思っただけだから。大変だよね、吹奏楽部はさ。」

 

 責めるわけでもなく、恩着せがましく言うわけでもなく、ただいつもと変わらない調子でこう言った。単純なことではあるけど、それで絵梨の気持ちが幾分か軽くなった。

 

「それにさ、俺だって忘れることあるかもしれないし。そんときはよろしくね。じゃ、先に行ってるから。」

 

 それだけを告げると、貞治はスッと絵梨の元から去り、教室を出て行った。きっと、絵梨が部活に遅れることを、同じ部員の誰かにに告げることを察したのだろう。もしかしたら、少しだけ会議に遅れるかもしれないから、それを説明するために敢えて先に行ったのかもしれない。

 忘れていたことを思い出せてくれた。たったそれだけのことではあったけど、貞治の人の良さが見えた気がした。絵梨が吹奏楽部であるということも、部活で頭がいっぱいであることも、貞治は知っていたのだ。その上で、絵梨に極力負担をかけないように、さりげなく助け舟を出していたのだ。

 

 それまでガキ大将のような男子しか知らなかった絵梨にとって、乙原貞治という人物は、それまでの男子の価値観を変えてしまうほど希少にして、初めて男子に対して信頼感を抱くほどの人物だった。

 

 それから一年間、無事に貞治とクラス委員をやり遂げた。大きな問題もなく、そしてどこか楽しくやれたのは、きっと貞治が一緒だったから。二年ではクラスが離れ、三年では別の人がやることになったので、貞治と一緒に仕事をすることはなくなったが、それでも一年間で培った信頼感だけは、今もなお絵梨の心の中に残っていた。

 絵梨の知っている人の中で、一番のお人好しで、一番の気遣いができる人。そして、決して人に迷惑をかけない人として。

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 その貞治が、死んだ。絵梨の預かり知らぬところで、死んだ。

 

 誰かに、殺されて。

 

――誰が…乙原くんを…?

 

 貞治は絶対人を殺さない。どんな状況であっても、説得は試みるかもしれないが、刃を向けるようなことは絶対しない。それだけは確信していた。

 

 なら、やる気の人間に殺されたと考えるのが妥当だ。

 

――…一体誰が…?

 

 候補ならいくらでもある。隣で寝ている月波明日香(女子9番)以外は、はっきり言ってしまえば全員容疑者だ。仲のいい古山晴海(女子5番)矢島楓(女子17番)も、貞治と仲のいい萩岡宗信(男子15番)白凪浩介(男子10番)ですらも。

 

 普段の態度なんて、この状況では当てにならないということも絵梨には分かっていた。普段の態度から考えれば、たった一日で十六人にまで減るわけがない。

 

 疑うべき状況はいくらでもある。絵梨が明日香を待つ間に出てきた佐野栄司(男子9番)が、松川悠(男子18番)と合流して、最後に出てくる藤村賢二(男子16番)を待っていた。けれど、その二人が最初の放送で呼ばれ、賢二だけが今だに生きている状況。

 出席番号が近い横山広志(男子19番)若山聡(男子21番)。聡は死んで、広志は今だに生きている状況。

 出席番号が並んでいた七海薫(女子10番)西田明美(女子11番)日向美里(女子12番)。薫と明美が二回目の放送で呼ばれたとき、美里だけが生きていた。その美里も次の放送で呼ばれたが、このズレはある疑惑を生む。

 そもそも出発前の銃声だって、誰だが分からない。あの時出発していた人間は、もう楓と広志、それと文島歩(男子17番)しか残っていないが、その中の誰かだろうか。

 

 考えれば考えるほど、分からなくなる。誰もが怪しく思えてくる。誰もが乗っているような気さえしてしまう。

 

 それこそが疑心暗鬼を生み、誰も信じられなくなる、負のスパイラルだとは知らずに。

 

――下手に…信じちゃいけない…。

 

 ちらっと寝ている明日香の方を見やる。今の状況からは考えられないほど穏やかな寝顔だ。休めと言ったのは自分だが、いくらなんでも無防備すぎるだろうと、知らないうちに小さなため息が出た。

 そんな明日香も、自分が守らなくてはいけない。幸いにも、武器は銃(ブローニングハイパワー)だ。これだけが、自分達の身を守る盾であり、お守りともいえる存在なのだ。

 

――誰も…信じてはいけない…。信じたら…殺されてしまう…。

 

 絵梨の中で、何かが確実に壊れ始めようとしていた。

 

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