偽りの友情

 矢島楓(女子17番)は、目の前の光景が信じられなかった。友人である月波明日香(女子9番)が、白凪浩介(男子10番)に銃を向けているのだ。どうしてこんなことになっているのか、まったく理解できなかった。

 

「お願い明日香。銃を下ろして。」

 

 楓は右手に持っているワルサーを向けようとして―止めた。藤村賢二(男子16番)から譲り受けたシグザウエルは背中に差しており、S&Wは今だバックの中に入っている。正直、銃は使いたくない。明日香は、数少ない楓の友人なのだ。

 そんな楓の言葉に、明日香は何も応えない。そして浩介に向けていた銃口を、今度は楓に向けてきた。その瞳は、今まで見たことのないほどの怒りに満ちている。初めて見るその険しい形相に、思わず息を飲んだ。

 

「どうして…どうしてあんたなの…?どうして私じゃないの…?」

 

 唐突に告げられた明日香の言葉。その言葉の意味は、楓にはまったく分からなかった。

 

――何?なんて?どういうこと?

 

「私のほうが友達も多いし、いじめられたことだってない。なのに、どうしてあんたみたいな人間が好かれるの?!どうして私のほしいものを全部持っていくのよ!!」

 

 楓は愕然としていた。そんな風に思われているなんて、夢にも思わなかったのだ。けれど、追い打ちをかけるかのように、明日香の怒号を続いていく。

 

「ずっと気に食わなかったのよ!いじめられっ子のくせに、うちらのグループに入ってきてさ!晴海が引き込んだかなんだか知らないけど、私はずっとあんたが邪魔だったの!修学旅行でも同じ班になって迷惑だった!目ざわりなのよ!消えてよ!」

 

 脳を直接殴られたような衝撃が襲う。今まで受けたどんな罵倒の言葉よりも、どんな否定の言葉よりも、明日香の言葉は、楓にとって苦しいものだった。

 

――そんな…今まで仲良くやってきたじゃない…。ずっと、ずっと私のこと…そんな風に思っていたの…?もしかしたら明日香だけじゃなくて…晴海や絵梨も…そう思っているの…?

 

 友人だと思っていた人の思いがけない本音。全身から力が抜けていくのを感じた。もはや立っているのも辛かった。

 けれど、この状況を見過ごすわけにはいかない。自身がどうなろうと、浩介だけは助けなくては。

 

「私が邪魔なら…ここから消えるから…。だから…白凪くんには手を出さないで…。白凪くんは…関係ないでしょ?」

 

 努めて神経を逆なでしないように言った一言で、明日香の顔が真っ赤に染まる。一層露わになった怒りの形相が、楓に向けられる。もし視線だけで人が殺せるとしたら、きっと自分はいとも簡単に殺されてしまうくらいに。

 

「物を頼める立場だと思ってんの!!いじめられっ子のくせに!あんたにも、白凪くんにも死んでもらうわ!もう私は人殺しになった。もう何人殺そうが一緒よ!みんなみんな殺してやるわ!!」

 

――人を…殺した…?どういうこと…?

 

 明日香の言葉に、胸がざわめく。視線を明日香から動かすと、すぐ近くに人が倒れていた。セーラー服、肩くらいまでの髪、楓とさほど変わらない背丈。嫌な予感が、最悪の形を成していく。

 

――嘘…、絵梨…?

 

 全ての条件に当てはまるのは、友人の一人である谷川絵梨(女子8番)しかいない。ただ倒れているだけだと信じたい。けれど、倒れている人物は、この状況でも微動だにしない。

 かすかな希望をかけて、近くに立っている浩介を見る。浩介は眉間に皺を寄せるほど険しい表情で、辛そうに楓を見つめる。少ししてから、小さく首を振った。かすかに臨んだ希望が、儚くも砕け散った瞬間だった。

 

「どうして…」

 

 明日香の言葉と、状況から考えれば、絵梨を殺したのは明日香であることは明白だった。

 

「どうして絵梨を殺したの!絵梨とはずっと仲良くやってきたんでしょ?!どうして絵梨を殺したのよ!」
「だって、邪魔だったから。」

 

 ひどく冷たい声。まるで感情のない声。機械のような淡々とした声。いつもの明日香からは考えられない態度が、人を殺してもなんとも思っていないその言葉が、何よりも信じられなかった。

 

「私は白凪くんと一緒にいたいって言ったのに、絵梨がダメだって言ったから。だから殺したの。」
「そんな…そんなことで…?」

 

 そんな些細なことで、大事な友人を殺したというのか。

 

「もう目ざわりだからさ、死んでよ。心配しなくても、晴海もあんたのところに送ってあげるから。せいぜいあの世で、二人仲良くやってなよ。」

 

 殺されそうになっているというのに、楓は一歩も動けなかった。自分が持っている銃を向ければいいのに、それすらできなかった。ただ悲しかった。苦しかった。

 ずっと友人だと思っていた人の拒絶が。大切な友人の死が。友人を、別の友人が殺したとい事実が。

 

――明日香…。私も人殺しだよ…。

 

 楓も人を殺した。それも、二人も殺した。事実だけでいったら、明日香とさほど変わらないのに。

 

――けれど、私は一度だって他のみんなを殺そうと思わなかった。それは、晴海や絵梨や、明日香がいたからなんだよ。

 

 自分よりも生きるべき人がいる。生きていて欲しい人がいる。それほどまでに大切な友人がいる。それが、あの時復讐に燃える楓を狂わせなかった、数少ない理由だったのに。

 

――でも、明日香はずっと私のことが邪魔だったんだね…。ずっと嫌な思いをさせていたんだね…。もう…もういいよ。私死ぬから、殺していいから。だからせめて…白凪くんだけは…白凪くんだけは殺さないで…。

 

 もう言葉にすらならなかった。それほどまでに、心と身体が上手く連携していないのかもしれない。でも言わないといけない。浩介だけは、浩介の命だけは、ここで失うわけにはいかない。だから、早く、早く―

 

「ふざけるな。勝手に決めるな。」

 

 突如響いた低い声。自分のものでも、明日香のものでもない声。伏せていた顔を上げると、視界に明日香はおらず、代わりに黒が視界全体に広がっていた。

 そして理解した。目の前の黒い学生服の背中も、先ほどの低い声も、浩介であるということを。

 

「君が俺のことをどう思っているのか知らないが、だからといってここで俺を殺す権利も、矢島さんを殺す権利もないんだ。君が言っていることは、ただの自己中心的な考えなんだよ。」

 

 穏やかな口調とは裏腹に、声色はとても低い。まるで氷のような、絶対零度の冷たさ。今まで聞いたことのない浩介の声に、楓の背筋に鳥肌が立った。

 浩介の言葉に、明日香の方は一瞬だけ狼狽したようだが、すぐに銃を構え直した。

 

「なんで…なんで楓なの?!私の方がずっと…」
「その考えが、既に自分勝手だと言っているんだ!!」

 

 あまり聞いたことのない大声に、身体がビクンと反応する。教室で出したものとは違う。古山晴海(女子5番)を制止した際に出した切羽詰まったような声ではない。どこか辛そうな悲痛な声ではない。明らかに怒っているのだ。

 

「そうやって比べて、自分の方が上だと思いながら生きてきたのか?矢島さんのことを、常にそうやって見下していたのか?そうやってずっと矢島さんのことを騙してきたのか?はっきり言って、最低だ。」

 

 浩介の一言一言が、明日香の表情を崩していく。怒りの表情から、泣きそうな表情へと変化していく。自分に向けられているわけでもないのに、心を抉られるような痛みを感じていた。

 

「この際だから、はっきり言ってやるよ。俺は、君のことを、一生そんな風に見ない。友達も大事にできない、自分勝手な考えで殺して、挙句の果てには平気で傷つける。そんな人間のことを、絶対に好きになんかならない。」

 

 浩介の言葉で、楓はようやく気がついた。明日香は、ずっと浩介のことが好きだったことに。

 

「今すぐここから立ち去れ。でないと、本気で撃つぞ。」

 

 でも、ずっと言えなかったのだ。おそらく絵梨にも言えなかったのだ。誰にも言えずに、ずっと想いを押し込めてきたのだ。もしかしたらそのせいもあって、楓が浩介と親しく話すことに嫉妬してたのかもしれない。そのせいもあって、ずっと楓のことを忌み嫌っていたのかもしれない。

 

『白凪君とかさ、どう思っているの?よく話すじゃん。』

 

 あの言葉には、こんなにも深い意味が込められていたのだ。あれはサインだったのだ。楓が浩介のことを好きかどうか知りたくて、こんな遠まわしな言い方をしたのだ。もし楓も好きだったら諦めよう。そんな思いさえ抱いていたのかもしれない。

 

 そうしなくてはいけないほどに、明日香はずっと自分を押し殺してきたのだ。

 

――ゴメン…。ゴメン…。全然気づいてあげられなくて…。もしあのとき私が“好きだ”って言ってたら、明日香は諦めがついたの…?でも私が何とも思っていなかったから、だからあんなことを思ってしまったの…?

 

 本当にそうだったかは分からない。けれど、気づいていたら、何か変わっていたかもしれない。少なくとも、敵対するようなことにはならなかったかもしれないのに。

 

――ねぇ、私達、もうやり直せないの…?今なら、今ならはっきり言えるのに…。

 

「もういい…」

 

 ようやく聞こえる明日香の声。その声に、先ほどまでの覇気はない。もしかしたら、分かってくれたのだろうか。もしかしたら、思い留まってくれたのだろうか。そしたら、今からでも――

 

「もういい…もういい!!みんな死んでよ!!」

 

 明日香がそう叫ぶのと、浩介が空いた左手で楓を後ろに押し倒したのはほぼ同時だった。

 

 そして、重なり合うような銃声が二発。楓の耳に届いた。

 

 浩介に押された勢いのまま、地面に倒れこむ。その際、視線は完全に二人から逸れていた。銃声が聞こえ、慌てて視線を二人に戻す。

 

 そして見た。

 

「明日香…」

 

 明日香の額には、赤い穴が開いていた。そして、その後ろでは何かがまき散らされていた。それがおそらく頭部の一部だと、分かっていても受け入れたくなかった。

 明日香がそのまま後ろに倒れるとき、目が合った。目を虚ろで、口は半開きのまま。呆けたような表情は、先ほどまでとはまったく異なっていた。それでも、楓を恨んでいるような―そんな形相に見えた。

 

「明日香…。明日香…。」
「…大丈夫か?矢島さん。」

 

 浩介の声で、我に返る。そうだ、浩介は無事なのだろうか。

 

 浩介の方に視線を向けると、左のわき腹を押さえて立っていた。押さえている手の隙間から血が滴り落ちている。彼の白い手に、いくつもの赤い筋が流れていく。少しばかり荒い呼吸をしており、痛みのせいか眉を潜めた険しい表情をしている。

 おそらく、浩介の方が引き金を引くのが早かったおかげで、明日香の狙いは外れたのだろう。それでも、重症であることには変わりない。

 

「…ごめん。手荒なことをしてしまった。」

 

 うなだれる浩介を見て、すぐに首を振った。仕方がなかったのだ。明日香は既に正気を失っていた。罪悪感すら感じないほどに壊れてしまったのだ。もう口では止められなかったのだ。浩介のやったことは責めるべきものではない。

 

「ごめんなさい…私が入ってこなかったら…。白凪くんこそ、怪我…」

 

 “怪我の方は大丈夫?”。そう楓が言いきる前に、一発の銃声が轟いた。

 

女子9番 月波明日香 死亡

[残り13人]

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