世界で一番大切な君へ

 

「白凪くん!」

 

 自分の名を叫ぶ矢島楓(女子17番)の声を聞きながら、白凪浩介(男子10番)は死を覚悟した。先ほど文島歩(男子17番)に撃たれた傷は、間違いなく致命傷だ。

 

 けれど、楓が無事だった。そのことが何よりも大事だった。たとえ自身の命が失われようと、彼女が無事ならそれでよかった。

 守れたのなら、後悔はない。たとえ、人を一人殺してしまったとしても。

 

「怪我は…ない?」

 

 もう、自分のことなどどうでもよかった。それよりも、楓の身が心配だった。

 

「私は…大丈夫だから。待ってて、今…手当するから…。」

 

 そう言うなり、自分のバックからハンカチを取り出し、浩介の傷口に当てる。けれど、その綺麗なハンカチは、浩介の血でみるみるうちに真っ赤に染まっていく。それを見た楓の表情が、泣きそうになるほど歪んだ。

 

――怪我…してるじゃないか…。左腕と…右足。

 

 細い腕に巻かれたハンカチには、うっすらと血がにじんでいる。視線を落とせば、右足には少し大きめのハンカチが巻いてあった。楓の姿を目の当たりにして一番に目に付いたのは、その痛々しい二つの傷だったのだ。

 

――誰だよ…。誰が彼女を傷つけた…。そいつがいたら、この場でぶん殴ってやるのに…。

 

 けどおそらく、それはもうできない。殴ることも、知ることもできない。生きているかどうかさえ分からない。それに―

 

『何がよ!何が違うのよ?!だって私は…』

 

 そう、もう確かめる術はない。確かめるべきではない。聞くべきことではない。触れてはいけない。触れたくはない。

 それに、他にやるべきことがある。月波明日香(女子9番)の言葉で、今の楓はひどく傷ついているだろう。せめて死ぬ前に、その傷を少しでも軽くしたい。

 

「月波さんの言ってたことは…気にするな…。」

 

 浩介の言葉に、楓は「…え?」と呟く。苦しいけれど、そのまま言葉を紡いだ。

 

「月波さんみたいに思っている人もいるかもしれない。けれど、そうじゃない人も必ずいる。誰にでも好かれる人間もいなければ、誰にでも嫌われる人間もいないんだ。少なくとも、俺はそんな目で見てはいない。古山さんだって、きっとそうだ。」

 

 自分がそうであるように、きっと彼女も君の本質を分かっているから。

 

「矢島さんは、自分が思うよりもずっと優しくて強い人だよ。そんな君に魅かれて、古山さんは友達になったんだと思う。だから、諦めずに古山さんのことを探すんだ。」

 

 すると楓は、消え入りそうな声でこう言った。

 

「一緒に…一緒に探そう?晴海にも、萩岡くんにも、会いに行こうよ…。」

 

 その言葉に、小さく首を振った。分かっているはずだ。もう助からないことは。でも、楓には生きてほしい。生きて古山晴海(女子5番)にも、萩岡宗信(男子15番)にも会ってほしい。もういなくなってしまう、約束も果たせずにいなくなってしまう、自分の分まで。

 伝えるべきことは、まだある。それは、何が何でも伝えなくては。

 

――もう少しだけ時間が欲しい…。あと少し、ほんの少しでいい…。これだけは言わなくちゃいけないから…。

 

「矢島さん…聞いて?江田と横山が、今はB-5にいる。二人ともやる気じゃない。脱出しようと、色々頑張ってくれている。古山さんや宗信に会ったら、そこに行くんだ。きっと信用してくれる。」

 

 そう言ってから、B-5は十時から禁止エリアになることを思い出した。そうだ、移動方法も伝えなくては。

 

「B-5が禁止エリアになったら、C-5、D-5。H-5まで行ったら、H-4。そうやって一筆書き上に移動していく。だから多分、分かるはずだ。いいか、頼んだぞ。」

 

 楓は少しばかり驚いたようだが、泣きそうな顔で、それでもはっきりと頷いてくれた。さすが浩介と張り合う頭の良さだ。瞬時に理解してくれたらしい。同時に、浩介の最期の言葉をきちんと聞こうと、しっかりと覚悟していることも分かった。

 

――そういうところだよ、君のいいところは。俺の意志を汲んで、きちんと受け入れようとしてくれている。だから、好きになったのかな…。

 

 そして、もう一つある。絶対に伝えなくてはいけないこと。

 

「藤村には気をつけろ。あいつは…やる気になっている。」
「藤村くんになら…会ったよ。」

 

 今度は浩介が驚く番だった。会ったのなら、なぜ無事なのか。もしかして、楓が里山元(男子8番)を弔ったことで殺すことができなかったのか。浩介が助けたことで非情になりきれなかった、あの時のように。

 

「今はもう…やる気じゃないよ…。白凪くんみたいな人を助けるって言ってた。現に、私のことも助けてくれたの。藤村くんが助けてくれなかったら、私…殺されてた。」

 

 楓のその言葉で、少しだけ肩の荷が下りたような気がした。良かった。もうやる気じゃない。元のことで逆恨みをして、人は殺してしまっただろうけど、それでも今は違う方向に向いている。きっと、犯した罪を償う形で、楓のことを助けてくれたのだろうと思う。

 最期に元が言っていた“強さ”とは、こういうことなのだろうか。

 

――なんだ。やっぱお前、いい奴じゃん。あんなくじさえなかったら、きっと殺したりなんかしなかっただろうな。とにかく、楓を助けてくれたんだから、礼を言わなくちゃいけないよな。だって、最期に会えたんだから。

 

 次第に視界がぼやけていく。もうすぐ迎えはやってくるだろう。やってくるのは、天国へ導いていく天使か、地獄へと誘う死神か。どっちにしてもかまわないけど。

 

――言うべき事は言った。矢島さんなら大丈夫だろう。まだ少しだけ時間あるな。どうしようか、伝えようか、自分の気持ち。

 

 けど、きっとそれは重荷になる。先ほどの明日香のように、自分の気持ちで、これからも生きていく彼女に、下手な気持ちは残したくない。

 

――あの世に持っていこうか。この気持ち。

 

「わ、私ね…」

 

 すると楓は、嗚咽を漏らしながら、それでも何かを必死に伝えようとしていた。

 

「ずっと、ずっとね。白凪くんのこと…、少し特別な存在として…見てたの…。でもそれはね、私と初めてきちんと話をしてくれる男の人だと思っていたからだと…思っていたの…。でもね…今は違うんだ…。私ね…白凪くんのこと…」

 

 そこから先は、嗚咽に混じって言葉にならなかった。涙をこらえ、それを浩介に見せまいと必死で顔を隠している。

 

――もしかして、君もそうなのか?俺と同じ気持ちなのか?

 

 もうすぐ死ぬというのに、なぜか幸福な気持ちで満たされていった。ずっと片想いだと思っていた相手と、両想いであったこと。それは、とても嬉しい。

 

――ありがとう。俺も君の事が好きなんだ。どこがって言われた困るけど、きっと“矢島楓”という君自身が好きなんだ。俺にとって楓は、かけがえのない大切な存在なんだよ。

 

 言いたいのに、伝えたいのに、もう言葉は出ない。同じ想いなら伝えたいのに。初めて感じた異性への恋愛感情を、初めて抱いた誰かを想う気持ちを、それを教えてくれた楓に。

 

 けれど不思議なことに、かろうじて左手が動いていた。浩介の中で、ある考えが浮かぶ。

 

――順番、違うよな。普通は口で伝えてからだよな。けど、もう伝えられないなら…

 

 意を決して、左手を持ち上げ、楓の頭を掴む。突然のことで何が起こっているのか分からない楓は、「な、何?」と言った後、その手のなすがままに浩介の身体に倒れこんでいた。

 そして、二人は折り重なるように倒れていた。胸も、頭も、そして―唇も。浩介と楓は、丁度キスをするような形になっていた。

 

――ごめんな。けど、これで伝わるかな、俺の気持ち。初めてのキスが、こんな荒っぽいものだとは思わなかったけど。

 

 重なる唇に、精一杯の気持ちを込める。自分も好きであること。大切な存在であること。これからも生きていってほしいこと。

 

――どうか、楓が古山さんと会えますように。宗信が、古山さんと会えますように。そして、なるべく多くの人が生きられますように。もう俺には、祈ることしかできないから―

 

 そしてそのまま、浩介は静かに息を引き取った。その表情は変わらず、そして誰も見たことがないほど穏やかなものであった。想い人と気持ちが通じ合えたことが、その表情を作り出していたのかもしれない。

 頭にかかる浩介の腕がぐったりしていることに気づき、楓はそっと唇を離した。そして浩介が死んだと分かると、今度は涙が溢れ出た。

 

「嫌っ…嫌っ…、どうして…。やっと、やっと気付いたのに…。」

 

 堰を切ったかのように流れ出る涙は、頬をいとも簡単に伝い、浩介の頬へと落ちていく。綺麗なその顔に、涙の滴が落ちていく。それでも彼は、眉一つ動かさない。もう話すことも、一緒にいることもできない。それは、永遠に失われてしまったのだ。

 

「もっと…早く…気づけば良かった…。両想いなら…もっと早く。」

 

 そして浩介の身体にしがみつき、大粒の涙を流しながら、声を押し殺して泣き続けていた。

 

 

――世界で一番大切な君へ――

 

――会いたい人に、会えますように――

 

 

男子10番 白凪浩介 死亡

[残り12人]

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