巡り合わせの再会

 

――私のせいだ…。私がここに来なければ、こんなことにはならなかったのに…。

 

 矢島楓(女子17番)は、白凪浩介(男子10番)の遺体にすがりつき、ずっと泣き続けていた。涙は決して止まることなく、ポロポロと流れ落ち、頬が触れる浩介の制服はじんわりと濡れていた。水分は絶対的に不足しているはずなのに、止まらないのだ。

 

――私が殺していたら、文島くんは私を撃ったに違いないのに…。

 

 あの時文島歩(男子17番)は、“悪を裁く正義の使者”と言っていた。正義うんぬんはともかくとして、歩の方針は、殺した人間を殺すということだ。

 浩介が月波明日香(女子9番)を殺したから、だから浩介を撃ったのだ。仮にこれが浩介ではなく楓だったなら、歩が撃つ対象は楓だったに違いない。そしておそらく歩は、楓が既に二人殺していることを知らない。だから見逃したのだ。

 

――私はもう二人も殺しているから…。殺されるべきなのは私の方なのに…。あの時私が撃っていたら、白凪くんが死ぬことはなかったのに…。それに…

 

 それに、それに―言えなかった。楓が既に人を殺しているということも、藤村賢二(男子16番)がやる気の人間だけ殺すというスタンスでいることも。賢二のことはともかく、自分のことは伝えたくなかった。人殺しであるという事実を知られて、幻滅されるのが怖かった。だからあの時、言うことを躊躇ってしまった。本来なら、何よりも先に言わなくてはいけなかったのに。

 

――ズルイよね…。都合の悪いことは全部隠して、言いたいことだけ伝えて…。きっと今頃幻滅してるよね…。ごめんなさい…。本当にごめんなさい…。

 

 頭の中では分かっている。早くここから立ち去らなくてはいけないことは。古山晴海(女子5番)萩岡宗信(男子15番)を探して、今はまだB-5にいる江田大樹(男子2番)横山広志(男子19番)と合流して、脱出するための策を講じなくてはいけないことも。浩介が最期に伝えてくれたことを、みんなに伝えなくてはいけないことも。浩介の想いを、決して無駄にしてはいけないことも。

 けれど、身体の大部分も、そして思考の大部分も、それを全力で拒否しているのもまた事実だ。浩介を失った今、生きる意味を失くしてしまったようだ。晴海がまだ生きているのに、もし明日香のように思っていたら―そう思ってしまう自分もいる。

 

――怖いんだ…。晴海が明日香のようなことを思っていたらって考えると…。ならいっそのこと何も知らないまま、ここで死んでしまった方がいいんじゃないの…。

 

 浩介は違うと言っていた。楓にしても、そうではないと信じている。けれど万に一つ、もしかしたら―そんなかすかな可能性が、楓の心を捉えていた。

 そうしてどれだけの時間が経っただろうか。耳にかすかな足音が聞こえる。けれど、楓は何も反応しなかった。顔を上げることすらしなかった。誰かが殺しにきたのなら丁度いい―そんなことを思ってすらいた。

 

「楓…」

 

 小さくてか弱い、女の子の声。自分の名前を呼んでくれる、優しい声。その声を聞き間違えるはずなどなかった。顔を上げなくても分かった。だって一日もかけて、ずっと探し続けていたのだから。

 ゆっくりと伏せていた顔を上げる。そこには、会いたい人が立っていた。

 

 ずっと探していた親友―古山晴海が。

 

 首には赤いマフラーを巻いていて、制服は汚れてはいるものの、そうやら怪我一つ負ってはいないようだった。しばらく会わないうちに、やつれてしまったのだろうか。心なしか、その身体が小さく見える。もしかして、ずっと一人だったのだろうか。

 晴海は楓の様子がただならぬことを察したのか、心配そうな表情で近づいてくる。そして周囲の状況を把握したのか、その大きな瞳が一層見開かれていた。

 

「楓…一体何があったの…?」

 

 その質問には、すぐには答えられなかった。どう説明したらいいのか、どこまで話していいのか分からなかった。あまりに色んなことが起こりすぎたし、上手く身体が機能していなかった。口を開くことさえもできなかった。

 

「楓、怪我してるじゃない!大丈夫なの?!」

 

 返事をしない楓を見て気付いたのか、晴海は焦った声でこう口にしていた。その口調にも、心配そうな表情も、いつもと変わりない。本気で心配してくれると、心から信じられるほど純粋なものだった。

 

――あぁ、良かった。晴海は何一つ変わっていないんだ。いつものままなんだ。私と違って…

 

 晴海がいつもと変わらないことに安堵し、口を開こうとした。その時だった。

 

『目ざわりなのよ!消えてよ! 』

 

 フラッシュバック。そのことにより、楓は口をつぐむだけではなく、座りながらジリジリと後ずさりをしてしまう。「楓?」と心配そうに見つめる晴海から、まるで逃げるかのように。

 

――違う!違うのに!晴海はそんな子じゃないのに!

 

 逃げる必要などどこにもないのに。明日香と同じことを思っていないと、浩介も言っていたのに。身体が勝手に逃げるように動いてしまう。せっかく会えたのに、一緒にいられるのに、どうして素直に喜べないのだろう。どうして拒絶するような態度をとってしまうのだろう。

 いや、本当は分かっているのだ。ずっと願っていた望みを、浩介の言っていた言葉を、決して現実のものにしてはいけないと。

 

「晴海とは…一緒にいられないよ。」

 

 そんな楓の言葉で、晴海の目がより一層見開かれた。

 

「どうして!私、ずっと楓に会いたかったのに!ずっと探していたのに!ねぇ、何があったの?!私でよければ聞くから!そんな一緒にいられないなんて、悲しいこと言わないで!」

 

 晴海の大きな瞳には、涙が浮かんでいる。あぁ、今晴海を泣かせているのは自分なのだろうか。そう考えると、本当に申し訳なく思う。けれど、一緒にいてはいけないのだ。それでは、晴海が危険な目に遭ってしまう。

 歩はあの時、楓が人を殺したことを知らないから見逃した。しかし今後、何かのきっかけで知ることになるかもしれない。そのときは、楓のことも容赦なく殺そうとするだろう。そのとき晴海も一緒だったら、晴海にすら攻撃してくるかもしれない。さっきのように見逃してくれる保証など、どこにもないのだ。

 

 晴海を守るためなら、生きていてほしいなら、自分は一緒にいないほうがいい。

 

 だから伝えよう。浩介には伝えられなかった事実を。そしたら、一緒にいようなんて思わなくなるだろう。きっと拒絶するだろう。そうすれば、晴海の命を危険に晒さなくてすむ。少なくとも、歩は晴海を殺そうとはしないだろう。

 ゆっくりと口を開く。きっと、これで私を見る目が変わる。同じように人を殺した賢二のように同調はしないだろう。復讐を考えていた霧崎礼司(男子6番)のように理解はしないだろう。だって、晴海は誰も殺していないし、誰かを殺そうとも思っていない。そんなことは、聞かなくても分かったから。

 

 だから、これで晴海との関係も終わる。そう、何もかもが終わる。

 

「私は人殺しだから…。それも二人も殺した人殺しだよ…。こんな私なんかと、一緒にいないほうがいいよ…。もう私には…晴海と一緒にいる資格なんてないんだよ…。」

 

 綺麗なあなたに、汚れた私は似合わない。あなたは、あなたに相応しい綺麗な人。そう、あなたが想う彼と一緒にいた方がいい。私は一緒にいるべきじゃないから。いてはいけない存在だから。だからここで別れよう。

 大丈夫、絶対一人にはならないから。あなたを守ってくれる人達がいるから。私はそこには行けないけど、上手くいけばみんなでここから出られるかもしれないから。

 

 一人じゃないから、あなたを助けてくれる人達がいるから、だからそんなに――

 

「なら、どうしてそんなに悲しい顔をするの?」

 

 先ほどのようなか弱い声ではなく、芯の通ったしっかりとした声。心の中の思いとシンクロするその声につられるかのように、晴海と視線を合わせる。

 

「後悔しているんじゃないの?だからそんなに悲しい顔するんでしょ?」

 

 視線を合わせると、すいこまれるような綺麗な瞳。まるで水晶のように綺麗な瞳。言葉以上に語りかけてくる瞳。嘘偽りのない純粋な瞳。

 

 そう、あの時のものと同じ。

 

「私は、楓が無差別に人を殺すような人だなんて思えない。何か理由があったんでしょ?それも知らないで、さよならなんかしたくない!お願い!せめて、何があったか聞かせて!!」

 

 泣きそうになりながらも、晴海は必死で訴えてくる。その言葉の一つ一つが、ズシンと心に響いてくる。心臓がギュッと締めつけられるくらいに、ひどく心が痛む。止まったはずの涙が、溢れ出しそうになる。

 そして、一つの言葉が蘇ってくる。

 

『矢島さんは、自分が思うよりもずっと優しくて強い人だよ。そんな君に魅かれて、古山さんは友達になったんだと思う。』

 

 そうなんだろうか。ずっと晴海の人間が出来ているから、だから友達になってくれたのだと思っていた。晴海だけではなく、谷川絵梨(女子8番)も、そして明日香もそうなのだと思っていた。楓は自分のことが嫌いなのに、生まれてから今の今までずっと嫌いだったのに、どうしてそんな自分のことを理解しようと、好いてくれようとするのだろうか。

 

――どうして…どうして分かろうとするの?私は人殺しなのに…。本来なら忌み嫌われる存在なのに…。どうして私を拒絶しないの…?

 

 晴海が一歩だけ近づく。今度は後ずさりしなかった。それを見た晴海がホッとしたような表情になり、そのままこちらに歩み寄る。そして浩介の身体をはさんで、向かい合うような形になった。

 晴海はそのまましゃがみこみ、浩介に向かって静かに手を合わせた。その姿はとても凛としていて、とても同い年の女の子とは思えなかった。想い人である宗信の友人なのだから、ショックは受けているに違いないのに。

 

「綺麗な顔しているね。白凪くん。」

 

 思わぬ晴海の言葉に、「え?」と間抜けな返事をする。

 

「看取ったんだよね…?だからだと思うよ。楓が傍にいてくれたからだよ。だからこんなに綺麗で、こんなに穏やかな顔をしているんだよ。きっとさ、後悔してないんだよ。満足して死んだんだと思うよ。」

 

 そう言われて、改めて浩介の顔を見つめる。今の今まで気づいていなかったけど、とても綺麗な表情をしていた。満足そうに微笑んでいて、穏やかな表情。そう、まるで眠っているかと思うほど。

 

――ねぇ、そうなの?満足して死んだの?私のせいで死んだのに…。どうしてそう思えるの?

 

「私ね…。」

 

 視線を浩介から楓に戻し、晴海は静かに、そして重々しく語り出す。

 

「ずっと隠れた…。怖くてずっと隠れていたの…。みんながどんどん死んでいくのに、私は何もしないでここまで生きてきたの…。何が起こって、みんながどんな思いで死んでいったのか、何も知らないまま…ずっと…。」

 

 まるで、罪悪感すら感じているかのような言葉。晴海は誰も殺していないのに、誰も傷つけていないのに、責任を感じる必要はないのに、なのに自分を責めている。

 

「だからね、決めたんだ。これからは私らしく行動しようって。たとえそれで死ぬことになっても、何も知らないまま、みんなに会えないままは嫌だって思ったの。怖かったけど、そう決めたの。だから、だから銃声のした方向に来てみたの…。」

 

 それはとても勇気のいることだったに違いない。身を守るものもなく、頼れる仲間もおらず、たった一人で危険な場所へと向かうことが。

 

 楓は、両手を膝の上でギュッと握りしめた。

 

「そしたらね…楓に会えた。会いたい人に会えたの。きっと、かみさ…。ううん、白凪くんが引き合わせてくれたんだと思う。」

 

 晴海は静かにそう告げると、もう一度だけ浩介の顔を見た。そして再び、楓に視線を戻す。

 

「言うべきことがあれば、ちゃんと聞く。それで苦しんでいるのなら、私も一緒に背負う。だから…だから一緒にいて…?もう…一人にしないで…。もう、誰かがいなくなるのは嫌なの…。」

 

 かすかに震える晴海の身体は、まるで恐怖に怯える子供のよう。涙はあと少しでこぼれ落ちそうなほどに、その瞳に映る楓の姿がボヤケそうほどに、その大きな瞳いっぱいに溜められている。それでも言葉だけは、はっきりと耳に届いていた。

 

「私は楓が大好きで、だから楓と一緒にいたい…。ねぇ…それだけじゃ…ダメなの…?」

 

 最初に出会ったときと、どこか被るような言葉。ただ自分がそうしたいから、だからそれ以外の理由はないのだと。どこかわがままで、でも純粋な気持ち。あの時楓の心を溶かしたのは、まぎれもない晴海のその純粋さ。

 

――晴海は、自分の命よりも…自分らしさを大事にしているんだ…。それで死ぬようなことになっても、そうするって決めているんだ…。

 

 あぁ、なんて綺麗なんだろう。それがどれだけ大変なことか、晴海は気づいているのだろうか。自分自身を捨てて、狂気に身を任せてしまった方が、命を優先して他の何もかもを捨ててしまったほうが、どんなに楽だろうかと思うのに。

 

――なら、私も何かすべきじゃないの…?晴海はこんなに頑張っているのに、私が簡単に投げ出していいわけないよね?

 

 浩介に守られたこの命。賢二や礼司に助けられたこの命。間接的に若山聡(男子21番)に救われたこの命。決して無駄にしてはいけない。無駄にしていいわけがない。

 

――決めたじゃない。晴海を死なせないって。たとえ拒絶されたとしても、今生きている命の限り、晴海の命を守るって。だから探していたのに…。

 

 自分の命よりも大切な人。それは、今目の前にいる小さな女の子。けれど、芯を持った強い子。こんな自分のことを“大好き”だと言ってくれる子。ありのままを受け入れてくれる子。

 彼女を守るために、死なせないために、一日もかけて探していた。たとえそれで自分が死ぬことになっても、守ることを決めたのに、想い人を失ったことで何もかも見失ってしまっていた。浩介は楓に生きることを望んでいたのに、だから守ってくれたのに、そんな大事なことすら忘れてしまっていたのだ。

 

 呼吸を整える。それを数回繰り返すと、頭の中の霧が晴れていくような感覚がした。そしてもう一度、浩介の顔を見つめる。今度は、ちゃんとはっきり見ることができた。

 

――白凪くん。私のこと、守ってくれてありがとう。好きになってくれてありがとう。あなたの気持ち、嬉しかった。ちゃんと伝わったよ。もっと早く気付いていればよかったけど、でも後悔していないから。

 

 そっと右手で、浩介の頬を撫でる。既に体温を失っているその肌は、驚くほど冷たかった。

 

――私なりに、精一杯生きるよ。最期の言葉も、絶対無駄にしない。萩岡くんにも会って、江田くんと横山くんとも合流して、何とか脱出してみせるから。

 

 頬から右手を離すと、今度は晴海の顔を正面からはっきりと見据える。

 

「私も、晴海と一緒にいたい。」

 

 たったそれだけの言葉で、晴海の表情が柔らかくなる。

 

「迷惑かけるかもしれない。一緒にいることで危険に晒されるかもしれない。けど、晴海を死なせることはしない。だから、一緒にいてもいい?」

 

 そう言うと、晴海は「当たり前じゃん。」と笑う。溜まった涙が、一筋だけこぼれ落ちる。そうしてから、膝に置かれた楓の両手をギュッと握りしめた。その体温はとても温かい。

 つられて楓も少しだけ笑った。自分でも分かるほどぎこちない笑顔だけど、でもそれでもいい。心から笑えるのは、きっとまだまだ先だろうから。

 

――この子を守る。何があっても絶対死なせない。萩岡くんにも会わせる。絶対に生きて、ここから脱出させるんだ。

 

 すぐに真顔に戻す。そう、まずはすべきことがある。

 

「誰かが来るかもしれない。なるべく早くここから離れよう。」

 

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