真意

 

――さすがに、もう大丈夫かな…。

 

 江田大樹(男子2番)はそう判断すると、走る足を止め、ずっと右手に掴んでいた横山広志(男子19番)の腕を離した。かなりの距離を走ったせいか、ゼェゼェと小刻みに息切れを起こしている。元々運動が得意な方ではない上に左腕を使えない、かつこの緊張感だ。疲労感はいつもの倍以上だろう。思わず地面に座りこんだ。

 

――やっぱ、片手じゃきついか。

 

 自分でも驚くほど冷静に、左腕の怪我を受け入れている。どうやら撃たれたことによって、頭の方は妙にクリアになってしまったようだ。こういうのを、“怪我の功名”といっただろうか。まさに言葉通りになっているが。

 

「大樹…。怪我…大丈夫かよ…?」

 

 大樹を同じくらいに息を切らした広志が、恐る恐るといった感じで尋ねていた。その口調には、どこか懺悔に近いものが含まれているような気がした。

 

「骨は折れてんだろうが…、大丈夫だろ。ほら、全然血とか出てないし、思ったよりも痛くないしさ。」

 

 だからこそ、大樹は努めて明るく答えた。それで、広志の気持ちが軽くなればいいと思った。きっと感じているであろう責任を、少しでも取り除いてやりたかった。

 けれど、その言葉で広志の表情が晴れることはなかった。

 

「ゴメン…。俺のせいで…、お前に怪我をさせちまった…。神山の銃がゴム弾だったなんて…、思いもしなかった…。撃てないって思い込んでいたんだ…。本当に…ゴメン…。俺の判断ミスで…。」

 

 そう言うなり、広志は頭を下げた。頭を垂れる広志の姿は、どこか痛々しいように思えた。

 今まで何度も見せていた頼りがいのある言動が、友人を思う優しい表情が、大樹の背中を押す凛とした雰因気が、今ではすっかり成りを潜めている。ただ申し訳なさと、軽率に判断したことの後悔が、今の広志から滲み出ている。

 

 思わず、大樹は口を開いていた。

 

「何でお前が謝るんだよ。お前が俺に向かって撃ったのか?お前が俺の骨を折ったのか?違うだろ。謝るべきなのは神山の方だろ。お前が俺に謝る理由なんか一つもないんだ。」

 

 広志は何もしていないのだから、謝罪などしなくていい。しなくてはならない人は別にいるのに、広志が謝る必要などどこにもない。怪我をしたのは大樹が勝手に動いたせいだから、広志は何一つ悪くはない。それよりも、大樹にとっては大切なことがあった。

 

「それに俺…嬉しかったんだ…。正直さ、失望されているんじゃないかって思っていたんだ。けどさ、広志は俺のために怒ってくれたじゃないか。それで俺…救われたような気持ちになったんだよ。だから…その…ありがとな…。」

 

 正直大樹にとって、左腕の骨折など大した問題ではない。それよりも、広志が大樹のために怒ってくれたこと、そんな広志を助けることができたこと、そして何より二人とも無事であること。それらがとても大切なことだった。

 その事実は、少なからず大樹を救ってくれるから。

 

「大樹…。」
「それにさ、二人とも無事だし、藤村もう乗っていないみたいだし、悪いことばっかじゃないじゃん?だからさ、そんなに暗い顔すんなよ。」

 

 きっともう、藤村賢二(男子16番)は乗っていないのだろう。だからこそ、大樹と広志を助けてくれたのだろう。それだけの情報でも、いい知らせには他ならなかった。

 

「そう…だな…。藤村、もう乗っていないみたいだもんな…。本当に良かったよ…。」

 

 そう言うと、広志の表情が柔らかくなっていた。きっと、気がかりが一つ取れたのだろう。きっと浩介だって、もう賢二が乗っていないことを知ったら、心底ホッとするに違いない。再会できたときは、真っ先に教えてやろうと思った。

 

「藤村…。大丈夫かな…。」

 

 走っている間に、銃声は二発した。それは賢二が撃ったものなのか、それとも彬が撃ったものなのか。それはもちろん分からない。彬の銃は本物ではないので、死ぬ可能性は低いだろうが、それでも賢二の身が心配だった。

 

「きっと大丈夫だよ。藤村はそう簡単にやられる奴じゃない。」

 

 心配そうな大樹の一言を、広志ははっきりと否定してくれた。それだけで、大樹も大丈夫だと思えた。

 きっともう一度会える。そのときはきちんとお礼を言おう。そう決意した。

 

「なぁ…ちょっと気になるんだけど…。」

 

 少しだけトーンを下げて、広志が口を開く。まだ完全とはいえないが、いつもの頼りがいのある口調に戻っていた。それだけでも、大樹は心からホッとした。

 

「神山のやつ…、何か妙じゃなかったか?何ていうか…あいつ、完全にはやる気じゃないような気がする。だって、最初は何もしてこなかった。脱出を考えているって分かってから攻撃してきたんだ。乗っているなら、何も聞かずに仕掛けてくるんじゃないのか?」

 

 広志の推察を聞きながら、確かに妙だと大樹も思った。最初から攻撃してこなかったのは、彬の銃が本物ではなかったせいもあるだろう。しかしそれにしても、あの一連の会話にはこちらの動きを探るような意図があったように思える。優勝するつもりなら、一切構わず攻撃すれば済む話だ。

 

「広志の言う通りだな…。でも、そしたら神山はどういう目的で動いているんだろう…。俺らに攻撃してきたんだから、少なくとも完全に乗っていないわけでもなさそうだし…。」

 

 大樹には、彬のスタンスはまったく読めなかった。非戦を唱えているわけでもない。やる気のない人間を助けるつもりでもない。かといって、優勝を目指しているようにも思えない。ならば、彬は一体何をしようとしているのだろうか。

 

「俺…、一個だけ仮説がある。」

 

 大樹の疑問に答えるかのように、広志はそう口にした。大樹は首を縦に振ることで、その続きを促した。

 

「完全な憶測だけど…。神山は自分ではない、別の誰かを優勝させようとしているんじゃないのか?」

 

 それは思いもよらない仮説だった。大樹が何も言えずにいると、広志は続きを口にしてくれた。

 

「あいつは、最初からは攻撃してこなかった。もちろん、銃がゴム弾だったせいもあるんだろうが…それにしても不意打ちしてこなかったのは引っかかる。攻撃してきたのは、俺らが脱出を考えているって分かってからだ。もっと言うなら、“脱出”されては困ると言ってただろ?つまりあいつの言う目的とやらに、脱出を考えている俺らは邪魔だった。だから攻撃してきた。」

 

 広志は分かりやすく、順序立てて説明してくれている。そのおかげで、大樹にも少しずつであるが、その仮説が飲みこめるようになってきた。

 

「もしこれが、“別の誰かを優勝させる”ための行動だとしたら説明がつく。最初に攻撃してこなかったのは、俺らはやる気じゃない。なら、その人物を殺す可能性は低い。そしてあわよくば、その人物を助けるかもしれない。だからこの場は生かす。そう考えれば、一応筋は通る。そして脱出を考えていると分かって攻撃してきたのは、脱出した人間がいた場合、優勝した人物に危害が及ぶ可能性を危惧したんだろうな。まぁ、こんなスタンスを取らざるを得ないことからして、おそらくその人物とは一緒にはいないんだろうな。見た感じ、神山は一人だったみたいだし。」

 

 途中から機械のように頷きながら、大樹はなるほどと思った。確かそれなら筋は通るし、彬がただやる気になっているよりはいくらか説明がつく。やはり広志の冷静さと頭の回転の早さは、目を見張るものがある。大樹にはそんな仮説は絶対に浮かばなかっただろう。彬が広志に対して言った、“冷静で頭の回転が早い”とか“優勝候補”と言った部分にだけは、秘かに同調した(決して優勝してほしいわけではなく、それほどの実力があるという意味で)。

 

 おそらく広志の仮説は正しい。大樹はそう思った。

 

「でも…」

 

 しかしその仮説が正しいとすると、どうしても分からないことがある。

 

「そこまでして優勝させたい人物って…誰なんだ?」

 

 そう、彬が優勝させたい人物が皆目見当がつかないのだ。普段から彬には、それほどまでに関わっていた人物はいなかったはずだ。いつも一人でいた印象が強いし、団体行動が基本である修学旅行でさえも、一人でいた場面を多々目撃している。強いていえば、時々若山聡(男子21番)と一緒にいたところくらいだ。

 

「まず、俺らは違うな。そしてそのスタンスを貫いているところからして、その人物はまだ生きている。俺らと神山を除いた十二人の中にいるってことだ。」

 

 残り十二人。その中には、先ほど二人を逃がした賢二や、一度会っている白凪浩介(男子10番)、そして同じ修学旅行グループである萩岡宗信(男子15番)、そして浩介と宗信それぞれの想い人である矢島楓(女子17番)古山晴海(女子5番)ももちろん含まれている。

 

「ここからは推測だが、白凪も会話の中で“厄介”と言っていたから違うだろう。そして多分、藤村も違う。神山が優勝させたい理由を藤村が知らないなら分からないが、少なくとも藤村は神山に攻撃できたからな。さほどの接点があるとは考えにくい。そもそも神山がわざわざそんな行動しなくてはいけないところからして、その人物はやる気にならない可能性が高いということだ。」

 

 確かにやる気になっている可能性があるなら、そんな行動を起こす必要はない。それは、神山がそうまでしないと優勝できない人物であるということを示唆している。

 

「そして、神山が一人で行動していることから考えると、その人物は神山より先に出発した可能性が高い。神山より後なら、学校近くで待てばいい話だ。特に古山さんは神山のすぐ後だから、古山さんの可能性は低いな。となると…人物的には香山さんの可能性が一番高いということになる。あとは矢島さんの可能性だってあるし、順番的にいったら宇津井さん、男子では文島がいるな。もちろん、待てなかったことも考慮しないといけないけど。」

 

 コクコクと頷きながら、大樹は香山ゆかり(女子3番)の顔を思い浮かべる。おっとりしていて、いつも明るい荒川良美(女子1番)とは随分対照的な人物だ。確かにやる気になっているとは考えにくい。もしゆかりを優勝させたいなら、やる気のスタンスを取らないといけないだろう。もちろんこれも、あくまで仮説ではあるけれども。

 

「まぁ神山のことに関しては、これ以上考えても仕方がないから止めておくよ。とにかく、今後神山には注意が必要だ。あと、今いる場所なんだけど…」

 

 そう言って、広志は地図を広げる。

 

「今いるのはC-6か。どうする?白凪とのこともあるし、今すぐC-5に戻るか?それとも、しばらく様子を見るか?」

 

 浩介には、禁止エリアになったら南に下っていくと伝えてある。おそらく今はB-5、もしくはC-5にいると思っているはずだ。再会するためにも、いつかは戻らなくていけない。しかし先ほどのことがあるので、広志は大樹に気を使ってくれているのだろう。

 けれど、大樹の中で、既に答えは導きだされていた。

 

「戻ろう。白凪がそっちに行っている可能性もあるし。」

 

 そう言って立ち上がろうとすると、広志が手で制した。

 

「まぁ、お前ならそう言うと思ったよ。それじゃ、行くか。」

 

 広志はそう告げるなり、大樹の荷物を拾い上げる。そして大樹の右腕を掴み、ひょいと身体を持ち上げてくれた。

 

[残り12人]

next
back
中盤戦TOP

inserted by FC2 system